第4話 才城高校野球部

 ランニング後、十分程の休憩を挟んでから全員守備位置に着き、準備が完了。

 といっても、バッターが入ることで守備が一人分空いてしまう為ライトが無人になっている。そんな感じだが今から、シートバッティングが始まる。

 俺も自分の守備位置に着く。プレートが埋め込まれた、未だ未知の領域、マウンドへと上がる。グローブは男である俺に合うものを持っている者がいない為、付けずに素手でやることになった。

 マウンド上に置いてあったボールを手に取り、そして握る。すると、またドクンと躍動する鼓動。

 久々の感触。ああ、やはり懐かしい。その手に握られた球体は、固くそして重い。男子が使う硬式ボールと同一のそれはあの頃と何も変わっていない。

 しかし、それが少し意外だった。


「へえ、俺は女子野球のことは今一知らないけど、ボールは男が使うのと一緒なんだな」


「まあね、そりゃそうでしょ」


「何で友香、あんたが自慢げに語ってるのよ……。あっ、そういえばやるにあたってちょっと女子の硬式野球について調べてみたんだけど、どうやらほとんど男子の硬式野球とルールは変わらないみたいなの。ただ、イニング数だけ違って、女子野球は七回までらしいけど」


「へえ、そうなのか……」


 俺の正面、ホームベースのすぐ後ろにキャッチャーとして座る風木が、本当に何故か自慢げに語った川相に嘆息した後に女子野球の説明もいれてくれた。

 ほう、こっちの野球はイニング数が短いのか。

 完全に野球は九回が当たり前だと思っている俺には少し違和感を感じてしまう。

 まあ、それ以外が同じだというのも逆に意外なのだが。女子と男子には運動能力に差があるのだから、男子基準の規定になっているルールにかなりの改訂があると思っていたんだが。


「それよりさ、早くやろう! 勿論最初に打つのは私だー!」


 やはり興奮しているようで大声ではしゃいでいる川相が、左バッターボックスに入る。


「ああ、はいはい、どうぞ、どうぞ」


「何だ、佳苗、その気のない返事は! 今から私が凄いの打つんだから、目をギラギラに開いて見てろってんだ!」


 バットをぶんぶん振りながら、自信に満ちた声で言う川相。

 目、ギラギラに開かなきゃダメなのか。痛そうだな。


「頑張ってー、友香!」


「せめて、バットには当ててね!」


「当たるわ!」


 チームメイトにからかわれてより一層熱が増したようだ。通常より深く腰を沈めたフォームで、バットを動かしながらまだかとボールを待っている。

 さて、じゃあお手並み拝見といくか。


「うしっ、じゃあ、行くぞー」


「よし、こーい!」


 ほっ、っと山なりの軌道で風木の構えたミット目掛けて軽めに投げる。

 弧を描いたボールは狙い通りの軌道を進み、ベース上に辿り着いた時にはしっかり川相のど真ん中を進んでいた。それに川相が出したバットが当たる。


「うりゃあー!」


 カキンという甲高い音と共にボールが前に上がって飛んだ。そのままボールは進んでいき、後退したセカンドと前進したセンターの間にポトリと落ちた。


「いえーい!」


 両手を挙げながら、喜びの声を挙げて一塁までのファウルラインの上を駆けていく川相。ヒットを打ったからといってスピードを緩めることなく進んでいく。

 更に一塁に到着して尚、本来のセンターが川相な為、現在は急造になっているセンターが球を取るのにもたついたのを見て迷うこと無く二塁へも進む。ギリギリだが、なんとかスライディングした足が先にベースに着く。今の走塁は多少暴走気味でもあるが、それでもあれで間に合うとは凄いな。

 やっぱり非凡なあの足と次の塁を積極的に狙う姿勢。そして次の塁に迷い無く進む判断力。

 なかなか先が楽しみな選手かもしれない。

 しかし外野へ届いたのはその一球だけ。後はゴロと内野フライ、後ろへのファールばかりだ。真芯で正確に捉えないと外野まで飛ばない非力さは難点だが、それでも守備の雑さと左打席ということもあり内野安打が少なく無かったことから、あの足を生かした野球をすればかなり活躍するのではないだろうか。

