鮫島くんのにおい

 なにか攻撃を受けたわけではない。

 しかし梨太自身の生存本能が踏み出すことを拒否する。


 無言で、微動だにせずただそこにいるだけの男に、近づいては行けないと、梨太の中の動物が警報を鳴らす。


 足が、動かない。


 鮫島の表情は、平常とさほど変わりはない。だが、その奥にある穏和な本性を押し隠し、彼はわざと、獰猛な戦士の殺気を梨太に向けて発信していた。


 梨太の背中を、冷たい汗が伝った。


「……なんだよ。さっきから鮫島くんのその態度って」


 体は動かなくても、口は回る。

 梨太も腕を組み、剣呑な態度で彼と対峙した。


 鮫島は、視線だけ梨太へ送った。そしてほとんど唇を動かさずぼそりと。


「引き受けるのか」


 不機嫌ここに極まれり、といった声音でそう言った。梨太は肩をすくめ、


「しょうがないでしょ。騎士団全滅したし鮫島くん自身進めなかったんだから。でもそれは弱くて負けたとかじゃないんだし」


「身の程をしれ。子供のくせに」


 遮られる。梨太は目つきを険しくした。


「鮫島くんだってたいしてトシ変わらないじゃん」


「俺は見た目より生きている。そうでなくても人生経験が違う」


「ほぉ、人生経験とね。処女のくせに」


 鮫島は一瞬だけ眉を上げた。すぐに俯いて目を閉じる。


「くだらないことを言うな」


「……どうも。弱いくせに出しゃばっちゃってすみませんね。だからそれで勝てるように算段つけようとしてるんだけど。

 鮫島くんさ。別に、君も頭下げて頼めとか礼をいえとかってことはないけど。イヤな台詞はお姉ちゃんに言わせて部下に気を使わせて、僕に命を懸けさせて、そのまま空気でいるならまだしも誰よりムスっとしちゃって。さすがに、気分悪いよ、僕も」


「鮫、自重しろ」


 鯨が割り込んだ。鮫島がちらりと姉をみる。瞳を閉じて、軍服の襟に顎を沈めた。


「了解、将軍閣下。リタ、ありがとうよろしく頼む」


「あのねえ」


 口元だけで笑いながら、梨太は足を踏み出した。


 鮫島の殺気は消えていた。そこにいるのは、ただ単に機嫌の悪い拗ねた少年だった。つかつかと詰め寄って、皮肉たっぷりに梨太は言った。


「そりゃあ鮫島くんから見れば僕の腕力なんか幼稚園児みたいなもんでしょうよ。んでもその僕に頼るしかないのが、いまのラトキア騎士団の現実だろ? そんなに心配なら二階までついてきてよ。僕もその方が心強いもの」


「……そうしたい」


「それでまた頭を万力締めにされて悶絶するのは鮫島くんでしょ、それでどっちが足手まといになるかと」


「そこんとこなんだが、どうにか、耐えられないかなと考えている」


「……うん?」


「戦力にはなれない。だが入り口すぐまでならなんとか耐えて、失神するより先に、烏を狙撃できたら――いや、もしかしたら奴も飛び道具を持ってるかもしれないんだ。出会い頭の一発目の盾になるくらいは。リタを背中にかばう形で進入して、俺の肩越しにリタが攻撃するという作戦のほうがいいんじゃないか?」


「…………ええと」


 鮫島はブツブツと口元でつぶやき、思案しながら、鯨に目配せをする。


「なにか覆面のようなもので顔色を隠して、電波攻撃でダメージを受けていないように見せかけて、囮になれば」


「さ、鮫島くん鮫島くん、待って」


「なんだ」


 仏頂面で、梨太を見下ろす鮫島。梨太は頬のあたりをかいて、気まずい感覚で、言葉を紡いだ。


「……僕のことそんなに心配?」


「当たり前だ」


 きっぱり言う。そこに何ら照れも皮肉もない、まったくの真顔である。


「おまえの学校に被害が及ぶかもしれない、でなければあんな実験オタクひとり捨て置けばいいと俺は思うが、こうなったらなんとしても烏を討たないと。そのためにはリタの力が必要だが、それでリタが負傷するようなら何の意味もない。それこそあたりをバリケードで囲んで爆破したほうがいいと、さんざん進言したのだが」


