▼ 終章   『遠い宇宙《そら》の向こうに』 ♯5


[再生SSDF航宙艦艦隊、戦艦〈アリゾナ〉〈モンタナ〉〈キュウシュウ〉ノ接続確認。

 続イテ巡洋艦ノ接続ヲ開始スル]


 ――土星リング外周部よりやや内側、北天側――


 エクスプリカの声がヘルメット内に響く中、〈じんりゅう〉船体中央右舷側、やや前方に穿たれたUV弾頭ミサイルによる破孔にまで来たケイジは、滅茶苦茶に破壊された装甲板の向こう側に見える景色に、一瞬心を奪われた。


 赤道南部雲海表層から上昇し、土星リング外縁部上面まで移動していた〈じんりゅう〉の前に、土星の夜明けが訪れていた。

 すると秒速1000キロで飛来した【ザ・ウォール】破片の直撃を受け、リングに斜めの直線となって無数に走る傷跡が陽の光の下にさらされ、その天文学的事変の凄まじさをケイジに知らせたのだ。

 その上を、〈じんりゅう〉は再生SSDF航宙艦艦隊と共に、慣性航行で周回していた。

 リングの端に、グォイドの実体弾投射砲群を肉眼でも確認できたが、それらは【ザ・ウォール】破片の衝突が原因なのか、接近中の【グォイド増援光点群】への対応の為なのか、あるいは〈じんりゅう〉他のSSDF艦を狙うには近すぎたのか、砲身を明後日の方向に向け、こちらへの攻撃の兆候は見受けられなかった。

 土星リングは大いに傷つきながらも、ひと時の静けさを取り戻していた。


 そのリングの上を、【ウォール・メイカー】によって【ザ・ウォール】墜落前の状態へと再生され、【ダーク・タワー】破壊作戦を生き延びた戦艦三隻、巡洋艦四隻、駆逐艦五隻、随伴補給艦兼軽空母一が、〈じんりゅう〉、〈アクシヲン三世〉と肩を並べ航行しながら、この後の機動に備え行動を開始していた。


 再生SSDF航宙艦はエクスプリカと〈アクシヲン三世〉のキャピタンの指揮の元、一隻また一隻とドッキングをとげていた。

 接舷用ドッキングアームで、スマートアンカーで、ボーディングチューブで、各艦のが船体表面に張り付いたヒューボが撃ち込むワイヤーガンで、半ば強引にこの後の過負荷に備え、可能な限り堅固に互いの艦を結びつけた。


 そんな中をケイジもまた、再生〈じんりゅう〉艦内にあったありったけのロープ類を持って、船体に張り付いたヒューボと共に〈じんりゅう〉と〈アクシヲン三世〉を結ぶ作業にあたった。

 この局面でケイジに出来ることはこれくらいしかなかった。

 UV弾頭ミサイル直撃の破孔に来たのは、そこで露出しているオリジナルUVD同質物質マテリアル製のフレームにロープを結わえることで、これから予測される過負荷に対し、ロープの接続部が破断してしまう事態を回避するためだ。

 オリジナルUVD同質物質マテリアル製のならば、どんな力でロープを結んだ位置を引っ張られても、決して千切れる心配は無い……ロープの方が千切れる可能性は大いにあるが……。

 ケイジはその可能性を頭から締め出しつつ、〈じんりゅう〉右舷側へと遷移した〈アクシヲン三世〉左舷から、ヒューボが投げてよこしたロープをフレームに結び付け、今度は〈じんりゅう〉内で用意したロープを、〈アクシヲン三世〉側にいるヒューボに向かってワイヤーガンで打ち出した。


[ナンデモ良イカラ急イデクレェ~]


 〈じんりゅう〉バトル・ブリッジ内から、エクスプリカがその体を貧乏揺すりかのごとく振るわせているのか、ガシャガシャというノイズをバックに、一刻も早いSSDF航宙艦同士のドッキングを待ちわびる声が届いた。

 無理もなかった。

 【グォイド増援光点群】の土星圏通過までもう時間が無い。

 【ダーク・タワー】破壊作戦は無事完了し、【グォイド増援光点群】の太陽系への襲来は阻止できたはずだった。

 だからエクスプリカは、こんな敵本拠地のど真ん中からはさっさと退避すれば良いのにと言っていのだが、事態はそうはいかなかったのだ。

 ケイジはエクスプリカの意見をもっともだと思いつつも、これから〈じんりゅう〉が土星圏において最後に行おうとしているマニューバに、疑問はもっていなかった。

 〈じんりゅう〉は任務を終えたが、帰還するその前にすべきことがあったからだ。










 ――その約一〇分前……。


[フム、接近速度ガ速スギテ分析ガ追イツカナイガ、【グォイド増援光点群】ノ先頭集団ガ最接近スルマデ、最新予測でアトオヨソ17分トイウトコロダナ……誤差ぷらす・まいなす3分トイウトコロカ……]

「……じゅ……さ……えぇ?」


 シズ大尉に続き、冷静沈着というよりのんびり呑気に説明しだしたエクスプリカの言葉に、ユリノ艦長は他のクルーと共にしばし言語機能が麻痺したように言葉が出てこなかった。


「えらいこっちゃ……」


 クィンティルラがいち早く復帰して、辛うじてそう呟いた。


[ナニ驚イテイルンダ、元カラ想定サレテイタ未来ナノダロウニ]

