▼第一章  『旅の途中』  ♯1

 目覚めた瞬間、あれほど明確に思えていた現実が、ふわりと夢へ瞬転し、一瞬パニックに陥った。

 まず今日は何曜日で何日かが思い出せず、昨晩何をして過ごし,、眠りについたかが思い出せない。

 それどころか、自分が誰かさえもしばらく思い出せない始末だった。

 そしてそのことに気を取られている僅かな間に、もう自分が一瞬前までどんな夢を見ていたのかも思い出せなくなっていた。

 生きるか死ぬかのもの凄く切羽詰まった状況を、とても真剣に生き抜いていた夢だった気がしたのだが……。

 だがなんにせよ夢は夢だ。

 現実の自分はこうして今、睡眠から目覚めたところなのだ。


 とりあえず目を空ける前に、今の自分の状況を確認してみる。


 ……まず温かい。

 掛け布団は被ってるようだし、身を沈めているのも柔らかなベッドの上らしい。

 ということはここはベッドのある私室だ…………誰の私室かまだ分からないが。

 身体に伝わる感触からそう判断できた。

 ついでに言えば、肌の感触からいって今身につけているのはソフティスーツらしい。

 ソフティスーツを着たまま寝ることは、服の機能上の問題は無いが、乙女の身だしなみとしてあまり褒められた行いではない。

 つまり自分はパジャマに着替えるのを怠った状態で眠りについたようだ。

 問題は、横向きに寝ている自分の身体の前後も、顔面までも温かかったことだ。

 特に顔面は、とてもとても柔らかいものに押し付けられており、猛烈に息苦しい。

 そもそも夢の途中で目を覚ましたのは、肉体が窒息の危険を感じたからに違いない。

 ……などと思っている間にも軽い窒息死の危険を感じ、慌てて顔をそっくり返らせた。


「ぷはぁ!!」


 ひんやりした空気を胸いっぱいに吸い込むと、少しだけ頭が鮮明になった気がした。

 ……などと思っているまに、ガッと後頭部を掴まれたかと思うと、再び温かく柔らかな何かに顔面を押しつけられた。

 同時に顔面全体に恐ろしく力強いバックンバックンという心臓の鼓動を感じる。


 つまりこれはアレだ。


 彼女は顔面に押し付けられたモノの正体とその持ち主に行きついた。

 この圧力とボリュームからいって、フォムフォムさんである可能性も無きにしもあらずであったが……これまでの数々の経験がそうではないと彼女に告げていた。

 瞬時にそう思考を巡らすと、ミユミは現状からの脱出を試みた。


「カ……カオルコさん……死ぬ……死にます! ……苦しひぃ……!」


 むにゃむにゃと何か寝言を呟きながら、自分の頭を抱き枕代わりに抱きしめようとする〈じんりゅう〉ナンバー3に必死で訴えながら、その類い稀なバストを両の手で掴んで押し返し、なんとか頭を離そうと試みた。

 そして両手で鷲掴んだ彼女のバストの感触に驚愕した。

 すご~い! これは……これは……たまらんかも……と。

 決して生地が薄いわけではない胸部ソフティ・スーツの上からにも関わらず、それは充分以上の感触だった。

 そしてこの感触の素晴らしさは、絶対にケイちゃんに教えては駄目だ……とも感じた。自分に勝ち目が無くなるから。

 同時に薄暗がりの中、よだれを垂らしながら眠りこけるカオルコ少佐の顔が見えて来ると、一瞬前が嘘であったかのように、ここに至るまでの記憶が鮮明に蘇って来た。

 昨晩はサヲリ副長と共にバトルブリッジでの夕方シフトを終え、シャワーを浴びてさあ就寝しようかと思ったところで、食堂でサティと共に昔のドラマを観賞中だったカオルコ少佐、ケイちゃん、おシズちゃんと出くわしたのだ。