「団長、だめですって」


 犬居の口調は柔らかいが、いい加減にしろと言外にふくめた声音である。ほんとうに、「さんざん」進言したのだろう。騎士団長はまだ退かない。


「俺が責任をとればいい。部下を亡くした団長が怒りにかまけて対象を武力過剰行使にて殺害および異星環境破損。うまく言い訳すれば懲役刑にはならず免職で済むだろ、たぶん」


「ほんと止めてください。もしやるなら俺の暴走にしてください。というか虎は死んでません」


「いっそ死んでくれたら、さっきリタがいったように、兵器を持ち出せるかもしれないのに。あいつはいつも肝心なところで役に立たないよな」


「団長、団長、団長」


「鯨。もしも俺が殉職したら――」


「すとっぷ! 鮫島くん、もういいよ」


 梨太は手をたたき、駄々をこねる軍人を黙らせた。


 手を重ねたまま、眉を垂れさせ、鮫島の拗ねたような顔にむけて、梨太はほほえんで見せた。


「……大丈夫。僕は、勝てる勝負しかしないって言ったろ。僕も、君も、大丈夫だから。まかせて。頼りにしてよ」


「頼りには、している」


 鮫島の言葉に、梨太は破顔した。


 くしゃくしゃになった顔をぱちんとたたき、こわばった背中をのばして息をつく。鯨の方を振り返り、梨太は言葉を並べた。


「ええと、鯨さん。そういうことだから、すこし日をください。まずとりあえず、学生寮だったときの間取り図でもあれば参考になると思うんで、おもいつくとこ当たってみます。それに、武器も実物を試し撃ちしたいな。鹿さんはいまどこに?」


 モニターのむこうで、鯨が顎をなでる。


「ふむ、少しというのは何日ほどだね? すまんがなるべく早く頼みたい。二、三日がリミットだ」


 梨太は疑問符を浮かべた。


「え? なんで? 宇宙船の燃料ってまだ余裕あるんでしょ。突入しちゃえば、勝敗いずれにせよ一日で決着だし」


「……そうは言ってられない」


「だからなんで?」


 鯨は押し黙った。すこし、逡巡してから、口を開く。



「実は鮫が」


「鯨っ!」



 とつぜん、鮫島が大きな声を出した。滅多にないことなので梨太は大いに驚いたが、鯨は覚悟のうえだったらしい、すでに上空に退避している。そこから声を降らせた。



「実は鮫が、いま、雌体化してきている。日に日に戦闘力は落ちてしまう。通常ならともかく相手は白鷺となれば、完全に雌体となる前に片を付けないと不利になる一方だからっ」



 梨太が目を丸くした、そのすぐそばを鮫島の体が通過、垂直に飛び上がり、天井そばのくじらくんを捕獲した。きゃあと悲鳴を上げる鯨。着地した鮫島はくじらくんを締め上げて、


