▼第七章  『土星(圏最果て)の人』 ♯2


 ――〈じんりゅう〉墜落10分前――。



 ルジーナはいつトゥルーパー超小型・グォイドと鉢合わせしないかとヒヤヒヤしながらも、なんとか〈じんりゅう〉艦尾底部格納内に辿り着くと、すぐさまそこに格納されているシャトル内に駆け込んだ。

 そして、まだ自分以外は誰もシャトルに辿り着いていないことに愕然とした。

 確かにバトルブリッジ組みは緊急脱出ボートに乗るという話だったとはえ、まさか自分一人だけとは思わなかった。

 ここまでの移動中はまったく生きた心地がしなかった。

 生きてるトゥルーパー超小型・グォイドにこそ遭遇しなかったが、道中にはケイジ三曹の行った作戦で破裂したトゥルーパー超小型・グォイドの死骸というか残骸がそこかしこにあったからだ。

 さらに艦内通信で響いてくる戦況からは、ろくでもない情報が次々と伝わって来ていた。

 どうしてもまさか誰も来ないんじゃ……という不吉な予感が心を過る。

 ルジーナはその予感を頭を振って払った。

 信じたくない事だが〈じんりゅう〉は沈み、クルーたる自分達は脱出することになってしまった。

 この故郷を遠く離れた敵本拠地の端っこで……。

 ルジーナははるか昔に思えるつい30分程前まで、途絶えて久しい内太陽系人類圏からのネット情報が途絶え、最新のニュースやマンガやアニメが届かないことに、も~死んでしまう~……などと思っていた自分を呪った。

 自分の趣味の心配なんぞしている場合じゃ無かった。

 ことは自分をはじめとしたクルーの命に関わっている。

 ならば、真っ先にシャトルに来てしまった自分には、真っ先に来てしまったからこそ、先にしておくべきことがあるはずだ、とルジーナは考えることにした。





 〈じんりゅう〉搭載・多用途有大気重力下往還艇シャトル・通称“スクールバス”は、UVキャパシタ技術が確立されて間も無い頃に開発され、幾度も改良を重ねられてきた旧式でありながらも同時に実績のある機体であった。

 機体下面を巨大なセミリフティングボディとしたデルタ翼の端は、艦載機としての格納性向上の為に折り畳み機構があり、機体中央上面には20人は優に座れるキャビン付きの胴体が盛り上がった姿は、スペースシャトルとしてはオーソドックスといえるフォルムをしていた。

 〈びゃくりゅう〉および初代〈じんりゅう〉の時代は、クルーの総数からこのスクールバスを艦尾上下の格納庫に計四機搭載することで、クルー全員分の脱出手段としていた。

 が、二代目〈じんりゅう〉ではクルー数が10名しかいないので一機しか搭載はしていない。

 外見上の最大の特徴は、コックピットのやや後部左右のストレーキ部に、左右計二基のベクタードスラスターが搭載されていることだ。

 スクールバスはこの機首側ベクタードと、主翼後縁全辺に設けられたメインベクタードスラスターを用いることにより、重力下での垂直離着陸VTOLを可能とする。

 フル装備状態の昇電と同等のサイズの大型の機体であったが、それでもサイズ的にUVD搭載は叶わず、UVキャパシタを用いたUVエネルギーで推進する。

 UVシールド無しでも地球や火星の大気圏突入が可能な耐熱ボディを持ち、また大気圏内では核融合ジェットエンジンに切り替え、理論上は無制限距離の飛行が可能であり、さらに取り込んだ大気からH2Oを抽出し推進剤に変換し蓄えることで、有大気惑星上からの上昇に限り、燃料補給を必要としない。

 つまりUVエネルギーとH2O燃料の両方で飛ぶことが可能なハイブリット機であった。

 スクールバスには武装は一切ついてはいないので戦闘は無理だが、〈じんりゅう〉クルーが艦から艦へ、宇宙ステーションへ、あるいは地球や月や火星に降りる時、もしくは沈む〈じんりゅう〉から脱出しなくてはならない時には、なくてはならない機体であった。