「……い、いやそうなんだけど……」

「ユリノ艦長、【グォイド増援光点群】は減速停止を諦めて加速して通過する道を選んだのです。

 当然その分、ここへの到達時刻は速まります。それも著しく……」


 シズ大尉が申し訳なさそうに補足説明した。





 ケイジも、元から想定していなかったわけでは無かった。

 ただ想像していたよりも、はるかに短時間だったことに驚いてしまったのだ。

 地球で誕生進化した人類には、宇宙に進出した今もまだ感覚的な理解が追いついていない部分があるが、宇宙において移動し、目的地に到着・・するのと、通過・・するのには雲泥の差がある。

 運動の第三法則により、止まるには動き出すのと同じだけの推進エネルギーと時間を要するからだ。

 ゆえに通過するだけならば、到着を目的とするのよりも何倍も短い時間で達成できる。

 ましてや【グォイド増援光点群】の到着予定は、【ダーク・タワー】の外部からの補助を鑑みて組まれていた。

 つまり【グォイド増援光点群】は短時間での到着を欲するあまり、太陽系への接近を開始した時点で、減速補助を前提にした分、独力での宇宙移動能力を超える速度で加速し、太陽系に接近していたのだ。

 それが【ダーク・タワー】からの減速レーザーが途絶えたことで、その航行スケジュールが破棄せざるを得なくなった。

 当初はケイジ達は、【ダーク・タワー】のレーザーによる減速補助により、【グォイド増援光点群】の太陽系への到着・・は数か月先だと推定していた。

 が、これが加速しての通過となった場合、元々の速度がすでに宇宙の移動の原則を超えて高速であるところから、さらに加速に転じたため、当然、太陽系内通過までの時間は著しく短くなるのだ。

 ……それも数か月後に“到着”だったはずが、数分後に“通過”になってしまう程に。



 だから予測して然るべきことではあった。

 だが【ザ・ウォール】からの千載一遇の脱出チャンスから、一気に【ダーク・タワー】破壊作戦を慣行するにいたり、誰もがその可能性を熟慮して実感する余裕が無かったのだ。


[安心シロ、【グォイド増援光点群】ノ推定土星最接近位置ハ、土星ノ南極付近カラ土星りんぐノ内太陽系側ノ端ト、ソノ時ソコニイル衛星群ノミダ。

 ソコニサエイナケレバ、我々ガ被害ヲ受ケル可能性ハ低イ。

 モチロン楽観ハ禁物ダガ、脱出スルニハ充分ナ余裕ガアルダロウ]


 総合位置情報図スィロムに土星圏の危険エリアを表示しながら、エクスプリカは他人事のようにそう告げた。

 〈じんりゅう〉の活躍により、【グォイド増援光点群】は太陽系への到着を諦め、通過を選択したが、その進路上には土星があった。

 元から減速用レーザーの発信源に向かってきていたのだから、当然といえば当然である。

 とはいえ、もしも【グォイド増援光点群】が光速の数%の速度で、〈じんりゅう〉や〈アクシヲン三世〉その他の僚艦にでも接触しようものなら、当然無事ではすまない。

 信じたくはないが、【グォイド増援光点群】の中にはオリジナルUVDを搭載した艦が含まれている可能性もあり、もし絶対破壊不可能なそれが光速の数%で衝突したならば、惑星とて粉々になりかねない。

 だが、土星の公転軌道がわずかに傾いている関係から、黄道面から接近中の【グォイド増援光点群】に対し、今、土星は黄道面よりもわずかに上に位置し、エクスプリカいわく、土星でも【グォイド増援光点群】が接触、あるいは衝突する可能性があるのは土星の南極と、リングの内太陽系側だけなのだという。

 〈じんりゅう〉他のSSDF艦隊は、そこを避ければ【グォイド増援光点群】との衝突の危機は避けられるはずだった。


「ですが……グォイドにとってはそうでもありません。

 土星の衛星群のうち、タイタン、デォオネなど26の衛星が土星圏の内太陽系側にあり、【グォイド増援光点群】の予想進路上にあるのです……」

「だからやっこさんは、オレらの相手してるわけじゃなくなったのか……」


 シズの補足説明にうむうむとクィンティルラがうなずいた。

 【ダーク・タワー】への攻撃が成功して以後、グォイドからの追撃が無い理由に、一応の説明がついたのだ。

 それが増援だろうと同胞だろうと、光速の数%で衛星の拠点に接触されたらただでは済まない。

 土星圏のグォイドはその対応に追われているのかもしれなかった。

 ケイジはグォイドが夜逃げでもしようとしているのかしら? ……と一瞬想像した。







[ナカナカ上手イコトヤッタジャナイカゆりの。

 コレデ【グォイド増援光点群】ガ、地球ヤ火星ニデモ衝突スルこーすダッタラ笑エナイガ、幸イ被害ヲ受ケル可能性ガアルノハぐぉいどノ土星ノ拠点ダケダ。

 通過シタ【グォイド増援光点群】モ、Uたーんシテ太陽系ニ戻ッテクル可能性ハ低イ。

 仮ニ戻ッテ来ヨウトシテモ、到着ハ何百年モ先ダ。

 我々ノ大勝利ジャナイカ~]


 エクスプリカは機械のくせに、あたかも上機嫌であるかのように告げた。

 ひょっとすると、目的が達成されたにも関わらず、顔色の冴えないユリノ艦長らを気遣ったのかもしれないが……。


 総合位置情報図スィロムに描かれた太陽系内の【グォイド増援光点群】の推定コースを見る限り、確かにエクスプリカの見解は正しい。

 【グォイド増援光点群】は、太陽系内を可能な限り安全に通過しようと試みた結果、幸いにも地球圏・火星圏・木星圏・水星兼等々には一切接近することのないコースで通過することになっていた。