「くそっ、もうっ! 言うなと、いったのに」


「いやっ、きゃあっ、やめてやめて鮫ちゃん、ぼーりょくはんたい」


「おまえの言動も、言葉の暴力だっ。どうして俺の、そういうことを、ひとにぺらぺらとっ」


 くじらくんを両手でつかみ、上下左右にぶんぶん振り回す鮫島。鯨が長い悲鳴を上げる。


「ああああカメラに酔うぅうう。やめろって、だって仕方ないだろ。バディの体調の変化は作戦会議に重要なことじゃないか。平常、騎士団でも、そういったことは定期報告で」


「ラトキア人どうしで明かし合うのと、地球人にいうのとでは、違うだろ! ましてリタみたいなのに」


 自分みたいな、とはどういった地球人を指すのか追及してみたい気がしたが、ほめ言葉がでてくる気がしないので黙っておいた。


 なんとなく犬居を見やる。彼はいつもの姉弟喧嘩とわりきっているのか、世話役の仕事に疲れてきたのか、テーブルに腰掛けお茶を飲み、食事の開始をのんびり待っていた。


 本格的にカメラ酔いしたのか、鯨は完全に沈黙した。くじらくんを解放する鮫島。振り回したせいかもしれないが、こころなしか、肌が紅潮している。呆然と眺めていた梨太と視線が合うと、すぐに顔ごとよそを向いて避けた。軍服の裾で顔を隠しながら、ぼやく。


「言うなっていったのにっ……」


 うつむく横顔の、耳や首もとが真っ赤に染まっていた。 


「えー……ええと。さめじまくん……」


 力の入らない声で、呼んでみる。鮫島はそっぽを向いたまま答えない。梨太はしばらくそれを眺め、ぽんと手を打った。


「そうか、それでか! さっき家の前ですれ違ったとき、なんかいい匂いがしたの!!」


 鮫島が反射的に顔を上げ、硬直した。その顔がいっそう赤くなる。


 その面差しは精悍な青年に変わりはなく、体格も、梨太の知る男性そのものである。それでもどこか、何かが違う。本当に微細ではあるが、肩の筋肉が薄い。ほんの小指の爪先ほど背丈が縮んだような気がする。なによりも雰囲気が違う、空気が違う。感覚でしか言いようがないが、まさに、なんかいい匂いがする気がする――


 鮫島は、真っ赤になった顔を手で覆い隠した。


「……そんなの、それは、きのせい、だ。まだ、始まったばっかりだから、ほとんど変わってない……」


 指の隙間から、くぐもった声でいった。


 犬居が机に頬杖をつき、嘆息する。


「しれっとしてればいいのに。団長がそうやって変に隠そうとかするから見ている方も引っ張られて意識しちゃうんですよ」


 真実、犬居のいうとおりであった。 

 梨太からみて本当になにが変わったというわけではない。言われなければ気づかなかったし、気づいたところで、ただそれだけである。

 生物の半分は、女性なのだ。「ああ、女のひとなんだな」というだけだ。鮫島が、多くのラトキア人の生態の通りに女性となったからとて、なんら特別視するつもりはなかった。


 ……だが、こうやって真っ赤になって萎縮している鮫島を見ると、それがものすごくプライベートなものなのだと解釈してしまう。よっぽど恥ずかしいものを見てしまった気がする。

 梨太は、つられて自分も赤面した。


 顔を隠したまま、窓際で小さくなっている鮫島。


 彼を、しばらく呆然と見つめて――梨太は、モニターで目頭を押さえている鯨を振り返った。


「あのっ! それで、報酬のことなんですけどっ」


「お? おお。そうだな。今回はちゃんと弾むぞ。もしも引き受けてくれるなら、向かいの空き地にこれと同じ家を一軒建てるくらいの」


「引き受けます!」


 梨太は断言した。



「具体的な作戦はこれから煮詰めるとして、とりあえず引き受けます。絶対やります。

 だから報酬に、鮫島くんのおっぱいを揉ませてくださいっ!」



 ――――………………。ラトキアの軍人達は、きょとんとして、少年の主張を聞いた。

 しばし、訪れる静寂。


 机に両手をつき、少女じみた顔に意外と精悍な眉をきりりと吊り上げて、真摯なまなざしを、星帝皇后に重ねる梨太。


 しばらく、鯨は梨太の言葉を聞き間違いかと思案したようだった。モニターのむこうで、なにやら手元で操作をしている。どうやら同時録音している音声をリピートし確認しているらしい。


 梨太は我慢強く、待機した。


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