人間を分割したらただのスプラッタ
俺達は7時になるのを待ち、寮に暮らす住人全員の部屋を訪ね、頭を下げて回った。
自警団所属ではない俺も参加したのは、一度手を貸した手前、最後まで見届けたかったからだ。
案の定、渋面を浮かべる人間が多くを占めていたけど、納得してもらう事が出来た。表向きだけかも知れないけど、貴重な一歩だ。
杏樹は終始、誰よりも渋い顔をしていた。それでも、あいさつ回りに付き合ってくれたのは杏樹なりに思う所があったからだろう。
ただ、不機嫌は続行中らしく、解散になっても俺と口を利くこと無く自室に戻っていった。
俺と愉快な仲間たちは本日の学校はサボる予定だ。流石に疲れた。それなりの眠気に襲われている。
本当だったら、俺も部屋に戻ってすぐさま白河夜船と行きたかったんだけど……思いつめた表情をしていた月日さんの事が気になって、エントランスまで戻ってきていた。
解散のあと、月日さんは寮の外に散歩に出ていたし、ここで待っていればそのうち会えるだろ。
しかし、この俺が第二種人類を心配するなんて、な。ふ。
「秋穂さんに影響され過ぎだろ、俺……」
まぁ、個人的にも、月日さんには恩があるし。ここらへんで報いておこうと思う。
エントランスに月日さんが姿を現したのは、それから五分弱が経過した頃だった。
「あ……土岐くん。どうしましたか?」
月日さんの進路上に先回り──当然、一定の距離を保ってだ──すると、月日さんが俺の存在に気づいてくれる。その表情は、やはり痛ましい。
「それは俺の質問な。思い詰めた顔をしてたから、気になって待たせて貰ったんだ」
「あ……えっと……御手数お掛けしてすみません」
そう力なく受け答えする月日さん萎んだ花みたいだ。
「謝って欲しいんじゃない。何か、俺に力になれる事はないかって話」
「これ以上、土岐くんにご迷惑をお掛けするわけにはいきません」
そういう線引きの方は未だ健在らしい。しっかりしてる。
「だったら尚更だな。月日さんがそんな様子だと、ゆっくり眠れる気がしない」
「う……土岐くんは、お節介です」
「ただ自分勝手な奴なんだ、俺。やりたいことしかやらないし、やりたくないことはやらないし」
「そう、でしたね。知ってます……ありがとう、土岐くん」
御礼なら自分にして欲しい。俺が助けたいと思ったのは、その人柄があってこそだ。
ほんの僅か。本当に少しだけ、月日さんの表情が華やぐ。迷惑がられる想像もしてたから、俺も一安心だな。
「それじゃあ、お言葉に甘えても良いですか? ちょっとだけ付き合って欲しい場所があるんです」
俺は二つ返事で了承する。そうして月日さんに案内された場所は、寮の最上階。暫定的に、狂乱者を閉じ込めておく為に利用されているスペースだった。
何が目的か、なんて聞くのは野暮か。自警団の間で予め話を通してあったらしく、月日さんは鍵を使って解錠したら、扉の前で寸刻立ち止まる。
後方約五メートルに控える俺を見て、胸に手を当てて深呼吸をしたら、意を決した様子で中に入っていく。
三秒程度遅れて、俺も続いた。入って直ぐの居間には、両手両足をロープで縛られた人物が壁にもたれかかっている。
「月日……! それと、土岐か」
その元自警団の男の声が俺を迎えた。
「いかにも俺が土岐だ。にしてもお前、刺を全て抜かれた剣山かってぐらい覇気のない調子だな」
一々食って掛かってきた頃が嘘みたいに、男の目からは生気がごっそり抜け落ちている。
「わざわざ月日に案内をさせて、俺を嗤いに来たのか」
「いや? 俺は只の付き添いだ。お前に用があるのは月日さんの方」
「月日が俺に? そうか……」
男の瞳は俺を収め続けている。俺の側方三メートルくらいに立つ月日さんには一瞥もしない。まだ、気まずさを感じる部分は残っているのか。
月日さんは沈黙のまま、俺の正面に身体を滑り込ませてくる。目を見て話したい内容なんだろうな。俺は迅速に後退――いや、交代を実行した。
「あんたに聞きたいことが在るの」
「なぜ、こんな事件を引き起こしたのか。か?」
「そう。あんたを惑わせたのは大上さんなんだろうけど、理由があるんでしょ。それを全部、教えて。正義に熱心だったあんたが歪んでしまった原因を……知りたいの」
俺の位置からは月日さんの表情は読み取れない。でも、震えていた声だけで解る。それを間近で受けた男は一溜まりもないだろうな。
咄嗟に俯いて自責から逃れたとは言え、その脳内では先程の光景が焼き付いて離れない筈だ。そして。
「これが最期の、良い、機会か」
ふっと。男が深く。深く。長い息を吐いた。
「月日。俺は、お前の事が好きだった」