 アニメ『VS』の御先祖様みたいな内容で、ケイジとサティが今はまっている一話完結モノの、21世紀初めのまだホロでも3DでもないSFドラマだった。

 実をいうと、そういうのにあまり興味がある人間では無かったのだが、この機会を逃すことに本能的な危険信号を感じ、また自身に課せられたとある任務の一環として、彼女らと一緒に何話も見続けたのだ。

 中央格納庫から細く身体を伸ばしてやって来たサティを、皆でソファ替わりにして座り、やれこれが『VS』の元ネタだったとか、やれこの展開は前話の設定と矛盾してるとか……わいのわいの言い合っているのを聞きながら。

 そして…………。

 そこから先はやっぱり思い出せなった。

 寝落ちしたらしいけれども、一体どうやってこのベッドに潜り込んだのだろう?

 ミユミはその疑問に行く着くと同時に、ある可能性にも辿り着いてしまった。

 横向きに寝ている自分の前にいるのはカオルコ少佐だが、では、自分の背中側に感じる人のぬくもりは一体のだろう? と。

 もちろんそんなこと有りえないだろうとは思った……が、決して有りえなくは無い可能性であれば、無視などとても出来なかった。


「ままままま……まさか、ひょっとして……けけけけ………ケイちゃん……!?」


 思わずかかっているシーツを跳ね上げるようにしてがばっと上体を起こした。

 よもや一緒に寝落ちして同じベッドに潜り込んだ……なんて……と思ったのだ。

 仮に、もしも、万が一とはいえ、〈じんりゅう〉内ただ一人の男と同じベッドで寝てただなんて、たとえ何もなくても大騒ぎになるに決まっているとも……。

 跳ね起きるなりミユミは、自分の隣に寝ていたもう一人にかかっているシーツを思いっきりめくった。


「ケイちゃ…………」


 照明の消された薄暗がりの部屋の中、そこに彼の寝顔は無かった……というか人の顔自体無かった。

 代わりにあったのは、黒いフリル付きスカートに包まれた小さくて白い二本のソフティスーツに包まれた人の脚だった。


「?……?」


 一瞬わけが分からなかったが、その正体はすぐに分かった。

 ミユミの足元の方のシーツがめくりあがって、いつものゴスロリ姿の少女がむくりと上体を起こしてきたからだ。


 ――そういえば、おシズ大尉も一緒にSFドラマ見てたんだっけ……。


 ミユミはほっとしたような、残念だったような曰く言い難い感情に襲われた。

 おシズ大尉は、どうやら自分達とは上下逆に寝ていたらしい。


「ふぇ…………」


 薄暗がりの中、おシズ大尉はムクリと起き上がったかと思うと、おもむろに両手で鼻を抑え、泣きそうな声を漏らし始めた。

 その時になって、ようやくミユミはさっき起き上がった時に、足元で何か蹴っ飛ばしてしまったような気がしたことを思い出した。

 気持ち良く眠っているところで、顔面を蹴られるなどという言われなき暴力を受けたなら、普通の13歳女子なら当然の反応であろう。


「わ~ごめん! ごめんなさ~い! ホントにおシズちゃん! ごめんね」


 肩を震わせはじめた彼女を、ミユミは大慌てでとりあえず抱きしめながら、彼女の頭をひたすら撫でた。

 そして自分で彼女の顔を蹴っておきながら、普段清ましているおシズちゃんも、痛いめにあうと年相応に泣きたくなるのだなぁと軽く安堵しつつ、抱きしめられるがままに胸に顔埋める彼女を可愛らしく思った。

 普段のおシズ大尉からでは想像もできない。


「あ……あの……おシズちゃん?」


 恐る恐る尋ねてみると、腕の中の彼女は再び穏やかな寝息をたてはじめていた。

 ミユミは思わず深い溜息をついた。

 グォイドと戦っているわけでも無いのにとても疲れた。

 ……とその時、


「…………何をしておるの?」


 カオルコ少佐が頭をかきながら起き上がっていた。


「…………これは……え~……と」


 なぜ三人で同じベッドに寝て、おシズ大尉を抱きしめるに至ったのか、ミユミはこうなった経緯を何と説明すればいいのやら言葉が出てこなかった……というかめんどくさくなった。


