▼第二章『12人の悩める女子航宙士(ウェーブ)』 ♯3
――そのおよそ3か月後――
「時間の無駄だったな……」
よっこらしょとばかりに座席に身を沈めるなり、そうぼやいてきたノォバ・チーフに、その隣の席へと大儀そうに座ったテューラは「ごめん」と素直に謝った。
――月から宇宙ステーション〈斗南〉・航宙艦建造ドックへと向かう定期シャトル・キャビン内――
連日の月での〈30人会議〉に意見を求められて呼び出され、テューラと共に出席するだけ出席したにも関わらず、白熱する議論に結局一言も発言する機会があたえられないまま、開放されたノォバ・チーフとの〈斗南〉への帰路……。
「結局、意見がまとまりゃぁしなかったな……」
「まったくだ……分かってたことだけどな、私だって悩むところだ」
あくびの混じりかけたチーフの言葉に、テューラは二重の意味で同意する他なかった。
〈じんりゅう〉級三隻のロストから3か月が経過したが、人類の対【
ただ〈ウィーウィルメック〉の【
テューラは焦りはじめていたが、少なくともこの三か月で焦って方針が決められなかったことについては同意的であった。
人類の有する限られたリソースをどこに回すかは悩みどころであったが、焦るあまり間違った選択をすれば、リカバリーできなくなる。
それに、まだ決められない理由があった。
〈ヴァジュランダ〉と〈アラドヴァル〉が放った実体弾集団が、まもなく【
〈30人会議〉は、その実体弾の効果を確認してから、対【
それは人類に許された最後の、心落ち着けられる時間的猶予なのかもしれない。
〈ヴァジュランダ〉と〈アラドヴァル〉が放った実体弾集団に効果があってもなくても、その結果が分かって以降はわき目も降らずにひた走るしかなくなるのだから。
「で、二人の調査はどうなったんだ?」
てっきりこの移動時間を睡眠にあてるつもりだと思っていたノォバ・チーフに、予想外の質問をされ、テューラはしばし言葉が出てこなかった。
「……ど……どうせもうあらかた耳に入ってはいるんだろ?」
とテューラが軽く咳き込みながら答えると、チーフは「まぁな」と答えたが、言外に直接言葉で説明して欲しいと望んでいることくらいは分かった。
「経過観察することで初めて分ることもあるってんで、この3カ月間、クィンティルラとフォムフォムの脳波パターンのデータをひたすら収集して、その間の変化と、他の〈じんりゅう〉級ふくむこれまでの【ANESYS】のデータと比較検討することで、連中に何が起きてるかを解き明かそうとしてるよ。
幸い〈ウィーウィルメック〉は今しばらくは〈斗南〉で調整することになったからな……アビーもキルスティのそばにいれるってんで、喜んでた」
「へぇ~…… ア
テューラは、そのままシャトルで月からノォバ・チーフが製作中である新装備の元へと向かうまでの時間を利用して、愚痴を挟みながらキルスティ&アビーの成果を伝えることにした。
ノォバ・チーフもまた、キルスティとアビーの珍コンビが、パイロット二人の調査を行っていることくらいは知っているはずであったが、テューラの愚痴めいた説明に耳を傾けてくれるのはありがたかった。
ただレポートで情報を共有するだけでなく、こうして直に会話して伝えることで閃くことも互いにあるかもしれない。
キルスティとアビーのコンビは、戸惑うキルスティの心情を無視すれば、意外にも割と良いコンビのようにテューラには思えた。
ア
人類は時間的に余裕のある場合の情報処理能力だけでいえば、月の戦略AI〈メーティス〉で充分満足しており、かといって長時間の【ANESYS】として使えるアビーを遊ばせておくのはもったいなかった。
テューラはなかば成り行きとはいえ、アビーの能力を有効活用できる道を見つけたことには一定の満足を覚えていた。
キルスティの思いつきや閃きや疑問に対し、自身は控えめな性格のアビーが、ア
「そいで一応分かったこと……ってのは?」