 もちろん、沈む母艦からの脱出に使うことなど、クルーの誰ひとりとして望んではいなかったが……。

 そして、今回の【ザ・ウォール】内での脱出においてスクールバスの有する様々な特異な機能が役立つことは、ほぼ無かった。








 ――アウター外側ウォール上空・高度5000m――シャトル〈じんりゅう〉よりの離艦から5秒後――。


「あれって……まさか……」

トゥルーパー超小型・グォイドだ~っ!!」


 夢か幻を疑うかのようなルジーナの呟きに、カオルコはすぐに反応した。

 が、わずかに遅かった。

 慌てて回避させようとしたシャトルの右主翼に、ドスンという衝撃が加わったかと思うと、シャトルは大きくバランスを崩しコントロールを失った。


「ひいいいいいぃぃいいいぃぃぃぃぃぃい~!!!!!!!!」


 たちまちきりもみ状態となったシャトルに、ルジーナが堪えようも無く悲鳴を上げる。

 カオルコは必死に操縦桿を操り、この危険で不快なスピンから立て直そうとしたが、瞬時に考え直した。

 機体右主翼に掴まったトゥルーパー超小型・グォイドが、主翼にドスドスと脚を突き刺しながら、翼端からコックピットに向かって移動しようとしていたからだ。

 まだトゥルーパー超小型・グォイドがコックピットまで辿り着いていないのは、きりもみによる遠心力に邪魔されてるからだ、

 今無理にシャトルの姿勢を直したら、すぐにコックピットまで奴が来てしまう。

 だからカオルコは瞬時に決断した。

 操縦桿を大きく傾け、トゥルーパー超小型・グォイドを遠心力で吹っ飛ばすべく、きりもみ状態の機体をさらに積極的にロール起動させたのだ。


「ひぃぃぃ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぅ~!!」


 不快な遠心力Gが激増するなか、隣でルジーナが盛大に悲鳴を上げたが、カオルコには逆に悲鳴を上げる余裕があるんだ……と思えた。


「落ちろ~! この無賃乗客め~!!」


 カオルコは叫びながらロールを加速させた。

 そうしながら機首を上げ、推力最大でアウター外側ウォールへの落下速度を減じようと努めた。

 だが、いつまでもこの状況でいるわけにはいかない。

 遠心力でトゥルーパー超小型・グォイドの掴まる右主翼が千切れる可能性があったし、正しい姿勢でなければアウター外側ウォールへの安全な着陸は望めない。

 なによりトゥルーパー超小型・グォイドなどという重量物にひっつかまれていては、減速が出来ない。

 カオルコはギシギシという不吉な音が機体右方向から響き始めたのに気づいたが、どうすることもできなかった。

 カオルコは祈るしかなかった。

 ――翼よもってくれ! と。

 だが願いは聞き届けられなかった。 

 バキンという絶望的な音と共に、翼端がとうとう破断したことがハッキリと分かった。

 と同時に、きりもみ回転の軸の位置がずれ、曰く言い難い不快なGがカオルコとルジーナを襲う。


「しょしょしょしょ少佐ぁっ! ヤツが!」


 機体右方向に半強制的に首を捻らされながらルジーナが叫んだ。

 カオルコもすぐにルジーナの言わんとすることが分かった。

 シャトルの右主翼の端は千切れたが、同時に翼端に掴まっていたトゥルーパー超小型・グォイドも遠心力でいずこかへ吹っ飛んだのだ。

 ならば次にすべきことは決まっていた。

 カオルコはこの不快なきりもみ回転状態を、カウンタースラストを吹かすことで止めると、機首を上げたまま落下速度を落とすべくメインスラスターの噴射を最大にした。

 翼端は千切れ飛んだが、それは格納用折り畳み機構部から先の部分であった。

 燃料槽などが内蔵されているわけでもなく、多少機体重量バランスが崩れはしたが、真空中故に空力的不具合がおきることもなかった。

 だからカオルコはただひたすら機首上げ状態でスラスターを全力噴射し、落下速度の減速に努めるだけで良かった。

 問題は現在の高度と落下速度が、残りのUVエネルギーで足りるかであった。


「カオルコ少佐ぁ……ワタシらこのまま死んじゃう感じデスかぁ!?」

「…………さぁ」


 コックピット内のありとあらゆる警告アラームが響くなか、機体の振動に合わせてビブラートがかかったルジーナの声に、カオルコは正直に答えた。

 その直後、推進用UVエネルギーが切れた。

 ここが地球や火星であったならば、シャトルは大気を利用して減速する能力があったのだが、重力があれども真空なアウター外側ウォール上空では、もう減速する手段は残っていなかった。

