▼ エピローグ  『クロニクル』 

 〈アクシヲン三世〉におけるスキッパーの任務もまた、その存在意義をかけた過酷なものであった。

 元々〈アクシヲン三世〉には、フォセッタ以外にも正規の専門家クルーが多数乗り込み、人類初の異星移民を先導するはずであった。

 が【ゴリョウカク集団クラスター】発進時の〈アクシヲン三世〉に、フォセッタ以外の正規クルーが乗り込むことは無かった。

 その事情については今も分かってはいない。

 感情面で故郷を離れる決断ができなかったのかもしれないし、発進直前に始まった第四次グォイド大規模侵攻の方に召集されてしまったのかもしれない。

 有力な仮説はいくつかあったが、確認は不可能だった。

 確かだったのは、生身の正規クルーはフォセッタただ一人だけであり、彼女だけで新たな故郷までの旅と、そこでの植民を行わねばならないということだった。

 もちろんそんなこと現実的には不可能だ。

 だからスキッパー用意され、発進直前の〈アクシヲン三世〉に放り込まれたのだ。

 スキッパーはその彼女をケアすることが存在意義なのだ。

 そして不幸にもスキッパーは、その役目を大いに果たすこととなった。




 本来の航行スケジュールであれば、たとえフォセッタ一人しか正規クルーがいなくとも、太陽系を脱出し次第、フォセッタは積まれている大勢の胎児と同様に冷凍睡眠に入り、スキッパーが働くことになるのは大分先になるはずであった。

 ……であったのだが、【ザ・ウォール】への墜落が、狂った予定をさらに狂わせた。




 何一つ真っ当な対策がとれないまま、〈アクシヲン三世〉は発進後約一年で、土星公転軌道のやや外側に広がる超巨大帯状天体【ザ・ウォール】に不時着した。

 当然、予定されていたスケジュールの全ては破棄された。

 辛うじて〈アクシヲン三世〉は、人造UVDのほとんどを失う以外は深刻なダメージを受けずに済んだが、離陸ができない以上、絶望的という他ない状況であった。

 しかしフォセッタという人物は、泣き言一つ言わずに、準【ANESYS】であるキャピタンの助言に従いつつ、黙々と【ザ・ウォール】の脱出の試みを進めてった。

 ヒューボと共に船外に出向いては、先んじて墜落していた土星攻撃艦隊のSSDF艦から、人造UVD他の必要パーツを探し、集め、〈アクシヲン三世〉を修復、同時に離陸用ロケットを燃料込みで製造し、【ザ・ウォール】を脱出する……。

 艦に多数搭載されたスキッパーをはじめとしたヒューボの助けががあるとはいえ、それは恐ろしく忍耐のいる作業であった。

 いかに耐宙人として調整されて誕生した彼女とはいえ、ストレスは溜まるし、許容限界はある。

 いつ終わり、達成できるかどうかもしれぬ作業を延々と続けるなど、心身が耐えられるはずがなかった。

 実際、黙々と日々の作業を続けていたフォセッタの作業効率は、【ザ・ウォール】滞在9か月を超えたあたりから徐々に降下し始めた。

 無理もない状況であった。

 この事態に対し、自身の出番だと判断したスキッパーは、キャピタンとの協議の末、【アクシヲン・ビーチ】を彼女に開放することで解決を試みた。

 “そこで息抜きなさい”と……。

 彼女は当然のごとく固辞した。

 『意味が無い……』『時間とリソースの無駄だ……』

 基本的に無口な彼女はわざわざ声に出してまでそう答えた。

 それでもスキッパーは彼女の意向などを無視し、多くの艦内リソースを割いて【アクシヲン・ビーチ】を使用状態にし、健康維持の為の運動義務と称してキャピタン経由で彼女に命令し、むりやり使わせた。

 ついでに彼女の私室も、機能維持の為の封印と称して窒素ガスで見たし、これからはアクシヲン・ビーチで寝泊まりさせるよう導いた。

 結局フォセッタは不承不承【アクシヲン・ビーチ】で過ごすことを認め、当てつけのごとく毎日決まった時間、決まった量だけビーチで泳ぐことにした。

 もちろんそれ以外にも数々の遊興を彼女には勧めまくった。

 【ザ・ウォール】に届く劣化した内太陽系人類圏のデータを、苦労して復元しては、最新のニュースを知らせた。

 アーカイブに保存された書籍、映像作品、ゲーム等々のエンターテイメントを勧めた。

 スキッパーの機能の限りを使い、調理した食事やデザートを振舞った。

 それらの効果のお陰なのかは判然としないが、彼女は【ザ・ウォール】での四年間を、少なくとも表層的には心身を極端に崩すことも無く乗り切った。

 だが結局【ザ・ウォール】脱出の試みは、どうしても新たな人造UVDが入手できず、手詰まりとなった…………。

 フォセッタのここ4年間の努力の全てが無駄になるかと思われた。



 しかし、〈アクシヲン三世〉の【ザ・ウォール】墜落に伴う諸問題は、突如墜落してきた〈じんりゅう〉とそのクルーとの遭遇により、紆余曲折を経て解決した。

 〈アクシヲン三世〉は【ザ・ウォール】をなんとか脱出し、新たな目的地〈マクガフィン恒星系〉へと向かう旅を再開することとになった。



 本来であれば、これは歓迎すべきことのはずであった。

 元々の計画とは随分と変ったが、オリジナルUVDを新たな主機関にし、再生SSDF航宙艦という心強い護衛と共に、謎は多くとも有望な新目的地へ向かうこととなったのだから。