 そうして川相に何球か投げた後、バッターは交代。次は風木だ。代わりにキャッチャーはいなくなる。

 風木は右バッターボックスに立つと、バットを立てて腕を伸ばし、そこから腕を畳むというルーティーンを見せる。そこからただ集中して、こちらの動きを観察するように凝視してくる。

 動きと力みが全く無くただ静を貫くその様子は、嵐の前の静けさというのだろうか。ひたすら溜め込んだ後に解放した時の爆発力は凄そうだ。

 剣道によって鍛えられたであろうその集中力によって、正直野球は素人の筈なのに、打席での居座り方はかなり様になっている。その様子からは、威圧感のようなものまで感じてしまう。

 何て集中力だよ、ったく。


「行くぞ」


 川相に投げたように、小さい山なりを描くボールを放る。

 そのボールは再び狙い通りにベース上を通る。コースも丁度真ん中辺り。そこにボールが到着した瞬間、溜め込んだ怒りを一気に爆発させるように、静から動へと変化した風木が出したバットがそのボールを弾き返した。

 高調子な音と共に飛んだボールは、セカンドの頭上を越え、そしてセンターの頭も越えて、フェンスのかなり上部に当たり地面に落ちた。

 一同、ポカーンと当たったボールが当たったフェンスを見つめている。俺も。

 おいおい、マジかよ。ここかなり高いフェンス設定だぞ。女子野球がどうかは知らないけど、少なくとも男子の方の野球で今の球だったら柵越えは間違いない。それに、何だ今のスイング。


「おー、凄えー、佳苗!」


「ふっ、風木さん、凄い……」


「佳苗、あんたどんだけ飛ばすのよ!」


 呆然としていたチームメイト達が、川相の驚きの声を皮切りに口々に賞賛の声を挙げていく。


「何だ、皆今まで風木のバッティング見たこと無かったのか?」


「いやあるけどさ、今まではこんな広い場所ではやれなかったから、思いっきりバッティングするのは初めてなんだよ。でも、まさか佳苗が本気出したらこんなに飛ぶとは!」


 驚きと嬉しさを混ぜた笑顔を見せながら、川相が言う。


「私もここまで飛ぶとは……。我ながらびっくりよ」


 信じられないといった顔でバットを握った自分の手を見つめる風木。

 確かに飛距離は凄い。だが、本当に凄いのはそこじゃない。その飛距離を出させる程のスイングスピードだ。

 力みが全く無い状態から一瞬にして力を込めて放たれたのは、ブンっと風切り音が聞こえそうな程の鋭く素早いスイングだった。

 あれは正直並の野球男子より速いものだった。これも剣道をやっていた故の賜物だろうが、それでも形も重さも全然違うってのに、よくもまあ初めて間もないのにあそこまで凄いスイングが出来たもんだ。


「確かによく跳んだな。でも、今のはまぐれじゃないよな」


 その後も徐々にスピードを上げながら、風木に投げていった。しかし、どれも外野まで運んでいく。

 この長打力は、強豪相手にもかなり武器になり得るだろう。


「さて、じゃあそろそろ次だな」


「じゃあ、私が行くよ」


 そう言って、キャッチャーに戻った風木の代わりにショートから右バッターボックスに走ってきたのは、イケメンと言っても差し支えない、男の子だった。

 何で女子野球部に男子がいるんだ。……って、ああ、さっき女子って言ってたっけ。

 しかしそれ本当なのかよ。あの黒髪パーマにキリっとした眉毛。どう見ても、男にしか見えないんだが。


「オッケ-、じゃあ行くぜ。えっと……」


「山坂春夏やまさかはるかね。よろしく、常田君」


 そのハニカミ笑顔には王子って付けたくなるぐらい、爽やかな雰囲気を纏っている。

 その山坂にもスローボールを投げ、それを山坂がバットに当てる。

 打球は一、二塁間を抜けるかという当たりになるが、セカンドの子がいた位置が良かった。あの人は、さっき見えた、口の下のほくろが特徴的な人だ。その人が転がる打球をもたつきながらも取って、ファーストベースから離れた場所に送球する。

