▼第二章  『パイレーツ・ニンジャ』 ♯1


 サヲリは猛烈な恐怖を感じながら瞬時に覚醒した。

 なにか……とても嫌なことが起きる……そう感じたのだ。

 だが――


 〈じんりゅう〉ホロ会議室――第X会回・サートゥルヌス計画定時会議。


「サヲリ!? 大丈夫?! サヲリ?」

「……」


 目の前にあったユリノ艦長の心配気な顔に対し、サヲリはしばし返す言葉が出てこなかった。

 何かとても怖い夢を見ていたことは分かる。

 だがどんな夢だったのか、一周にして霞の如く消え去って思い出せない。

 それよりも、自分がホロ会議室内で、床に猫のように丸くなって眠りこけていたことに驚いた。

 確かにここ2週間は、副長としての職責上、クルーの中で一番忙しい時間を過ごしてきたが、だからといってこんなところで居眠りするなど、これまでの人生の中では考えられないことだった。


「どぁ……だいひょうぶです……艦長」


 なんとか声を絞り出すが、あまりに深く眠っていたのか、身体が脱力していて声に力が入らなかった。

 それでも無理に立ち上がろうとしてよろけ、艦長に肩を貸してもらってしまった。

 顔を上げると、艦長の他にカオルコやフィニィ少佐が、心配気にこちらを見てるのに気づいた。


「本当に大丈夫なのかサヲリよ」

「大丈夫! ホントに大丈夫ですから!」


 殺風景なホロ会議室の隅で、カオルコが艦内通信で医療室に連絡をとろうとしているらしいのを目撃して、サヲリは慌てて声のボリュームを上げた。

 そして同時にここで眠るに至った経緯を思い出した。

 ……といっても大した理由では無い。

 サートゥルヌス計画が始まってから2週間と少しが過ぎ、木星公転軌道を越え、いよいよグォイドが制宙権を握る宙域に〈じんりゅう〉が突入するに至り、ユリノ艦長、副長サヲリ、カオルコ、それと少佐となったフィニィを加え、今一度ここホロ会議室内にて、艦の指揮権限を持つ佐官たちでブリーフィングを開くことになっていたのだ。

 そして誰よりも早くこのホロ会議室に入って準備をしていた彼女は、皆が集合するのを待っている間に、ついウトウトして気がつくと眠ってしまっていた……ということらしい。


「まさか……とうとうサヲリ副長まで例のアレになったんじゃ……」

「例のアレ……例のアレって、そんな……そんなまさか……」



 フィニィ少佐のつぶやきを、サヲリは即否定しようして否定しきれなかった。

「まぁ他の皆がかかっている中、サヲリだけが例のアレにかからないというのも、それはそれで変な話だしなぁ」


「ああ……とうとうサヲリまで……」

「でもちょっとボク安心しました、サヲリ副長もそういうことあるんですね」


 カオルコ、ユリノ艦長、フィニィ少佐が好き勝手な感想を述べたが、サヲリには言い返す言葉が無かった。


 ――例のアレ――


 そう皆が呼ぶ現象は、思い返せばサートゥルヌス計画が始まって、割りとすぐに始まった。

 最初は木星から続いたメルクリウス作戦の一件が片づき、クルーの気が抜けたからと思われていたのだが、段々とその数は増え、もう無視は出来ない段階となっていた。

 それは一言で言えば、睡眠時の行動に混乱がみられる……という現象であった。

 例えば自分以外のクルー私室に入り込んで、眠ってしまう……などだ。

 クィンティルラやおシズ等は、木星の一件以前からたまにそのような行動をとるので、誰もあまり気にしていなかったのだが、それがミユミ少尉やカオルコにも症状がではじめ、フォムフォム、ユリノ艦長、フィニィ少佐にルジーナ、そして今、とうとうサヲリ自身がかかってしまった。

 幸い、この現象が原因で、なにか重大な事件事故には発展していない。

 強いて言えば、おシズが鼻を蹴られたことと、クルーらの私室のプライバシーが多少汚されたくらいだ。

 だが、この現象が続き、悪化するようなことがあれば深刻な事態を招きかねない。

 サヲリはそう恐怖し、危惧せずにはいられなかった。

 とはいえ、この現象がまったく説明のつかない未知の現象というわけでもなかった。


[ヤハリ、思考混濁症ノ一種ト考エルベキダロウナ]


 今はバトルブリッジに常駐しているエクスプリカが、室内にホロ投影で現れるとそう述べてきた。


[〈ジンリュウ〉ノどくたーAIハマダ断言シチャイナイガ、ソウ考エルノガ妥当ダロウ?]