 だがスキッパーは、対人応対ヒューボとして、フォセッタの心身のケアを担うものとして、彼女のことが心配でたまらなくなった。











◇――航宙再開三日後――


 〈じんりゅう〉と別れを告げ、太陽系からの目標脱出速度まで加速し、大所帯となった〈アクシヲン三世〉をはじめとする太陽系脱出艦隊は、一時慣性航行へと移行した。

 これからの再加速に備えて重心バランスをとる為、旅を共にすることとなった戦艦三隻を始めとする再生SSDF航宙艦を、その船体の周囲に巻き付けるようにして再配置し、ドッキングしなおすためだ。

 〈アクシヲン三世〉をはじめ、各艦の戦闘での補修の為の時間も必要だった。

 幸いにも損傷は軽微であり、大した時間を必要とはしなかった。

 艦隊のうち、駆逐艦二隻と巡洋艦一隻は、前方30万キロに一列等間隔に配置し、進路上の警戒にあたらせた。

 一度加速し、亜光速にまで達してしまったならば、行く手にどんなトラブルが待っていようとも、一瞬で判断し対応せねばならない。

 出来る限りの事前対策を、加速を再開する前にしておかねばならなかった。

 フォセッタはその間、起きている唯一の人間として、生身の責任者として忙しなく働いた。

 が、そんな時間も、この後の長い長い旅路に比べれば、恐ろしくあっさりと過ぎ去ってしまった。

 艦隊の加速が再開され、全てが順調であることが確認されると、〈アクシヲン三世〉は、続いて内部を再び窒素ガスで満たしつつ、艦内を時間をかけて最終点検し、目的地〈マクガフィン恒星系〉到着までの長い眠りの準備に入った。

 その間、スキッパーはフォセッタという少女が心配でならなかった。

 元の彼女に戻ったと言えばそれまでだが、フォセッタは〈じんりゅう〉と別れて以降、任務に関する言葉以外、何一つしゃべらなかったからだ。

 食事もレーションで済ましてばかりで、スキッパーが何か調理しましょうかと尋ねても、落ち着いてからでいいと固辞した。

 まるっきり昔の彼女に戻ってしまったようであった。

 が、もちろんそんなわけ無かった。





 その日、フォセッタは、一日の予定作業が終わると、再び【アクシヲン・ビーチ】に戻ってきていた。

 もうすぐここも長旅に備え閉鎖することになるが、それまではここが彼女の私室替わりであったからだ。

 だが愛用の深紅のビキニをまとい、砂浜へとやってきても、彼女は〈じんりゅう〉と出会う前のように、機械的に泳ぐこともなく、水につかることすら無く、膝を抱えて座り込み、ただぼんやりとホロ投影された夕焼けを眺めたまま、動かなくなってしまった。

 スキッパーはその後ろ姿を見ていることしかできなかった。

 そして静止しているように見えた彼女の肩が、微かに震えていることに気づいた。

 その震えは、同時に聞こえ始めた泣き声と共に大きくなり、フォセッタは身をよじって号泣した。

 まるで幼子のように、恥も外聞みなく、ただひたすらに。

 理由は明らかだった。

 出会った頃の彼女からは想像シミュレートも叶わなかったが、今の彼女は“寂し”かったのだ。

 予測はしていたことだった。

 〈じんりゅう〉のクルーとは、最長でも一週間と少ししか過ごしていなかったが、それでも彼女は彼女達との別れが寂しく、悲しかったのだ。

 〈じんりゅう〉のクルーは、フォセッタが出会った姉妹たち以外で、初めての友人で仲間だったのだ。

 そしてフォセッタにとって初めての、そういう人間との別離であったのだ。

 〈じんりゅう〉クルーが〈アクシヲン三世〉に勢ぞろいした日、皆で遊び倒したのもここ〈アクシヲン・ビーチ〉だった。

 スキッパーの知る限り、フォセッタという少女が無心になって遊びに興じたのはこれが初めてだった。

 そして最後でもあったのだ。

 〈アクシヲン・ビーチ〉で過ごした皆との一日は、それまで経験値皆無だったフォセッタの心に、喜びと楽しさを覚えさせ、そして同等の悲しみと寂しさも同時与えてしまったのだ。

 もちろん、フォセッタは『寂しい』などとは口にはしなかった。

 仮に尋ねても否定するだろうし、もしかすると彼女自身には寂しいという概念自体が無い可能性もあった。

 生まれて初めて覚える感情である為に、まだ自分の感じている気持ちが何という名前なのか分からないのだ。

 全ての傍観者であったスキッパーには、他者であるが故にフォセッタの気持ちが分かるような気がした。

 〈アクシヲン三世〉が【ザ・ウォール】を脱出した直後、勇気の限りを尽くして〈じんりゅう〉クルーに、このまま〈アクシヲン三世〉での旅に加わらないか!? と誘った彼女の気持ちも……。

 そう言いつつも、直後に発覚した【グォイド増援光点群】の襲来を放置せず、〈アクシヲン三世〉で【ダーク・タワー】への攻撃を進言した彼女の気持ちも……。

 保護者としてのスキッパーには手に取るように分かる気がした。

 そして言葉にこそしなかったが、初めてできた友達であり仲間の為に、〈じんりゅう〉クルーを無理に引き止めず、再び独りぼっちになることを選んだフォセッタのことを誇らしく思っていた。

 だが、フォセッタが生まれて初めての号泣を体験している間、スキッパーにできることはほぼ無かった。

 今彼女が体験している感情や、原因について説明することはできるが、それだけだ。

 この五年間共に過ごしてしまったからこそ、もう出来ることがほぼ無いのだ。

 だが……幸運なことに、今の〈アクシヲン三世〉には、スキッパー以外にもフォセッタのことを案じてくれる新たなクルーがいた。



 泣きつかれて頭を垂れたフォセッタの前方で、突然海面が爆発的にはじけたかと思うと、盛大な水飛沫とともに、逆さまにした半透明の超巨大クラゲのような、いわく言い難い形状の物体がにゅるにゅると浮上した。


