▼第十一章 『アップ・ライジング』 ♯4


 ケイジはかつてない程の全速力で、〈びゃくりゅう〉艦内を艦尾主機関室からバトル・ブリッジに向かって走っていた。

 スキッパーによる実況で、アヴィティラと【ウォール・メイカー】の異星AIとの交渉が難航していることが分かった時、ケイジはもういてもたってもいられなくなったのだ。

 とはいえ、正式に任命されたわけではない身であっても、勝手に主機関室を離れることを躊躇いもした。

 そのケイジの背中を押したのはサティであった。

 『行ってください、ケイジさん!』と、主機関室でオリジナルUVDを固定しながら、【ANESYS】による【ウォール・メイカー】AIとのコンタクトに参加していた彼女がそう言ってくれた。


「いや……だけど……」


 ケイジはそれでも躊躇した。

 オリジナルUVDをサティに支えさせると言い出した自分が、この場を離れることなど許されるのだろうか、と。

 だが、そんなケイジに対し『行け~! 行かんか~! ケイジさん!!』とサティがかつてない程の剣幕でケイジに怒鳴り、ケイジは食われるかと思う程圧倒され、やっと主機関室を出て、装甲宇宙服ハードスーツ姿でドカドカとバトル・ブリッジへ向かって走り出したのであった。

 〈じんりゅう〉に比して艦尾がおデブ・・・な〈びゃくりゅう〉の艦尾主機関室からバトル・ブリッジまでの道のりは、恐ろしく遠く感じられた。

 フォセッタ中佐のとんでもない提案を聞いたのはその最中であった。

 言っていること自体は、理屈は通っている気がした。

 それに実際問題、残された選択肢の中では最も妥当であるとも思えた。

 【ザ・ウォール】脱出後の〈じんりゅう〉クルーの身の振り方については、事実上、内太陽系人類圏への帰還を目指すか、太陽系外の深宇宙へと脱出するかの二択しかない。

 だが前者を選ぶ場合は、当然後者を選ぶ〈アクシヲン三世〉から出ていかねばならず、〈アクシヲン三世〉に積まれたシャトルなどに乗って向かった場合、無事にグォイドの制宙圏を抜け、内太陽系の人類圏にたどり着ける可能性は限りなくゼロに近かった。

 だから理屈で言えばフォセッタ中佐の意見に賛同せざるを得ない、とケイジは思っていた……はずだったのだが…………。

 フォセッタ中佐が恐ろしくしどろもどろになりながら告げる内容が、段々と予想外の方向に行くにつれ、ケイジは血相を変えバトル・ブリッジへと急いだ。


「……彼とアンタ達でまず第一世代の子を産めば良いさ! 

 自分だってケイジ三曹がいてくれれば、婿探しが楽で良い!」


 ――今、なんと!?――


「ど~せ常識的結婚制度に基づいた子孫繁栄なんて望んでる場合じゃ無いんだ!

 めんどくさいこと考えずに、素直になってケイジ三曹と子を作れば良いじゃないか!?」


 ――それってつまり……


「だから自分達と一緒に――」

「ちょ~っと待った~!!」


 ケイジは物理限界に近いタイムで200m近く離れた主機関室からバトル・ブリッジにたどり着くと、盛大にスリップしてブリッジの入り口を通り過ぎそうになりながら、裏返った声で叫んだ。

 フォセッタ中佐は突然飛び込んできたケイジに「きゃっ」と飛び上がりそうになる程驚き、シートベルトに阻まれシートの座面に跳ね返って戻された。

 と同時に、それまで微振動と共に〈アクシヲン三世〉を離陸させようとしていたロケットの噴射時間が限界をむかえ、燃焼終了直前に切り離された約200本もの離陸用ロケットが、〈アクシヲン三世〉船体側面から放射状に飛び去っていった。

 艦首をわずかに上げ、離陸しようとしていた〈アクシヲン三世〉は、軽いGの軽減をケイジに感じさせながら再びアウター外側・ウォールへゆっくりと沈みこみはじめた。

 これでもう〈アクシヲン三世〉が独力でバニシング・ポイント到達前に離陸するのは不可能となった。

 【ザ・ウォール】の材料として【ウォール・メイカー】に分解される運命から逃れられる希望があるとしたら、本格的に【ウォール・メイカー】AIの命題に答え、彼(もしくは彼女)の力を借りることしかなくなってしまった。


