仮)

霧島 月呼

1


 ◆◇◆◇◆


 これはきっと夢だ。亡くなった父が話してくれた昔話の世界にいるのだろう。


 神社の森を抜けると、大きな常春の桜がある。一年中、花が咲き誇る木だ。時より風に花弁が舞うが、決して、すべての花が落ちる事はない。

 そこは祈り万葉かずはと呼ばれる白い老狐が治める小さな里。

 この里の夜はしっかりと夜だった。やけに明るい月の光に、見渡す限りの山々は照らされ、満開の桜は咲き乱れている。私は、むせ返る桜の匂いに混じる、無数の気配を察知していた。

 私の身体は幼く、連れの若い男に手を引かれていた。男の顔は良く見えないが、男の事は良く知っている気がする。

「今宵は宴がある。里も騒がしい。」

あらゆる影達が蠢き、やはり心なしか騒めいている。私は自分の意志とは関係なく、微かに身体が震えた。

「怖いのか?」

私は首を横に振る。いつになく、彼の声は穏やかだった。この騒めきが怖ろしいはずもなく、むしろ好ましく、懐かしささえ感じる。彼が、私を抱き上げようとするのを私は首を振って拒絶する。

「自分で歩くか。そうか。」

大丈夫、怖くない。確信めいたものが私の中にはあった。

「急ごう、遅れるとうるさい輩が多いからな。」

「その通りさ。」

答えたのは白い狐だった。

「えっ?」

「これまた、珍しいのを連れているね。心配ない。あたしゃ、祈り万葉というただの老いぼれ狐だよ。驚かしてすまないねぇ。」

私が白い老狐の言葉に頷く。

「気に入った。あたしら一族はお嬢ちゃんを歓迎する。」

祈り万葉の狐目が、カッと見開かれ赤く光る、と同時にたくさんの白い狐達が辺りを取り囲んでいた。


 ◆◇◆◇◆


 この春から高校一年生。どこにでもいる普通の女の子と言いたいけど、我が家は友人たちの家庭と比べると、ちょっとだけ変わっているかも知れない。父が亡くなって4年。母が切り盛りしているスナックで、週末の金・土に私も手伝いをしている。母は父が亡くなる前からスナックを開いていたし、還暦を既に過ぎていた父は家にずっと居て、絵を描いたり、歌を詠んでいた。父がどんな仕事をしていたかは知らないが、私は父の昔話を聞くのが大好きな子供だった。


 学校帰りの近くの公園で、同じ学校の制服の2人を見かけた。どうやら告白しているらしい。今時、直接告白するなんて古風だなぁと横目で見る。一人は隣のクラスの鳴神響(なるかみひびき)。  学校でも有名人だ。クラスメイトの話では鳴神の家は割と大きな神社で、少し長めの髪は神事の為だとか、剣道と弓道の道場を開いているとか、そんな話を聞いた事がある。彼は学年女子から人気があり、近付き難い雰囲気を纏っていて、いつも女子が遠巻きに騒いでいる。女子の方は鳴神と同じクラスだと思うが、名前までは知らない。

 公園を通り過ぎようとした一瞬、彼と目が合った気がした。恋の行方は気になるが、さっさと頭の片隅に追いやる。今日は金曜日、母の店を手伝う日だ。流石に制服での出勤はまずいので、家へと急ぐ。

 店に着いたのは18時前だった。母の店は各フロアに似たようなスナックが数軒ずつ入った6階建ての小さな雑居ビルの2Fにある。年季の入ったビル同様、1Fの店のママは確か70代で、女の子も一番若くて母と同じ位の年齢だったと思う。ママ以外の女の子は例えいくつであろうと「女の子」と言うのだと母が言っていた。

 開店は19時だが、大体お客さんが来るのは大体20時を過ぎてから。店に入ってくれている女の子は21時からしか来ないから、それまで、常連さんの相手したり、カウンター裏の小さな厨房でお皿とかグラスを洗ったりするのが、私の仕事だ。

 店のドアを開けると、いつも通り80年代洋楽の有線が流れていたが、母の姿が見えなかった。裏でお客さんと電話でもしているのだろう。

 ドアの開閉で鳴るベルの音に気付いたのか、カウンター裏から、ばっちり化粧をした母が、携帯電話片手に出迎えてくれる。

「遅かったのね。」

電話を終えた母がカウンター裏から出て来た。

「ホームルームが長引いた上に、今週は掃当番だったから。」

「手伝ってもらって助かってるけど、無理に手伝わなくても良いのよ。」

「無理してないよ。それより良い匂い。今日のお通しは切り干し大根?」

「そうよ。」

切り干し大根の煮物は、店では小鉢に入れてお通しとして出している。ちなみに母が作る切り干し大根の煮物は私の大好物だった。

「まだ時間あるから食べなさい。」

「やった!お腹空いてたんだよね。」

 母が黒いカウンターの上にご飯、味噌汁、切り干し大根の煮物、私専用に焼いてくれた甘い卵焼きを並べてくれる。金・土以外は滅多に手伝わない。だから平日は一人で夕飯を食べる。たまに平日に手伝う時は女の子が来たら帰るけど、週末は店が終わるまで居る事が多い。