『フォセッタさ~ん! お待たせしましたぁ~! ……あれ?』


 サティの登場で生じた大波に、フォセッタは大の字になって流され、とても返事どころではなかった。






『いやぁ~やっと自由になれましたぁ!』

「…………」

『オリジナルUVDを支える主機関室のステーがようやく完成して、晴れてワタクシ自由の身になれましたよフォセッタさ~ん!』

「…………」


 心身共にとてもリアクションどころではないフォセッタに、主機関室から解放されたサティは、どこぞの配管を通じて移動してきたのか、浮上するなりハイテンションで話しかけた。


『フォセッタさん! ふつつか者ですが、これからの長旅、よろしくお願いいたしますねっ!』

「は……はは」

『フォセッタさん?』

「…………はっはっはっはっは」


 サティが怪訝そうに身体をくねらせる中、ずぶ濡れになったフォセッタの乾いた笑いは、段々とそのボリュームを上げていった。


『あ……フォセッタさん……ひょっとして、ユリノ艦長達とお別れして寂しかったんですかぁ?』

「……」


 いきなり核心を突いたサティの問いに、フォセッタは目を丸くするだけで沈黙した。

 どうやら今この瞬間、自分が泣いていたのが“寂しい”からだと分かったらしい。


『フォセッタさん………』


 固まるフォセッタを、サティはその体で優しく包んだ。


『フォセッタさん……ワタクシも……寂しいですよ……とてもとても……でも――』


 途中で途切れたサティの言葉に、フォセッタは顔を上げた。


『ワタクシ……フォセッタさんが寂しいと思ってくれて少し……いえ、とっても嬉しいです、だって……』


 サティはフォセッタを包んでいたいた触腕を、彼女を抱きしめる人のシルエットに変化させながら続けた。


『だって……だって別れが寂しくて悲しいのは、それだけユリノ艦長達と過ごした時間が、素敵だったって証拠なんですもの……ね?』


 サティの言葉に、フォセッタはそういう考え方の存在を初めて知り驚いたのか、一瞬顔を上げ目を丸くすると、何度も頷きながら人型となったサティの触腕を抱きしめた。


『だから悲しかったのなら、思い切り泣いて良いそうですよ…………って以前見たアニメで言ってました。ワタクシは物理的に泣くのが難しいのでお付き合いできませんが・……』


 サティは冗談めかしてそう言ったが、フォセッタはそれを聞き終わる前に、再びポロポロと涙をこぼしながら大泣きを再開させていた。

 スキッパーはひやひやしたが、だがサティという旅の仲間が出来たこれからは、、存外に大丈夫かもしれないと判断することにした。

 想像もしなかったような相手だったが、旅の友として、また移民先の人類にとって、掛け替えのない存在になりうるかもしれない。

 フォセッタは飽きる程に泣き続け、ようやく顔を上げると、抱き着いていた人型となったサティの触腕が、あらためて見ると泥人形みたいなクオリティだったので「ひぃっ!」っと仰天した。


『ケイジさんにも驚かれて、密かに練習してたんですが……【ANESYS】の仮想空間内では、割とイケてたんですけどねぇ……』


 フォセッタはそう言いながら肩をすくめる泥人形のおぞましい姿に、しばしフリーズした。


 その日の夕食、スキッパーは久しぶりにフォセッタからメニューのリクエストを受けた。

 ソースヤキソバが食べたい! と。









◇――航宙再開一カ月後――


 サティという仲間が出来たことは、フォセッタにとって間違いなく心強い出来事ではあった。

 が、問題もあった。


 “はたしてサティって冷凍睡眠できるのか?”


 冷凍睡眠するのが、あとはもうフォセッタだけという段階にきて、不定形知的生命体クラウディアンであるという彼女が、この先何百年もかかる旅の間、肉体的、生物的に冷凍睡眠可能なのかが大いに問題となった。

 いわゆる人類ではないが、心ある彼女が起きたまま旅の終わりまで耐えられるはずがないし(性格的に)、万が一艦内で暴走でもされたらたまったものではない。

 だが結果から言えば、人間の場合と同じように体温を下げつつ、活動エネルギーたるUVエネルギーを必要最小限に抑えることで、彼女は仮死状態になることが判明した。

 こうしてサティは〈アクシヲン・ビーチ〉にて、そのまま眠ってもらうこととなった。

 だが、それを確認するまでにはそこそこの時間を必要とし、フォセッタの冷凍睡眠は大分遅れてしまった。

 サティが無事に冷凍睡眠状態になり、途中で目覚めないかが気になって、なかなか自分が冷凍睡眠に入れなかったのだ。

 事態が事態だけに無理のない心配であったが、根本的に解決のしようがないので、スキッパーは半ば強制的にフォセッタをカプセルに押し込め、冷凍睡眠させた。

 こうして、目的地〈マクガフィン恒星系〉までの間、彼女達は眠り続け、その間艦は、スキッパーをはじめとした機械によって運航されることになった…………はずだった。
















◇――航宙再開4カ月後(船外時間)――


 フォセッタの目覚めは穏やかとは言えなかった。

 冷凍睡眠からの覚醒は、マニュアルでは本来は数日かけてゆっくりとなされるはずであったが、今回の目覚めは、他に経験が無いので確信があるわけではないが……なんというか……忙しなかった。

 それでも目覚めさせられた以上は、〈マクガフィン恒星系〉に到着したのだろうと思ったのだが、そういうわけでは無かった。


[大変ですフォセッタ……えらいことが起きました……]


 冷凍睡眠カプセルから身を起こすなり、スキッパーにそう告げられ、大慌てで〈びゃくりゅう〉メイン目視ブリッジへ向かってと連れ出された。

 途中寝ぼけ眼で「サティは起こしたのかぁ?」と尋ねると、[必要を認めなかったのでまだ起こしてません]と即答された。

 メイン目視ブリッジへ到着すると、前方窓の彼方には、目的地である〈マクガフィン恒星系〉の主星マクガフィンが、宇宙の他の星々と区別がつくレベルで燦然輝いて見えていた。