 偶然もあるが、メインベルトに人類が設けた【集団クラスター】と【集団クラスター】の間を通過しようとした結果のようであった。

 つまり人類側には被害は一切無いのに対し、土星のグォイド側は、増援と合流するという望みを絶たれた挙句、本拠地に重大な危機が迫るという結果になったわけだ。

 だから今回のグォイドとの戦いは、自分達人類側の完全勝利と言って良いはずであった。

 もちろん〈じんりゅう〉が無事帰還できたらの話ではあるが……。


 だが、ユリノ艦長達がそれでもまだ表情に喜びを表せないでいたのは、実は【グォイド増援光点群】の内太陽系到着・・を阻止したこととは、すでに関係なくなっていた。

 ケイジはその事情を知っていた。

 ユリノ艦長らは【ダーク・タワー】破壊作戦の成功と結果に十分満足していた。

 だが自分たちには、まだ達成せねばならない重大な使命が残されていたのだ。


「みんな…………改めて尋ねるわ」


 ユリノ艦長が大きく深呼吸すると口を開いた。


「私達はとりあえずグォイドの企みを阻止できたけれど、まだすべきこと……できることがある……でもそれには、しなくていい危険が伴う……それでも――」

「ユリノよ、今更みなまで言わなくても良いぞ。元からそうするつもりだったのだからな」

「そうです艦長、時間がありません。速やかに行動を開始すべきです」


 ユリノ艦長の言葉をカオルコ少佐が遮ると、サヲリ副長が続いた。


「今さら多少の危険でボク達はグダグダ言ったりしないって」


 フィニィ少佐が振り向いてそう告げると、他のクルー達が頷いた。


[ア~……何ノハナシダ?]


 自分を置いてきぼりにして話を進めるクルー達に、エクスプリカがキョロキョロとクルーの顔を見回すと、ようやくまだエクスプリカに話していないことに気づいたユリノ艦長が答えた。


「これから〈じんりゅう〉をブースター代わりにして、〈アクシヲン三世〉を加速、再び太陽系外移民・・船としての任務に復帰させるの」


 エクスプリカはヴーンという電子音を鳴らした。










 当然ながら、もっと状況が落ち着いてから、改めて〈アクシヲン三世〉を送り出せば良いという考え方もあった。

 が、時間が経てばたつほど、土星圏のグォイドに態勢を立て直し、改めて太陽系脱出を妨害する機会を与えてしまうことになる。

 だから心置きなく太陽系を出発するならば、土星圏が【ザ・ウォール】破片の落下と、【ダーク・タワー】破壊に伴う混乱に包まれている今が、千載一遇のチャンスであった。


『……というわけでフォセッタ中佐、目的地の選定はできてるかしら?』

「……ああ~」


 ブリーフィングが進行する中、いつ自分に話が振られるかとドキドキしながら待っていたフォセッタは、いざユリノ艦長にそう尋ねられると、即座に答えられなかった。


 ――〈アクシヲン三世〉・〈びゃくりゅう〉ユニット・バトルブリッジ――。


 の答が用意できていなかったから……というわけではない。

 自分達の導き出した答えが、ただ少しばかり説明が面倒だったからだ。

 ユリノ艦長から【ザ・ウォール】脱出作戦の直前に、キャピタンを駆使して、〈アクシヲン三世〉の新たな目的地を選定しておいて欲しい……そう言われたのだ。

 成り行きで間に【ダーク・タワー】破壊作戦による【グォイド増援光点群】の脅威の除去が挟まったが、無事【ザ・ウォール】から飛び立つことができたならば、〈アクシヲン三世〉はその任務を再開し、外宇宙へと出発することになっていた。

 だが当初の目的地だった〈ウルフ359恒星系〉へは、土星圏の現在位の関係上、向かうのは難しかった。

 【グォイド光点増援群】のただ中を突っ切らねばならなかったからだ。

 だから〈アクシヲン三世〉の性能で到達可能な新たな目的地を、〈アクシヲン三世〉メインコンピューターの星系データバンク探していたのだが……、


『ひょっとして……条件に合う目的地が無かったの? ……それともやっぱり……』

「いや! ちゃんと出発するし、目的地も決まった! ……ただ……」


 フォセッタは慌てて心配気に再度尋ねたユリノ艦長に答えた。


「ただ……新たに選定した目的地の恒星系だが……その……条件は良いのだが……」


 フォセッタはそこまで言ったところで、言葉に詰まった。


[時間が無いので私めが説明いたしましょう。

 新たに選定した目的地はかに座〈マクガフィン恒星系〉です。

 データを送ります]


 フォセッタに代わり、傍らにいたスキッパーが切迫した時間を考慮して説明を開始した。


『……マクガフィン恒星系?』


 予想通り、ユリノ艦長からは怪訝そうな声が返ってきた。

 航宙艦の艦長たるもの、太陽系の近場にある恒星系ぐらい知っていて当然のはずだったが、このいささかふざけた名の恒星系など初耳だろうからだ。

 何故そんな恒星系の名前が出てきたのか? フォセッタはスキッパーが上手いこと説明してくれることを願った。










 残念ながら、人類が観測し記憶した外宇宙データバンクの中には……〈アクシヲン三世〉の到達可能な範囲に、移民先としてふさわしい恒星系は存在しなかった。

 ……そのはずだった。


「そんな恒星系、太陽系の近所にあったっけ?」

「シズは見たことも聞いたことが無いのです」

「ルジーナ同じく、初耳デスな」


 〈アクシヲン三世〉のスキッパーが告げた恒星系に、ユリノ艦長が自分の記憶を疑うように呟くと、シズ大尉とルジーナ中尉が同調した。

 会話を聞いていたケイジは、自分の恒星系に関する記憶にはまったく自信が無かったが、この二人が言うのならば間違いないように思えた。


『……はい、おっしゃる通りです。

 わたくし共もそのように思っていたのですが、いざ本艦の星図データバンクを精査していたところ、かに座方向のおよそ6.5光年先に、実時間でたった400年程で行ける恒星系があったのです』