「あ~…………あ~専門的なことは省くとして、医療カプセルで眠るクィンティルラとフォムフォムの、脳波パターンその他諸々のバイタルは、【ANESYS】の最中ではあるといっても、〈ウィーウィルメック〉のジェンコ副長以下のクルー達の状態と酷似しているらしい…………ってことがまず分かったな」
「ふ~む………するってぇと……つまり……だから……いや結果として……かもしれんが、それがあの二人が今も【ANESYS】出来ている理由ってことか……」
テューラは自分達の前に、クィンティルラとフォムフォムの脳波その他のバイタルサインのグラフをSPAD《個人携帯端末》でホロ投影しながら、極めて大雑把に説明した。
そして自分の言わんとすることを、チーフにすぐ理解してもらえ、テューラは大いに頷きながら続けた。
「…………にしたって結局3カ月も目覚めないのは想定外過ぎだけどな……」
テューラ達がまず心配したことは、限界を超えた長時間の【ANESYS】状態により、パイロット二人の脳が破壊されてしまうことだったが、二人の脳は、長時間の【ANESYS】状態の維持を可能にする〈ウィーウィルメック〉のクルーと酷似した状態となっていた。
これにより、少なくとも今すぐ脳に障害を負う可能性は低いとの目算であった。
「もうちょい詳しく言うとだな………。
〈ウィーウィルメック〉のクルー達が、言わば【ANESYS】しっぱなし状態であるにも関わらず、思考混濁せずに個々のパーソナリティを維持して、ホログラム体となって好き勝手に現れ出でられているのは、彼女達が【ANESYS】の超高層情報処理能力それ自体を用いて、個々のパーソナリティを意図的にシミュレートし続けているかららしい。
それと同じことがクィンティルラとフォムフォムにも起きているんじゃないかと推測しているんだな……あの二人は……」
テューラの説明に、ノォバ・チーフは「ふむん」と、感心しているとも呆れているともつかないリアクションを返した。
【ANESYS】は、複数の人間の思考と、艦のメインコンピュータを統合することで、戦闘時に爆発的な速度での情報処理を可能とする。
だがその弊害として、長時間の【ANESYS】は使用者の脳に障害を残す危険性があった。
だが、【ANESYS】の超高速情報処理能力
それが意図的に再現できるならば【ANESYS】の限界時間問題が解決してしまうのだが…………ともかく、今クィンティルラとフォムフォムに起きているのはそういうことらしい。
「つまり元の人格の思考を、当人の生の脳ではなく、【ANESYS】の方で処理しているから、脳は無事だってことか?」
チーフの解釈に、テューラは大きく頷いた。
「そしてそれは同時に、クィンティルラとフォムフォムが、クィンティルラとしてフォムフォムとして【ANESYS】中になんかやってるらしい……ってことでもある……。
パーソナリティを維持してるそうだからな」
テューラはさらに、まだ大丈夫とはいえ徐々に二人の脳は限界へと向かっており、限界を迎える前までに二人を【ANESYS】状態から目覚めさせないと、二度と目覚めない可能性が高いとも推測されていると続けた。
「そしてだ……こうなった原因というか切っ掛けは、【ヘリアデス計画】終盤で彼女達が行った〈じんりゅう〉級三隻同時【ANESYS】で間違いないが……。
今もパイロット二人が【ANESYS】中ならば、当然【
………恐らく〈じんりゅう〉にいるクルー達もまたそれも個々のパーソナリティを維持したままで……だ。
いったいどうやってそんな長い距離を挟んで、タイムラグ無しにパイロット二人と〈じんりゅう〉が【ANESYS】を行う為のデータをやりとりしてるのかは相変わらず不明だけどな……。
で、【ヘリアデス計画】の最後に【ANESYS】を行ったのは、ムカデ・グォイドに勝つためだったが、その問題が無くなった今、【
テューラは説明しながら、地球圏にいいるパイロット二人と繋がったまま、【
「で、何か分かったのか?」
「あくまで…………あくまで推測の域を出ないがな…………。