 だが、到着したというには、まだその輝きは弱い気もした。


「…………まだ遠いね……」

[ええ、減速込みであと40年はかかりますから]

「…………?」


 大あくびをしかけていたフォセッタは、スキッパーからの予想外の返答に固まった。


「……じゃなんで起こしたの!?」

[今話そうと思ってたところです! ついでに言えば、フォセッタが眠ってからまだ3か月と16日しか経っていません]

「じゃなんでこんなに……〈マクガフィン〉が近いのぉ!?」


 完全に目が覚めたフォセッタは、経過時間の割に異常に〈マクガフィン〉が近くに見えることに、すぐに気づいた。

 スキッパーは大きな溜息のようにヴーンと電子音を漏らすと、ビュワーに記録映像を映した。


[これが今から四日前に我々が通過した巨大リングです]


 ビュワーには、スキッパーが言う通り、正しくリングとしか言いようのない円が、宇宙空間に浮かんでいるのが映されていた。


[直径が10万キロほどあり、我々の速度では、存在に気づいた瞬間にはすでに回避不能で、そのまま内部を通過した結果、予想の五分の一以下まで〈マクガフィン〉に近づいていたのです]

「…………………………それってつまり……ワー――」

[まだ結論を出すのは早いですが……]

「自分達はその……ワー…………そんなバカな!」


 フォセッタは背中を冷や汗がつたうのを感じながら、自分で口に出そうとした言葉を、口から出る前に否定した。

 もしも今思いついた仮説を認めてしまったら、これまでの人生はおろか、人類の歴史自体が揺るぎかねないと感じたからだ。


[ですがフォセッタ、観測される現実からは、目を反らすことはできませんよ]

「そらそうなんだけどぉ……」


 フォセッタはスキッパーの意見に何も言い返せなかった。

 もし自分達の艦隊が、そのリングを通過したことでいわゆる瞬間移動・・・・したのならば、当たり前だが瞬間移動・・・・が可能だということになってしまう。


「分かった! ひょっとして……」

[断っておきますが、私が仕組んだ新手のサプライズでも、悪趣味な訓練の類でもありませんよ]

「……うにゅぅ…………」


 フォセッタの思いつく仮説は、すぐにスキッパーに読まれた上で否定されてしまった。


「…………ってことは……」

[一応キャピタンによる仮説ができています。これを見て下さい]


 スキッパーがそう言いながら、ビュワーに映るリングを拡大した。


[発見、観測、通過があまりにも一瞬の出来事すぎて、ろくにデータが取れなかったのですが、この観測画像を拡大した限りだと、どうもこの巨大リングは、無数のオリジナルUVDが繋がって出来上がっているようですね]

「…………Oh」


 フォセッタは、見慣れた螺旋紋様の掘られた鏡面状の円柱が、無数に連結しているのが映る画像に、まともに言葉が出てこなかった。


[ご存知のようにUVエネルギーは、疑似的にですが重力を操れます。

 そしてオリジナルUVDはそのUVエネルギーを無尽蔵にくみ出すことが出来ます。

 そして強大な重力は、空間を歪ませることすら可能とします。

 ですから…………]

「あ~もぅ、もう分かったってば!」


 フォセッタはスキッパーを遮った。


「もう分かったよスキッパー、自分達の艦隊はワープ・・・しました!

 これで良いだろう?」

[ええ、分かれば良いのです]


 スキッパー達の分析が確かならば、この〈(仮称)ワープ・リング〉はオリジナルUVDで出来ているらしい。

 オリジナルUVDを作った連中のテクノロジーならば、宇宙的瞬間移動ワープも不可能では無いように思えた。

 これまで人類は、いわゆるワープは物理的に不可能だと判断していた。

 人類自身で、それを可能とする現実的理論を構築できなかったという事情もあるが、最大の理由は、太陽系に襲来してきたグォイドが、ワープ航法で来たわけでは無いからだ。

 宇宙航行においては、人類よりもはるかに経験値があるはずのグォイドにワープ技術が無いならば、それは物理的に不可能なのだ、宇宙の理がそれを許さないのだろう……と、そう人類は勝手に判断してしまっていたのだ。

 だが、どうやら宇宙の理には裏技があったらしい。

 それも太陽系を現状態に構築し、惑星間レールガンや【ザ・ウォール】やらオリジナルUVDを生み出した異星の創造者の技術だからこそ、可能な所業なのだろう。


[この事実により、他にも分かったことがあります。


 一つは、〈マクガフィン恒星系〉がそれまで観測されなかった理由です。

 我々は【ザ・ウォール】に隠されていたことが原因だと推測していましたが、犯人は的中していましたが手段は【ザ・ウォール】だけではないかもしれません。

 この〈(仮称)ワープ・リング〉が、【ザ・ウォール】が生成中に稼動を開始したことが原因かもしれませんね]

 フォセッタの動揺を無視して、スキッパーは説明を続けた。


[そして二つ目は、我々が観測していた〈マクガフィン恒星系〉の光は、この〈ワープ・リング〉によって拡大された姿だったということです]

「なんだって?」

[ようするに、本来は〈マクガフィン恒星系〉は我々が思ったよりもはるかに遠かったということです]


 スキッパーはビュワーに〈ワープ・リング〉が巨大なレンズの替わりとなって、〈マクガフィン恒星系〉が拡大されて観測された概念図を投影し説明した。


「つまり本当は自分らが思ってたよりも遠いが、自分らが思ってたよりもはるかに早く到着できるってことか……」

[左様ですフォセッタ]


 スキッパーは褒めるように言ったが、フォセッタはちっとも嬉しくなかった。

 いかに結果オーライとはいえ、自分達の信じた推測が間違っていたということなのだから。


「……あの星が実は〈マクガフィン恒星系〉でもなんでも無い可能性は無い? ちゃんとハビタブルゾーンに惑星はある?」

[それは心配ありません。拡大して観測していただけで、その情報に齟齬は無いようです]