 ――たった400年て……――

 スキッパーの説明にケイジが呆れる中、〈マクガフィン恒星系〉の位置が〈じんりゅう〉バトル・ブリッジの総合位置情報図スィロムに送られてきた。

 確かにその恒星系の情報が本当ならば、黄道面やや上の方向であることといい、【グォイド増援光点群】の迫る方向とは90度ほど外れていることといい、約6.5光年という比較的近しい距離的な問題といい、たとえ片道400年かかろうとも、〈アクシヲン三世〉の選べる目的地としては打ってつけと言えた。



『データによれば、その恒星系にはハビタブルゾーン内に二つから三つの岩石惑星があり、液状の水が存在する可能性もあるようです』


 ユリノ艦長は拡大表示された〈マクガフィン恒星系〉を見ながら、コメントに窮していた。

 無理も無いとケイジは思った。

 そんな理想的な目的地があるなら、なぜ最初から〈アクシヲン三世〉の目的地にされていなかったのか? と思うに違いないからだ。


『そちらが懸念なさるのももっともです。

 わたくし共も、当初は記憶とデータの祖語に疑いをもちました。

 なぜこの恒星系の存在に今まで気づかなかったのか?

 あるいは、なぜ突然、この恒星系のデータが現れたのか? と……。

 その謎については、キャピタンの推測により一応の答えがでています。

 この恒星系のデータは、おそらく【ウォール・メイカー】の異星AIか、もしくは本艦に搭載された元〈じんりゅう〉の異星AIがよこしたものに違いないと……』

「………………あらまぁ…………」


 スキッパーの説明に、ユリノ艦長はポツリと呟いた。








 辛うじてだが、納得できないこともない話であった。

 【ANESYS】を通じてコンタクトした【ウォール・メイカー】の異星AIならば、〈アクシヲン三世〉のデータバンクに新たな恒星系のデータを書き加えることくらい簡単であるように思えた。

 それに、異星AIを生み出した創造者たちの目的は、この宇宙に生命を生み出し、繁栄させることなのだという。

 その結果、太陽系は現在の姿にされ、なんだかんだあって人類は誕生し、現在にいたっている。

 ならば故郷を離れ、他所の恒星系に版図を広げんと旅立つ〈アクシヲン三世〉に対し、移住先の情報を提供するという形で協力しても、一応はおかしくないはずだった。

 そのネーミングセンスについては異論が無いことなかったが。


 そしてこれまで人類がなぜ〈マクガフィン恒星系〉の存在に気づかなかったか? という点についても、【ザ・ウォール】の存在を考えれば、そういうこともありえると思えた。

 【ザ・ウォール】が覆い隠していて、少なくともここ十数年はその方向を観測しても何も見えなかったのかもしれない。

 【ザ・ウォール】が無い状態で、改めて〈マクガフィン恒星系〉があるという方向を〈じんりゅう〉のセンサーで観測したところ、その前まで観測された記録のない〈マクガフィン恒星系〉らしき光が観測された。


 それでもなぜ【ザ・ウォール】が形成される以前……もっと言えばグォイドが太陽系に訪れる以前には観測されていなかったのかについては説明不可能だ。

 が、宇宙は広く、あらかじめ明確な意識を持って方向を定めて観測しない限り、その存在を発見できない事は多い。

 〈マクガフィン恒星系〉はその一つであったのかもしれなかった。


「まぁ…………旅の最高責任者たるフォセッタ中佐がそう決断したのなら、それで良いかぁ」


 〈マクガフィン恒星系〉の存在について、まだ絶対の確信が持てたとは言い難いが、ユリノ艦長はそう結論づけることにした。

 この宇宙で絶対の確信がもてることなど、そもそも稀なのだ。

 グォイドとのいくさが続く時代ではなおさらだ。

 それに今は何より時間が無い。

 【グォイド増援光点群】到達まであと数分しかなかった。

 たとえ微妙に分の悪いギャンブルでも、勝算が出来るまで待つことなど叶わず、勇気を出して賭けるしかないと時もあった。


「これよりピギーバック加速マニューバで〈アクシヲン三世〉の太陽系脱出を支援する!」


 ユリノ艦長は宣言した。










[ピギーバック加速マニューバ、開始五秒前…………4……3……2……1……]

『【ANESYS】エンゲージ!』


 エクスプリカに続き、ヘルメットに響いたユリノ艦長の声と共に、ケイジが見守る中、右舷中央船体の破孔から除く傷だらけの土星リングの景色が、後方への等速度運動から加速を開始した。

 最初はやさしく、最微出力で全艦の艦尾スラスターを吹かし、脆弱なドッキング部分が千切れないようゆっくりと加速させていくのを、ケイジは体に伝わる振動と流れていく景色から感じた。。