「…………そうねぇ……」


 エクスプリカの意見に、ユリノ艦長は頬を押さえながら弱ったもんねとばかりに渋々頷いた。




 【思考混濁症】とは、【ANESYS】適正者のみが発症する、【ANESYS】を行い過ぎるとかかる症状の一種だ。

 【ANESYS】は艦のメインコンピュータと、クルーの思考や知識を接続統合することで、絶大な超高速情報処理速度を得るシステムだ。

 統合の際、クルーらの思考は、ユリノ艦長の思考をハブ(集中結合点)にして自転車のタイヤの軸に対するスポークのように繋がる。

 この時、クルー一人一人の個人的感情や記憶は、ハブであるユリノ艦長の思考に届く前にろ過され、任務に必要な情報のみが届く仕組みになっているのだが、絶対ではない。

 限界時間と超えて無理矢理統合したり、あまりにも濃密な思考統合を行なってしまった場合、不必要な他者の個人的情報が脳に流入し、個人としての思考のパーソナリティが汚染されてしまうことがあるのだ。 

 その結果、重度の思考混濁症に陥った人間は、最悪の場合自分が誰なのか分からなくなってしまうのだという。

 まだ適正を持つ少女たちの思考を統合するという【ANESYS】の操艦システムが確立しきる前の実験段階では、ブレイマシンインターフェイスを用いた思考統合実験の失敗により、老若男女問わず多くの航宙士が重度の思考混濁症となり、良くて航宙士引退、最悪の場合は残りの人生を要介護入院生活で送ることになったという。

 今〈じんりゅう〉クルーに起きている現象は、木星以来のグォイドとの戦闘で行った【ANESYS】の結果発症した思考混濁の初期症状であり、彼女らが各々の私室を間違えて眠りについてしまうのは、睡眠前の曖昧な意識になった時に、自分が誰なのか分からなくなってしまったからではないのか?

 ……そう考えるのは当然の帰結といえた。


「でも……」


 サヲリは自分達が思考混濁症であるという結論に達するのに、何故か抵抗があった。

 寝ボケてここで眠ってしまったのは事実だが、他の誰かの私室に間違って入ったわけではない……寝ボケた艦長が自分の私室に乱入してきたことならあるが……。


「でもでも、ボクらの思考混濁症疑惑が本格化する前に、さんざん【ANESYS】のシミュ訓練やったけれど、別に不具合ありませんでしたよねぇ……」


 サヲリが言わんとしたことをフィニィ少佐が言ってくれた。

 土星圏への旅が始まって以来、思考混濁症疑惑が確定するつい先日まで、〈じんりゅう〉ではグォイドとの戦闘に備えた【ANESYS】シミュレーション訓練を何度もやってきた。

 途中、エクスプリカがシミュの状況設定に不確定要素を混ぜ込み、クルーの思考統合が混乱したパターンなどもあったが、基本的に【ANESYS】の統合は問題なく行われている。

 本当に今自分達の身に起きているのが思考混濁症ならば、【ANESYS】シミュ後のデータに現れているはずだ。


「確かにね……エクスプリカ、【ANESYS】シミュ後のデータには、べつに思考混濁の痕跡は無かったんでしょ?」

[ソレハ……ソウナノダガ……アレダナ、ゆりのヨ、思考混濁症ノ新症例ッテコトナンジャナイノカ?]

「適当なことを……」


 機械とは思えぬエクスプリカの投げやりな言葉に、ユリノ艦長は呆れた。

 しかし、エクスプリカの意見が、今一番正解に近いのかもとサヲリは思った。

 思考混濁症であるかどうかはさておき、この症状は【ANESYS】を行なった女子クルーのみに発症する、【ANESYS】が原因で起こる症状と考える他無い。


「つまり思考混濁症かもしれないし、そうでは無いかもしれないんだな? では結局我々はどうしたら良いのだ?」

「どうするも何もカオルコ、元から【ANESYS】シミュはもうやらない予定だったし、いざという時がきたら、【ANESYS】をやらないわけにはいかないわ」

[ソウソウ俺ハソウ言イイタカッタンダ、ゆりのヨ]


 実は今までの会話を良く理解していない疑惑のあるカオルコの問いに、ユリノ艦長が答えると、エクスプリカがぬけぬけと言ってのけた。


「艦長の言う通りです。〈じんりゅう〉独自で解明ができない現状では、症状悪化の危険を冒して【ANESYS】シミュを続けデータを得るか、内太陽系人類圏に帰還して、もっと大々的な施設で調べない限りは真実のところは分かりようがありません。