 ここから先、カオルコとルジーナに出来ることは何もなかった。

 カオルコはついさっきトゥルーパー超小型・グォイドとの戦いで、死の危険を寸前でかわしてきたばかりなのに、ここまで来て自分が死ぬとはいまいち信じられなかった。


 ――クインティルラやフォムフォムだったら、もっと上手く操縦できたのであろうか? ……


 カオルコがふとそう思った直後、眼前のコックピットのコンソールからエアバックが爆発するかのうように膨らんだ。

 それと同時に、カオルコは背中から蹴っ飛ばされたような急減速Gと共に頭からそれに突っ込み、そのまま襲い続けるこの世の終わりのような衝撃とGに、数分間まったく身動きができなくなり、やがて思考がホワイトアウトした。






 結果から言えばカオルコもルジーナも死ななかった。

 精神的なダメージはさておき、怪我も無かった。

 なぜ自分らが無事であったのかは、コックピット内で気がついてすぐ、アウター外側ウォール上に無事着陸脚を出した状態で停止していたシャトル内から、周辺の状況を調べてみた結果すぐに分かった。

 シャトルの数キロ後方に、スポンジで出来た崩れかけの巨大ピラミッドがそびえていたからだ。

 そのピラミッドは見ている最中からみるみる気化し、崩れていった。

 カオルコとルジーナが、それが緊急着陸に備え、ノォバ・チーフがシャトルの底部に装備させておいた緊急発砲緩衝剤製のアブソーバ・クッションであると理解するのには、さして時間はかからなかった。

 燃料切れで自由落下したシャトルだったが、自動で機体前方に射出されたそのアブソーバ・クッションが、着陸時の衝撃をやわらげてくれたのだろう。

 カオルコとルジーナはこの幸運をしばらくの間噛みしめると、まずシャトルの状態を確認した。

 右主翼が、格納用折り畳み機構のある先端三分の一部分から千切れている以外、これといった損傷故障は無かった。

 ただし、UVエネルギーもH20燃料も一切残ってはいなかった。

 つまりシャトルはもう飛び立つことは出来ない。

 UVキャパシタは空だったが、それを稼働させる為の核融合炉は生きているので、電気関係は問題無く使えたが、それだけだった。

 僅かでも燃料が残っていて、飛び立てずとも滑走ができたならば、他の手段で〈じんりゅう〉を脱出したクルーとの合流が楽になるかと思ったのだが、その望みは絶たれた。

 その脱出した他のクルーは、さらにアウター外側ウォール上の観測を続けた際にすぐに発見できた。

 気化して完全消滅したシャトル後方のピラミッドのさらにはるか後方、約100キロの彼方に、シャトルと同じくアブソーバ・クッションを用いて着陸していたと思しき〈じんりゅう〉脱出ポッドも確認することができたのだ。

 さらにシャトル前方170キロには、ユリノ艦長とミユミの乗った緊急脱出ボートも観測することができた。

 かなりの遠くと思える距離であったが、他に何も無い薄灰色のアウター外側ウォール上では、発見するのに苦労はなかった。

 こちらも件のアブソーバ・クッションのお陰で無事だったらしい。

 脱出ボートのさらに100キロ彼方には、着陸横転した〈じんりゅう〉らしき物体も見えたが、こちらはシャトル内の観測機器ではそれ以上の詳細は分からなかった。

 ただ〈じんりゅう〉が着陸したはずの位置にそれらしき物体があり、さらにその周辺には、謎の高さ数百メートルの塔が、斜めだったり倒れた状態で、半径100キロ近いエリア内で幾つもそびえていたことだ。

 カオルコらは〈じんりゅう〉内のサヲリとフィニィ、それとサティとエクスプリカのことがもちろん心配ではあったが、現状で出来ることは何もなく、まずシャトルの前後に落ちたクルーとの合流を優先した。