 ケイジは手近なフレームに自分の身体を命綱で固定しながら、土星圏で行われるであろう〈じんりゅう〉最後のマニューバを、瞳に焼き付けておこうとした。

 辛うじてドッキングの間に合った〈じんりゅう〉、〈アクシヲン三世〉その他のSSDF艦隊が、一つの塊となって土星リングを周回加速していく。


 ピギーバック加速とは、航宙艦が他の航宙艦を加速補助する為の手段として行われてきたマニューバだ。

 ただし真空無重力の宇宙では、発生させた推力の方向が、航宙艦……つまり移動する物体の重心を貫かないと、その場で無様に回転してしまうことになる。

 人類はこうした問題に対し、加速対象の航宙艦に対し、二隻以上の航宙艦で挟みつつ曳航し、加速補助させることで実現していた。


 だがこのマニューバは、加速対象に対し、同等の推力を持つ艦が最低二隻以上は必要となる。

 多種多様な艦で行われる今回の場合は、ピギーバック加速マニューバはそのままでは使えなかった。

 加速対象はもちろん〈アクシヲン三世〉だが、今回はその随伴艦として、残存した再生SSDF航宙艦艦隊も対象となる。

 SSDF航宙艦の制御AI達が、すでに旧式となった自分達が内太陽系人類圏に帰還したところで有意義に使われるとは限らず、このまま〈アクシヲン三世〉の旅の護衛となって随伴した方が、人類の主の保存と繁栄に対して有意義だ……と判断してくれたからだ。

 つまり、〈アクシヲン三世〉と護衛SSDF航宙艦約10隻対し、〈じんりゅう〉一隻で加速を行わねばならないということであった。

 しかし、この問題についてユリノ艦長はすでに解決策を考えだしていた。

 ようするに加速能力の一番弱い〈アクシヲン三世〉さえ加速させられれば良いのよ! と。


 再生〈じんりゅう〉、および残存再生SSDF航宙艦艦隊で、主機関がオリジナルUVDに換装されたとはいえ、全艦中で最も重量があり加速力の劣る〈アクシヲン三世〉を、両舷から挟むようにしてドッキング。

 それぞれの推力を結集することで、〈アクシヲン三世〉を土星リング外縁部を周回しつつ加速、土星の自転と公転の速度をプラスさせた上で、一気にグォイド制宙権を脱出し、〈マクガフィン恒星系〉へのコースに乗せる。


 全長6キロの巨大恒星間移民船の右舷側に、800メートルの戦艦三隻をはじめ、巡洋艦四隻、駆逐艦五隻、随伴補給艦兼軽空母一隻が一塊となってドッキングする一方、左舷側には全長350メートルの〈じんりゅう〉ただ一隻しかドッキングしていないその姿は、恐ろしく歪な塊となっていた。

 だから当然、重心位置はもちろん、推力のバランスも滅茶苦茶になっており、ピギーバック加速には支障をきたすはずであった。

 が、今の〈じんりゅう〉は、残骸から蘇りオリジナルUVDを再び主機関としているだけでなく、艦のメインフレームその他がオリジナルUVD同質物質マテリアルに置き換わっていた。

 そのメインフレーム以外のオリジナルUVD同質物質マテリアル製となった部分には、メインスラスターの内部パーツも含まれていた。

 この事実を知った瞬間、ユリノ艦長は気づいたのだろう。

 これまで〈じんりゅう〉は、主機関をオリジナルUVDに換装していることから、無限のUV出力を自由自在に使えるはずであった。

 が、実際はそうでもなかった。

 いかに主機関がオリジナルUVDであっても、人類製の〈じんりゅう〉の船体には耐久性に厳然としか限界があるからだ。

 もし、急いでいるからといって好き放題にメインスラスターを吹かせば、〈じんりゅう〉の艦尾主推進機構はオリジナルUVDの出力に耐えきれず、盛大に吹き飛ぶことになるだろう。


 しかし今、【ウォール・メイカー】によって再生された〈じんりゅう〉は、一部であるがメインスラスターのコアにあたるパーツがオリジナルUVD同質物質マテリアルに置換されており、その結果、メインスラスターの耐久性能は大幅に向上していた。

 もちろん限界はあるが、少なくとも短時間であれば〈アクシヲン三世〉の反対側に束ねてドッキングされた再生SSDF航宙艦10数隻の全推力と同等の噴射を、単艦で行える程には。

 これにより、〈アクシヲン三世〉の両舷から均等に推力を噴射し、ピギーバック加速を行えるはずだ。

 それでも、歪な塊となったが故に滅茶苦茶となった重心バランスの問題が残るが、他ならぬ〈じんりゅう〉とそクルーならば解決可能であった。


 【ザ・ウォール】上での異星AIとのコンタクト、およびトータス《母艦》・グォイドとトゥルーパー《超小型》・グォイドで行った【ANESYS】から、すでに一時間が経過していた。

 ユリノ艦長をはじめとした〈じんりゅう〉クルーの脳は、再び【ANESYS】の実行が可能になっているはずであった。

 今〈じんりゅう〉に、再び最大の切り札を使う時が来たのだ。







[第一次加速、順調ニ進行中……【ANESYS】ニヨル重心こんとろーる同ジク。【グォイド増援光点群】土星圏通過推定時刻マデアト5分45秒……]


 エクスプリカの声がヘルメットに届くなか、ケイジは必死になって首を伸ばし、破孔からの視界の大半を覆う〈アクシヲン三世〉の船体との隙間から、土星リングの景色を見つめた。

