鮫島くんの登場
「おい虎、ちょっと手伝え」
梨太の言葉に重なって、蝶が犬の生首を掲げて見せた。
アイヨと簡単な返事をし、虎は『犬』の顎を掴んでがばりと開かせる。
口の端が裂けるほど強引に開かせた口腔、その奥歯を見て、梨太は眉をしかめた。
「……なにこれ。奥歯が、毛みたいになってる。イヌ、じゃないね、やっぱり」
ラトキアの騎士たちが顔を上げる。きょとんとしている彼らに告げるでもなく、梨太はぶつぶつと自問自答した。
「前歯のほうは普通の肉食動物か。歯の種類が不ぞろいってことは雑食……あれっ、臼歯がない。なんだこの歯並び、どういう食生活してるんだ? どうみても普通のイヌじゃないね。うわ、この前爪、ツチブタみたいだ。犬の穴掘りのレベルじゃない掘削力だぞ。……なんだこの生き物……」
もちまえの知識欲が疼き始める。検証を始めた梨太に、蝶があっけらかんと答えた。
「バルゴだよ」
「……バルゴ?」
聞きなれぬ単語に首をかしげる。
「……正確には、別の名前があるんだろうな。バルゴ星の原生動物、だ。いまから三十年ほど前に愛玩用にとラトキア王都に輸入されたけど、すぐに投棄されて野良化、そして二十年ほど前、駆逐された」
「あ、それはちょっとかわいそう」
「しょうがないよ。もともと外来種だし。ちっとも懐かないくせに飢えるとヒトを食うんだもの。実際に死者は出ずに済んだけど、駆逐されてホっとしたのがラトキア大多数の民意さ」
蝶は手荷物から大きな袋を取り出すと、『犬』――バルゴの骸を放り込んだ。さらに虎がステッキのようなもので地面をなで、血だまりを消し去っていく。どうやら掃除機らしい。
「いいなあそれ欲しいなあ」
などという、梨太の呟きに、
「絶滅したはずだったんだがな――」
虎の苦い口調が重なった。
梨太はそれを耳にしながら、相槌すらも打たずに流した。
(……どういう顛末か知らないけど、ラトキア騎士団も色々大変だね)
騎士団のミッションについて、梨太は口出しする気はまったくない。
実際に襲われた身として、駆逐する必要があるのはよくわかる。。だが犬好き嗜好の少年としてはやはり気分が悪い。
あまり、関わり合いになりたくなかった。
彼らのすぐそば、道端に、梨太のトランクが中身をぶちまけて転がっていた。バルゴの血は飛ばなかったのは幸いだった。
衣服や雑貨にまぎれて、コロリと無造作に転がっているくじらくん。
その振動は、すでに止まっている。
梨太が拾いあげる直前、大きな手が先に奪い取った。視線をあげきってもなお、顎しか見えない大男がそこにいた。
蝶たちと同じ、暑苦しさ満点の黒い軍服。髭はなく短く刈り込んだ髪はこざっぱりとしていたが、苦みばしった表情がむさくるしい武人である。無言でたたずむその男――三年前も、梨太はほとんど彼の声を聞いたことがなかった。猪という名の騎士だ。
なんとなく、つられて絶句。ぺこりと頭を下げ、彼の手からくじらくんを受け取ろうと手を差し出す。
しかし猪はくじらくんを梨太には渡さず、後ろを振り返った。背後の人間にそれを渡し、小さくうなずいて、横へよける。
縦にも横にも大きな黒服の武人の陰に隠れてしまっていたらしい。細長い女が一人、そこにいた。
「…………?」
梨太は、そのままそこで停止した。
女性――女性、である。だろう。たぶん。
中性的な男だと力説されたら信じてしまうかもしれない。白い貫頭衣に、同じ色の長袖長ズボン。
身長は梨太よりも高く、一七五センチほどもあろうか。細長い、と言う第一印象はその上背からくるもので、パーツ単体を分けて見れば決してたおやかではなかった。目がくらむほど長い手足に肉質感の皆無な胴体部分は、良くも悪くも『なにもない』。
短く切られた黒髪に、切れ長の双眸。その瞳は吸い込まれそうな漆黒――いや、かすかに青みがかっている――まるで、太陽光の届くぎりぎりの、深海二百メートルの水の色。
瞬間、リタは顎を落とした。
麗人は大男の陰からひょこっと飛び出し、どこか照れくさそうに微笑んだ。
バラ色の唇をした彼女――彼に、梨太は、うわずった声でつぶやいた。
「さ……さめっ、じま、くん?」
青年は、目を細めた。後ろ手にくんでいた手を小さく上げて、うるわしい顔の横で、ほんの少しだけ指を曲げる。
やわらかな低音の女声で、短く言った。
「やっ。……ひさしぶり」
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