 問題は、発見した脱出ポッドと緊急脱出ボート内にいるはずの人間も無事かどうかであった。

 すぐにレーザー通信機を用いての交信の試みられたが、最初の一時間は何の反応もなく、カオルコとルジーナは大いに不安になった。

 レーザー通信というものが、その性質上、互いに交信の意思がないと成立しないという問題もあった。

 が、一番の理由は、シャトルよりも激しい着陸となったポッドとボート内の人間が、しばらく動けなかったからだろう。

 ともかく、レーザー通信の試みを開始してから約1時間後に、ポッドとボート両方から応答があった。

 そして〈じんりゅう〉から脱出したケイジ、シズ、ユリノ艦長、ミユミの四人が、すくなくとも肉体的には無事であることが確認できた。

 それは間違い無く一歩前進であった。

 が、同時に再会までの長い旅の始まりでもあった。






 ――脱出ポッド内――。


「まぁ……気が進まないだろうっては思ってました……」


 与圧を確認した上で、ぷはっとばかりにヘルメットを外したケイジは、同じくヘルメットを脱ぎ、エクスプリカのぬいぐるみを抱きしめたまま動かないシズ大尉に、自分自身も大いに気が進まないことを隠しながら告げた。

 脱出ポッドからシャトルまでの約100キロは徒歩で移動するしかない、と。

 どう考えても、シズ大尉はそういうのは得意そうではないな、とケイジにも分かっていた。

 が他に選択肢は無かった。

 シャトルにいるカオルコ少佐と連絡がつき、同時に緊急脱出ボートで着陸したユリノ艦長とミユミの無事を知った瞬間は安堵でとろけそうになったが、それぞれの距離を知った瞬間、一時の安堵感など吹き飛んだ。

 まずシャトルまでの100キロ強を移動せねばならない。

 自動車の類いは無いので、当然徒歩移動となるわけだが、問題はそれだけではなかった。

 地球と同等の疑似重力はあれど、真空であるアウター外側ウォール上では、ただ生きているだけでも色々と面倒がある。

 仮に徒歩で移動した場合、ここがたとえ地球上であったとしても、100キロの移動には何日もかかるはずだ。

 ましてやこの環境その場合、食糧が必要なのはもちろんのこと、呼吸用のエアの確保などが問題になってくる。

 トイレの問題もあるし、ケイジの場合は着ている装甲宇宙服ハードスーツの電池問題もある。

 ケイジは考えているだけで、顔から血の気がひいていくのが分かった。

 これらの問題に対処する為に、まずすべきこととは何だろうか?


「シズ大尉、お願いがあります!」


 しばし考え込んでいたケイジから突然声をかけられ、シズ大尉はビクリとした。


「脱出ポッドの電子マニュアルから、今のこの状況での対処の仕方を探してもらって良いですか!」

「…………」


 ケイジが脱出ポッドの内壁から、収納されていた手動充電も可能な省エネ・タブレットを取り出して渡されると、シズ大尉は否応も無く受けるしかなく、無言のまま検索を始めた。

 その一方で、ケイジはタブレットと同じ位置に収納されていた予備の書籍タイプの分厚いマニュアルを取り出し、同じくこの状況での対処方と、今いる脱出ポッド内にある物資のリストを探した。

 ケイジは最も確実で単純なことから始めることにしたのであった。

 結果はケイジがマニュアルの目次を見始めた頃にはもう出た。

 シズ大尉がもうタブレットから求める情報を探し出したのだ。

 ケイジは軽く驚きつつも、ずいと付きだされた画面を食い入るように見つめた。






      『脱出ポッドでのサバイバルマニュアル』


▼第七章・真空重力下に降下した場合


◆第三項・降下地点から移動しなくてはならない場合――――




◇脱出ポッドで月や木星衛星等の真空重力下に降下した場合は、基本的にポッド内で救助を待つことが望ましい。

 それは有大気重力下でも同じことが言えるが、真空無重力下ではさらに生命維持に必要な条件が厳しくなるからである。

 それでもポッド降下地点が危険である――救助が付近まで来ている――等の事情により脱出ポッドを離れなくてはならない場合は、以下の物を条件に応じて確保し、携行していかなくてはならない。


