22.共鳴〈6〉
本番が近づき、最終調整をするのみとなった部活動。この間、イベントに参加したばかりで、緊張も不安もない。
今日はバイトもなく、時間に余裕があったため、喫茶メロディへ寄り道することにした。
夏真っ盛りの外は蝉が大合唱している。
入道雲の浮かぶ真っ青な空と、痛いくらい強く照る日差しが全身を包む。
普段であればすぐに自宅へ直行したいところだが、最近行く機会がなかったこともあり、顔くらい出しておきたいと思った。
この日ばかりは大田さんのピアノの演奏よりも、冷たいアイスコーヒーの画が脳裏に浮かぶ。
喫茶に行くことを舞衣に話すと、行く気になっていた。同じく誘っていた雄太に舞衣のことを頼んである。
今にも死にそうな顔で店内に入ると、皆から「遅かったな」という言葉を掛けられる。
今日も相変わらず客は疎ら。いつも、来ているような人たちしかいない。
汗を拭いながら席に座り注文する。
「アイスコーヒー、お願いします…」
「お疲れ様。ちょっと待っててね」
マスターはすぐに冷蔵庫を開けて、氷を取り出す。
店内に涼しげな音が響き、暑さを忘れさせてくれる。
ふと、辺りを見回し、大田さんが居ないことに気づいた。
「大田さんは?」
「今日は遅れて来るって。そろそろ来ると思うんじゃけど…」
舞衣が説明する。
「そっか」
舞衣を挟んだ向こうに座る雄太に、身を乗り出し気味に話しかけた。
「雄太は久しぶりに会ったよな」
「病院でこの間、会っただろ?暑さで記憶が飛んだか?」
「そういえば、居たな。色々あって忘れてた」
「大丈夫か?あんまり根詰めんなよ?」
「大丈夫だって。それより、部活のほうはどうなんだ?」
「合唱部の鬼のような練習からやっと解放されたよ…」
「嫌いになったんじゃないか?」
「まぁ、好きなことができてる内は、嫌いになんかならねえけどな」
「そういえば、大会はどうだったん?」
舞衣が話に加わる。
「入賞できたよ。全国へ行くことが決まった。といっても、常連校だから、これが普通」
「でも、すごいじゃん!」
「そう言ってくれると、練習の苦労も報われるんだけどな。周りの奴らは口を揃えて当たり前の結果だって言うんだ。何のためにあの猛練習したんだか…」
と会話をしているとマスターが珈琲を出してくれる。
「はい。お待たせ。勝つか負けるかの世界だから、当たり前なんてない…ってね。勝負事で勝った者は喜ばないといけない。それが敗者への最大の敬意だって誰かが言ってたよ。目指すものがみんな同じとは限らない。だけど、勝利という結果を手にできるのは僅か。素直に喜べばいいのにねぇ」
とマスターは、僕に同意を求めてくる。
「僕も、そう思います…。あ、頂きます…」
マスターの言葉を聞いて、雄太が話し始めた。
「本当は色の付いた賞が欲しいんです。金賞が。普通の入賞じゃ、誰も喜びませんよ」
「強豪っていうのは、やっぱり違うねぇ…」
マスターがしみじみと言う。
「はい。まったくです…」
雄太も同意する。
いくらか沈黙が流れ、ふと大田さんのことが気になった。
「大田さん遅いな…」
「お兄ちゃん、大田さんのことばっかり…」
「そ、そんなことはないよ!」と慌てて否定する。
「ま、別に否定しなくてもいいんじゃね?ここに来る目的は大田さんなんだし…」
もっともなことを雄太がズバリと言う。
それを聞いたマスターが言う。
「そう言われると複雑だけど、こうして注文してくれるから助かってるよ。とはいえ、ドリンクだけだと正直割に合わなくてね…。君たちまだ入り浸るんだろう?待ってる間に、うちの自慢の軽食メニューを食べてくれたら、嬉しいんだけどな~」
軽食という言葉を強調し、メニューを差し出してくる。
「そうですね…頂きます…」
マスターの冗談を真に受けた僕らは食事を頼んだ。
それを食べている最中に大田さんがやってきた。学校の用事があったらしい。
「あっ、舞衣ちゃんと雄太くんも来てくれたんだ。こんにちは~」
二人の顔を見て挨拶する。
「こんにちは」
「こんにちは~」
「丈人くんもいらっしゃい」
なぜか僕だけ、挨拶の言葉が違う。
「どうも。お先に食事を頂いてます」
「うん、いいよ。マスター、サンドウィッチとアイスティーをください。サンドはいつもの」と慣れた風に注文する。
「はいよ」とオーダーを受けて作業を始める。