 フォセッタはそれを聞いて深く安堵した。

 窓の彼方に見える恒星は、間違いなく行こうとしていた星なようであった。

 何一つ対応できないまま、とんでもない事態になってしまったが、とりあえず目的地たる〈マクガフィン恒星系〉に早めに到着するという変化以外に、何か深刻な危機が迫っているというわけではないようだ。

 だが、それで安心するにはもちろん抵抗があった。


「ひょっとして……自分たちって例の異星AIに〈マクガフィン恒星系〉に誘導された?」

[可能性はありますね、彼らの目的が宇宙に知的生命を誕生させ、繁殖させることならば、ここまで我々に起きた事象の動機の説明がつきます]


 フォセッタの呟きに、スキッパーはあっさりと同意した。


「…………ちょっとまてよ? ……ってことはだ……」

[?]

「人類がこれまで観測してきた宇宙の星々にも……今回の〈マクガフィン恒星系〉みたいな……っていうかあの〈ワープ・リング〉みたいなのが他にもウジャウジャと…………」

[他にも〈ワープ・リング〉が宇宙に多数存在する可能性ならあります。

 確認のしようもありませんし、どうすることもできませんが……]

「う~ん……なんてこった……」


 フォセッタは思わずブリッジの床に座り込んで、スキッパーを慌てさせた。


「いきなりそんなこと言われたって………………こんな事実を自分らはどうすればいいっていうんだ?」


 フォセッタは心配するスキッパーを手で制しながら、現実を受け入れると同時に、別の意味で途方にくれた。

 “実はこの宇宙ではワープできる……その手段が宇宙に多数転がっている可能性がある”などという事実、一人で受け止めるにはあまりにも重大過ぎる。


[特にどうにもできないと思います。

 引き返して調べることはもちろんですが、この情報を太陽系の人類に伝えることも、もう現実的に不可能です。

 プローブや駆逐艦をメッセンジャーにして引き返させても、我々の速度を打ち消して再加速する関係上、到着は何世紀も後です。

 レーザー通信を送るという手段もありますが、データの散逸により、太陽系側で内容復元は不可能でしょう。

 そもそもあの〈ワープ・リング〉が双方向で通過可能かも不明です。

 また他にあるかもしれない〈ワープ・リング〉をいかにして発見するかも、今のところは……]

「分かった分かった……ってことは……」


 にべも無く答えるスキッパーに、フォセッタは結論を急がせた。


[現実的に言って我々に出来ることは、この事実を受け入れつつ、最初の計画通り〈マクガフィン恒星系〉にて植民を開始することだけですね]

「…………や、やはりそうなるのかぁ…………」


 それはフォセッタも半ば予測していた答えだった。

 実は割と短時間で〈マクガフィン恒星系〉に行けることも、この宇宙ではワープが可能であるということも、その手段が宇宙の他のどっかにもある可能性も、太陽系の人類に知らせる術は無い。

 もし知らせることができたなら…………フォセッタは思わず想像してしまいそうになるのを堪えた。

 もしかしたら、また彼女達に会えるかもしれない…………などと、考えるだけ余計に切なくなるだけだ。

 だから、フォセッタはスキッパーの言う通りにすることにした。

 ただ一つ、どうせ出来ることが何も無いならば…………ならば〈マクガフィン恒星系〉到着まで寝かせておいて欲しかった……と思った。















◇――航宙再開58年後(船外時間)――

 ――〈マクガフィン歴元年〉――



『奇麗ですねぇ~!』

 

 予想外に早まった減速に多少手こずったものの、〈アクシヲン三世〉とその護衛艦隊は無事、〈マクガフィン恒星系〉に到着した。

 無事に冷凍睡眠から目覚めたサティは、〈アクシヲン・ビーチ〉に持ち込んだビュワーに映る輝きを見た瞬間、そうコメントした。


「そうかな……そうかも……」


 メインブリッジの窓から直接〈マクガフィン恒星系〉を見ていたフォセッタは、ようやく到着した目的地の姿に、期待と不安が入り混じって、素直に喜びだけを表せなかった。


 ――はたして自分は、ここで人の種と文明を、故郷のように発展させられるのだろうか――


 不安を言い出したら切りがなく、実際、すべきことは山のようにあった。



 〈マクガフィン恒星系〉へ到着するまでの過程で、散々調べた限りでは、この恒星系へと向かう【グォイド増援光点群】などの光は観測されなかった。

 だがこの恒星系をグォイドが狙っていないとは限らない。

 フォセッタ達は、まず艦隊を分裂させ、プローブをばら撒き、恒星系全体を詳細に調査させた。

 グォイド・スフィアや、【ザ・ウォール】が存在したら一大事だからだ。

 星系全体を調査し終えるのに時間はかかるが、しないわけにはいかなかった。


 その一方で、〈アクシヲン三世〉そのもので、ハビタブル居住可能ゾーン内にあった二つの惑星の調査を行った。

 どの星を植民先にするか判断する為だ。

 どちら星も大気のある岩石惑星ではあったが、当然、そのまま人が住める星ではなかったし、両方をテラフォーミングする余力は〈アクシヲン三世〉には無かった。

 その結果、内側の第四惑星は全体の火山活動が激しすぎた為、氷の星ではあるが、テラフォーミング次第で居住可能となりそうな第五惑星〈マクガフィンⅤ〉を植民先の星と決定した。

 僅かだが地軸が傾いており、五つも衛星を有していたことも理由一つであった。

 とはいえ、〈マクガフィンⅤ〉が実際に人が住める星となるには、〈アクシヲン三世〉が積んできたスィー‐ヴィム(セミ・フォンノイマン・マシン)群を用いても、そう簡単な話ではない。