顔を伏せたまま、何でもないような事を語るように、その心を吐き出す。
「非道徳によって多くの犠牲者を出した混迷の時代。ただ生きたいと願っても叶わなかった、時間にすれば短く、だが長い長い時間を歩いて、俺達はそうしなくても生きていける場所にまで辿り着いた」
旧日本都市。セントラルの恩恵により、労せずして衣食住が保証される夢の様な街。それがこの場所だ。
「最初は、ようやく得た平穏を守れればと思った。ただ生きられることが幸福だと考え、その意志こそが至上の尊さだと本心から信じていた」
誰もがそう思えるなら、自警団なんてなくても、この世は平和に回っていく。恙無く。何事もなく。代わり映えせずに。
「だがな、消滅予告が届いて、ふと考えてしまったんだ。以前は、生きることが難しく、生きられないことが辛いと思っていた。だから、この街の平穏が愛おしく、守ろうと志した筈なんだ……なのに、ふと過ってしまった」
何処かで覚えの在るフレーズ。考えるまでもなく、それは俺が終活部に入る際に葛藤した内容に似ていた。
「いずれ消えるなら、あの時と何も変わらないんじゃないか、と。だって、そうだろう? 生きたいと願っても、生きられないんだからな」
悠長に、暢気に、安穏と明日に命を繋げても、いずれ明日が見えなくなる。永劫には続かず、間近には常に
生きるという願いだけを胸に生きる事は、果てしなく無意味なんだ。
「恐らく俺は……死にたくないから、生きたかっただけだった」
共感する。元から持っているものを有難いとは思えない。
食事に困っていなければ――困ったことがなければ――食事に有り難みを感じないように。
死を目前に感じた経験がなければ、生の有り難みを知れないように。
金満の家庭に生まれ、誰よりも裕福な暮らしをしていても、その生活を貴重だとは思えないように。
俺達は不足を欲するように出来ている。
困苦に、幸を見出すように出来ている。
それはつまるところ、俺達ニンゲンは。
この世界で、苦しむように出来ている。
幸せに思う何かは、不幸の先で、不幸から生み出されてる。
「それを自覚したら、この街の平和が――その行き詰まりの停滞が薄ら寒く思えてしまった。それに、何の魅力も価値も感じなくなってしまった」
要するに、ただ消えるだけの味気ない人生を受け入れきれなかったのだろう。その辺りを大上に突かれたんだろう。
俺のように、大上ではなく秋穂さんと出会っていたのなら、この事件もまた違った結末になっていたのだろうか、なんて。下らないタラレバか。
そうなったのだから、今更何を夢想した所で変わらない。男は滔々と語る。
「俺を支えていた芯が折れた。何かをしなければ、と言う思いに絶えず急かされる日々に、気が狂いそうになっていた。いや、違う。もうあの時から俺は狂い始めていたんだろうな」
何かをしたい。けれど、その何かとは何か? とにかく身体を動かした所で、心が求めている価値あるものは手に入らない。
ただ街の寿命を伸ばした所で、その事で心が満ちることはもうない。熱心な正義漢は次第に心を摩耗させて行ってしまったのだろう。
「だから、そうならない為に無理やり別の芯を急造して、据えてしまったんだ。月日、お前の為に生涯を全うしよう、とな。お前が少しでも長く生きられるなら、その為になら死んでも良いとさえ思っていた」
「……っ」
「俺は、以前からお前の真っ直ぐな心根に惹かれていた。その未来を守れれば、俺にも価値があるんじゃないかと思った」
月日さんがぎゅっと拳を握った。
「だったら、どうして、こんな馬鹿げた事をしたのよ!?」
「惚れた女の未来を守る。俺は、その『設定』に酔って現実から目を背けたかっただけだったのだろう。だから、あの日……大上の言葉によって、容易く翻意させられてしまった」
心を読めるとされる大上なら、その舌鋒で男の弱点を正確に口撃するのは簡単だと思う。
「目を醒ましたと言った方が正しいな……月日は俺の事を異性として見ていない。それは、俺ではない一人の男しか眼中にないからだと」
ようやく、この醜い茶番の全容が掴めてきた。
「俺が身命を費やしてこの街を守り続けたとして、存命中でも消失した後でも、その街で月日が他の男に気持ちを向け続ける未来を許容できるのか? そう尋ねられた時、俺は俺の願望と対面して、そして理解した」
謎めいていた男の動機、その発端、根ざした願望が。
「月日。俺は、お前の心が欲しかった」
不可解な実績を積み重ねたのは、自尊心を満たす為じゃなくて、月日さんを振り向かせたいが為だったのか。
「そんな事の為に、人を――仲間を殺したの……?」
「そうだ。俺にとっては、それ以外は等しく無価値な物だった」