「カ……カオルコさん……お、起きたんですね……」

「うむ、なんだか、もの凄い勢いで胸を揉まれた気がしてな……目が覚めふぁ~」

「おうっふ……」


 両手で胸を押さえながらあくび混じりでそう告げるカオルコ少佐に、ミユミはもう何も言わない方が良い気がしてきた。

 そもそも何故こうなったのか…………。

 いくらクルー同士が仲が良いとはいえ、いくら昨夜一緒に過ごしたからとはいえ、三人で同じベッドで眠りこけるだなんて……。

 ミユミは軽い恐怖を覚えた。

 特にグォイドとの戦闘の直後というわけでも無く、またすぐさま戦闘の予定があるわけでも無いのに、ちょっと夜更かししたからといって、こんなことになるとは……。


「あの……カオルコさ――」


 ミユミは今感じた不安を、年上の上官に尋ねようとして遮られた。

 三人のいる私室のドアが突然ガチャリと開き、その向こうの通路の照明が、眩しいほどに彼女たを照らしたからだ。

 そしてその眩い光の中に、ドアを開けた人間のシルエットが影となってミユミらの視界に映った。


「あれ……カオルコ少佐? ……おシズにミユミちゃん? ……ボクの部屋で何やってるの?」


 ミユミの目が慣れて来ると、そのシルエットはやがて〈じんりゅう〉主操舵士にしてクルーナンバー4のフィニィ少佐の姿となって、当惑した顔でそう尋ねた。










 ――その9時間後。


『――っていうことがあったんですって! ケイジさ~ん』

「ふ……ふぅ~ん」


 ノリノリで話しかけるサティに対し、ケイジは気の無い返事とも言えぬ返事を返した。



 ――メインベルト外縁部――太陽から6.3億キロの宇宙空間――――。



『ケイジさんは昨晩は、一人で先に自室に帰られたんですよね? この作業で朝が早いからということで……』

「ん~……」

『ワタクシも隔壁を開けっぱにして食堂まで来ていたのをブリッジに怒られて、先に格納庫に戻っちゃっていたので、お三方がどうしてそうなったかは見ていないんです』

「ふ~ん……」

『それはまぁ、お三方がめちゃくちゃ寝ぼけてたから……で片づく出来事なのでしょうけれども……実は…………ってケイジさん聞いてます?』

「んんん~……?」


 ケイジの生返事に、サティの問いが疑わしげになってきたが、ケイジは一応ちゃんと聞いてはいた。

 サティの話に興味が無いわけでは無い。

 ただ、今はサティとの会話に集中できるシチュエーションでは無かったのだ。

 ケイジは己のサバイバル、及び己に課せられた任務に集中していて、まともに返事している余裕はなかった。

 装甲宇宙服ハードスーツを身にまとい、ケイジは今、サティと共に〈じんりゅう〉の船外へと出たところであった。

 今、〈じんりゅう〉は人類史上最最高の速度で慣性航行しつつ土星圏へと向かっている。

 周囲に言える星々はまったく動かず、その景色からはとても想像がつかないが、その速度は秒速にして一千キロを越え、その〈じんりゅう〉から船外へと出たケイジもまた、当然同じ速度で〈じんりゅう〉と共に移動していることになる。

 ケイジは今、本人の意図していないところで、この速度で船外活動した人類初の人間になっていた。

 メインベルトを抜け切ったここでは、その可能性は万に一つもありえないとはいえ、もしもこの状態で大なり小なりのデブリにでも衝突しようものなら、当然命は無い。

 現に【集団クラスター】と【集団クラスター】の間のメインベルト最深部を通過した時は、本来なら警戒する必要の無い極小サイズのデブリが〈じんりゅう〉のUVシールドに命中しただけにもかかわらず、艦を震わす程の盛大な虹色のUV干渉を発していた。