 少なく見積もっても数百年はかかるはずであった。

 が、ここでフォセッタの元に、新たなニュースが届いた。

 第六惑星の公転軌道の外側で、例の異星遺物が発見されたのだ。















◇――航宙再開58年9か月後(船外時間)――

 ――〈マクガフィン元年〉――



 第六惑星の公転軌道外側に発見された直径約10キロの銀色のドーナツ状物体は、姿形こそ違えど間違いなく【ウォール・メイカー】と同種の異星遺物であった。

 フォセッタはこの星系への植民に、異星遺物の助けを借りるべきか否か散々悩みはしたが、結局はこの異星遺物AIのコンタクトを試みることにした。

 万が一とはいえ、先にグォイドにでも使われるよりはマシだ。

 異星遺物AIとのコンタクトは、フォセッタ自身が【ANESYS】を行い、キャピタンと思考を統合することでなんとか成し遂げられた。

 その〈マクガフィン〉の異星遺物の説得の成功には、明確な根拠があるわけではないが、〈アクシヲン三世〉に積まれた元〈じんりゅう〉のオリジナルUVDが関係していると、フォセッタ達は考えていた。

 異星AIとの問答や、異星遺物に対するリクエストの受理に散々苦労したが、結果的にフォセッタ達は異星遺物にこの星系での【ザ・ウォール】となってもらうことに成功した。

【ザ・ウォール】とはいっても【グォイド増援光点群】の襲来を隠していたようなステルス膜としてではなく、巨大な凹面鏡としてだ。

 異星遺物に〈マクガフィンⅤ〉の公転軌道のすぐ外側まで移動してもらい、その上で衛星を材料に生成維持してもらった凹面鏡で、恒星〈マクガフィン〉の陽の光を反射収束させ、〈マクガフィンⅤ〉を温め、表面を覆う氷を融かしてもらおうという算段であった。

 これに加え、スィー‐ヴィムのテラフォーミング作業を開始すれば、〈マクガフィンⅤ〉は予想よりもはるかに早く、人の住める星になるかもしれなかった。

















◇――航宙再開102年後(船外時間)――

 ――〈マクガフィン歴44年〉――


 再び冷凍睡眠に入っていたフォセッタとサティが目覚めると、【ザ・ウォール】の力を借りた力任せのテラフォーミング開始から半世紀弱が経過した〈マクガフィンⅤ〉は、氷の星では無く、巨大な湖を三つもつ水の星へと変貌していた。

 ただし、その気候は巨大低気圧が覆う嵐の星ともなっていた。

 無理矢理かつ急激な外部からの温暖化の副作用であった。

 だがこの巨大な低気圧は、発生と同じく、【ザ・ウォール】による加熱が終わり次第、穏やかに鎮静化するはずであった。

 フォセッタ達は、その嵐の鎮静化を待って、〈マクガフィンⅤ〉への本格的な植民を開始することにした。

 つまり、これまで調査上陸のみだっだ惑星上に、永続的な拠点を設け、そこへ〈アクシヲン三世〉で運んできた胎児や動物の胚を冷凍睡眠から目覚めさせ、育成し、惑星上での生活を始めさせるということであった。

 最初フォセッタは激しく渋ったのだが、どんなに先延ばしにしたところで、〈マクガフィンⅤ〉が完全に地球とそっくりな星になることはなく、人類の文明をここで再興させるには、やはりヒト自身がそこにいて生活し適応していかないと不可能だからと説得された。

















◇――航宙再開108年後(船外時間)――

 ――〈マクガフィン歴50年〉――


 〈マクガフィンⅤ〉のテラフォーミングが恐ろしい程の勢いで進み半世紀、〈マクガフィンⅤ〉における人類の最初の拠点は、惑星最大の湖の真ん中、赤道直下にある弓状列島の一角に設けることにした。

 〈マクガフィンⅤ〉は地球より巨大で重く、平均重力が1G以上あったが、赤道直下であればほぼ1Gとなり、またその列島部分の地殻が安定していたからだ。

 大気はまだまだ呼吸が可能な状態になってはいなかったが、直径300メートルほどのドームを、内部を1気圧状態で建築する分には問題なかった。


 〈マクガフィンⅤ〉における新たな人類史は、ここから始まることになる。







「…………すごい」


 フォセッタは自分で呟いておきながら、なぜそう呟いたのか、自分でもよく分からなかった。


 ――アキツ島ドームシティ内〈ユリノ・ビーチ〉――


 フォセッタは耳に届く波の音や、足の裏に伝わる砂浜の感触に、謎の感動を覚え思わずそう呟いたのだった。

 人生で〈アクシヲン・ビーチ〉以外の砂浜に立つのは、これが初めてだった。

 見上げれば、透明窓となったドーム天井越しの恒星〈マクガフィン〉が、青空のど真ん中から燦々と砂浜を照らしていた。

 絶好の海遊び日和だ。

 ここは壁や天井がホログラムだった〈アクシヲン・ビーチ〉と違い、見えるもの全てが本物だった。

 それが“すごい”の理由だったのかもしれない。


 フォセッタはこのドームシティを建設する時、一つだけ我がままを許してもらった。

 ぜひビーチを作って欲しい! と。

 ビーチが必要なオフィシャルな理由など何も思い浮かばなかったが、ともかくそう思ったのだ。

 だからそれに割くリソースなど無い! と反対されると思ったのだが、存外にスキッパーとキャピタン、それとサティは賛成し、この人類用の人工の砂浜がドーム内に設けられた。

 ドームの外はまだまだ人の生存可能な環境では無いが、ここでは〈アクシヲン・ビーチ〉と同等の環境が備えられており、また水や砂浜などの環境の8割が、〈マクガフィンⅤ〉産の構成物質で作られている。

 後付けで考えたことだが、ここでドームの外に出る時の練習をするのも良いだろう。

 久しぶりに愛用のビキニを身にまとってみたが、幸いにもスタイルには寸分の変化もないようであった。

 耐宙人で良かったとフォセッタは久しぶりに思った。

 〈じんりゅう〉との分離から、フォセッタの肉体はまだ約7年分しか経過していないのだが、それでも100年を超える実時間の流れを考えると、そう思わずにはいられなかった。

 耐宙人として、〈アクシヲン三世〉で人類の他恒星系移民を実行する者として、フォセッタの肉体はメトセラ処置が施され、老化が抑えられていた。

 つまり、これからまだまだ長い人生が待っているのだ。

 少し想像しただけで、不安と恐怖で押しつぶされそうになる。

 だが、耳に届く喧噪から、その感情はどこかに押しやられた。


[もうフォセッタったら~一人で先に行かないでください!]


