♯4

 ――大赤斑の近傍上空〈リグ=ヴェーダ〉内CIC中央情報室――

 ――無人航宙艦実体弾によるグォイド・スフィア弾発射阻止作戦から約4時間後――

 ――無人航宙艦によるグォイド・スフィア弾再攻撃作戦“プランBダッシュ”実施まで残り約一〇分――


「次の無人航宙艦実体弾の準備状況はどうか?」

「現在、15隻が大赤斑バレル砲身直上よりやや外側の所定の位置にて待機中、ですが……」


 テューラの問いに、キルスティの答えは途中で途切れた。

 約4時間前に行われた無人航宙艦を用いた“プランB”は、グォイド・スフィア弾の発射を阻止し、一応の成功を得たものの、グォイド・スフィア弾の破壊そのものは叶わなかった。

 そして打ち損じた彼のグォイドが再び【ザ。トーラス】内で加速を始め、惑星間レールガンとして大赤斑からの発射を再び目論んでいることは、木星外部からの観測でも充分に予測することができた。

 さらに木星から太陽系の各惑星の位置や公転速度から、地球・火星圏へ向けた発射がすでに不可能となったグォイド・スフィア弾の次なる目標が“水星”であることも、そのコースが水星公転方向に対し、真正面からぶつかる軌道であることも予測することができていた。

 だが、この事態に対し、すでに数々の戦闘で消耗していた木星SSDFに出来ることは非常に限られていた。


「どうしたキルスティ?」

「あの司令…………再び残った無人航宙艦を実体弾代わりにしてぶつけるこの作戦……プランBダッシュはやぱり――」

[この作戦の成功率はとても低いと思うナ]


 言いよどむキルスティに代わって、CIC中央情報室内にて各種分析作業にかり出されてエクスプリカ・ダッシュが答えた。


「そのわけを聞こう」

[さっきのプランB実行時に、グォイド・スフィア弾に衝突する寸前の、無人航宙艦実体弾から送られてきた映像の分析が、ちょうど今終わったんダナ]


 テューラの問いにエクスプリカ・ダッシュが告げると同時に、ビュワーの一つに大赤斑バレル砲身を降下していく実体弾代わりの無人航宙艦の艦首カメラから捉えた映像が映された。

 映像は、巨大な穴となった大赤斑が一瞬映り迫って来たかと思うと、一瞬で途切れた。

 大赤斑バレル砲身突入時の速度を考えれば無理も無い話であった。


[スロー再生で映して見せるネ]


 エクスプリカ・ダッシュの言葉と同時に、今度は同じ映像が人間の目でも追える速度まで減速再生される。

 今度は無人航宙艦が大赤斑バレル砲身のガス大気でできた回廊内に突入し、その奥でグォイド・スフィア弾と思しき巨大な明灰色の球状物体が彼方に映ったかと思うと、瞬く間に画面一杯にまで広がり、そこで映像が途切れていたことが認識できた。


「……分かっちゃいたことだが、グォイド・スフィア弾てやっぱり巨大な目玉みたいだったんだなぁ……」


 初めてシミュレーション予想図では無く、間接的とはいえ、カメラから直接捕らえた映像で目にしたグォイド・スフィア弾の姿に、テューラは木星UVユピティキャノン発射口らしき穴が、予想図通りにその中央にぽっかりとあいているのを確認してそう呟いた。


「……で、この映像から何か分かったのか?」

[うん。でも今見せたのは、これから見せる画像が、この映像の続きナことを示す為だったんダ。ホントに見てほしいのはコレ]


 そう言って、エクスプリカ・ダッシュは再び同じ映像をスロー再生させると、画面の中心よりやや右下に、画面の三分の一ほどのサイズでグォイド・スフィア弾が映ったところで一時停止させた。


[画面左上、グォイド・スフィア弾の後方に、小さな光点がが見えるのが分かるカイ?]