 もちろん、これからグォイド制宙権に突入するという時期に、余計な【ANESYS】を行なって、必要な瞬間に統合出来なくなるリスクは冒せませんから……」

「つまり、ここから先では【ANESYS】は必要ある時まで封印ということか……」


 どこか落胆したような安心したような声音で言うカヲルコに、サヲリは「そういうことです」と頷いて

おいた。

 ようするに、現状を放置しておく、ただそれだけのことだ。

 不安は残るが、他に妙案も無かった。


「なるほど、そうと決まったならば、他の会議の議題をさっさと終わらせてしまおう!」


 カオルコの意見に、一同異存は無かった。

 この問題についてはこれ以上話あっても意味は無かったし、話合っておくべきことは他にもあった。






 …………実はこの時、サヲリは件の思考混濁疑惑について、思いついたことがあったのだが、言いそびれてしまった。

 会議を中断してまで発言するには、あまりにも根拠に欠ける思いつきだったし、なによりサヲリ自身が苦手……というか専門外とする内容だったからだ。

 それに……どちらにしろ“彼”については元から議題になる予定ではあった。

 クルーに思考混濁症と思しき現象が現れたことには、例の【特別懸案事項K】が関連している可能性は無いだろうか?

 サヲリはふとそう思ったのだった。





 クルーがケイジ三曹を含めてもたった10人しかいない今の〈じんりゅう〉では、会議は主に全員が集まれるメインもしくはバトルブリッジで行っており、ホロ会議室を使うことは稀だった。

 だがホログラム使用前提のこの会議室では、ブリッジと違って各クルーの座席類が無い為、投影された土星圏のホログラム映像を何にも邪魔されずに良く見ることができた。


「なんだか輪っかのついた蒼い木星みたいですね」

「確かにな」


 フィニィ少佐の第一印象に、カオルコがうんうんと頷いた。

 彼女の感想に、サヲリもまたおおむね同意であった。

 実際、土星は木星と多くの点で共通する特徴を持つ惑星だ。

 もちろん見方にもよるが、木星と同じガス惑星であり、直径10万キロを越えるサイズも、そのガス大気が水素とヘリウムを主成分としていることも、太陽系の他の惑星に比べれば兄弟と言って良いほど似通っている。

 むしろ相違点を数えたほうが少ない。

 最大の違いは、地球からのアナログ望遠鏡でも観測可能な環であろう。

 色の異なる無数の輪が年輪のように集合してできたそれは、ホロ映像で見ると面性の割に驚くほど薄く、触れれば指を切ってしまいそうな気がした。

 また木星よりも小さいが重く、木星が持つ程の強大な磁場は持っていない。

 土星圏がグォイドの本拠地になったのは、UDOと呼ばれていた時代の人類との初遭遇時の偶然の産物であったが、それが人類にとって幸いであったのか、それとも災いであったのかは、判断に迷うところであった。


「まったく……この景色をまた間近で見る機会が来るだなんて……」


 ホロ土星を見つめていたユリノ艦長が、溜息とともにそう漏らした。


「そっか、艦長、副長、カオルコ少佐は前に一度土星圏まで来たことがあるんですね」

「まぁ、来たって言える程近くまでは来てないけどね」


 フィニィ少佐にユリノ艦長は自嘲気味に答えた。

 フィニィ少佐が言った通り、ユリノ艦長、カオリコ、そしてサヲリは、かつて土星圏の端くらいまでではあるが、接近したことがある。


「初代〈じんりゅう〉の時代の話だな。あの時は訳も分からず向かわされて、コテンパンにされて尻尾を巻いて引き返した……という記憶しかないな」


 カオルコがばつの悪い思い出のようにユリノ艦長に続けた。

 サヲリは二人の言葉と、目の前に投影された土星とその衛星と環のホログラムに、急激に記憶が蘇って来るのを感じた。

 今から約6年前、第三次大規模侵攻から約3年後、人類はグォイドに関する諸問題の根本解決を図るべく、UVテクノロジーを得て宇宙進出を果たした【五大国家間同盟】の中でも最も国力を持つ〈ステイツ〉主導のもと、土星圏グォイド本拠地殴り込み艦隊が編成され、タイタンへの大規模な攻撃が試みられた。