・呼吸用エアボンベの予備、あるはリサイクル装置

 地球に降下した場合を除き、呼吸用エアは補充、もしくはリサイクルしなくては生命の維持は不可能である。

 SSDFで使用している宇宙服は、二酸化炭素のフィルタリングとリサイクルにより最長16時間の呼吸を可能としているが、ポッドからの移動時間がそれを越える場合は、呼吸用エアボンベの予備、もしくはリサイクル装置による呼吸用エアの再利用が必要となってくる。

 短時間の移動で済む場合は、予備ボンベの携行だけですむが、予測される移動時間が長期になる場合は、呼吸用エア・リサイクル装置BARを携行して移動する必要がある。

 が、その重量からいってかなりの困難が予測される。


・バッテリー

 真空重力下に降下した場合、地上との接地面から熱が奪われていく為、ヒーター無しでの移動は凍死の危険がある。

 SSDFの宇宙服にはヒーターが装備されているが、真空重力下で生命維持できるバッテリーの電力維持時間は最長で30時間程しか無く、予測される移動時間に合わせたバッテリーを所持して行く必要がある。

 また装甲宇宙服ハードスーツを装着しての移動の場合も、真空環境下での関節部可動の為のパワーアシスト機能にバッテリーの確保が必要になってくる。

 さらに前述した呼吸用エア・リサイクル装置BARの稼働にもバッテリーが必要である。

 故に、移動する人数と時間に合わせた数だけ、一つ1キロ程の交換用多目的バッテリーを携行し移動せねばならない。

 なお脱出ポッド内には、12個の交換用バッテリーが積載されている。



・食糧および水

 当然ながら人間が最低限の移動パフォーマンスを発揮するのに、必要なだけの食糧を携行せねばならない。

 脱出ポッドには6名が三日間確実にパフォーマンスを発揮できるだけのカロリーバーと飲料水が搭載されているが、それを越える場合は節約と、水分のリサイクルが必要となってくる。

 水リサイクル装置はSSDF宇宙服に装備されているので、電力さえ確保できていればこれを使用することが可能である。


・太陽光発電パネル

 携行バッテリーでは必要電力が賄えない場合は、太陽光発電パネルを携行することで電力の確保が可能である。

 ただし、太陽系メインベルト以遠では太陽光発電パネルの発電効率が急激に低下する為、電力の確実の確保が望めない事態も予想される。


・耐真空用テント

 脱出ポッドには、真空環境化での長期移動と滞在に備え耐真空テントが搭載されている。

 これは呼吸用エアボンベとコンプレッサーを用いることで展張させ、内部に仮設トイレを含めた3m四方の1気圧空間を作り出すことが可能であり、またコンプレッサーを用いて再び折り畳むことが可能である。

 これを用いることで休息時の疲労回復の効率化が望めるが、これを持ち運ぶことによって不必要にリソースが割かれる場合は、無理に携行することは避けるべきである。



※基本的に真空無重力下に降下してしまった場合、被脱出者が生命維持可能な時間には諸条件により流動するものの、厳然とした限界が存在する。

 その限界時間は、ポッドから離れることで確実に短くなる。

 また、食糧と水分で賄える分を越える生命維持は、如何なる条件でも不可能である。

 しかも真空無重力下では、例え食糧に余裕があったとしても、電力の不足からヒーターが使えず凍死にいたる可能性が高いことを留意しておく必要がある。

 太陽電池パネルの発電が出来ない場合は、脱出ポッドに搭載されたバッテリー分の電力しか使用が出来ない為、被脱出者は使用可能電力の用途を熟慮する必要がある。




「おおぅ……」


 ケイジは読み進めていくうちに思わず呻いた。

 長々と色々書かれてはいるが、ようするにこれは“真空重力下に降下した脱出ポッドからは出るなよ~……絶~対に出るなよ~……と言っているようなものではないだろうか? そう思えてならなかった。

 だが、そんなこと言われても自分達は移動しなくてはならないことには変わりない。

 自分達の脱出ポッドは〈じんりゅう〉から一番離れた位置にいる。

 だからシャトル組のカオルコ少佐ルジーナ中尉の方から迎えに来てもらうわけにはいかない。

 そんなことしたら無駄な危険が増えるだけだ。

 まずケイジとシズ大尉がシャトルに向い、カオルコ少佐とルジーナ中尉を加えて緊急脱出ボートに向い、ユリノ艦長とミユミを咥えて着陸した〈じんりゅう〉に向かうというのが基本プランなのだ。