 加速が進むにつれ、SSDF航宙艦塊が態勢を土星側にロールした為、徐々にリングだけでなく、土星そのものも見ることができた。

 ことここに至っては、他に出来ることも無かったし、そうせずにはいられなかった。

 予定では【ANESYS】の超高速情報処理能力により、最適な加速がなされ、このSSDF航宙艦の塊は〈マクガフィン恒星系〉に向かって飛び立つはずであった。

 が、それには土星リングを半周する必要があった。

 加速に要する時間は【ANESYS】の統合時間限界とほぼ同じである。

 余裕があるタイムスケジュールとは言えないが、ケイジは、もう心配することはやめていた。

 理屈の上では【グォイド増援光点群】の土星圏到着前に自分達は土星を離れるはずであったし、土星圏のグォイドにも、今だ動きは見られない。

 が、しかし…………、


「!!」


 ケイジが見守る中、視界の彼方、土星リングの隙間から見た、土星南半球の奥、ガスの水平線の彼方が突然はじけた。

 音が響くことの無い宇宙では、その事象は己が目で見ることでしか認識できず、ケイジは軽く混乱した。

 弾けたのは土星を覆うガスであった。

 だがその規模は、この距離でケイジの肉眼で容易く見える程に巨大であり、またその飛散速度はおそろしく高速であった。

 ケイジは土星の南極が吹き飛んだことを、数秒かけて理解した。

 そして同時になぜ吹き飛んだのかも理解していた。

 【グォイド増援光点群】が予測よりも早く土星圏に到着したのだ。

 ケイジは一瞬ジタバタし、何事か言おうと考えたが、出来ることは何もなかった。








 例によって、眠りにつくと同時に目覚める……そんな不可思議な感覚と共にワタシは目覚めた。

 だが同時に、前回〈びゃくりゅう〉で目覚めた時とは別種の微かな違和感も覚えた。

 原因は換装された〈じんりゅう〉のオリジナルUVDだ。

 ここは新たな……けれど間違いなく〈じんりゅう〉だった。

 けれどワタシの中にはもう、ワタシのコアたるユリノの姉、レイカの人格は無い……そのことをワタシは実感し、そして猛烈に寂しく思ってしまったのだ。


[ゥオ~イ、あびてぃら~!]


 〈じんりゅう〉バトル・ブリッジ顕現したワタシの姿に、エクスプリカが構ってくれとばかりに呼びかけた。

 彼に言われなくても、すべきことは分かっていた。

 ひと塊となった〈じんりゅう〉〈アクシヲン三世〉他のSSDF航宙艦の加速を開始させる。

 ワタシはほんの一瞬だけ、一度は亡くしたと思っていたエクスプリカとの再会に、彼に微笑みを向けたが、それはホントに一瞬だけだった。

 予想よりも早く【グォイド増援光点群】が到着したからだ。

 彼らは自分達のサバイバルの為に、精いっぱいの努力をしたようだったが、それでも【ダーク・タワー】からの突然の減速補助の打ち切りに、回避運動が間に合わなかったようだ。

 最初の一隻が土星南極に衝突、地球が数個たやすく納まるだけの窪みを穿った。

 続く【グォイド増援光点群】の艦が、一隻、また一隻と、ほぼ明滅するレーザーの光と変わらぬ速度で土星圏を通過していく。

 ワタシはその最中の土星リング上を駆け抜けた。


[コイツハヤバイゾ……]


 エクスプリカが呻くが、ワタシは加速を止めなかった。

 ついにワタシの前方で、土星リングの太陽側の端がはじけ飛んだ。

 リングを形作っていた無数の微小惑星がワタシの進路にまき散らされ、ワタシはUVシールドでそれを受け止めながら加速を続けた。

 いかにワタシの超高速情報処理能力をもってしても、光速の数%で飛来する【グォイド増援光点群】の艦を、回避することなど不可能だった。

 だから運命を天に任せて加速するしかなかった。

 土星リングがリングで無くなろうとする最中を、もっとも危険だとされていた土星リング内太陽系側の端にまで到達しようとしたその直前、ワタシはリングの裏側から迫る【グォイド増援光点群】が、ワタシとの衝突コースにあることを悟った。







 【グォイド増援光点群】の衝突で巻き上げられたリングの欠片が、盛大にUVシールドを叩き、その衝撃と加速による艦同士の揺れが乱暴に艦内を揺する

 ケイジはその光景を破孔から覗きつつ、必死にオリジナルUVD同質物質マテリアル製フレームに捕まりながらふと考えていた。

 ピギーバック加速マニューバを行うことが決定した直後に、エクスプリカに問われたことに対し、なんと答えれば良かったのかについてだ。


[マ~ッタクゥ! セッカク無事帰還デキル見込ミガツイタノニ、ナンデワザワザ危険ニ飛ビ込ムカノネェ!?]


 そうエクスプリカは、まるで人間の愚痴っぽくぼやいたのだ。

 理屈から言えば、確かにエクスプリカの言う通りではある。

 実際ユリノ艦長も「しなくていい危険」と自ら語っていた。

 〈アクシヲン三世〉の太陽系脱出だって、確かに今がチャンスかもしれないが、絶対に今でなければならないとうことはない。

 けれど…………、


『ワタクシは全然へ~きですよ! もちろん皆さまとのお別れはとてもとても辛いですが、こうして外宇宙に連れて行ってもらえるのはとても楽しみです!』


 ケイジはサティの言葉を思い出した。

 【ザ・ウォール】脱出時に〈びゃくりゅう〉主機関室でオリジナルUVDのステー代わりとなった彼女とは、ろくに相談できないまま、〈アクシヲン三世〉の旅に同行することが決まり、かなりぞんざいな別れの言葉を交わすことしかできなかった。

 そんな人間の身勝手に対し、サティはそう答えてくれたのだ。


『故郷を離れて遠くに行くのは、生物として人間として当然の行いです! ワタクシにもそれを行う機会がもらえて、とっても嬉しいんですよぉ~!』

 そう朗らかに続けるサティの言葉に、ケイジ達は大いに救われると同時に、甘えることしかできない自分を恥じたものだ。

 ケイジはこのサティの言葉に、危険極まりない加速を行っている最中、一面の真実を見つけた気がしたのだ。


“しなくてもいい危険に飛び込み、種をより遠くに飛ばそうとする……”