【ANESYS】と思しきクィンティルラとフォムフォムの脳波パターンをこの3カ月継続調査した結果、あの二人は確かに【ANESYS】中の脳波パターンに酷似しているし、それは〈ウィーウィルメック〉のクルーの【ANESYS】時の脳波パターンに似ているってことが分かったんだが、さらに…………………どうも…………【ANESYS】中にしては思考速度がすっとろいらしい」
「なんだって?」
「確かに連中の思考速度は、人間以上にはなっているが、ア
「その原因は……」
「不明だ……珍コンビは〈じんりゅう〉が【
「距離があるから……ってことか?」
「その可能性も否定できないが、【
光の速さでは、仮にクィンティルラとフォムフォムと〈じんりゅう〉との間で回線が構築できたとしても、【ANESYS】の為のデータのやり取りにタイムラグが生まれすぎて、【ANESYS】どころではなくなるはずだからな。
ま、そもそもどうやってクィンティルラとフォムフォムが〈じんりゅう〉とのデータ回線を繋げているのかが不明なんだが……」
テューラがSPAD《個人携帯端末》で〈斗南〉内にいるクィンティルラとフォムフォムと、【
「ともかく! クィンティルラとフォムフォムの脳波から見る【ANESYS】の情報処理速度が遅いのは、〈じんりゅう〉側……さらに言えば〈じんりゅう〉がいる【
それで…………そうまでして……〈じんりゅう〉クルーは【ANESYS】で何をしているのか? なんだが…………。
ここ二カ月間の脳波パターンは、【ANESYS】にしちゃ遅いことに気づいた珍コンビは、それを【ANESYS】でいう通常速度にした場合で、酷似する他の脳波パターンを検索してみたんだと!
その結果…………………………」
「……なんだよテューラ、もったいぶらずに言えやい」
言いしぶるテューラに、チーフは痺れを切らして尋ねた。
「へ~これがノォバ・チーフの作った新装備ですか……」
「…………」
――〈斗南〉航宙艦建造ドック内――
アビーが純粋極まる感嘆の声を漏らす横で、真空無重力状態のドック内に入る為に、明らかにブカブカの
施設内とはいえ、宇宙空間と同様に宇宙服無しでは生身の人間は生存不可能なドック内に、アビーは普段の緑の葉っぱをドレスに仕立てたような服装のままで、ドック内のキャットウォークに立つキルスティの隣にいたからだ。
――いや……宇宙服いらないって理屈は分かるけど! ――
キルスティは生理的な違和感をなんとか押し殺そうと努めたが、もう少し時間が必要であった。
中身はホログラム投影機能付きヒューボに過ぎないアビーには、当然キルスティのように宇宙服をまとう必要性などなく、普段の姿のまま宇宙空間に出ることが可能であった。
この三か月間〈ウィーウィルメック〉の外を出歩けることで大いに好奇心を満たされ、キルスティと過ごす時間で喜びや楽しみという概念を獲得したアビーは、眼前に横たわる巨大な機械に興味深々であった。
「これは……比喩表現を用いるならば、〈じんりゅう〉の補助エンジン部分だけを大きくして、無理やり束ねたみたいですね!」
「まぁ……そうだね」
キルスティにもアビー以上の例えは思付かず、ただ同意するしかなかった。
上下左右を大型ガントリーよって固定された眼前の巨大物体は、全長で約600m、全高全幅は共に250mもあり、サイズだけで既に〈じんりゅう〉を上回っていた。
その形状はアビーが例えた通り、巨大放熱フィンが後端についたテーパーの付いた先細りの六角中を四本、シンプルな板状ブームを介してX字型に束ねたようであり、〈じんりゅう〉級の補助エンジンナセルのみを巨大かさせたかのようだった。
サイズを無視すれば、〈じんりゅう〉で言う艦尾ブロックから、上下両舷の格納庫と、中心部の主機とメインスラスター部分を取り除いたかのように見える
「大きなブースターにしか見えませんね」
「私も大きなブースターにしか見えないよ」
腕組みして頭を傾けながら訊いてくるアビーに、キルスティは素直に同意した。