 ドアのベルが鳴った。

「開店前よ。あら、未成年でしょ?帰りなさい。」

母の言葉にカウンターに座っていた私は振り返る。

「えっ!鳴神君。どうしたの?」

「知り合いなの?」

「うん。隣のクラスなの。」

鳴神君も驚いているみたい。というか、私の顔は知っているのだろうか。

「ごめん、ママ。ちょっと出てくる。」

彼の袖を引っ張って私は店を出た。まだお客さんはまばらな時間帯だし、階段の踊場で話す事にした。お客さんも他の店の人もエレベーターを使うから滅多に人は通らない。

「鳴神君。私の事、知ってる?」

「隣のクラスだろ。」

「それ、さっき私が言った事だけど。何で鳴神君がいるの?」

 家が神社という話だし、勝手に品行方正なイメージを持っていたが、違うのだろうか。私服も大人っぽい服装だけど、そんなに派手じゃないし、夜、遊びに出るとしてもスナックとか飲み屋とかに出入りはしてないと思う。

「香水とか着けてるの?」

「少しだけって。何で来たか聞いてるんだけど?」

彼が無言で見ている。何か気まずい。

「何?」

「・・・・・・ちょっとね。」

帰るよと言って、階段を下りていく。

「って、ちょっとっ、ねぇ待ってよ。」

「何?」

彼が振り返る。呼び止めたものの何も言えない。

「またね。国坂華也さん。」

そのまま帰ってしまった。

「一体、何だったの?ってか、私の名前知ってたんだ。」


 私の日曜日はいつもギリギリ午前中に起きるところから始まる。だが、今週は約2時間も早く始まった。

 リビングには突然の来訪者である鳴神響と、スーツを着た若い男性が待っていた。私に用があるらしい。

「お待たせしました。」

「突然の訪問をまずはお詫びします。」

若い男性が、私が席に座るなり、頭を下げた。

「いえ。」

睡眠時間が足りないせいなのか、不機嫌そうな母が2人にお茶を出し、自分の寝室に戻っていく。

「えっと、今日はどういうご用件なんでしょうか?」

「はい。私は鳴神家に使えております、白井と申します。」

 白井さんの話では鳴神家は巫女の家系で、起源は平安時代まで遡るという。当主は代々女性で、表向きの神社の仕事は、当主に近い血族の男性が担うそうだ。鳴神君は当主の甥に当たり、鳴神神社を継ぐらしい。表があれば裏がある。鳴神の一族は、裏では所謂、悪霊や妖怪退治を生業としているのだという。子供のいない当主は、私が生まれて間もない頃、当主直々に、従兄である私の父へ、私を養子にしたいという申し出をしたらしい。

「お父上には一度断れておりますが、自分の意思がある今の貴女に、再度、お願いしたいと当主はお考えです。」

「困ります。急に言われも、はいそうですかって話にはならないですよね。」

少しきつく言い過ぎたと思った。睡眠時間を削られた事よりも、父から何も聞かされていなかったという事にイライラしていた。

「父には、私以外にも子供がいたはずです。」

父は若い時から結婚と離婚を繰り返していたと聞いていた。母曰く、遊び人だが、大事にするイコール結婚という考えだったそうだ。初めて異母姉から電話をもらった時には、訳が分からず、ショックで泣いてしまった。

「腹違いのお姉さんと、その娘さんは、残念ながら、お父上の才は引いていないようですね。」

 父の才について、具体的に何を指しているのかは良くわからなかったが、母は霊の類が視える人で、店でも占い師の真似事をしている事があった。

「私、霊感とか無いですよ。」

「それはお母上が、幼い華也さんの才能を隠してしまったからです。お母上は実に賢い女性ですね。」

白井さんが鳴神君の方を一度見て、言葉を続けた。

「響さんが気付くまで、我々は華也さんを見付けられなかったのですから。お母上の詳しい出自は分かりませんが、かなり力が強いようです。」

「仮に私に力があるとして、父方ではなく、母の方の力を継いでいるという可能性はないんですか?」

 今まで黙っていた鳴神君が話し出した。

「可能性はある。でも憬さんは、本当に力の強い人で、当主や、俺の父さんにも術を教えてくれていたと当主が言っていた。」

「そうなんだ。そんな話、お父さんは何にも教えてくれなかったな。」

 自分の知らない父のルーツに関係している人たちを前にして、純粋に父の事が知りたいと思った。

「だから君の力が、鳴神の力を引いているか確かめたい。」

「そうだ。憬さんの若い頃の写真や、鳴神家に出入りしていた時の品物が残っていますから、良かったら見に来ませんか?」

 私が白井さんの言葉に反射的に断ろうとすると、「大丈夫です。養子の件については、無理強いするつもりはありません」と言われてしまった。死んだ父の事は知りたいが、今は母と2人で生きている。母は親子ほど、歳が離れた父と結婚する事を親戚一同から反対され、母方の親族とは絶縁状態。父が亡くなって、この世でたった2人の親子だから、母を1人にはできない。

「母と相談してからのお返事でも構いませんか?」

「もちろんです。」

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仮) 霧島 月呼 @kirishima_tsukiko

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