お悩み相談を受けるよりも前に君が受けた方が良い


 最近になって良く俺の心を揺さぶる、この感覚。初めてルネ美と対話をした時にも似たような感慨を抱いたっけ。


 陽気なリズムが徐々に音を小さくしていき、森の奥に迷い込んでしまったかのような粛然とした静寂がやってくる。俺は閉じていた瞼をそっと開く。


「人類は、ここまで疲れていたんだな」


 それが、先程のソウルソングを聞いた率直な感想だった。もはや音楽ではない。あれは狂気の波長だ。


 あろうことか、その狂気を『良い歌』だと評価してしまう程に――共感を越えて共鳴してしまうまでに、人心は病んでいたのか。


「いや、待てミッツマン。今のは違う」


「何が違うんだ。俺は今、確かに、人類最後の称号に能う超先進的音楽を聞いたぞ」


「今の曲は雨音九葉の持ち歌の中で唯一! 迷作扱いされている電波ソングだ! 本来の九葉ちゃんの方向性は全く違うから!作詞は別の人が担当したって話だぜ!?」


 熱弁されてもなー……今の曲で俺の中での『雨音九葉』像は固まっちゃったしなぁ。


「曲が始まる前に、お気に入りって言ってたよなぁ」


「自分が作詞をしたものじゃない曲を嫌いって言ったら印象が悪くなるからじゃねーの」


 あれを活き活きと歌いきってる時点で俺の中の印象は最悪に近い所まで下がってるんだけど、俺だけなのか? 等と胸中で考えていると、何処からともなく鼻を啜る音が聞こえる。


「やはり、素晴らしい楽曲だった……」


 何気なく出処を見ると、秋穂さんが目元を拭っていた。


「これは彼女のサードシングルで有名な曲だが、不朽の名作だよ」


 嘘だろ。


「それと、都徒くん。君は、この曲の作詞担当は彼女ではないと言っていたが……さる消息筋の間では、この曲こそが彼女が作詞を担当したものだと言う話が有力になっている」


 雨音九葉はヤバイ人。そんな認識が俺の中で確定した。


「そ、そうなんすか」


「人とは異なる感性ゆえに真の天使。私達、コアなファンは皆そう考えている」


 どうでもいい。心底どうでもいい。


 どうでもいいって便利な言葉だよな。


 どうでもいいって突き付けるだけで、割となんでも片付けられる。


 どうでもいいな。


 そうこうしている内に、方舟ラジオとやらは投稿コーナーに移っていた。リスナーからの質問に葉っぱの人が答えて行くという定番のあれだ。まるでアイドル扱いだな。


 ラジオの清聴会でもするつもりなのか、秋穂さんもトトも口を閉ざす。肩口を小突かれて振り向くと、杏樹が小声で話しかけて来た。


「貴方がしたかった事は、放課後に仲良くへんてこラジオを聴く事なのかしら?」


「俺が好き好んで第二種人類の胸糞悪い声に傾聴する筈がないだろううが」


「それじゃあ、何がしたいの?」


 何をしたいのか定まっている訳でもない。まだ、それを手探りで求めている段階だ。


「下らない馴れ合いをしている間も、貴方に残された時間は確実に消費されているのよ」


「そうだな」


 俺は何がしたいのだろう。この人生を意味のある物にするには、何を為せば良いのだろう。


「無駄よ。何をしても、傷つくだけ。そのビジョンなら簡単に見えるでしょう? だったら、最後まで何もしないで居た方が遥かに良いじゃない。裏切られるのはもう嫌でしょう?」