 ……まあ、ポジショニングは良かったんだけどな。捕球と送球が点で素人だ。といっても、始めたばかりで上手く出来たら、それはそれでおかしいんだが。

 一方山坂のバッティングはといえば、その後も何球か投げてみたが、可も無く不可も無くと言ったところか。特にパワーがある訳でもないが、別段下手でもない。足も並。まあ、大体のことは器用にこなしてくれそうか。


「次は、私が行きます」


 そう言って、サードから右打席にやってきたのは、さっきから度々目にする背が小さい女の子だ。張り切っているのか、守ってあげたくなる程幼く愛らしい顔を引き締めさせて打席に立つ。


「野中唯のなかゆいといいます! よろしくお願いします」


「うっ、うん、よろしく」


 うーん、やる気はありそうだけど、その体格は見るからに打球が飛びそうに無い。さて、どのようなものか。


「じゃあ、行くよ」


「こっ、来いでーす。――うっ、うりゃ!」


 ふわっと近付いて来た俺の球を打ち返そうとバットを振る野中。だが、そのバットは空を切る。


「あっ、あれっ?」


「いや、空振りね」


 キョロキョロとフェアグラウンド内を探し回る野中だが、そんなところにボールは無い。ボールはキャッチャーのミットの中だ。

 当たった感触は無かったと思うんだが……。多分、振るので必死だったんだろう。全く振り慣れていない、それこそ正に女子の振り方だ。バットが実際以上に重く見える。

 まあ、こればっかりは練習でパワーを付けるしかないんだが。


「すっ、すいません」


「ドンマイ、ドンマイ! 唯ちん、ボールをよく見れば打てる、打てる! 大丈夫だよ!」


 外野から大声で、野中を鼓舞する川相。

 なんかアドバイスし出したよ。自分も最近始めたばっかなのに。

 でも言っていることは全くその通りだ。


「川相の言う通りだ。ボールをよく見てこうな。あとはまあ、あれだな。これは今すぐにっていうのじゃないから徐々にで良いけど、パワー付けていかないとな」


「あうっ! ……ですよね」


 パワー不足は本人が一番気にしていたようで、指摘すると野中は申し訳なさそうに俯いた。


「じゃあ、次投げて良いか」


「はいっ、お願いします!」


 ペコリと礼儀正しくお辞儀をしてくれたので、顔を上げるのを待ってから投げる。真ん中辺りを狙って投げたつもりだが、少し高めにボールが行き、ホームベース到着時には野中の首辺りの高さになってしまった。それを何とか野中はバットに当てたが、ボールは高く上がり、キャッチャーの風木が取った。


「別に明らかなボールなら、打たなくて良いんだぞ。寧ろ、ボールだと思ったら打たない方が良い。ストライクとしっかり判別していこう」


「はっ、はい!」


 その後何球か投げたが、内容は全て内野フライかボテボテの内野ゴロかファール。ヒット性の当たりが一本も無かった。足も遅い部類に入る為、内野安打も余程じゃないと期待出来ないだろう。さて、これはなかなか起用が難しい選手だぞ。

 だが、それでもいくらか感じたことはある。

 まず選球眼が良い。先程ボールは打たない方が良いということを言ってからは、際どいボール球もしっかり見逃せている。しかもストライクに来たボールはちゃんと振っている為、ただ消極的という訳ではない。これは武器になる。

 そしてもう一つ、野中相手に投げているとはっきり言って投げづらいということ。というのもかなり小柄な体格をしている野中のストライクゾーンは普通の選手より若干狭く、普通よりコントロールが要求される。