 ……と、ケイジが腕組みをして考え込む最中、タブレットがさっと傍らにいたシズ大尉にひったくられたかと思うと、すぐさま眼前に突き返された。

「?」

 シズ大尉に着き返されたタブレットの画面には、一種の計算アプリの結果が映されていた。


◆人数×2 内訳・軟式簡易宇宙服ソフティ・スーツ1名(♀13歳)、装甲宇宙服ハードスーツ1名(♂16歳)。

◆環境‐真空無重力

◇携行可能物資から導き出される徒歩での移動限界距離60キロ。

 生命維持可能限界時間‐120時間。





「これって……脱出ポッドから出たら、60キロまでしか移動できずに、約5日で俺ら死んじゃうってことですかぁ?」


 ケイジは素っ気なく出された数値に、今ひとつ現実感を覚えられずに尋ねた。

 シズ大尉はタブレットをケイジに渡しつつ、個人携帯端末SPADに俊足で文字を打ち込むと画面を見せた。



 ――計算では食糧や水が足りても、携行できるバッテリーでは電力が足りずに、その結果となるようなのです……シズの徒歩移動速度が遅いという問題もありますが……ごめんなさい――



「おおう……いや、謝ることぁないと思うんですが……」


 ケイジは慌ててそうシズ大尉に答えた。

 ケイジも懸念していたことだが、シズ大尉もまた自分が徒歩移動が不得手だと気にしていたらしい。

 だが仮にここにいるのが他のクルーであっても、計算結果に大した差はなさそうであった。

 シズ大尉が指摘した通り電力が足りないのだ。

 タブレットを使うくらいの電力であれば大したことは無いのだが、ヒーター、呼吸用エアのリサイクル、耐真空テントのコンプレッサー、そして装甲宇宙服ハードスーツを動かす為に電力がどうしても必要なのだ。

 太陽光発電パネル自体は、アルミホイルのように折り畳めて軽量なので携行に問題は無い……が、ここアウター外側ウォール上では、太陽から遠いうえにインナー《内側》ウォールが被さっていて、消費電力を上回る発電が出来ない可能性が高い。

 だからに基本的に電力は、携行可能な交換用バッテリーを持てるだけ持っていくしかない。

 脱出ポッドそのものにも大型バッテリーが搭載されているが、それは大きく重すぎて運ぶことは不可能だった。

 ケイジが装甲宇宙服ハードスーツを脱げば電力を減らせるという考えもあるが、ケイジには装甲宇宙服ハードスーツを脱いだら代わりに着るものがここには無いという問題があった上に、何より様々な携行必須物資を運ぶのに装甲宇宙服ハードスーツのパワーは不可欠であった。

 故に、結論として電力確保がなければシャトルまでの移動は不可能であった。

 仮にシズ大尉の歩行速度を基準にして、1日8時間の移動で計算してみた場合、最低でも6日間はシャトルまでにかかることになる……がその1日前に、二人は電力不足が原因で、恐らくは凍死することになる。

 ちなみに、大型バッテリーがある脱出ポッドにこもれば、1カ月は生存が可能だという。

 ケイジは宇宙でよく遭遇する、正確過ぎる未来予測にぶち当たったことを実感した。

 真空無重力の宇宙では、ノイズとなる要素が少ない為に、この種の未来は計算で正確に導き出され過ぎてしまうのだ。

 アウター外側ウォールは真空ではあっても約1Gの疑似重力があったが、人間にとっては限り無く平面に近く障害物の全くないこの場所でも、未来予測はかなりの正確性があるとケイジには思えた。

