第21話 決着
「……こんな不甲斐ない試合になってしまったのは全部私の責任だ。情報に踊らされて、見たこともない敵を勝手に見下し、自分だけでなくお前らまでも油断させてしまった。申し訳ない」
「監督……」
「目で見た光景全てと今までの経過が答えだ。認めるしかない。私達は苦戦を強いられている。相手は手強い。……だから勝てないか、お前ら?」
『いえ、勝てます!』
「そうだ!私達の方が実力は上。それは変わらない! ならば力を見せ付けろ! 力の差を思い知らせてやれ。最終回、行ってこい!」
『はいっ!』
☆★☆★☆★☆★☆
五回裏、相手の攻撃は九番バッターから。下位打線、しかもこの試合でまだヒットは打たれていないバッターだが、ここで出すとランナーがいる状態で上位打線に回る。そうなるとまだまだ試合は分からなくなってしまう。それだけは避けたい所だ。
勿論咲も気を抜いた様子は無い。腕を大きく上げ、思いっきり振って球をリリースする。序盤より落ちたとはいえ、充分驚異的な球威を誇ったストレートだ。でも、相手も必死にしがみつく。その外の球を流してファールになる。
そして次に咲が投げた二球目。その球が真ん中付近の甘い球になってしまう。それを相手は思いっきり叩いてきた。上がるボール。進んでいった球はレフト深い所へ進んでいく。ぞくりと一瞬寒気が背筋に走った。
――だが、そこには桐生がいた。あらかじめ深く守っていた桐生は少し走っただけでボールに追いつき、グラブに収めた。アウト。ワンアウト。先頭を打ち取った。これは大きい。
やはりこういう場面であいつの守備が役に立った。練習時のセカンドでもそうだったがやたらとポジショニングが良い桐生には、俺は守備位置は指示しない代わりに、自分が来ると思った場所に立てという指示を与えていた。
あのポジショニングの良さは端的に言えば直感、まあつまりは何の科学的根拠も無い第六感による予測によるものだが、それでもその予測が当たる可能性が高いということは、バッターの傾向やピッチャーの状態、それに何より試合の流れというものを読む力が高いっということなのだろう。まあとはいえ、結局勘は勘。当たることもあれば、外れることもなかなか多いのだがよくこの場面で上手い感じに予測出来たな。いや、ひょっとしたらこの場面だから、か。
「ナイス、さっちーん!」
「桐生、ナイスだよ!」
友香、山坂が声を出す。咲もペコリと桐生に向けてお辞儀をし、それらに桐生は破顔しながら手を挙げて応える。全くその通りだ。ナイスだ、桐生。先頭バッターを出すか抑えるかで全然違う。特に最終回なら尚な。
次のバッターが打席に入る。一番バッター。ここから三巡目に入る。より一層気を使って投げなければいけない。
まず投げられたインコースへの球を相手は打ち損じ、ファールボールになる。二球目も、相手が見送った球はアウトローに綺麗に決まりツーストライク。さあ追い込んだ。さて、最後に行く場所は……。俺がサインを送りコースを指定する。
咲が投げた三球目。俺が指示した若干高めのウエストボール。だが、そのボールはストライクゾーンに入ってしまった。高めで球威はあるが、それを一番バッターは打ち返した。ボールはピッチャーの頭上を越えるバウンドをしてセカンド、倉持の元に行った。取って急いで投げるも捕球場所、無理な体勢からワンバンになり、しかもあわば悪送球のボールをなんとかベースから離れて目一杯腕を伸ばし、野中がキャッチするが、俊足のバッターランナーが一塁に到達してしまった。セーフという審判の宣言の後に、一塁の野中に向けて倉持が両手を合わせて片目を瞑る、ごめんねという謝罪の言葉を体に表したポーズを取る。
ふうっ……またランナーが出てしまった。やはり最後も簡単には決めさせてくれないか。
そして次は二番バッター。ここで繋がれるとピンチでクリーンナップに入る。そうなるとちょっと厳しいかもしれないな。ここは何としても抑えてもらいたい所だが……。