「んんん? ああ、見える……が……………………」


 テューラはしばし眉をよせて画像を睨むと「あ…………」と漏らした。

 エクスプリカ・ダッシュが示した光点を拡大させると、それは十弱の光の粒が幾何学的にあつまって一つの光となっていることが分かった。

 テューラはその光の並び方に見覚えがあった。


「これってまさか!?」

[間違い無く、フルリバース状態の〈じんりゅう〉だネ]


 ご丁寧にエクスプリカ・ダッシュは光点を拡大すると、新たに〈じんりゅう〉の正面から見た図面を画像に重ねて映してみせた。

 拡大された光の粒の一つ一つが、〈じんりゅう〉の一対の艦首可動式ベクタードスラスター、四基の補助エンジンナセルの基部と、その後端のスラストリバーサーの位置とぴたりと一致した。


[あの瞬間、あの場所には〈じんりゅう〉が間違い無くいたことになるネ]

「司令、先ほどのプランB実行時に、無人航宙艦実体弾を迎撃する木星UVユピティキャノンがなぜか途中で途切れたのは、〈じんりゅう〉がグォイド・スフィア弾のすぐそばで邪魔していたからではないでしょうか?」


 エクスプリカ・ダッシュの言葉をキルスティが継いで説明した。

 プランBを実行した場合、目標正面方向から一列に並ばせ突撃させた実体弾代わりの無人航宙艦群が、木星UVユピティキャノンによって破壊されてしまう可能性は、実行する前から予測はされていた。

 しかし、それでも強攻されたプランBは、何故か木星UVユピティキャノンによる迎撃が中途半端に途切れた為に、数隻の無人航宙艦が大赤斑バレル砲身への突入に成功し、グォイド・スフィア弾への命中を成し遂げた。

 そのグォイド・スフィア弾の木星UVユピティキャノンによる迎撃が何故途中で途切れたのか? の謎が今解けたのだ。


[画像の〈じんりゅう〉を分析したところ、艦首可動式ベクタードスラスターの側面に、UVコンバーターが接続されているのが確認できたヨ]

「思うに、クィンティルラ大尉らとのランデブーに成功し、〈ユピティ・ダイバー〉から新造パーツを受け取り〈じんりゅう〉がパワーアップしたことで、グォイド・スフィア弾の発射を阻止しようという気にユリノ艦長らはなったのではないでしょうか?」

「…………………………………………あいつらめ!」


 エクスプリカ・ダッシュとキルスティの説明に、テューラはしばしの沈黙の末にそう呻いた。

 4時間前のプランB実行時に、まさかそこにはいないだろう思っていた正にその場所に、〈じんりゅう〉はいたのだ………………やはり。

 チューラは思わず天を仰いで、ユリノ達の無鉄砲さに呆れた。


「テューラ司令、〈じんりゅう〉がどうやってグォイド・スフィア弾の木星UVユピティキャノン発射を阻止したのかはわかりませんが、それがどんな手段であれ、今回のプランBダッシュ作戦でもまたグォイド・スフィア弾のそばに〈じんりゅう〉がいて、木星UVユピティキャノンの発射を阻止してくれるとは限りません」

「キルスティよ、ということは今回は無人航宙艦を突っ込ませても、今度こそ木星UVユピティキャノンで全部迎撃されてしまうから無駄だってことか?」


 テューラの問いに、キルスティは申し訳なさそうな表情で頷いた。


[確率で説明するかい?]


 エクスプリカ・ダッシュの提案に、テューラは手を振って断わった。


「司令、私としましても、これ以上航宙艦をミサイル代わりに消費するのは控えて頂きたいものですがねぇ」


 背後に立つ副官がぼやくように言って来たが、テューラは無視した。


「だが……ならば尚更のこと、〈じんりゅう〉が〈ユピティ・ダイバー〉からチーフの作ったパーツを受け取って、さっきのグォイド・スフィア弾発射を阻止しようと試みたのであればこそ……今回も何かする……何かしでかす気もするがな……」

「私も……そんな気がします……しますが、たとえそれが事実でも、我々と下にいる〈じんりゅう〉とが連携してグォイド・スフィア弾の発射阻止にあたらねば意味がありません」


 キルスティの意見に、テューラは返す言葉が出てこなかった。

 無人航宙艦実体弾によるニ度目のグォイド・スフィア弾の発射阻止作戦は、やはり無駄なのだろうか?