 ただこれは言い訳するというつもりでも、野中への嫌みと言う訳でもなく、上手く生かせば有利になりえることだ。


「さて、じゃあそろそろ交代するか」


「……はい」


 ヒットが打てなかったことが悔しいようで渋々といった顔をしながらも、返事をする野中。まあ気持ちは分かるがそんなに落胆することでもない。


「まあ、野中、あれだ。あまり気にしなくて良いんじゃないか。始めたばっかなんだろ。徐々に上手くなっていけば良いし、ただヒットやホームランをよく打つのが良い選手って訳じゃない。人にはそれぞれ色々な形の得意分野があるんだから」


「はっ、はい、ありがとうございます!」


 まあ、励ましになったなら光栄だ。

 少し元気を取り戻してくれたようで、野中は俯いていた顔を上げて大きく返事をする。


「じゃあ、次は私がいこうかな」


 そう言って出て行ったのは、ファーストにいたヘッドホンを耳に掛けた子だ。改めてみると、ぱっちりと見開かれた目に艶めかしい口元。

 元々良い方の部類の顔だが、それが更に、風に靡くロングヘアーを掻き分けて両の耳に当てられている円形のスピーカーとマッチして何とも言い得ぬ美しさを醸し出している。結構似合っている。

 だが、それはそれ。ファッションだの、趣味だの、付けていた方が集中出来るだの、そんなの知らん。スポーツやる上においてそれは危険この上ない。特にこの野球という競技では。


「おい、それ本当にやめた方が良いぞ。ボール当てて壊れる危険性もあるし、何よりえっと……」


「宮下樺乃みやしたかのよ」


「サンキュー、風木。――そう、宮下自身が危険だ」


「えっ、私を狙う気?」


「いや、狙わないけど!」


 何故、そうなる。


「まあ、ゆっくり投げてるから当たりはしないだろうけど、練習も本番を想定してやった方が良いぞ。まさか試合中もそれやる気か?」


「いや、やるわけ無いじゃん。つか、出来ないでしょ。練習中だけだよ」


 何言ってんのこの人、みたいな顔をしている。

 ああ、そうですか。そりゃ、当然のこと聞いてすいませんでしたね。


「それに大丈夫だよ。練習と本番は分けること出来るし、壊れたら私の責任だし。あと、守備はあまり動かないファーストにしてもらったから」


 おいっ、そんな理由でファーストやってたのかよ。

 理由がかなり杜撰だな。


「ファーストは動かないって、そんな訳じゃ無いぜ。大体どこのポジションでも危険なのは変わりないだろ」


「じゃあ、分かった。守備の時だけは外すからそれで良いでしょ」


「うーん、まあ、それなら……」


「じゃあ、オッケー。さあ、来ーい!」


 正直昔野球をやっていた者としてはオッケーを出しづらくもあるが、本人が強く希望しているしバッティング練習ぐらいなら良い、のだろうか。

 まあ、それに練習というのは個人個人に合った方法というのがある。本人がそれが一番良いというならそれは最適な練習法なのだろう。


「はあ……じゃあ、投げるぞ」


 例の如く山なりのボールを投げ込む。前の野中への投げづらさの名残で、少し外にボールが外れたが、それを宮下がバットに当てる。


「おっ!」


 ゴロが広くなっている三遊間を抜けていく。レフト前へのヒットだ。


「うん、上手くいってくれた」


 今の宮下の発言。何が上手くいったのか、俺には分かる。この人、素人じゃないな。


「宮下、ひょっとして野球経験あるのか?」


「うん、まあね。って言っても、中学の部活を二ヶ月だけね。何かその時の監督がそれまでは渋々認めてたくせに大会で負けてから急にヘッドホン付けながら練習するの反対し出したからやめてやったよ」