「ふざけないでよッッッ」
「そうする以外になかった。俺には、時間がなかった」
「ちゃんと自警団してたあんたのままじゃ駄目だったの? そうすればこんな――」
「そうしても、お前の心は手に入らない。それとも、潔く諦めれば『良かった』のか」
願望を胸に押し込めたまま消えていく。それは果たして良い事なのだろうか? 他人にとっては飛び火を被らない分、間違いなく善行になるんだろうけど。
「食糧は分け合える。ここにはそれが沢山ある。生きていくことには事欠かない。だが、月日は一人しか居ない。譲りあう事もしたくない――諦めて、虚しく消えていくなんて、そんな最期は嫌だった」
それは多分、人生の終末に直面した時、誰もが思う事なのだろう。
秋穂さんのように、最期にきちんとした答えを出せる方が稀なんだろう。目を背けたり、幸福を思い込んだりして、そのまま
壊れてしまう前に。
俺達には
見送る相手が心から笑っていた事はあっただろうか。
そんな最期<希望>があってくれただろうか。
ただ、一つ解ってる事がある。
「あんたが辛かったのは解った。でも、それでも……っ」
月日さんが叫ぶ。
「あたしの事が好きだって言うなら、こんな事件を起こさないで欲しかったッッッ!」
そう言い残して、月日さんは部屋を去っていく。追いかけようと思ったけど、俺は男の前に立ち、その惨めな姿を見下ろした。
「俺は、お前の主張の幾つかに共感を覚えた。でも、その終着点にだけは、どうしても同意できなかった」
「同意なんて頼んでないがな。それよりも、月日の後を追わなくて良いのか」
「その前に、お前に言っておきたい事があるからな。それを済ませたら、ゆっくり探すとする」
気休めなんかじゃ慰められないだろうし、月日さんが何を思い悩んでいたのかは大体掴めた。前後で変化はあったけど、内容に差異はない。
その懊悩を晴らすには、もう一度二人に話をさせる必要がある。その為の前準備。
「仮に、お前が取った手段で月日さんが振り向いたとしても、手に入ったかも知れない心は偽物だ」
実績という栄光は、決して男の実力から得た物ではなく。そして、その裏には月日さんが嫌悪する、醜い獣の姿がある。
その心が見ているものは獣の姿ではなく、ありもしない虚構の誰かだ。
「偽物を手に入れて、それで満たされる人生にどんな意味があるんだ」
どんな価値があるんだ。他人の意志を蔑ろにし、踏みにじり、奪命してまで成し遂げたい願望がある。
食糧は分け合える。生きていくには事欠かない。けれど、一つしかない宝物を分け合うことは出来ないし、譲ることもしたくない。
そこまではストンと胸に落ちてきた。
そういえば、杏樹が言ってたな。人は欲を持つべきではない、と。食糧があろうと、その一つを複数人が望めば、必然的に争奪戦になる。
平和を至上にするならば、やっぱり杏樹の言う通りなんだろう。人は欲を持つべきではない。でも、既に持ってしまっている。
それは簡単には捨てられない。だから、そういう唯一の物があるのは、ある意味では羨ましい。
でも、男のソレは断じて違う。人には心がある。その心が欲しいなら、月日さんの意志だけは尊重すべきだった。
「恵まれているお前に俺の何が解る!? 俺にはあれしか方法が無かった!! 他の者の手に渡るくらいなら、偽物でも構わない!!」
月日さんをすっかりモノ扱いしているのも気になると言えば気になるけど。
「違う。他に手が無かったなら、諦めた方が『良かった』んだ」
「土岐ィ……お前は俺にっ、ただ後悔を抱いたまま消えて行けと、そう言うのか!?」
「違う」
「どう違う!?」
何かを求めて、何かに抗って、でも『やっぱり駄目だった』で終われば、きっと途方も無い悲壮感に襲われるのだろう。
でも、解った事がある。そうじゃない。それじゃ駄目なんだ。
「諦められないなら、真っ向から勝負すべきだった」
「だがっ、それでは、望みが叶わないから――」
「諦められないって、妥協で満足する事を言うのか」
「……く」
俺はそうは思わない。今の遣り取りを見て、そうは思いたくなかった。
「諦められないなら、絶望的に時間が足りなくても、画期的な方法が思い浮かばなくても、それでも月日さんに振り向いて貰えるように、自分で戦うべきだった!」
例え、最後に『やっぱり駄目だった』が待っているのだとしても。
本――当に望む――物を壊す事だけは間違いだと、俺は思う。
だから、それが出来ない程度の気持ちなら、諦めてしまえば『良かった』んだ。
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