 だが、だからといって、何もせず座してグォイド・スフィア弾の発射を見過ごすのは、テューラの立場と精神衛星上、受け入れ難かった。


「司令? 一応下の〈じんりゅう〉との連絡を繋ぐ試みはしてあるのでしょう?」

「まぁな……だが現時点で連絡がこないということは、あきらめるべきなのかもしれん」


 テューラは副官の他人事じみた問いに答えた。

 〈ユピティ・ダイバー〉および、プランB実行時に突入させた無人航宙艦には、【ザ・トーラス】もしくは深深度大気中にいる〈じんちゅう〉とこことで連絡がとれるように、試みがなされていた……が、未だ結果は出ていない。

 だからこそ、テューラは無人航宙艦実体弾による再攻撃を行おうとしていたのだ。

 が……


『大赤斑表層部哨戒中の〈ナガラジャ〉より〈リグ=ヴェーダ〉CIC中央情報室へ緊急!』


 CIC中央情報室に、突如VS‐805〈ナガラジャ〉艦長アイシュワリアの声が響いた。

 アイシュワリア艦長率いる〈ナガラジャ〉には、その〈じんりゅう〉からの連絡がきた時の為に、また大赤斑周囲のガス雲表層から宇宙皮剥き器スターピーラー用補助エンジンナセルを垂らしていてもらっていたのである。


「アイシュワリアどうした?」

『テュラ姉様……じゃなかったテューラ司令、〈じんりゅう〉から通信が来ました! 今、そちらに中継します!』


 テューラの問いにアイシュワリアが答えるが早いか、別の声がCIC中央情報室内に響いた。


『こちら〈じんりゅう〉艦長のユリノ! テューラ司令、お願いがあります!』


 おそろしく久しぶりに聞く気がする彼女の声は、いきなりそう言ってきた。








 ――その約二時間前、〈じんりゅう〉バトルブリッジ――


「……えぇえぇ? あの、ごめんなさいケイジ君、もう一回言ってくれる?」

『ですからユリノ艦長、ケイジさんはグォイド・スフィア弾の発射を阻止するのではなく、発射させてしまった後で、〈じんりゅう〉をこの【ザ・トーラス】を使って加速させ、艦自体を惑星間レールガンの弾体にして撃ち出して、後ろからグォイド・スフィア弾に近づいてやっつけよう……って言っているんですよね?』

「…………ああ、うん……そういうこだよサティ、……そうなんですユリノ艦長」


 ケイジは言ってしまった後になってから、早鐘のように打はじめた心臓の鼓動に、身体全体が揺さぶられるような気がしながら頷いた。

 たかが三曹がエラいことを言ってしまった……と今さらながら思う、だがもう後戻りは出来なかった。


「ちょっと考えただけで大きな問題がざっと六カ所はあるのです……ですが………………うん、いけそうなのです、艦長」


 まず航宙艦のブリッジ内にも関わらず、黒いフリルのふんだんついたゴスロリ・ドレスを着たキルスティ少尉と同年代らしき違和感の塊のような子が意見を述べた。


「検討の余地はあると考えます」

「理屈は通っているみたいだなユリノ」


 続いて銀髪ボブの薄倖そうな美女サヲリ副長と、黒髪ポニテ頭のナイスバディなカオルコ少佐が言った。


「……ちょっと待って、今の話って……それを【ANESYS】無しでそれをやれってこと?」

「ケイジ殿の案でいくと、〈じんりゅう〉の発射は約二時間後ってことになりますから、理屈の上では艦長は【ANESYS】ができるようになってるはずデスが? ……でもケイジ殿はそのつもりじゃ無いんじゃないデスかねぃ?」


 尋ねるユリノ艦長に、HMDを装着した細みの東洋人の少女、ルジーナ中尉が答えた。


「その……えっと、【ANESYS】を使うのは、〈じんりゅう〉がグォイド・スフィア弾に後方から追いつき、攻撃をしかける時の一回が良いんじゃないですかね? その時には艦長の脳も充分休息ができてるはずですし…………と言いますか、その前に下手に【ANESYS】をやっちゃって、グォイド・スフィア弾との対決時に、また艦長の脳に問題が発生して再【ANESYS】行えなくなったら困りますから……」