 それでさっきのファースト動かない発言かよ、と少し呆れも感じたが、それよりも納得がいった。

 なるほどな、やっぱりか。

 今の宮下のバッティング、明らかに流すことを意識したバッティングだった。

 遅い球とはいえそれをしっかり流す技術があることもそうだが、相手の守備位置からヒットゾーンを目掛けたバッティングをしたこと自体野球を知っている証だ。といっても綺麗ではなく、まだ何とか行ったという感じが伝わる汚いゴロ。素人っぽさもちゃんと感じるが。

 そして感じたのは、それだけではない。


「さて、次はどこ狙おうかな……」


 宮下のその目は、周囲を伺い穴を見つけようと見張っている。

 それに、風木のように鍛え上げられた集中力という訳ではないが、それでも適度に集中されたバッターボックスでの立ち振る舞い。

 その、さっきのヒットを生み出した相手の守備位置を確認して穴を突く冷静さと集中力。そして経験を併せ持つ宮下に最適な技がある。


「宮下、バントって出来るか?」


「えっ、まあ、練習でやったことはあるけど。えっ、やれってこと?」


「ああ、やってみてくれ」


 バントは、単純な技術と相手の守備位置やランナーの動き等もよく見れる広い視野が必要になる。それを宮下は持っている筈だ。

 それに経験もあるなら、申し分ない。


「そう、分かった」


「なら、頼む。それと――川相、ちょっと来てくれ!」


「なに、なにー!」


 声を大きくして川相を呼ぶと、同じく大声を出してこちらに駆けてきた。


「悪いが、川相。今ちょっと宮下にバントしてもらうから、ランナーとして一塁に行ってもらって良いか?」


「バントって、あのバット横にして転がすやつ?」


「そうだ。で、バントにも色々種類はあるが、今宮下にやってもらうのは自分がアウトになってもランナーを進める為にやる、犠打、送りバントだ」


「何、それかっこいい! 他にどんな種類があるの!」


 そうか、かっこいいか。まあ、人の価値観は様々だからな。

 ていうか、今それはどうでも良い。


「まあ、今度機会があったら教えてやるよ。とりあえず今は一塁に行ってくれ」


 今度、があるかは分からないけどな。


「ランナーっていうのも面白そうだから今は良いけど、絶対今度教えてよ」


 さっきから聞いてれば、何でこの人は今後も俺がチームを見ていく体で話を進めているのだろう。

 だから監督やるなんて、一言も言ってないんだが。


「さあな……ともかく、行くぞ」


 あえて間を作ってから、投球モーションに入る。今の間に転がす場所は決めただろう。そしてそれと共に、宮下は既にバントの構えもしていた。よし、体はこちらを向き、別段構えはおかしくない。問題は無いだろう。

 さっきと違い、ちゃんとストライクに行った球は、コツンと軽くバットに当たりピッチャーの俺とサードの野中の間に転がった。


「うわっ、衝撃全然違うっ!」


 驚いた様子で声を挙げながら、一塁へ向かっていく宮下と「キター」と叫びながら二塁へ進む川相。転がった場所が悪くない為川相をアウトにするのは無理。となると、宮下を確実にアウトにするしかない。

 だが、サードの野中は素人でバント処理の経験がない。バントが来ると分かっていたとしても、チャージ仕切れず処理も上手く出来ずで、一塁に投げるも時既に遅くセーフになる。


「……すいません」


「本番でミスをしない為の練習だからな、気にするな。大体バント処理するのは初めてなんだろ。いきなりなんて無理だよ。だから今の内にミスして、何故ミスしたかを体と頭にしっかり叩き込んでおくんだ」


「はい!」


 申し訳なさそうだった声が、大きい返事となって返ってくる。


「やっぱり、硬式は全然感覚違うんだね」


 一塁側から戻りながら、宮下が言う。中学の部活ということは使っていたのは軟式球。そりゃ、ゴムで出来た軟らかい軟式球と皮で出来た硬い硬式球が同じ感覚の訳がない。怖さというのもあるだろう。まあだが、こればかりは慣れてもらうしかない。