セットポジションに変わり、バッターが打席で構えたのを確認してからまずは牽制球を入れる咲。それから一瞬間を空けてからボールを投げる。ボールはインコースへ決まりストライク。二球目は高めに外れてボール、三球目もインコースだが外れてボールになる。――っとそこでランナーがスタートを切った。良いスタート、インコースで投げづらいボール。しかも球威が落ちているのもあり、何よりこの場面で走るなんて全く考えていなかった。意表を突かれた佳苗は投げられず、セーフになる。……くっ、ここで走ってくるか。何て度胸だよ。アウトになったら終わりに等しかった場面だぞ。しかしともかく、これでワンアウトランナー二塁。その上ワンストライク、ツーボールのバッティングカウント。来るとしたら次だ。
そして咲が投げた四球目はアウトコースに行った。相手はそれを当てるも打ち損じ、ボテボテのゴロになる。山中が球を捕ってセカンドランナーを目で牽制してから、一塁に送球してアウトにする。これで遂にツーアウト。あと一人だ。
そしてランナー二塁で迎えるは相手のクリーンナップ。あと一つとはいえ、一打で返される。外野に指示を送り前進守備をさせる。さて、セットポジションでしかも終盤の今の咲の球がクリーンナップ相手にどこまで通用するか。見物だ。
初級思いっきり振りかぶって投げる。インコース、厳しく攻めるが高めに外れてボール。続く二球目は低めに行き、そのボールに相手は手を出す。打ち返されたボールは高らかと飛ぶがフェアゾーンに入ることはなくファールになった。
お互いに一息入れる咲と相手バッター。相手バッターは打席を外れ、両足の靴裏をバットで叩いてからまた打席に戻り構える。
すると静まり返る球場。時が止まったかのように、聞こえてくるのは冬の冷たさを残し、しかしこれから迎える春の暖かさも合わせ四月独特の乾いた風の音だけ。しかし、その静寂はすぐに破られる。
咲が投げた球、三球目。その球は佳苗が外に構えたミットには進まず、真ん中気味の甘い球になってしまった。それを相手が打ち返してきた。ボールはライト方向へ行き、そのまま……落ちた。ライト前ヒット。
ツーアウトの為ランナーは帰塁を気にする必要はない。バッターが打った瞬間セカンドランナーは走り出していた。いつもより早いタイミング。このままじゃ、ホームに還ってきてしまう。だが、前進守備をしていたライト、藤田が前へ走りながら転がるボールを拾い、その勢いを乗せてボールを送球した。思いっきり放たれたボールはブオンと風切り音が聞こえそうな程凄まじい勢いで進んでいく。それを見て三塁を回っていた相手バッターが慌てて三塁に戻る。
くそっ、正解だ。ボールはここでまさかのストライク返球。相手があのまま走っていたら間違いなくアウトのタイミングだった。……ちっ、走ってくれれば良かったのに。
しかしこれで、ツーアウト、ランナー一、三塁。
膝を付いて座っていた相手が立ち上がる。そのままネクストバッターズサークルから出て、バッターボックスに立つ。エース対エース。ヒットで同点、長打なら逆転の可能性あり、ホームランならたちまち逆転二点差のこの場面。あとアウト一つでありながら、はたまたピンチを背負っている。
だが悪いが、ここを抑えてこちらの勝利で終わらせてもらう。
「行けー、咲-!」
センターから一段大きい友香の声が聞こえて来る。首だけそちらに向けた咲はコクリと頷き、再び顔を相手に戻す。そして、投げた。
……カキンと快音が響いた。進行方向を変えたボールは重力に逆らいながら、落ちることなくライト方向へ進んでいく。勢いは充分。
おいおい、嘘だろ。……どこまで行くんだよ。入るな、入るな……入るな。
そして、ボールは切れてライトポールギリギリ右を通過していった。途端に期待と歓喜に溢れていた相手ベンチの選手達の顔が落胆の色に変わる。
対するこちらベンチ、一人で見守る俺は大きく安堵の息を吐く。
タイミング、ドンピシャ。完璧に捉えられたな、今の。あと、数十センチってとこか。ギリギリも良い所だ。
でも、今のではっきりした。最早あいつ、成原を抑えるには今の咲の球じゃ無理だ。……打たれて逆転を許すぐらいならもう良いだろう。
俺はサインを送る。それを見た咲は戸惑いを見せたが、しかしすぐに二っと嬉しそうな顔を見せ、すぐにキャップの鍔を触った。