 尽くし率いて来たと思っていた集団から放逐された時の苦い記憶が刺激される。杏樹がそこを攻めてくるのは珍しい。それ程までに、俺を元の位置に戻したいらしい。


 駄目なビジョンなら容易に描ける、か。そうだな。失敗を実現させるのは簡単だ。間違った努力をすれば、失敗は喜んでやってくる。


 1+1の答えは2。それ以外の数字は全て否だ。数学的な答えほど難度は高く無いんだろうけど、正解は誤答よりも遥かに少ない。


 問題に挑む為に支払うリスクは時間だけじゃなくて、心も磨り減る。報われたい。でも報われない未来が見えたのなら、敢えてそこにぶつかって余計な傷を負う事はない。


 それでも抗って、やっぱり報われなかった――なんてなったら、一体如何程の絶望をもたらすだろう。そんな人生の終わりは心から嫌だなぁと思う。


「こう言うの、悪魔の囁きって言うんだろうな」


「あら、天使の間違いではないかしら?」


「天使だったら、後ろ向きな話ばかりしてないで少しは応援してくれ」


「脳天気に後押しするだけが天使の所業なのかしら? 後ろを向きながらだって歩く事は出来るのよ」


「いや、危ないだろ」


「ええ。だから、危険がないように案内してあげるのが天使の仕事なのよ」


 介護か。なんて、悪魔の誘いを受けていると。


「続いては、えっと……これですね。『東校終活部』さんからのメッセージです。終活部? どんな部活なんだろう?」


 ラジオから耳を疑う発言が聞こえてきた。ちなみに、ここでの東校とは、俺達が通うこの学校を指していて、葉っぱの人達はここではない西校に属している。


 反射的に秋穂さんの方を見ると、小さくガッツポーズをしていた。どうやら聞き間違いでは無かったらしい。なぜ終活部の名前で投稿した。


「『雨音さん、こんにちは。いつも楽しく聞かせて頂いています』わぁ。ありがとうございますー!」


 秋穂さんがラジオに向かって「此方こそ」とお辞儀する。


「『私たち終活部は、消滅までに人生を結実させる事を目的として、部員一同、日々精力的に活動しています』」


「俺の記憶違いでなければ、つい先日まで部員は実質秋穂さん一人だったと思うんですけど。話を盛り過ぎだろ」


「失礼だな、明智くん。このメールを送ったのは昨日だ。つまり、その時は三名も部員が居た。そして、私は毎日きちんと活動している。虚飾は一切していないぞ」


 俺、ここでルネ美と会ったこと無いな。いや、会いたいわけじゃないし、むしろその逆で二度と会いたくないぐらいだけど、とにかく、一同は語弊があるよな。


「一生懸命生活する部活という理解でいいのかな? だとしたら、素敵だと思います。機会があったら、是非見学したいなぁ」


「どうしよう明智くん! 雨音さんがここに来るかもしれないぞ! おもてなしの用意を万全にしておか……しまった、秘蔵のコレクションは今しがた全て末吉くんに渡してしまったばかりだったっ」


「まだ決まってないですよ。もしリップサービスじゃなかったらきちんとメールなりなんなりでことわってから来るだろ」


 もし葉っぱの人の部活見学が実現するなら、その日は休むことにしよう。毒電波を受信してから逃げるのでは遅いからな。


「続きを読みますね。『今日は、その活動の一環で雨音さんに質問したい事があり投稿させて頂きました』」


 活動に託けて、一体どんな質問に答えさせるつもりなんだろうか。


「質問? あんまり難しい事を聞かれても答えられませんよ? え……なるほど。こほん。『最近入部したばかりの部員が、その人生に意味を付ける事を目標に掲げています』」


「これって」


 俺の……? 俺が再度秋穂さんに顔を向けると、秋穂さんも此方に視線を合わせていた。


「私の独断でこのような真似をして、怒っているか?」


 ラジオでは葉っぱの人による投稿の音読がされているが、それをそっちのけで秋穂さんが尋ねてくる。


「理由次第です」


 認めたくはないけど、秋穂さんに対して多少の信頼感のようなものが芽生え始めているって事もあって、もし投稿の為の口実にされただけだったら、怒りはしないけど少しだけ不快な気分になる。


「そうか。深謀遠慮があった訳じゃないんだが……そうだな。明智くんは、1と2と3をを組み合わせて7を作る事は出来るだろうか?」


 唐突に算数の問題が始まった。訝しく思いながらも、きっと意味の在ることだろうから付き合ってみる。


「ルールは? 同じ数字の複数回の使用は? 乗算だったり累乗の使用は? 3×2+1で一応作れるけど、まさかこんな簡単な答えじゃないんだろ」


「いや、そこまで複雑に考えられると、私も困るぞ。しかも、作れちゃってる時点で、もう私が想定していた話の展開から大きく脱線している」


 作れたら駄目だったらしい。


「問題を変えよう。加算と乗算のみで1と2を組み合わせて6を作れるだろうか?」


「無理です」


「そうだな、不可能だ。では、加算のみの使用で1と2と3を組み合わせて7を作れるだろうか?」


「1+2+3+1」


「そういうのはナシだ。全員一人っ子の設定で頼む」


「無理」


「そうだ、作れないんだ」


 で、この問答に一体どんな意味があるんだ? と、無言で先を促すと、秋穂さんは一拍を置いて開口する。


「それが、現在の明智くんの状態だ。自らと向き合って考えるだけでは、どうにもならない事は沢山ある」


 もうちょっと直截な説明をして欲しかったなと思う。口には出さないけど。


「7を作りたい。けれど、1と2と3、それに加算しか解らない。7を作る為に必要なのは、新しい材料を得る事だ」


 乗算か、あるいは4を手に入れられれば、7に至ることが出来るって事か。それで、他人の意見、ね。


「我が終活部の次期部長を担う君には、部員の希望となるべく人生を望む形で終わらせて欲しいと思っている。余計なお世話だろうが、その為ならば、私は残された時間を使って取り得る手段をなんだって取るつもりだ」