どう見ても巨大な推進機関であり、またその部分しかない。
航宙艦が航宙艦足り得る推進機関以外の部分がまったく見えなかった。
……ならば、目の前の物体は、何かの推進を補助するいわゆるブースターの類であろうと考えるのが論理的推理の帰結であった。
いや、そんなことはもっと前、この物体が設計された段階ですでに理解しているべき事柄であった。
……でなければ、ノォバ・チーフ達は自分達がどういう機能をもった機械なのかも分からないまま、この物体を作っったことになる。
だが、今回ばかりはそのまさかであった。
今キルスティ達の眼前に横たわるブースターのような巨大機械が、いかな機能を発揮するのか? それはまだ正確には把握されていないのであった。
ことの起こりは、『
土星での大冒険を終え帰還をしてきた〈じんりゅう〉は、一度完全に破壊されたにもかかわらず〈
そのデータを解析してみたところ、いわゆる設計図の類が含まれていることが判明し、まず現在【
だがその〈じんりゅう〉がロストとなり、【
果たしてこれに如何な性能が秘められているのか? それは動かしてみないことには分からなかった。
その形状や機構からブースターの類であることは間違いないと思われるが、ただのブースターでは無いはずであった。
設計上、四基のブースターナセルの主動力源には、オリジナルUVDが用いられることになっているからだ。
テューラ司令の最近の〈30人会議〉出席時の目標は、主にこの謎のブースター用に必要な四基のオリジナルUVDを、【ヘリアデス計画】で回収したオリジナルUVDから確保することであった。
そして彼女のその目標は、【ヘリアデス計画】での彼女の功績から、さしたる障害もなく達成され、今日〈斗南〉へと運ばれようとしているところであった。
「でも仮にこれがブースターの類だとして、どうやって試すんでしょうね?」
「それは…………無人で動かしてみるんじないかな?」
アビーの問いに、キルスティは仮にもア
「ふむん……ア
アビーは顎に指をあてながら、キルスティの答えに続けた。
キルスティもアビーの意見に同意だった。
海のものとも山のものともつかない謎ブースターを無人で動かすのは当然として、貴重なこのブースターとその中身をロストしない為に有人艦で追いかけるのは妥当な判断だろう。
問題は、このブースターに随伴させる艦……あるいは機か艇に乗るパイロットだ。
キルスティは全人類の優秀な飛宙機のパイロットに精通しているわけではないが、自分の知る限りでは、このような任務に打ってつけのパイロットに二人だけ心当たりがあった。
問題は、その二人が目下医療カプセル内で三カ月間も眠りこけていることなのだが…………。
だが、人類存亡の危機が迫る中、対【
「あ、キルキル……見えてきましたよ、二人の乗ったシャトルが……」
アビーの声に、キルスティが彼女が指さしたドックの出口方向に目を凝らすと、確かに一機のシャトルの減速噴射炎らしき輝きが、ゆっくりと〈斗南〉に向かってくる姿が確認できた。
「………………ふう……」
「キルキル、緊張してるんですか?」
ようやく自分の心境を察したアビーの言葉に、キルスティは苦笑いで答えることしかできなかった。
今日、月から帰るテューラ司令とノォバ・チーフを出迎える形でドックに来たのは、これから二人に話があるからであった。
この三か月のクィンティルラ大尉とフォムフォム中尉の経過観察により、テューラ司令達が月に行っている間に、恐ろしく大雑把だが二人に何が起きたかについてのおよその推測ができたことと、さらに詳しく彼女達に何が起きたかを調べ……さらにうまくいけば、二人を目覚めさせることができるかもしれない手段が見つかった。
そのことを二人に報告するためであった。
そしてもちろん、その手段の実行の許可も得るつもりだった。
問題は、その手段には決して小さくは無い危険が伴うということであった。
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