「うう…………」


 ケイジは他にもっと良い言い方があるような気がしつつルジーナ中尉の問いに答えると、ユリノ艦長は呻きながら黙りこんでしまった。


「…………んん!? じゃケイジくん、ここからまた【ザ・トーラス】に入って、加速して木星から撃ち出されるまでは【ANESYS】使わないってこと? じゃそこまでの操舵って、ひょっとしてボクぅ!? …………………………はぅぅ」


 ボーイッシュな短い金髪の操舵士フィニィ少佐は、ケイジの言葉にそう反応すると、魂が抜けたような溜息をもらした。

 だがケイジは、その放心したような表情に、やがてニタリと微かに笑顔が浮かんできたことを見逃さなかった。


「な~に心配すんなってフィニィ、操舵ならオレが手伝ってやんよ! これでも〈ユピティ・ダイバー〉を立派にここまで操縦してきたんだからよぉ」

「フォムフォム……」


 クィンティルラ大尉が逆に不安になってきそうな事を言い、どこか浮世離れした長身薄褐色の肌の美女が続いた。


「で……ケイちゃん、まず何から始めたらいいの?」


 最後に幼なじみのミユミが、ケイジを上目づかいで見つめながら訊いてきた。


「いや……あの……ちょちょちょっとぉ?」


 ケイジは、ケレス沖会戦の英雄たる、あのVS艦隊〈じんりゅう〉クルーの視線が集まりうろたえた。

 自分のアイデアに対する反応もそうだが、記憶には無いが、ケイジのアイディアに対する彼女らのリアクションのナチュラルさから、自分が間違い無くかつて〈じんりゅう〉に乗っていたことを改めて実感してしまったのだ。

 彼女らの距離感とリアクションは、突然、本来男子禁制のVS艦隊の艦に男子クルーがやってきた時のそれとは思えなかった。

 妙にケイジがいる状態でのブリーフィングに慣れているのだ。


「ちょっと待って! ナチュラルにケイジ君のアイデアを実行する流れにしないでってば!」


 ユリノ艦長が、ケイジの言おうとしていたことを遮って続けた。

 ケイジはあの〈じんりゅう〉を統べるユリノ艦長が、イメージしていたよりもけっこうくだけた人間であることに密かに驚いた。

 もっとお堅いキャラを想像していた。


「おシズちゃんが言う通り、ケイジ君のこの案には問題点が多々あるわ、まず……………」

「まずサティを通じて、本当にこの【ザ・トーラス】を我々が望む通りにコントロールできるかどうかです」


 言葉が出てこないユリノ艦長に代わり、サヲリ副長が告げた。

 確かに、そこに不安を覚えるのは最もなことだとケイジも感じた。

 なにしろサティの言う異星のAIとは、テレパシーのみでしかコンタクトがとれないのだという。

 人間たるケイジ達には、音、電波、信号、光その他で、でその存在とその意思の確認がとれたわけでは無いのだ。


『そんなに不安ですかぁ? ワタクシは人間の方々の先入観という概念を、まだ皆さんのようには獲得していないので、お疑いになる気持ちが良く理解できませんが、たとえワタクシとコンタクトしているエクスポート発射口・リングの異星AIさんが信じられなくても、論理的見地から言って、他に選択肢は無い気がします…………ただ……』

「なにか問題があるの?」


 疑われたと感じたのか饒舌なサティの言葉が途中で途切れると、ユリノ艦長は尋ねた。


『今テレパシーで異星AIさん訊いてみたところ、グォイド・スフィア弾の発射の後に、ここの使用権が〈じんりゅう〉に与えられることは確かですが、それはただ【ザ・トーラス】で加速して、好きな時に大赤斑を開通させることできるってだけみたいですね』

「んんん!? なんですって?」


 ユリノ艦長は思わず訊き返した。


「つまり、グォイド・スフィア弾が水星に向かうとして、〈じんりゅう〉がそれを追いかけようとしても、その発射コースの調整はこっちで行わなければならないってこと?」

『そうなりますねユリノ艦長。20億年前からずっとここにいた異星AIさんには、太陽系の惑星位置なんて知りようがありませんでしたから、彼にできるのはただ加速して撃ち出すことだけみたいで、その方向については使用者で好きにしてというスタンスみたいです』