 もしもその攻撃が成功していれば、人類はグォイドの脅威から完全に解放されるはずであった。

 が、そうなることは無かった。

 土圏の敵防衛ラインの想像を越えた堅固さに返り撃ちにあい、人類艦隊はほうほうの体で撤退し、その時受けた人類のダメージが、後の第四次グォイド大規模侵攻の呼び水になったと言われている。

 初代〈じんりゅう〉はその場に居合わせ、その状況の推移の全てを見ていた。

 正直、思い出したい記憶では無かった。

 しかし、再び土星圏に向かおうという今、その記憶がこの二代目〈じんりゅう〉を窮地から救う鍵となるかもしれない。


「あの時は、土星のリングに設けられた実体弾投射砲にやられたのよねぇ」


 ユリノ艦長が述懐に合わせてホロ土星を拡大させると、幅約11万キロ・直径約24万キロの穴の大きなディスクの外縁部分に、小さな針のようなものが、土星の中心とした浮かんでいるのが見えた。

 それこそが件のグォイド製実体弾投射砲だ。


「あの……何度見返してもめちゃくちゃ沢山あるんですけどぅ!?」

「だねぇ……勝手には減らないもんねぇ」


 青ざめながら再確認するフィニィ少佐に、ユリノ艦長が憂鬱気に答えた。


「あの時は、こいつにコテンパンにされたのだったなぁ~」


 カオルコが懐かしむように呟いた。

 人類がメインベルト内に【集団クラスター】を設け、対グォイドの要害にしたように、グォイドもまた土星のリングを使って対人類進攻艦隊からの防御機構を確立させていた。

 それがホログラムの土星の環の縁に無数に浮かぶ実体弾投射砲群だ。

 それは実のところ“砲”というよりも、緩やかに曲がった“筒”のような物であり、土星リングを形成している微小惑星を、ほぼそのまま加速して目標へと発射する装置だ。

 砲数の多さと、ほぼ無限の装弾数から、それは土星圏に攻撃をしかけた人類艦隊にとって凄まじい脅威となり、多くの損害を出させた。


[コノほろぐらむハ6年前ノ土星攻撃時ノ記録ヲ元ニシテイル。迎撃用実体弾投射砲群ハ、実際ニハソレカラ現在マデノ間ニ、サラニ増設サレテイルト考エルベキダロウ]


 エクスプリカが告げた。

 もう何度かこの事実を聞かされているはずのフィニィ少佐の顔が、それでもまた青ざめた。


「そして土星の迎撃システムは、土星リングの実体弾投射砲群だけではありません」


 サヲリはホロ土星を、土星圏を周回する衛星群が室内に納まるまで縮小させた。

 大小70もの衛星が、上部に赤い敵を示すアイコンを輝かせつつ室内を周回しはじめる。

 たちまち室内に満遍なく赤いアイコン散らばった。


「これら衛星群にも、グォイドの防衛拠点が築かれていると考えるべきでしょう」


 サヲリがこれまでの会議で既に告げていたことを再度告げると、室内の残り三者から微かな溜息が聞こえた。






 UDOが土星圏を地球進攻の為の本拠地にしたことは、その位置関係から人類にとってはある意味幸いであった。

 地球公転軌道から、間に火星、メインベルト、木星軌道を挟み、遠く離れているからだ。

 遠く離れているということは、大規模侵攻艦隊が出立してから地球圏に辿り着くまでに、人類が迎撃するのに充分な時間があるということだ。

 だが、攻め込む場所としては最悪と言っても良かった。

 防御の為の拠点を設けるのにこと欠かない土星圏は、恐ろしく攻め難い場所であった。

 人類はたった一回の土星圏攻撃作戦で、その事実を身に染みて思い知った。

 以来、人類は再攻撃を行なうだけの戦力を確保できずに、グォイドからの大規模侵攻を凌ぐだけで精一杯になっている。

 だが、もちろん人類が土星圏攻略を諦めたわけではない。

 人類は来るべき再攻撃の日に備え、有人無人問わずにあらゆる偵察機、偵察艦を放ってきた。

 がそれらから土星圏の詳しい情報がもたらされたことは無い。

 皆無であった。

 確認のしようも無かったが、全て土星圏通過中に発見、破壊されたのだと考えられていた。

 土星圏のグォイド制宙圏は、濃密なECM(電波妨害)がかけられており、通信はレーザーを用いた光学通信の類いでしか行えなかった。

 しかし敵制宙圏で、リアルタイムで取得情報を人類圏に向け送信など行なえば、確実に敵に察知され、破壊されてしまう。

 つまり土星圏の現状を人類が知る為には、何かに土星圏まで行ってもらい、偵察の上でその情報を直接持って帰ってきてもらうか、少なくとも偵察を行なった後で光学通信圏まで内太陽系に戻ってきてもらう他無かった。