 その行いの不合理さと生物っぽさこそが、人間らしさであり、種の強みなのかもしれない。

 グォイドと遭遇して以来、人類は種を守る為に必死で命を懸けて戦ってきた……が今回は違う。

 種を守る為に命を懸けるわけじゃなく、種を遠くに飛ばす為に命を懸けているのだ。

 この行いに挑戦できるということそれこそが、ある意味、グォイドへの勝利のような気がした。

 ずっと防衛におわれてきたが、今ようやく種としての攻勢にでれた……そんな気がした。

 ……だからといって、今のケイジにできることはほぼ何もなかったが、それでもケイジは精いっぱい叫ぶことにした。


「行け~! 行っちまえ~!」


 ケイジは拳を振り上げ必死に叫んだ。











 土星リングの内太陽系側の端に到達せんとする最中、回避不可能なコースと速度で一隻の【グォイド増援光点群】が、まばゆい噴射光となってワタシに迫る。

 もちろんわずかでも接触すれば、ワタシ達はオシマイだ。

 そしてワタシに出来ることは何もなかった。

 が、ワタシはエクスプリカがヴ~ンと唸る中でも、迫る噴射光から目を反らさなかった。


 そして衝突の1.7秒前――。


 【グォイド増援光点群】の噴射光は、何者かに衝突し、ほんの僅かにコースを変え、ワタシのわずかに上方を通過していった。

 一体何が起きたのか?

 答えはすぐに分かった。

 土星リング外縁部にある||ここ・・のグォイドの実体弾投射砲群だ。

 土星圏のグォイドが、はるばる遠い宇宙の彼方から来たる同胞に向け、引き金を引いたのだ。

 ほんの一瞬、――グォイドに助けられたのか? ――という考えが浮かんだ。

 だがそれは錯覚だ。

 彼らは、己の身を守る為に引き金を引いたのだ。

 最初の一発の実体弾砲撃を皮切りに、土星圏の各グォイド拠点から、盛大な対宙防衛射撃が【グォイド増援光点群】に向かって放たれ始めた。

 たとえそれが同胞であろうと、己の身を守る為ならば躊躇いはしない、そう土星圏のグォイドは決めたようであった。

 そしてそれは迫る【グォイド増援光点群】側も同じであった。

 観測不可能な速度で何かが衝突し、ワタシの進路上にあったグォイド実体弾投射砲が破壊された。

 己を守る為に【グォイド増援光点群】から放たれた実体弾らしかった。

 後はもう滅茶苦茶としか言いようが無かった。


[ナンテコッタ!]


 思わずエクスプリカが呆れていた。

 まるでかつての人類のように同胞同士が撃ちあう、その最中をワタシは駆け抜けた。

 大いに危険なはずであったが、今さら躊躇いなどなかった。

 あくまで両者の狙いがワタシでは無かったが故か、それとも運命のいたずらなのか、ワタシはワタシの肉体たるSSDF航宙艦の塊に一発の実体弾を受けることもなく、土星リング上での周回加速を終え、外宇宙〈マクガフィン恒星系〉へのコースに向かって土星圏から一気に飛び出していった。

 その直後、ワタシの後方で、土星の最大の衛星にして、グォイドの本拠地があるタイタンに、一隻の【グォイド増援光点群|】が衝突し、盛大に破片をまき散らしながら、一瞬にして齧られたリンゴのような姿に変貌したのを観測した。









『いよいよ本当のお別れみたいですね……』


 ふと我にかえると、ワタシは連結式軌条電動車両の乗客昇降用停車場……つまり駅のホームで、発車直前の車両の入り口前でたたずむセーラー服姿の少女の前に立っていた。

 ワタシは土星リング上での周回加速を終え、〈マクガフィン恒星系〉へ向けての最終加速中のはずだった。

 最後にグォイドは同士討ちをして、土星圏本拠地に甚大なダメージを負ったようだったが、とりあえず今は関係の無い話だ。

 確かにワタシは今も土星圏最後の任務中であった。

 だから今ワタシがいるここは、ワタシの一部が片手間にお呼ばれされた仮想空間らしい。


「………………あなたサティ?」

『はぁい。すいません、最後の別れと言いますか、こういうシチュエーションにふさわしい場所を想像してたら、こんな場所になっちゃいました……』


 ワタシは前回の【ANESYS】での、異星AIとのコンタクト時に見た時よりも、いくらか人としての見た目のクオリティが上がったサティのアバターに、少し驚いた。


「サティ……ありが――」


 ワタシの何度言っても足りない感謝の言葉は、最後まで言わせてもらえなかった。

 セーラー服姿のサティに抱き着かれたからだ。


『でもやっぱり少し……いえ、とっても寂しいですね……』


 アヴィティラとしての私の胸に顔をうずめながら、サティはそう呟いた。

 ワタシは彼女を抱きしめ返すことしかできなかった。


「あ、あ、あ、あ~……邪魔しちゃ悪いとは思ったんだが……自分も来たぞ!」


 遠慮がちなのかそうでないのか微妙な言い回しに顔を上げると、もう一人少女姿のアバターが立っていた。

 彼女が誰かはすぐに分かった。

 多少変化はしているが、そのしゃべりようはフォセッタ以外に考えられなかった。


「あなたも【ANESYS】してみたの?」

「まぁ、最後くらいはな……自分が統合したところであまり意味が無いから今までやらなかったが……」


 微妙にフォセッタ中佐よりも大人びた姿のアバターは、そうぼやくように言うと、右手を伸ばした。


「それにまだあなたアヴィティラには感謝の言葉を伝えて無かった……だから……ありがとうアヴィティラ」

「…………」


 ワタシは何も言えずに、彼女の右手をつかんで引き寄せると、サティのアバターごと両腕で抱きしめた。


「…………! …………!」


 今のワタシならば、ワタシであった時よりも何倍も頭が働いて、言うべきことも言いたいこともすぐに思い浮かぶはずなのに、どうしても言葉が出てこないことに、ワタシは憤る分だけ彼女達を抱きしめた。