 今の〈じんりゅう〉にとって、己以外の接触するもの全てが、相対速度差により危険なレベルの破壊力を持っているのだ。

 緊張するなというのは無理な話で、むしろサティが朗らかに話しかけてくれるのは有りがたいくらいなのだが、気のきいたリアクションまでは返す余裕は無かった。

 ケイジは努めて深呼吸を繰り返し、鼓動が速まろうとするのを抑えようとした。

 メインベルトを抜けデブリ衝突の可能性が極小になった為、こうして船外に出れたが、本質的に危険であることには変り無かった。

 しかし、ケイジにとってこの船外活動は、ただ危険で恐怖を覚えるしかないものというわけでも無かった。

 ケイジはサティと共に〈じんりゅう〉の前方まで漂いでると、背後を振り返ってみた。

 そこには、つい数分前まで己が搭乗していた航宙艦の姿が、まるで星野にそびえる巨大な白銀の城を真上から見下ろしたかのように、極めて悠然と存在していた。


『どうかしたんですかぁ?』


 サティがそのまま静止してしまったケイジに呼びかけたが、しばし少年は何も答えられなかった。

 宇宙駆ける白銀のシュモクザメ。

 伝説の少女達が駆りし、人類を守る最後の希望。

 それは数々の危機から人類を救い、そして返って来た艦であり、幼い頃から空を見上げては、そこに飛んでいる姿を思い浮かべていた艦だ。

 それが今、正しく目の前にいた。


 ――俺……ホントにまた〈じんりゅう〉に乗ってたんだ……。


 ケイジは、艦の中にいた時よりも、こうして艦の外から〈じんりゅう〉を見た時の方が、自分が〈じんりゅう〉に乗っていることを実感できて不思議に思った。

 そしてこんなこと前にも思ったな……とデジャヴも感じた。

 ケレス沖会戦での記憶は思い出したが、それは今となっては夢の中の出来事と変り無い思い出となおり、木星での騒動からこうして〈じんりゅう〉での生活が始まると、ケイジは改めて自分が〈じんりゅう〉に乗っていることに興奮と感動を覚えてしまうのだった。


「……なんでもない……なんでもないよサティ」


 ケイジは思わず鼻がツンとしそうになり、やっとそれだけ答えると、〈じんりゅう〉の前方の空間へと移動を開始した。

 ゆっくりと時間をかけ〈じんりゅう〉前方10キロの位置の宇宙空間にまで漂い出ていたケイジは、タブレットを出すと、この一週間〈じんりゅう〉艦内で取り組んできた作業の成果を確認した。

 もちろん、酔狂でこの速度の最中を宇宙遊泳しているわけではない、

 事の始まりはこの土星圏フライバイ計画=サートゥルヌス(サターン土星の語源の神)計画が始まり、メインベルトのジャミングエリア内に突入し、内太陽系SSDFとの通信ができなくする少し前、ノォバ・チーフからデータで届いたある作業計画書からであった。






 時に23世紀の初頭、メルクリウス作戦を成功させ、辛くも水星に向うグォイド・スフィア弾の破壊に成功した〈じんりゅう〉であったが、同時に艦を加速させ過ぎたが為に、グォイド本拠地たる土星圏方向へと向かわざるをえなくなってしまっていた、

 SSDF‐VS艦隊司令テューラはこれを機に、〈じんりゅう〉による土星圏フライバイ偵察を命ずる。

 〈じんりゅう〉は被発見の原因となる噴射光はもちろん、ありとあらゆる光を一切発さぬ慣性航行を用いて、息を殺しながら艦が土星を一周し、再び内太陽系へと戻るのをひたすら待ち続ける旅を行うこととなったのであった。

 …………クルーに一人の少年を加えたまま。


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