「…………だとして……【ANESYS】無しで水星に向かうグォイド・スフィア弾を追いかけるように、〈じんりゅう〉を正確に撃ち出すことなんてできる?」


 ユリノ艦長はクルーに向かって尋ねた。

 尋ねられたクルーの視線は、しばしさまようと自然と操舵士たるフィニィ少佐へと集まった。

 彼女はぷるぷると顔を横に振ると答えた。


「そんなの……ここから水星方向に向かうってことは、木星からの発射の正にその瞬間に、とんでもない精度で方向を決めておかなくちゃならないってことでしょ? それを惑星間レールガンの速度で行うなんて……そんなのさすがに人の力では……」


 フィニィ少佐はそこから先は口にしなかった。

 そんなの不可能だと言いたくなる彼女の気持ちは、まったくもって当然だとケイジにも思えた。

 〈じんりゅう〉が惑星間レールガン弾体として飛翔中のグォイド・スフィア弾に、自らも惑星間レールガンの弾体となって追いつく為には、【ザ・トーラス】内で加速され、大赤斑エクスポート発射口から発射される直前の0コンマ何秒か0コンマ00何秒の内に、マニュアルで〈じんりゅう〉を正確に目標方向に向けねばなない。

 もし僅かでも発射方向を違えば、目標の何千、何万キロも離れた座標を素通りする羽目になってしまうのだ。

 とうてい人の力でできる行いでは無い。

 もちろん、艦内のコンピュータ任せで行おうにも、そのような事を行うプログラムなど用意されているわけも無く、今から構築する時間は無い。

 ……つまり【ANESYS】戦術マニューバ意外の手段で実行する術など無いようにケイジにも思えた。


「やっぱり……無理でしたかねぇ……」


 ケイジはにへらと笑いながら、自らの突飛な案にそう結論を出し、妙な安堵を覚えかけたその時――、


「ねえサティ、グォイド・スフィア弾が発射した後なら、そのぉ……異星のAIの人に頼んで大赤斑|エクスポートを開通しっぱなしにしててもらうことってできる?」


 尋ねたのは意外にもユリノ艦長だった。


『もちろんできますよ。それがどうかしたんですかぁ?』

「…………そうかぁ、出来ちゃうかぁ……」


 サティの返答に、ユリノ艦長は自分思いつきを後悔するかのように頭を抱えた。


「艦長、もし何か妙案を思いついたのなら聞かせて下さい」


 サヲリ副長に言われ、ユリノ艦長はさも気乗りしなさそうに口を開いた。








 ――その二時間後――

 ――大赤斑表層部・VS‐805〈ナガラジャ〉バトル・ブリッジ内――


「はぁぁぁぁ!?」


 アイシュワリアは思わず素っ頓狂な声がブリッジに響いた。


「私らの【ANESYS】で〈じんりゅう〉を動かせですってぇ!!?」

「姫様、落ちついてください! まずはユリノ艦長の言うことを最後まで聞かねばなりません」

「そうは言うけどデボォザ、散々こっちに心配かけて……また連絡がとれるようにここでまた待ってたってのに…………やっと連絡が来たと思ったらいきなりこれだなんて……」


 唐突にきた〈じんりゅう〉からの通信に、アイシュワリアはデボォザにいさめられながらも、感情が爆発しそうになってしまった。

 プランBダッシュ開始直前、〈ナガラジャ〉は〈じんりゅう〉からの通信を待ちつつ、グォイド・スフィア弾に命中する確率が少しでも上がるように【ANESYS】を用いて無人航宙艦実体弾群のコントロールを開始しようとしていた直前であった。

 いかに〈ナガラジャ〉の【ANESYS】を用いようとも、プランBダッシュは極めて成功率の低い作戦には変わり無かったが、それでも使えるカードを伏せたまま負けるよりはマシだ。