 この結論に対し、ケイジがとりあえず行えることは一つだけであった。

 シャトルにいるカオルコ少佐らに相談したのである。



 相談後、シャトル組からの返答は割とすぐに来た。

 答えは『こっちから迎えをよこすから、気にせず来れるところまで来い!』というものであった。

 もちろんケイジは“迎え”って誰ですか? とすぐに尋ねた。

 シャトルからカオルコ少佐やルジーナ中尉が来てしまったら、意味が無いからだ。

 危険なめにあう人数が増えるだけである。

 だが、返って来た答えはそのどちらでもなく、そしてとても納得のいく答であった。

 だからケイジは心おきなく……もちろん多少の不安はあったが、可能な限りの準備を整え、この人類未踏の場所の大移動を始めることにした。

 問題は携行しなければならない物資の数々をいかにして、少しでも運びやすくするかであった。

 背負って運ぶにはあまりにも多く、重い。

 だがこの問題について、ケイジは割と楽観的であった。

 筋力に自信があったからとかいうわけではない。

 こういう問題について、〈じんりゅう〉とその脱出ポッドを開発したノォバ・チーフならば、きっと何か用意してあるだろうという直感があったからだ。





 ――それから半日後――。


 休息と準備を整えるのに6時間程かけ、ケイジ達はいよいよ脱出ポッドからの移動を開始した。


「この一歩は俺にとってはただの一歩だが……人類にとっては……」


 ケイジはアウター外側ウォール降り立って散々準備した後になって、今さらのごとく呟いてみたが、途中で虚しくなってやめた。

 アウター外側ウォールの表面は、装甲宇宙服ハードスーツの靴底で踏みしめる限り、薄く雪の降り積もった硬く凍った湖面のようであった。

 アウター外側ウォールは薄さが1ミリも無い極薄の膜のはずであったが、ひと一人の体重ごときでは踏みしめても微動だにしないらしい。

 薄く積っているのは、氷混じりのレゴリスのようだった。

 弱々しい太陽光に照らされた視界一杯の、恐ろしく平たいアウター外側ウォールの表面は、なんとなく白夜の地球の極点を連想させた。

 もちろん人生において初めて見る光景であったし、人類にとっても〈じんりゅう〉クルーが初だろう。

 だがケイジは人類初という響きに、今はちっともありがたみは感じなかった。

 ケイジは必要物資を満載したリアカーのコの字型の持ち手の間に入ると、隣にシズ大尉も入ってきた。


「じゃ、準備は良いですか?」


 ケイジの問いに、シズ大尉はコクコクと頷いた。

 二人揃って眼前にきた横棒を握りしめる。

 ノォバ・チーフは、多くの物資を運びながら、真空重力下を移動せねばならない時の策を、実に単純かつ確実な手段でちゃんと用意していた。

 折り畳み式リアカーが、脱出ポッドの床下に他の物資と共に収納されていたのである。

 ケイジは組みたてたリアカーに、エアボンベ、水、食糧、バッテリー、呼吸用エア・リサイクル装置BAR、耐真空用テント、レーザー通信機、救急キットに保温ブランケット等々を積みこむと、入念に忘れ物が無いか確認した。

 一瞬忘れたか!? ……と思ったモコモコのエクスプリカののぬいぐるみは、リュックサック状態となってシズ大尉の背中に背負われており、ケイジは思わず安堵のため息をついた。


「じゃ………………出発進行しましょう!」


 二人でリアカーを押し始める。

 目的地は100キロ彼方のシャトル、だがそれは長い旅の3分の1ですらない。

 しかもカオルコ少佐のよこすという“迎え”がこなければ、待っているのは死だ。

 だがケイジは、自分でも不思議な程に楽観し、まだ希望を捨ててはいなかった。

 きっと大丈夫だと。

 それはやはり、彼女たちの【ANESYS】とオリジナルUVDが導き出した“例の場所”に行けばなんとかなるという答を、信じているかららしかった。

 歩き始めると。シズ大尉からの文字メッセージがヘルメットのバイザー内に投影された。

 シズ大尉がリアカーを押しながらでも、ヘルメットのバイザーから視線入力で意思疎通ができるように、そう準備しておいたのであった。

 ケイジのヘルメット内には、こう表示されていた。


 ――なんだか夜逃げみたい――


 既知宇宙の最果てで、SSDFの航宙士がリアカーを引っ張りながら夜逃げスタイルで大移動などと……ケイジは一瞬そんなまさか! と思おうとしたが、まったく否定のしようが無かった。

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