「…………」


 フォセッタ中佐はその事実を噛み締めたのか、一瞬で真っ赤だった顔を青ざめさせると、新たに決意を固めたのか、わざとらしい咳払いと共に、ケイジに額に脂汗を浮かべながら向き直った。


「なんだ……ケイジ三曹か! 時間が無い! 丁度良いところに来た……アンタからも言ってやってくれ!」

「…………」


 こちらの心中お構いなしでそう言ってくるフォセッタ中佐に対し、全力疾走直後のケイジは,気は焦れども呼吸と鼓動を整えるのに精いっぱいで、しばし返事どころではなかった。

 ケイジは辛うじてハンドサインでT(ちょっとまってタイム)としめすことしかできなかった。

 しかし……、


「ケイジ三曹よ……焦らせるつもりはないが、残り時間はあまり無いんだ!

 三曹も健康な若き男だろう!

 子孫繁栄に際して、自分が言うのもなんだが〈じんりゅう〉の見目麗しくうら若きクルーを交配相手として選べることに、不平不満などあるわけがなかろう!

 全員と子をこさえてくれると嬉しいが、うち何人かを腹ましてくれるだけでもかまわん。

 最悪、自分が相手になるしな。

 クローニングや人工授精施設はこの艦に一そろいあるが、自然な方法の方が、遺伝的なタフネスさや揺らぎが培われてありがたい!

 もちろん今すぐにというわけじゃないぞ!

 無事ここを脱出して、都合のいい惑星に着く見込みがついてからで構わない、いつになるかは分からんが……でも予行演習くらいなら――」

「だ~!! だ……か……ら……ちょっと待って下さいってば中佐!」

「…………」


 やっと復活したケイジの剣幕に、今度はフォセッタ中佐が一瞬沈黙した。

 だが一瞬だけだった。


「なんだ……ひょっとして………………【キルスティ指令プロトコル】のことを気にしてるのか?

 気にするな気にするな! どうせ太陽系の人類文明圏から離れるのだし、子孫繁栄は全てに優先される、だろう?」

「だろう……って………」


 ケイジは顔を耳まで真っ赤にしながら、ようやくそれだけ言葉を返すことができた。

 今気が付いたが、このとんでもない提案をしているフォセッタ中佐自身も再び顔が真っ赤になっていた。

 ケイジは頭に血流が行きすぎて、一瞬今の状況と、自分が何故バトル・ブリッジまで駆け付けたのかが思い出せなくなりそうだった。


「だ~か~ら~!

 なんで今の話が『人類が、グォイドと同等かそれ以上に、この宇宙で繁栄するに値する存在であることを示せ』っていう【ウォール・メイカー】の命題に対する答えなんですか~!」


 ケイジはようやく最初に言いたかったことを一気に告げると、ゼ~ハ~と肩で息をした。





 ――バニシング・ポイント到達まであと二分――





 フォセッタ中佐はケイジが不穏に感じるほどの沈黙の後に続けた。


「それは…………だな!

 我々人類もこうして太陽系外へ進出し、繁栄繁殖を試みていることを示すことで、少なくともグォイドと同等に宇宙に繁栄する能力があることを証明しようと……だなぁ……」


 フォセッタ中佐はケイジの問いに対し、あからさまにしどろもどろになりながら答えた。


「な! ……」

[フォセッタはキャピタンに言えと言われたことを言っているだけなのですケイジ三曹、あまり問い詰めないで下さい]


 思わず「なんじゃそりゃ!?」と言いそうになったケイジに、スキッパーが諭すように告げた。


「自分だって……こんな話は時と場所を選びたいわい!」


 フォセッタ中佐が少し泣きそうになりながら喚いた。

 どうやら彼女自身も、自分の発言に対して大いに疑問は抱いてはいるようだった。

 今ケイジ達〈じんりゅう〉クルーを〈アクシヲン三世〉のクルーにスカウトしたところで、【ウォール・メイカー】の命題への回答になるとは思えなかった。

 少なくとそうなる理屈はケイジには分からなかった。

 すでに外宇宙での進出と繁栄をわずかでも成し遂げているならばともかく、少なくとも今はまだ試みているだけの状態なのだから。

 フォセッタ中佐の口から言わせたというキャピタンは、いったい何を考えて彼女にそうさせたというのだろうか?