 突然、深度2300キロにいるはずの〈じんりゅう〉が木星表層のここまで通信を届けることができたのは、〈ユピティ・ダイバー〉が木星への潜航を開始した直後に、軌道エレベーター〈ファウンテン〉に打ち込んでいた曳航式サンサーブイを改造した耐圧通信デヴァイスが、超ダウンバーストによって〈じんりゅう〉のいる深度まで降下したからであった。

 〈じんりゅう〉はそのケーブル状耐圧通信デヴァイスに、〈ユピティ・ダイバー〉のコアたる昇電DSと共に〈じんりゅう〉へと運ばれた新しい曳航式センサーブイのケーブルを、クラウディアン雲の人のサティによって船外で繋いでもらったのだそうだ。

 〈じんりゅう〉からの通信は、センサーブイから軌道エレベーターのピラーを通じて木星深度約100キロまで届き、そこから木星表層より〈ナガラジャ〉が下方に垂らしていた宇宙皮剥き器スターピーラー用補助エンジンナセルのアンテナに届いたのであった。


『まぁそう言うなアイシュワリア、ともかくユリノの話を最後まで聞こう、この通信だっていつまで繋がっていられるか分からんのだからな』

『そう願いますテューラ司令、心配かけてごめんねアイシュワリアちゃん……、軌道エレベーターのピラーに付いた耐圧通信デヴァイスを探すのに手間取っちゃって……このタイミングまで連絡できなかったの』


 〈リグ=ヴェーダ〉からのテューラ司令の言葉に続き、〈じんりゅう〉から届くどこか弱々しげなユリノ艦長の声が響くと、アイシュワリアはそれ以上何も言えなかった。


『説明を続けます――――』


 ユリノ艦長は、なぜ〈ナガラジャ〉が〈じんりゅう〉を操ることでグォイド・スフィア弾を撃破できるのか? の説明を続けた。

 あまり上手いとはいえない彼女の説明が終わると、アイシュワリアは彼女の考えた恐るべきプランに、憤るのを通り越して呆れかえらざるをえなかった。


「――――つまり……今ユリノ姉様達が【ANESYS】戦術マニューバをできない分、〈ナガラジャ〉のクルーの【ANESYS】戦術マニューバで〈じんりゅう〉を強制遠隔操縦オーバーライドして、先に発射させたグォイド・スフィア弾に追いつくように、【ザ・トーラス】から惑星間レールガンとして正確に狙いをつけて発射して欲しい…………ってこと?」

『そうよアイシュワリアちゃん!』

「姫様、見事なご理解です」


 アイシュワリアが自分の理解が正しいのか確認すると、ユリノとデボォザの返答が返って来た。


「…………ンっま~姉さまったら……」


 アイシュワリアはようやくそれだけ漏らした。


「それでユリノ艦長、その【ANESYS】のしすぎで脳に受けたというダメージは大丈夫なのですか?」

「そうよ!ユリノ姉様! 一大事じゃないの! まったく! ……どうしてそういう無茶ばっかするんですかユリノ姉様って人はぁッ!」


 デボォザの質問に、ユリノ艦長が脳にダメージを負ったと話したことを思い出したアイシュワリアは、思わず憤って声が大きくなった。


『ああ、まったくだユリノよ。本当に時間が経てば治るんだろうなぁ?』

『心配してうれてありがとうアイシュワリアちゃん、テューラ司令、【ANESYS】のドクターストップこそかかっちゃったけれど、時間さえあければちゃんと回復することは間違い無いから、どうか心配しないで、それよりも……』


 そういえばどこか弱々しく感じる気がするユリノ艦長の声は、アイシュワリア達に決断を迫った。


「……確かに、〈ナガラジャ〉の【ANESYS】戦術マニューバで〈じんりゅう〉を操るのであれ、プランBダッシュを行うのであれ、実行までもう時間がありません、姫様」

『ユリノの言う作戦を実行するならば、まずグォイド・スフィア弾の発射を放置せねばならん。つまり、その時点でもう後戻りはできなくなるわけだ……考えどころだなアイシュワリアよ』