 スキッパーが子供たちを引き連れながらぼやいた。

 この7年で、フォセッタは劇的な身分の変化を迎えていた。

 “母親”となったのだ。

 もちろん遺伝子的な意味での繋がりは無いのだが、太陽系から運ばれ、この恒星系で目覚めた彼らにとって、フォセッタはまごうことなき母親であった。

 胎児の状態で運ばれ、まず第一陣として覚醒させられた男女10人の子供たちは、フォセッタもスキッパーもサティも、大いにヒヤヒヤさせながらもすくすくと成長し、今や6歳となっていた。

 他の子どもというものを知らないので確かではないが、おそらく優秀で善良で健康なのだとは思う。

 そして信じられないくらい元気だ。


「お~い! そんなに焦って走るところぶ――ゲフッ」

「ママ~!」


 「――転ぶぞ」と言い終える前に、フォセッタは加減をしらずに抱き着いてきた遺伝子的な意味でのユリノ艦長の甥、レイジロの頭突きを腹に食らい絶息した。

 よく見れば目元に面影がある。

 レイジロの両親の事を知った時、フォセッタはもちろん驚いた。

 どうやら彼の母親であるレイカ艦長とその夫は、どういった経過かは分からないが、発進前の〈アクシヲン三世〉に息子の受精卵を乗せておいたらしい。

 その事実を知り、フォセッタは土星での〈じんりゅう〉にまつわる出来事の、残る謎について大いに腑に落ちた。

 そもそもなぜ〈じんりゅう〉は土星圏に来て、なぜ〈アクシヲン三世〉を救うことになったのか?

 すべては母のなせる業だったのかも知れない。

 母をはじめた今なら理解できる気がした。

 なにしろ母親の人格が保存されているはずのオリジナルUVDが〈アクシヲン三世〉に搭載され、今も我が子を見守っているのだから。

 フォセッタは大いに感嘆した。が、それももう昔の話だ。

 フォセッタは一瞬の回想から我に返ると、レイジロに続き、次々と歓声と共に襲い来る子供たちのタックルを食らい、たまらずあお向けに砂浜にダウンした。



『こらこら~! みんな加減して抱き着かないと、いつかお母さんに受け止めてもらえなくなっちゃいますよぉ~』


 砂浜の彼方の水面から、サティがぬぼ~っと姿を現しながら、フォセッタにたかる子供たちを窘めると、彼らは「わ~んごめんなさ~い!」と散らばっていった。


「こら……お前たち…………まずは……まずは準備運動だからな!」


 フォセッタは母親としての威厳を示そうと努めながら、どっこらしょと立ち上がった。

 子供たちはみな、フォセッタにとってはまぶしすぎる程の純真な瞳で、これからの水遊びに期待を膨らませている。

 フォセッタはすでに散々説明したストレッチの重要性を、実演しつつ再度説明しながら、しみじみとこれまでの出来事を思い出していた。


「よし! 具合悪くなったら言うんだぞ! 男子も女子も意地悪もケンカも禁止! オシッコはトイレですること! サティ・スライダーは順番を守って仲良くやること!」

「はい! ママ! サティ・スライダーってなんですか?」


 足踏みして許可を待つ子供たちに、フォセッタは最後の説明をすると、当然の質問が返ってきた。


「それはなぁ……」


 フォセッタはここぞとばかりに意地悪く答えるのをためた。

 翻弄されてばかりだが、たまには母親の威厳を見せつけねば……と。


「サティ~!」

『お任せください!』


 フォセッタは水面へと向かってダッシュすると、待ち受けるサティに飛び込み、サティ・スライダーのなんたるかを悲鳴っぽい嬌声とともに披露して見せた。


「これがサティ・スライダーだ! さぁお前たち! さっさと飛び込め、思う存分遊ぶが良いぞ!」


 驚いて声も出なかった子供たちに、そう言いながら水面から手招きすると、子供たちは一瞬遅れてから次々とサティに飛びついていった。

 たちまち子供たちの歓声がビーチに響いた。

 サティは子供たちを優しく受け止めては、触腕製滑り台でエレガントに海に降下させていく。

 子供たちは生まれて初めての体験に、瞬時にして夢中になっていた。

 その光景からは、故郷をグォイドにおわれ、故郷を知らぬままこんな遥か遠方の星に連れてこられたなどという事実は、微塵も感じられなかった。


「よっこらせっと……」

[好評みたいで良かったですねフォセッタ]


 砂浜に上がり、遊びまくる子供たち見ながら座り込んだフォセッタの隣に、スキッパーが腰を下ろしながら話しかけた。


『いやはや……怖い~! やらない~! って言われなくてほっとしましたよワタクシ』


 フォセッタの反対側に、セーラー服姿の半透明の少女の姿となったサティの触腕が、サティ・スライダー本体から伸びてきて座りながら告げた。

 サティの触腕の人間への変装は、ここ数年でこの姿に限り大分上達し、見るに堪えるものとなっていた。


[……フォセッタ?]