 ケイジ是非は尋ねたい気分だった。

 が、訪ねられたのはケイジの方だった。


「その……ケイジは…………いやなのか? この艦のクルーになって、子孫繁栄に努めるのは……」

「ッ! …………いや……それは……」


 ケイジは瞬間的に答えようとして、途中で慌ててやめた。

 猛烈な視線を感じたのだ。

 本能的にケイジはバトル・ブリッジ内を見回した。

 もちろん、ユリノ艦長は瞑目して【ANESYS】へと統合中であったし、他のクルーも目を瞑り、あるいはケイジに背を向けて座っている。

 だが見られている……ケイジは直感した。

 今、【ANESYS】のアヴィティラ化身はブリッジには投影されてはいないが、それでも彼女は【ウォール・メイカー】の異星AIと交渉しながらも、こちらにも気を配っているに違いなかった。


「い……嫌じゃないですよ中佐! その……皆と一緒にいるのは……」

「……ってことは好きなのだろう?」

「いや好きですけども! ……そうじゃなくて!」


 ケイジは必死に訴えた。

 冷静さに努めてもどうしても顔が熱くなるのを感じながら。

 今にして思えば、こんな質問がいつの日か来ることを予感していたような気もした。


「な~ら問題ないではないか!?」

「いや……でも…………でも仮に俺や皆がこの艦で太陽系外に出ていくことを了承しても、まずここから飛び立てなきゃ意味がないでしょう!?」

「じゃぁ、三曹は何か思いつくのか? 異星AIの命題に対する回答を」


 フォセッタ中佐はケイジの意見に、焦りはすれども、責めるような口調ではなく、ただ理路整然と問うてきた。

 だがそれでもケイジには充分であった。

 代案無しに人の意見を否定するのは、ケイジの主義に反したからだ。


「いや……でも……俺は……」


 ケイジは必死で考えた。

 何かを言おう、やろう、伝えよう、そう思い立ってバトル・ブリッジに駆け付けてきたはずだった。

 が、いざここに到着してみると、自分は何を言いたかったのか、まるで夢の中の出来事のように不可思議な程に思い出せなかった。

 ただケイジは【ウォール・メイカー】のAIが出した命題自体に、漠然とした違和感や忌避を覚えた気がする。



――『人類が、グォイドと同等かそれ以上に、この宇宙で繁栄するに値する存在であることを示せ』――




 確かに、宇宙での繁殖繁栄に特化して進化したグォイドに比べ、人類は宇宙で生きるにはあまりにも幼く貧弱な存在だった。

 アヴィティラやキャピタンが上手く答えられないのも、論理的帰結として、そうとしか考えられないからなのだろう。

 だが……だけど……それでも……ケイジは思わずはいられなかった。


「俺は…………………………違うと思います! 


 グォイドに比して、人間が宇宙で繁栄するに値する存在かですって!?

 そんなの人類の方に決まっていると思う!」

 ケイジは拳を握りしめながら、手探り状態でともかく語りだした。


「…………そりゃ宇宙でのサバイバビリティだの、繁栄する能力なんかはグォイドに比べて現段階では劣るところは認めないでもないけど…………。

 でも……………………でも、俺は断然人類の方に……いや人類にだって……充分以上に宇宙で生きる価値も資格もあると思います!

 だって…………」


 そこまで言うと、ケイジはフォセッタ中佐とスキッパーの期待のこもった刺すような視線を感じた。


「……だって…………俺はグォイドみたいになりたいだなんて思わないもの………………。

 いくら宇宙に進出して生き延びれるって言われても、俺はグォイドみたいな存在になりたいとはちっとも思わない!

 そうでしょ!?」


 ケイジは半ばヤケクソ気味に叫んだが、フォセッタ中佐は目を丸くするだけだった。

 ケイジはくじけずに必死に続けた。


「俺は…………色々不満はあるけれど、自分が人間であることにけっこう満足してます。

 少なくともグォイドに生まれなくて良かったって思ってます!