先程の打球へのどよめき冷めやらぬ中、咲が投球モーションに入った。左足を引き、両腕を思いっきり上げるワインドアップモーション。最早ランナーに走られて、さっきのこっちの攻撃時とは逆、相手が一打逆転の場面を作ることになったとしても関係無い。今重要なのはただ、このバッターを抑えられるか、抑えられないか。それだけだ。それに敬遠なんてもっての他だ。
やはり相手ランナーが走り出した。ワインドアップに変わったと見るや一瞬虚を突かれたような顔をしたものの、直後に覚悟が決まったような顔をし、咲がモーションに入った途端にスタートを切った。その後に目一杯前に出した咲の手からボールが放出された。これは低く行くが、外に外れてボール。佳苗がボールを送球するも、間に合わずにセーフになる。これでツーアウト、ランナー二、三塁。
だが、最早そんなことに動揺を見せない咲は、再び思いっきり良くボールを離す。それから聞こえるボールを捉えた金属の高音。鋭く今度は低く、しかし落ちないライナー性のボールが三塁線を通り過ぎて、こちらの三塁側ベンチすぐ横を過ぎてネットに当たった。今のもなかなか危険なボールだった。……だが、これで追い込んだ。
咲が投げる四球目。今度は緩いフライが、一塁側ファールゾーンに行き、しかし野中と藤田が取れずにファールになる。そして五球目、今度はボールが前に飛ぶこと無く、後ろのバックネットにボールが当たった。
……相変わらず、凄いな。何度思ったが分からないが、素直に一番的確な言葉だと思う。捉えていた成原のバットが、徐々にボールに当たるタイミングが遅れてきている。ここでまだ球威が上がるのかよ。
六球目、再びバックネットに当たってファール。
そして七球目。――ああ、あれだ。疲れで体の動きが落ちていくこの終盤で尚、初めて見た時から俺の心を魅了したあのフォームが、いやあの時以上に力強さと美しさを兼ね備えたフォームからその剛球は放たれた。
――その時、ふと思い出された光景。大観衆、甲子園らしき球場で戦う知らないチーム、そして才城野球部の皆。最近見た夢の内容が一瞬、脳裏に過ぎった。何日か前の夢だからあまり鮮明では無いけれども、あれがもし本当に甲子園なら……。
ボールはスイングした相手のバットの上を通過し、乱暴な音を響かせて佳苗のミットに届いた。
「ストライク、スリー! ゲーム!」
審判の声がグラウンド中に響き渡る。瞬間沸き上がった歓喜の声と共に長く激しい戦いは終わりを告げた。
……あの夢は現実になるのかもしれない。そう根拠のない直感を感じた。
☆★☆★☆★☆★☆
審判が試合終了を告げた。瞬間、チームメイトが駆けてこちらに向かって来た。
それと同時に連鎖するかのように苦い記憶が甦った。あの時も審判が試合終了の宣告をして、でもチームメイトは泣いていた。背中に悪寒がぞくりと走る。怖い。また、私は――
「咲ー!」
飛び込むように、思いっきり抱きつかれた。その顔を見れば真っ赤になるほど……友香は泣いていた。でも、笑顔だった。佳苗も、野中さんも、宮下さんも、桐生さんも、藤田さんも、倉持さんも、山坂さんも、皆笑ってる。
そっか、私勝ったんだ……。いや、
――私達は、勝ったんだ
そこで私は、頬がむず痒く、暖かいものが流れ落ちているのに気付いた。私は泣いていた。
気付くと、より一層量を増して流れていく。私も友香に抱きついて子供のように大きい声で、遠慮無く泣いた。
「やった、やったー! 友香、やったよー! ありがとうー! 皆、ありがとうー!」
泣きながら声は嗄れて、それでも必死に感謝の言葉を述べた。心から叫びながら。
そんな涙でぼやけている視界の中、もう一人ベンチから駆け寄って来たのが分かった。顔は、多分笑ってる。何か叫びながら、といっても周りの歓喜の声でよく聞こえないけれど、それでも確かに想いは届いて。やったなって、叫んでる。
友香が私から離れて他の人とハグしてから、私はその人の元に寄った。そして、
「私、勝ったよ。――本当に、野球もう一度始めて良かった。……本当に、ありがとう、常田君」
今出来る精一杯の笑顔でそう言った。
更に沸き上がった皆の声。それが重なりあって、何を誰が言っているのかはっきり分からなくなっていく。
それでも、ぼやける視界の先。
――俺も、ありがとう。
そう聞こえた気がした。
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