『どこか具合でも悪いんですかぁ?』


 返事をしないフォセッタに、二人が話しかけた。

 フォセッタは二人へ答えることも忘れて、砂浜で遊ぶ子供たちに見入っていた。

 そして重ねていた。

 〈アクシヲン・ビーチ〉で、〈じんりゅう〉のクルーと遊んだあの日の光景と……。

 あれから100年以上経っているのに、今でも〈じんりゅう〉のクルー達はどうしているだろうか? と毎日思い出す。

 ちゃんと皆は、ケイジとの間に子供は設けられただろうか?

 少なくとも別れた直後の段階では、皆ケイジのことを好きだった……と、あまり使わない女の勘が無駄に囁いたのだが……

 当人たちは無理でも、孫たちと会える日は来ないだろうか?

 〈じんりゅう〉と別れた直後は、寂しくて死んでしまうかと思ったけれど、今はそのおかげで、子供たちを大切に思える気がしていた。

 〈じんりゅう〉と別れて以来、あの日の思い出を超える楽しい思い出など、もう来ないと思っていた。

 だが今日、今やっと楽しい思い出の記録は更新されたのだ。

 そしてこれからも更新し続けられることになるのだろう。

 だからフォセッタは目の前の光景を心に刻んでおこうと、何故か嬉しくて幸せなのに流れる涙を拭いながら、ずっと見つめ続けていた。
















































 ――その108年前――

◇――帰還開始30分後――


 ――〈じんりゅう〉艦尾主機関室――




 ケイジはとりあえずの〈じんりゅう〉帰還の目途がつくと、艦内の点検に回ることにした。

 土星圏での戦闘では右舷船体に大穴が開いたし、艦首もグシャグシャになってしまった。

 それらはヒューボによって十分な応急処置だされているはずであったが、唯一の生身のダメコン要因として確認する必要があると思ったのだ。

 だが、いざブリッジを出てみると、実際に向かったのは主機関室であった。

 ダメージを受けたわけでは無いので後回しでも良いはずであったが、自分でも意識しない間に機関長としての責任感が働いたのか、もしくは新たなオリジナルUVDが気になったのか、気が付くと主機関室に足を踏み入れていた。

 最後に訪れた時は、【ザ・ウォール】上横たわる残骸としての〈じんりゅう〉主機関室であり、そこにはサティの亡骸と思しき塊があって驚いたものだ。

 だが、【ウォール・メイカー】によって生まれ変わった主機関室は、残骸だった時が嘘のように奇麗で整然としていた。

 そのあまりの奇麗さが、逆にこの〈じんりゅう〉が再生〈じんりゅう〉であることを実感させるのだった。

 そして主機関室の中心には、〈じんりゅう〉を再生させた張本人にあたる【ウォール・メイカー】のオリジナルUVDが横たわっていた。


「…………う~む」


 ケイジはそろりとオリジナルUVDの表面に手で触れてみた。

 もちろん何かがおきることはなかった。

 が、そのまま主機関室の奥に進もうとしたその時、ケイジは見えない壁に鼻をぶつけ、ぼよんと跳ね返されてひっくり返った。


「あいっ……った~っ!」


 そして思わず鼻を抑えながら身を起こすと、目の前にあった主機関室後ろ半分の景色が、水飴のように歪んだ。


『ヴぁぁ~ヴぁぁ~ヴぁヴぁヴぁっヴぁ……ぐええええ……ぐぇ……げぇ……げい……じざぁん……ケイジさん? ………あなたはケイジさん……ですね?』

「……サティ?」


 巨大なモンスターの雄たけびが、徐々に聞きなれた声に変化したことにケイジが思わず呼びかけると、目の前の歪んだ空間はさらにビクビクと反応しながら『そうだった~!』と叫んだ。

 他の何物でもないサティであった。


『あ……あ~……ケイジさん、たった今思い出しました。そうです! ワタクシはサティです! しばらく記憶喪失だったみたいで、ずっとここで自分は何者かだったか考え込んでました!』

「あぁ…………」


 ケイジは呆れ半分で「そうだったんだ……」と頷いた。

 確かに驚きはしたが、同時に心のどこかで、“こういうこともあるわな”と思っていたらしい。


『でもおかしいですね? ここ、いつの間にか奇麗になってませんか? ワタクシが最後に覚えている時ではちっちゃなグォイドが襲ってきたりして大変で……それで〈じんりゅう〉が墜落して……ワタクシ、そこから先のことの記憶がないです! どうしましょうケイジさん! 皆さんご無事ですか!?』


 サティは早口でまくし立てながら、前衛芸術めいた姿に変化しまくった。

 が、ケイジはすでに何となくだが何故サティがここにいるのかが分かったような気がした。

 【ザ・ウォール】への〈じんりゅう〉墜落時に、サティの身体は半分に千切れ、主機関室側にあった方のサティの肉体半分は、事実上死んだはずであった。

 その亡骸が、【ウォール・メイカー】通過時に〈じんりゅう〉ごと再生させられたのだ。

 〈じんりゅう〉墜落時点で途切れた記憶といい、他に説明がつかなかった。


「はは…………ははははは」

『ケイジさん?』


 ケイジはサティが怪訝そうに訊くのを無視して、いつしか大爆笑していた。

 これから帰還するまでの間、ユリノ艦長らと過ごすのに少し緊張していたのだが、これで少しは気が休まりそうだった。


『ケイジさ~ん、何か事情を知ってるんでしたら教えて下さいよぉ~』


 うねうねと身をよじりながら訪ねるサティに、ケイジは笑いながら、さてどう説明したもんだかと悩んだ。

 話せばとてもとても長くなる。

 そしてついでに言えば、常日頃から『繁殖できる人間の方がうらやましい』とのたまうサティに「お前さん、繁殖かどうかはわからんけど、二人に分裂できたよ」と伝えるべきか否か悩んだ。




                                           EP4 了

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