 俺はさっきの一球だけの指示のつもりだったのだが、バッターボックスに戻った宮下が再びバントの構えをする。

 さて次は、と、考えながらモーションに入る。そして少し強めに投げることにした。今までの山投げとは違う直球でいく。

 っとその瞬間。俺がリリースする直前に宮下がバットを引いてきた。その顔には不敵な笑みを浮かべて。

 俺は突然かつ予想外の行動に少し戸惑ったが、リリースは上手くいきボールは問題なくストライクゾーンに向かう。それを宮下はバットに当ててきた。

 ――バスターだと! 予想外のことをしてくれる。

 打球は一、二塁間を抜ける。川相は、打球が転がったと判断した瞬間から走っていた。相変わらず素早い判断だ。


「セカンド、中継!」


 ライトが前に出て捕球したのを確認してその中間にいるセカンドに中継するよう、キャッチャーの後ろにカバーリングの為に向かいながら叫ぶ。川相は既に三塁を回り、迷い無くホームを狙って来ていた。川相の足、野手の守備力を考えたらホームで刺すのは難しい。それならバッターランナーを二塁に行かせないように中継した方が良い。

 そう俺は考えたのだが、


「いや、行ける! バックホーム行くよ!」


 球を捕ったライトは自信に満ちた表情で一気にホーム目掛けて投げてきた。投じられた球は真っ直ぐホーム目掛けて勢いよく進んでいく。そして、キャッチャーの前でワンバンしてそれを風木が捕球した。


「あっ、危なっー!」


「あー、惜しい!」


 ホームを駆け抜けた川相は肝を冷やしたような顔を、ボールを捕球した風木は悔しそうな顔をする。

 そりゃ、そうだ。おそらく川相は余裕でセーフに出来ると思っていたんだろう。俺もそう思っていた。

 だが、ホームはギリギリ。来た球がホームから離れていて、風木もベースから離れて捕球しなきゃいけなかったからセーフになったが、もしあれがストライク返球だったら分からなかった。あのライト、コントロールはともかく肩だけなら相当のものだ。


「なあ、風木。あのライト誰だ? 肩強いな」


「えっ、ああ、茜音あかねのことね」


「茜音?」


「うん。ライトの子でしょ。藤田ふじた茜音っていうの。なんか中学までドッジボールやってたとかで肩が強いのはそれが理由じゃないかな」


「なるほど、それでか」


 そもそも野球とドッジボールでは、球の大きさや素材からして全く違う。それでもドッジボールによって鍛え上げられた肩と上手く野球のボールに適応出来たからの、あの送球なのだろう。

 それに投げ方も良い。取った後の素早い踏み込みから、体を開かず力を込めて投げられている。あのままでストライク返球出来るようになれば、かなり外野としては有望になるだろう。


「さて、じゃあ残り二人だな。時間的にも三人やった後、少し走って終わりだろう」


 キャッチャーの後ろからマウンドに向かいながら、全員に聞こえるように言う。

 辺りを見ると空は赤色に染まっていた。日も随分落ち、後一時間前後で完全に西側に沈んでしまいそうだ。

 さっさと進ませた方が良いだろう。


『オッケー!』


 皆の同意の声と共に練習は加速する。

 その後のメニューは、残りの藤田とレフトの子とセカンドの子のシートバッティングを終えてから、ランニングとストレッチをして終わりになった。その頃には正に夕日は欠片を残すのみ。ほとんど沈みかけて、丁度良い時間に終われた。

 ちなみに残り三人のバッティングを見ると、藤田は主にセンター方向中心に返すバッティングを、右側に纏められたワンサイドアップが特徴的なレフトの子は倉持早月くらもちさつきと言って、素人味溢れた、俺の遅い球を引きつけ過ぎて打ち損じるようなバッティングを、送球にはまだまだ課題があるが先程から度々良いポジショニングを見せたセカンドの桐生彩智きりゅうさちは、大体ゴロ、たまにヒットのバッティングを見せた。