 だが土星圏の防御は硬く、また木星公転軌道から土星圏までの広大な空間を、敵に発見されることなく移動することは、恐ろしく困難であった。

 少なくとも送りこんだ偵察手段が、ことごとく消息を絶ったのは、それが原因だと人類は考えていた、

 しかし、数奇な運命の果てに惑星間実体弾級の速度を得た〈じんりゅう〉ならば、あるいはグォイドに気づかれること無く、たとえ気づかれたとしてもその超高速慣性航行で土星圏を通過し逃げ切れるかもしれない。

 サートゥルウス計画はそういうコンセプトの元に立てられたプランであった。

 が、ホログラムで土星及び、土星圏の衛星群にあると予測される防御拠点の数々を見ると、この計画が目論み通りに上手く行くという未来は、容易く思い描けはしなかった。







「色々な予測や可能性があるのは分かるのだが、実際問題、我々はこの宙域を偵察してつつ通過できるのか?」

「通過できる……と考える他ありません。すでに他の選択肢は無いですし、打てる手は全て打ちましたから」


 腕組みしつつ唸るように問うカオルコに、サヲリは何度目かも分からない答えを返した。

 〈じんりゅう〉の任務は、土星圏を半周してグォイド本拠地を偵察し、その情報を内太陽系人類圏に持ち帰る。それが全てだ。

 せめて〈じんりゅう〉にプローブ(無人探査機)の類いが残っていれば、例えば〈じんりゅう〉が発・見破壊されても、プローブだけを内太陽系に送る……という選択肢も有りえたかもしれない。

 が、残念ながら、プローブ、ミサイル、無人機セーピアーは、全て先の木星でのグォイドとの戦いで使い切ってしまった。

 それから一切の補給もままならずに現在に至る〈じんりゅう〉には、修理中の昇電と、クルー移送用シャトルくらいしか残っておらず、それらはをプローブ代わりに使う案も検討されてはいたが、満足の行く性能は出せず、あくまでプランB以降の策にしかなっていない。

 故に、このサートゥルヌス計画は、〈じんりゅう〉自体が内太陽系に帰らねばならない。

 少なくとも光学通信でデータを送信できる程には、人類圏に近づく必要があった。


「偵察は光学観測を主としたパッシブな観測プログラムが、すでに組んであり実行中です。

 ここから土星圏通過までの間、〈じんりゅう〉の光学観測センサーで分かる範囲のグォイドの動向であれば、知りうる限りの情報を得ることができるはずで」


 そう説明しつつ、サヲリはホロ土星圏に、先端に〈じんりゅう〉のアイコンがついた予定通過コースのラインをその傍に描き足した。


「予定コースでは、あまり近くを通過するわけではありませんが、それでもグォイド遭遇以来最も近くからグォイド本拠地のタイタンを光学観測できます。

 他の土星の衛星、拠点も同様です。

 上手くいけば、かつて無いレベルでのグォイド本拠地のデータが得られるでしょう。

 問題は気づかれずにに通過できるか? ということですが、〈ケーキ&クレープ〉のお陰で、少なくとも土星圏接近時のステルス性を高めることは出来ましたので、ここ、土星の夜の面到達直前までは、被発見できずに辿り着けると考えます」


 サヲリはそう告げながらホロ〈じんりゅう〉のアイコンをカーブさせながら移動させた。

 〈じんりゅう〉は土星の夜の面を巡る土星衛星群の軌道のさらに外側、巨大な土星環の高さよりもやや下を通過しつつ、大きく弧を描き、艦首を再び太陽方向へとむけ、内太陽系へと帰えるコースへと乗った。

 〈じんりゅう〉が土星の環の高さでは無く、その下を通過するのは、環が薄すぎることと、土星の公転軌道が僅かに傾斜していることが理由であった。


「しかし土星圏最接近直前、夜の面に突入する手前から、〈じんりゅう〉が内太陽系に艦首を向けて以後は、〈ケーキ&クレープ〉はもう使えなくなる可能性が大です」


 サヲリはそこまで説明すると、別のウインドウを空中に呼びだし、そこに土星圏から離れ始めた〈じんりゅう〉を、前方に浮かぶ〈ケーキ&クレープ〉込みで拡大させた。

 そしてホロ土星圏のホログラム共々、少し時間を巻き戻した上で、〈じんりゅう〉に起きることの予測シミュレーションを早送り再生させた。

 




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