 そう宣言した秋穂さんの眼差しは、迷いなんて一切見当たらない真剣そのもの。俺、部長になるつもりはないんだけど、どうしよう。


「意味、ね……案の定、難しい質問ですね、これは」


 そんな葉っぱの人の呟きに意識をラジオ引き戻す。秋穂さんとの話の傍らで聞いていたから曖昧だけど、意味を作るにはどうすれば良いと思うか。みたいな質問だった。


 時間の無駄遣いにはなるかも知れないけど、漫然と過ごすよりは幾らかマシだろうし、大人しく続きに耳を傾ける。


「その部員の方が、どんな意味を求めているかが解らないのは痛いよ。その人は意味と価値を同じに見てるのかな?」


 どうだろう。若干、ニュアンスは違うような気がするけど、正鵠を得ているようにも思える。


「もし、無価値な自分のまま終わりたくないから、とにかく完成された自分になって消滅したいと考えているなら……」


 ――俺は、無価値な自分を認めたくないだけ? 違うと思う。近いけど、やっぱり根本的な部分で的を外している。


「まずはちゃんとしたコンパスを探す事から始めるべきだと思います。意味のある自分って、一体どんな自分なのかな」


 方角すら定まっていないってか。反抗心が芽生えつつも、真っ向から否定出来ない自分が居る事に気付く。


 無意味な自分が居る事。それが受け入れられない自分が居る事。俺が抱いている願望の根源はそれだけだ。


「ああなりたい。どうして? ああなりたいから! そうじゃなくて。どうして? に対して、ちゃんとした解答がなければ、先に進めないよ」


 欲しい物がある。それは何? 欲しい物! って事だよな。明確にしないといけない。先に、いけない。


「俺が求めている意味って何だろ……」


 俺だけじゃないんだろう。


 きっと、誰もが思ってる。


 俺が思う程度の事は、大なり小なり、誰かの足あとが残ってる。


 葛藤も懊悩も、誰もが持ってる。


 その答えは、何処かにあるのだろう。


 何処にあるのだろう? 何処から探せば良いのだろう?


 俺は先ず、そのコンパスを探し出す必要があるらしい。


 その在処も解らないから、俺はまず秋穂さんが言っていたように、新しい価値観を積極的に取り入れていく事から始めよう。


 幸い、俺の周りには、目標がハッキリとしている奴が多い。秋穂さんからの供物をばりぼりと貪る友人の元に歩み寄る。


「ふくちゃん」


「どうしたんだな?」


「ふくちゃんは食べるのが好きだよな。他に、願望とか無いのか?」


「オレは食べるのが一番好きなんだな」


 人間の三大欲求の一つに数えられるくらいだから、食欲ってのはそれだけ大きいんだろうけど。


「食事ってのは、もともと命を繋ぐ為の習慣だろ。それで身体を壊したりしたら、本末転倒じゃないか?」


 暴飲暴食は病の元だ。何事も過ぎたれば及ばざるが如しという。


「ラジオの話の続きなんだな? それじゃあ、質問なんだな。長生きしてどうするんだな」


「どうするって……」


 そもそも長生きは見込めない世界だから、考えたこと無かったな。


「こんな世界じゃ無ければ、何か展望が描けたかもしれないけど」


「そうじゃないんだな。長生きしてどうするんだな。天才だったらなんなんだな。モテモテになってどうするんだな」


 雨音九葉の回答を引用しているのか? しかし、これも俺が答える必要は無いらしく、早々に二の句が継がれた。


「長生きしたっていずれ死ぬだけ。天才にも苦手な事はある。モテモテになったって所詮は誰かに好かれるだけ」


「ああ」


「もうすぐ消滅だから長生きしたい。才能がないから天才になりたい。異性に好かれたいからイケメンになりたい。どれもこれも目的が見えなくて、オレからすればそれこそ中身が無いんだな」


 目的を伴わなければ、どんなに恵まれた人生でも、それだけでは意味は見出されない。


「オレは、食べたいから食べてる。それが好きだから、そうしてるんだな」


 それに中身があるのかないのか、今の俺には何とも言い難かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る