 まあ、あれだな。良いか悪いかは置いといて、何というか、指導し甲斐のある面白い選手が集まっているな。俺にまだ指導する気は起こらないが、もし指導することになったらかなり楽しそうだ。


「ハアッ……疲れた」


「疲れたねー」


「疲れたですー……」


 ストレッチを終え、ホームベース周辺にぐたーと座り込んでいる皆が、口々に疲弊の言葉を口にする。

 普段の練習ではやらないランニングやダッシュをやったのだから当然だろう。

 下手したら、感覚としては普段の二倍くらいの疲労を感じている筈だ。


「確かに疲れたけど、でも、楽しかった!」


「まあ、それはね。ちゃんと守備付いて、バッティング出来たし、普段と違って良かったわね」


 例外ではなく疲れの色を見せながらも、嬉々として言った川相の言葉に風木も同意する。


「そりゃ、良かったよ」


 さて、それじゃあ俺は一足先に帰るとするか。

 にしても、結局最後まで付き合ってしまったな。もう結構暗くなってきたし、少し急ぐか。


「じゃあ、俺は先に帰るぜ」


「あっ、ちょっと待って、常田君。明日も来てくれるのかな?」


「何言ってるのさ、春夏。当たり前じゃん」


 えっ、当たり前!? おいっ、川相、お前が何言ってるのさ、だ。誰も明日も行くなんて言ってないぞ。


「いや、ちょっと待て、川相。俺は今日だけって――」


「へえ、明日も来てくれるんだ、常田君」


「来てくれるんですね、常田さん!」


「明日もまた違う面白い練習教えてよね、監督君」


 何この多数の圧力。女子にそんなことを嬉しそうに言われたら断りづらいじゃねえか。

 でも俺も男だ。いつまでも自分の意見を曲げる訳には行かないし、それに大体、今日やってより正確に実感した。

 確かに久しぶりにボールに触れて、あの頃の感覚が甦ってきた。それは心地良く、とても手放し難いもので。でも、だからこそ俺にはまだ本格的に野球に関わることは出来ない。ただ練習に付き合うだけと割り切って、何とか思い出さないようにしているものの、不意に甦りそうになるあの日の記憶。その恐怖が俺の心を浸食されることがとてつもなく辛い。

 だから、申し訳ないがここは断るしかない。


「いや、だから申し訳ないけど、もう俺は――」


「あっ、監督。明日は私達が見付けたエース候補も連れてくるから、絶対来てね! ていうか、迎えに先に行く!」


「ちょっと友香。あんた、咲は野球やりたくないって言ってたじゃない」


「一応新しい監督も見付けたし、もう一回誘ってみるんだよ! 監督にも咲々の球見て欲しいし! 佳苗もそう思うでしょ!」


「まっ、まあ思うけど……。じゃあ、分かったわ。明日もう一回だけ誘ってみましょう」


「流石、分かってる!」


「いや、何か二人で打ち合わせしてるけど、だから俺やる気無いって――」


「あっ、いつの間にかもうすっかり暗い! 早く着替えて帰らなくては!」


 そう言って川相がダッシュで校舎に、おそらく更衣室に向かっていき、次いで「私も!」、と皆どんどん戻っていく。

 何だ、皆まだ結構元気じゃねえか。

 って、誰も俺の話聞いてくれねえし!


「言っとくけど、俺は本当にやらないぞー!」


「大丈夫ー! 私と佳苗で迎えにいくからー!」


 既に離れた川相に叫んで言葉をやると、相手も叫んで返してきた。

 分からない、一体何が大丈夫なんだ。そして来なくて良い。

 何故か女子陣を見送ってしまい、校舎に入ってもう全員見えなくなったところで、俺も動き出す。

 あー、もう、マジでさっさと帰る。そして早速シャワーを浴びたい。

 しかしいつも運動した後は必ず浴びるシャワー。そんなただの日常が今日は何故か、楽しみになっていた。

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