席に着くなり、「あっ、そうだっ」と何かを思い出したように、せわしなく鞄を漁る。
「舞衣ちゃん、はい!」と大きめの封筒を渡す。
「ありがとうございます」
「それは?」
僕は尋ねる。
「入学に必要な書類よ」
準備は順調に進んでいるようだ。あとは彼女がピアノの感覚を取り戻せれば言うことなしなのだが。
「そういえば、雄太くんの学校、入賞してたね」
突然、話題が変わる。
「でも欲しかった賞じゃないんで…」
「確かに、あの内高が全国大会のシード権を逃したのは痛いわね~」
合唱に精通した人たちにしてみれば、今回の成績は評価に値しないようだ。
それがきっかけで、合唱談義に花が咲いた。
二人に挟まれている僕らは、もくもくと食事をする。こういう状況では会話し辛い。
10分ほど経った頃に突然、話題が変わる。
「丈人くんは、バンドのイベントがあったんだよね?」
「はい。合同のバンドフェスだったので、他のバンドの演奏が間近で聴けたので良かったです」
「そっか~。確かにそういう経験は貴重だよね。どう?お気に入りのバンドとか居た?」
彼女は食いついた。
「シーブイブイっていう四人組のバンドなんですけど、すごくパワフルでかっこよかったです」
その名前を聞いた彼女は反応した。
「あ、そのバンド、此愛の卒業生が居るんだよ」
「そうなんですか?」
「そう、私と入れ替わりで卒業しちゃったけど、この辺りのローカルバンドの中では、とりわけ評価が高いのよ。インディーズ活動を積極的にしてるから、メジャーデビューも遠くないんじゃないかな」
彼らのことについて教えてくれた。
「そうだったんですか。全然、知りませんでした」
「ま、同じ学校に居るから知ってるだけで、そうじゃなきゃ、気にも留めないんだろうけど…」
てっきり、好きなのかと思ったが、そうでもないようだ。
「また、ライブあるんよね?」
「そうなの?」
二人が訊いてくる。
「来週、隣町の夏祭りに参加する事になってるんです」
「そうなんだ。忙しいんだね~。暑いから身体に気をつけてね」
「お気遣い、ありがとうございます」
「みんなも、気をつけてね」
「大田さんも気をつけてください」と舞衣が言う。
「ありがと。さて、そろそろ演奏しよっかな~。じゃ、みんな好きなタイミングで帰っていいからね。私に合わせてると夕方になっちゃうから」
そう言いつつ、思い立ったように立ち上がって、残りのサンドウィッチを口に押し込んでアイスティーをぐいっと飲み干してから、鞄を漁り始める。
そして、「じゃ、またね~」と言いながら軽快なステップでピアノの元へと行く。
椅子に座ったかと思えば、すぐに演奏が始まる。
それから、二時間ほど聴き入った。
曲と曲の間を見計らって、一言挨拶をして店を後にする。
外は相変わらず、蝉の鳴き声と太陽の日差しが全身を包む。
できれば、長居をしたくない。
すぐ雄太と別れて、最短距離で家に帰る。
僕は自室に戻り、課題を片付ける。
机に向かっていると、どこからかピアノの音色が聴こえてきた。
音の出所に行ってみると、まだぎこちないながら、ピアノを弾く舞衣がいた。
「あっ、お兄ちゃん…」
「どうだ?」
「うん……まだまだかな…」
「そっか…」
会話を終えて演奏を再開する彼女。
間違える度に演奏を止めては、その少し前からやり直す。そんな調子で一曲、また一曲と演奏する。
その演奏というのも普通に弾くのではなく、一音一音確かめるように弾いているため、まだまだ以前の演奏には程遠い。
元々、ピアノが抜群に上手いというわけではない。楽譜を見ただけでだいたい弾けるような才能も無い。
相当な努力があったから、今がある。
ただ、現状は違う形の努力を強いられている。なかなか形にはなってくれない。
「ははは…やっぱり、まだダメみたい。なんか、かっこ悪い…」
と作り笑いを浮かべながら、顔を伝う汗を拭う。その表情は見ていて辛いものがある。
「もうちょっとリハビリしないとな」
僕は冷えたペットボトル飲料を渡す。
「そうだね…」
小さな声で呟くように返事をした。
その後、少しずつピアノに向かう回数は増えていったが、思うように練習は進んでくれなかった。
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