 だって人間に生まれたから、美味しいもの食べて喜んだり、面白い映画見て感動したり、皆とビーチで遊んで楽しかったって思えるんですよ!」


 ケイジは思い出していた。

 まず〈アクシヲン・ビーチ〉で皆と遊んだ思い出を鮮明に思い浮かべ……それから木星での騒動直後の【サティの謀反事件】のことを……。

 それから半年前、木星近傍の激戦の最中、初めて出会った二代目〈じんりゅう〉の雄姿と、そのことへの喜びと、そのことで得た勇気を。

 それから〈じんりゅう〉クルーと過ごした楽しさや幸せを感じた日々の思い出を。

 もしその思い出がなければ、自分は【テルモピュレー集団クラスター】での決戦時に、わが身を犠牲にしてでも換装したオリジナルUVDを起動させる勇気は沸かなかったかもしれない。

 木星での戦いだってそうだ。

 サティと出会い、二度と味わいたくない苦労を散々してきたけれど、それでも苦難を潜り抜けてこれたのは、彼女達との出会いと思い出があったからだ。

 ケイジはそれに価値があると信じていた。

 命題を聞いた次の瞬間には、そう思っていたのだ。


「デザートや料理作って、食べて美味しいと思ったり、そう言ってもらえて嬉しかったり……皆でアニエや映画見て一緒に感動したり、プラモ作ったり漫画読んだり……音楽聞いたり歌を歌ったり…………。

 もちろん、悲しいことも、怖かったり嫌だったり怒ったりすることも沢山あるけれど、そういう気持ちもあって、それでも幸せな気分を味わえるよう頑張って……。

 そういう色々な気持ちには、価値があると思う!

 ただ目蔵めっぽうに宇宙で増え広がる連中よりも、宇宙で広まる価値があるって俺は思います!」


 ケイジは緊張と興奮と恥ずかしさで思わず目を瞑り、カタカタと震えながらも続けた。


「宇宙で生きる代わりにそれらの気持ちを捨てろって言われても、きっと俺は断ると思う!

 そりゃ死にたくないし、滅びたくないけれど、俺は気持ちを持ったままで生き延びる努力を最後までする! 絶対にする! あきらめない!」


 ケイジは多少の支離滅裂など無視して言い切った。

 言っていることとは裏腹に、『もういっそ殺してくれ!』と思いながら…………。

 ケイジが言い終わると、ここは真空宇宙空間なのか!? と思える程の、耳が痛くなりそうな静けさがバトル・ブリッジを包んだ。


 ――ああ……これはダメっぽい……――


 心にも無い出まかせを言ったつもりは無かった、割と本気で信じていたことを話したつもりだった。

 が、それが通じる程には現実は甘くはなかったようだ。

 ましてや相手は異星AIで、この太陽系を作り、間接的に人類を生み出したような途方もない連中なのだ。

 ケイジはクルーの皆に、貴重な時間を奪って申し訳ないと思いながら……恐る恐る閉じていた目を開けた。


「…………」


 目の前に、久しぶりに見るアヴィティラ化身が漂っていた。

 より正確に言えば、互いの鼻が触れそうなほどの近くに、立った状態で彼女がホロ投影されていた。

 まるで水中にいるかのごとく、虹色の長い髪を漂わせながら、彼女はじっとケイジを見つめていた。

 ケイジは思わず目を奪われた。

 彼女があまりにも神秘的で、美しく、光り輝いていて、そしてとても彼女の視線に熱を感じ、惹き込まれそうになったからだ。

 一体彼女は何故いきなり現れたのか?