「まぁまぁ……もう充分すぎる程気持ちは伝わったから……」

『アヴィティラさん……泣かないでください』


 そう言って無理やり顔を上げた二人のアバターの頬には、やはり涙が溢れていた。


「心配で来たんだぞ! そんな顔して……やっぱりワタシもついていく! って言いやしないかとな!」

『そうですよアヴィティラさん! 早く離脱しないと、故郷へ帰るのが大変になっちゃいますよ!』


 二人はいつの間にか結託したかのように私の身体を押して離れると、背後の停車していた車両に乗り込んだ。

 ワタシにはもう、彼女達についていくことはもちろん、引き留めることも出来なかった。

 本当に別れの時間が来てしまったからだ。


「元気でねアヴィティラ……ユリノ…………ユイをお願い……もちろんあなたもちゃんと幸せになって、私にも姪や甥を見せてよね!」


 もう発車するのを見送るしかないワタシに、さっきまでフォセッタのアバターだった彼女が振り向くと、今一度そう言いながら額にキスをされた。

 顔を離すと、彼女の顔は今は亡きレイカ姉の姿に変わっていた。


「おね――!」


 ワタシが慌てて呼びかけようとした瞬間、その時は来た。

 二人を乗せた車両はドアを閉め、動き始めた。

 ワタシは必至になって車両を追いかけたが、車両は瞬く間に遠ざかり、見えなくなってしまった。






[……3……2……1……分離! 分離! 分離!]


 エクスプリカの声と共に、破孔の彼方に見える〈アクシヲン三世〉が猛烈な速度で遠ざかっていった。

 充分な速度までの加速が済み、〈じんりゅう〉との間のドッキングが解除されたのだ。

 ケイジは必死になって、遠ざかる〈アクシヲン三世〉に手を振った。


「達者でな~!」


 誰かが見てるなどとは思わなかったが、ケイジは遠ざかる〈アクシヲン三世〉の船体表面で、ロープを繋ぐ作業をしていたヒューボ達が、手を振り返してくれていたのを見たような気がした。


『ケイジさ~ん! いってきま~す! 元気でいてくださね~!』

『ケイジ三曹! 世話になったな! アンタのことは忘れないぞ! ……あ~それからさっき言い忘れていたことがあったんだった!…………ちゃんとアンタ達も種族繁栄に努めろよ~! 

 最低一人につき二人は赤ちゃん産ませてやるんだぞ~!

 あいつらに惚れられた男の務めだぞ~!』

『繁殖、頑張って下さいね~!!』

「なっ!?」


 手を振り続ける最中、最後に届いてきたサティとフォセッタ中佐からの通信に、ケイジは結局なにも返事ができないまま、〈アクシヲン三世〉は遠い宇宙の彼方に向かって見えなくなっていった。









 分離と同時に反転減速を開始すると、すでに〈じんりゅう〉は天王星公転軌道手前まで来ていた。

 ……とはいっても天王星自体はそこには今はいないので、スイングバイには使えない。

 が、今の〈じんりゅう〉の加速性能をもってすれば、内太陽系人類圏まで最低でも一か月半以内に帰還できるらしい。

 そういうエクスプリカの報告を聞きながら、ケイジは〈じんりゅう〉バトル・ブリッジへと戻ってきた。

 ハッチを潜るのが微妙に躊躇われた。

 サティとフォセッタ中佐、これが最後だからって好き勝手なことを言ってなかったか!?

 ケイジは先刻の通信を、ブリッジ内の皆が聞いたかどうかが気になって仕方なかった。

 勇気を出してハッチを潜ると、ブリッジは沈黙に包まれていた。

 無理もないのかもしれない。

 【ANESYS】直後だし、数分前に〈アクシヲン三世〉と、おそらく永遠の別れをしたばかりなのだから。

 ケイジがなるべくささやかに咳払いすると、クルーたちはようやく顔を上げた。

 皆、まだ瞳を涙で潤ませていた。

 そしてケイジに気づくとあっというまに顔を真っ赤にしていった。


 ……これは間違いなくあの通信聞いていたな…………。


 ケイジは自らも顔が熱くなるのを感じながら悟った。


 嗚呼、皆であんな冒険を繰り広げ、命の恩人にあんな事を最後の最後に頼まれた後で、これから帰還までの一か月半、どうやって皆と生活すれば良いのだろう……。


 ケイジは一瞬だけ途方に暮れた。

 だが、クルー一人一人と目が合ううちにすぐに思い直した。

 多少は心臓に悪いかもしれないが、この〈じんりゅう〉で皆と一緒ならば、どんな事態も大概はどうにかなるだろう……と。

 ケイジが機関コントロール席に着くのを見届けると、ユリノ艦長が艦長帽をかぶりなおしてから大きく深呼吸した。


「こほん! …………さてと、みんな! 故郷へと帰ることにしましょう!」


 ケイジは皆と共に大きく頷いた。


「〈じんりゅう〉! 内太陽系人類圏に向け発進!」


 ユリノ艦長の声と共に、〈じんりゅう〉は長い冒険の日々から、ようやく帰途へとついた。


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