 もちろんケイジには皆目わからず、ただ彼女の姿に圧倒されて言葉が出てこなかった。

 彼女はケイジと目が合うと、そのまま両手をケイジの頬の重ねるように伸ばして接近し、顔をわずかに傾けながら近づけると目を閉じた。

 その瞬間、ケイジは彼女間違いなくホログラムであるはずなのに、確かに唇に花びらが触れたかのような淡い感触を覚えた。


 ――キ……ス? ――


「凄い……」

[おやまぁ……]


 呆れ驚くフォセッタ中佐とスキッパーの声を微かに聞きながら、ケイジは自分が彼女に何をされているのか理解するのに数秒かかった。

 そしてその間、彼女は離れなかった。

 永遠とも思える数秒間が経ち、ようやく彼女が顔を離すと、アヴィティラは潤んだ瞳でケイジを見つめたまま、桜吹雪のような粒子となって消えていった。

 ケイジは思わずそのまま床にへたり込んだ。



 ――バニシング・ポイント到達まで残り45秒――



「…………なんだったんだ……?」


 ケイジの疑問を代弁するかのようにフォセッタ中佐が呟いた。

 メイン・ビュワーには、迫る【ウォール・メイカー】が光の水平線となって見えていた。

 もう時間が無いのに、こんなことに時間を費やして良かったのだろうか?

 ケイジはそう思わずにはいられなかった。

 しかし……、


[…………どうやらアヴィティラは何かしらの答えに達したようです……]


 スキッパーが彼にしては興奮気味に告げた。


「どんな答だって!?」

[それが…………アヴィティラは〈アクシヲン三世〉および〈びゃくりゅう〉の所有する全メモリ内の全データ、ならびに【ANESYS】中のクルーの記憶の全てを、艦の有する全通信機器を用いて【ウォール・メイカー】に送信し始めたようです]

「…………なんだって?」


 ケイジもそう訊き返すフォセッタ中佐同様、すぐにはスキッパーの言っている意味が分からなかった。


[…………どうやらアヴィティラは、自分達がもつ全てのデータ……すなわち人類が有する有史以来の全歴史、国家機密やSSDFの技術データはもちろん、所持している個人の私的記憶にいたるまでの全てを【ウォール・メイカー】に開示することで、彼からの命題の答えとしたようです]

「…………」


 ケイジは再びフォセッタ中佐同様絶句した。

 データ送信の有無は、ぱっとバトル・ブリッジ内を見ただけでは行っているのかいないのか分からないが、それが実行されているならば、相当に重大であることは分かる。

 例えばそれが、人類同士の戦争であったならば、敵国に自国の有する戦力や弱点の情報を渡すことにななりかねないからだ。

 だがアヴィティラはそうすることを選んだ。

 それも事によると、ついさっきの自分の発言が原因となってだ。

 ケイジはまた真っ青になった。


「……つまりアヴィティラは、人類という存在の全てを、我々が持っているありったけのデータを送ることで、あとは自分でこれ調べて判断しやがれ! ってことにしたわけか……?」

[その通りだと思われますフォセッタ]

「なんという大雑把な……」


 フォセッタ中佐は天を仰いで呆れた。

 ケイジもまったく同意見だった。

 だが、理屈は通ってはいたようにも思えた。。

 残り時間で実行可能な答えとしては、これ以上の選択肢があるとは思えなかった。


「……で【ウォール・メイカー】のAIの返事は!?」

[それよりもケイジ三曹、席について下さい。間もなくバニシング・ポイントです]


 フォセッタ中佐の問いに答えずスキッパーが告げた。

 もうタイムリミットだった。

 最後まで諦めないつもりだったが、できることを本当に全てやったのかについては自信がなかった。

 ケイジは慌ててバトル・ブリッジ内の機関コントロール席に着きながら思った。


[バニシング・ポイントまであと20秒……同時に艦尾7時方向よりトゥルーパー超小型・グォイド群、再接近中……]


 スキッパーが淡々と冷酷な現実を告げた。

 仮に無事【ウォール・メイカー】を通過できたとしても、無事には済みそうにない。

 ケイジにはこのシチュエーションで、何がどうなれば、自分達が生き残れるのか、まったく想像がつかなかった。

 だが同時に、緊張はすれども絶望はしていなかった。

 それがまだ自分が死ぬとは思っていないからなのかは分からなかったが。


[【ウォール・メイカー】手前に変化アリ。前方アウター《外側》ウォール表面に起伏の発生を確認]

「なっ!?」


 ケイジはフォセッタ中佐と共に訊き返えそうとしたが、言い終わる前に艦を襲った衝撃にかき消された。







 ――その数秒前――


「…………こんな答えで良かったの?」


 眼前にたたずむワタシと同じ姿をした彼女に、ワタシは最後にたずねた。


「何を言っているの、アナタ達が精いっぱい考えて出した答えじゃない、自信をもちなさい」

「…………それが出来ないのがワタシなの」


 【ウォール・メイカー】のAIに対し、ワタシは精いっぱいの皮肉を込めて答えた。

 【ウォール・メイカー】AIのアバターは「じゃまたね……」と告げると、教室から消え去った。

 ワタシはワタシの出せる精いっぱいの答えを彼女に提出したつもりだった。

 でも結果が望む通りかは分からない。

 出来るのは常に、思いつく限りの精いっぱいのことだけだ。

 ワタシはワタシに残された時間を最大限に使うべく、拳に手を重ねて祈った。








 【ANESYS】のような超高速情報処理能力などないケイジには、その瞬間を把握することなど不可能であったが、それがおきた後で把握することは可能であった。

 【ウォール・メイカー】の異星AIは、突然〈アクシヲン三世〉の前方に起伏を生み出した。

 確かにそうスキッパーは言った。

 自然現象であるわけがなく、行ったのは【ウォール・メイカー】意外には考えられない。

  

 ――起伏・・だと?――。


 いったいどれくらいの規模の起伏かまで聞く余裕はなかったが、【ザ・ウォール】の天文学的規模からいって、スキッパーの言った起伏というのもそれなりのサイズがあるに違いない。

 横幅は当然【ザ・ウォール】と同じ30万キロであるとして、前後幅も高さも、少なくともキロ単位はあるとみて間違いない。

 それが離陸しようとして失敗し、艦尾メインスラスターを必死に吹かしながら僅かに艦首を上げた状態でいる〈アクシヲン三世〉の前方から、秒速1000キロで到達したのだ。

 が、起伏は接近してきてはいるが、〈アクシヲン三世〉を張り付けているアウター外側・ウォールの地面が移動しているわけではない。

 あくまで〈アクシヲン三世〉に到達したのは緩やかな上下の高低差……つまり起伏……というより波であった。

 当然ながら、その速度で波が〈アクシヲン三世〉の艦底を通過した際に、全長6キロもある〈アクシヲン三世〉の船体が、波の動きに追随できるわけがなかった。

 〈アクシヲン三世〉は、到達した起伏の盛り上がり部分に持ち上げられたかと思うと、その上方向へ発生した慣性が消え去る前にやってきた谷部分に伴い、アウター外側・ウォールの地面が降下したことにより、張り付いていた地面と〈アクシヲン三世〉艦底部は瞬時にして無理やり引っぺがされた…………はずだ。

 つまり、気が付くと〈アクシヲン三世〉は散々苦労していたアウター外側・ウォールの地面から瞬時にして離陸し、上昇を開始していたのだ。

 そうケイジが理解した頃には、〈アクシヲン三世〉は離陸に成功したどころか【ウォール・メイカー】の上空を通過し終わっていた。

 ということは……ケイジは今更ながら理解した。

 アヴィティラは【ウォール・メイカー】AIの命題に、見事答えられたのだ! と。

 ケイジが艦尾方向を見たころには、すでに銀色のベルトの金具のような【ウォール・メイカー】から遠ざかっていくところであった。

 ケイジは思わず(今頃になって)歓声を上げそうになった。

 しかし、


[緊急回避運動に備えて下さい!]


 スキッパーの焦っている割に危機感の伝わらない声と同時に、〈アクシヲン三世〉がロール機動を行い、ケイジは必死に機関コントロール席で体を突っ張らせた。

 直後に、ブリッジ内の各方向の外景ビュワーを黒い影が通過した。

 ケイジはとても目で追いきれなかったが、それが何かはすぐに分かった。

 巨大な掌のような形となったトゥルーパー超小型・グォイドの群れが、〈アクシヲン三世〉に掴みかかったのだ。

 そして〈アクシヲン三世〉は、辛うじてその巨大な――トゥルーパー超小型・グォイド製の――指の間を潜り抜けたところなのだ。

 〈アクシヲン三世〉は間一髪バニシング・ポイントでの危機を脱した。

 が、危機から完全に脱出できたわけでは決してないのだ!

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