「え!? 司令、私が決めるんですか!?」


 デボォザとテューラ司令にまで問われ、アイシュワリアはうろたえた。


『私は実行可能な選択肢のなかで、最も成功の可能性が高いものを選ぶだけだ……だが、まずは実行する者の意思を訊かないとな…………因みにチーフとキルスティは今考えられる選択肢のなかで、最もグォイド・スフィア弾撃破の可能性が高いアイデアだとは言っている…………あくまで事が全て上手く運んだらの話だが……』

「そんなぁ……だけど司令……いきなりそんなこと言われても……」


 アイシュワリアは答に窮した。

 ユリノ艦長の提案はあまりにも急であり、かつ予想外過ぎる。

 加えて言えば、アイシュワリア率いる〈ナガラジャ〉は宇宙皮剥き器スターピーラーを用いた対艦近接戦闘を専門とする艦だ。惑星間距離の射撃など想定外すぎる。


「だいたい! そのどこぞのエイリアンAIに頼んで大赤斑エクスポート発射口が開通できたとしても、【ザ・トーラス】の反対側を周回している〈じんりゅう〉にまで、〈ナガラジャ〉から遠隔操作する為の信号が届けられないんじゃない?」


 アイシュワリアはアルファベットの小文字のqの形をした円ザ・トーラス】と、そこから伸びる大赤斑エクスポート発射口をイメージしながら尋ねた。

 〈ナガラジャ〉で〈じんりゅう〉を強制遠隔操縦オーバーライドするとしたらレーザーを用いた通信だが、それは遮蔽物の無い直線上にいる対象にしか届かない。

 当然【ザ・トーラス】周回中の〈じんりゅう〉を完全カバーは出来ない。


『その問題なら心配無用だアイシュワリア』


 意外にもアイシュワリアの問いに答えたのだテューラ司令だった。


『4時間前の戦闘でグォイド・スフィア弾に向けて撃ちこんだ無人航宙艦実体弾には、ノォバ・チーフの発案で、グォイド・スフィア弾に命中する直前に、多数のプローブを【ザ・トーラス】内にばら撒くようにしてあったんだ。

 〈じんりゅう〉にグォイド・スフィア弾の動向を監視する機会を与える為にやったんだが……それを使えば〈ナガラジャ〉からの遠隔操作信号を中継して〈じんりゅう〉が【ザ・トーラス】のどこにいても操ることができるぞ』

「…………ノォバ・チーフ……なんだってそんなことを……」

『まぁ、思いつく限りの“転ばぬ先の杖”を事前に仕込んでおくのがチーフの信条だからなぁ……』


 アイシュワリアの問いに、テューラ司令はどこか達観したように呟いた。

 ノォバ・ジュウシロウという人間を少なからず知っているアイシュワリアは、彼女の説明で何故か納得がいってしまった。


「ともかく、〈ナガラジャ〉で〈じんりゅう〉を強制遠隔操縦オーバーライドするのは問題ないということです姫様、ご決断を」

「うう……」


 なおも答えに窮すアイシュワリアの耳元に、デボォザがおもむろに唇を近づけた。


「姫様、〈じんりゅう〉が木星圏到着した時の戦闘を覚えてますか?」


 アイシュワリアはいきなりの事に戸惑いながらも頷いた。

 あの戦闘では、木星表層の雲海下から押し来るナマコ・グォイドに苦戦していたところを、突然現れた〈じんりゅう〉に〈ナガラジャ〉を強制遠隔操縦オーバーライドされたことで助けられたのだ。


「姫様、これはチャンスではないでしょうか? 〈ナガラジャ〉が強制遠隔操縦オーバーライドされた借りを、〈ナガラジャ〉が強制遠隔操縦オーバーライドすることで返す……」

「……私が……姉様の艦を……操る……」


 デボォザの囁きに、アイシュワリアの脳内を瞬時にして様々な思考が廻った。


「こんなチャンスは二度と来ないかもしれません………………姫様」

「…………そう思う?」


 デボォザの囁きにアイシュワリアが訊き返すと、彼女は無言で頬笑みらしきものを返すだけだった。


「………………………………………………分かったわ!」


 アイシュワリアは決断を下した。


「〈じんりゅう〉のコントロールはこの私と私が率いる〈ナガラジャ〉に任せなさい! 姉様! …………だけど――」


 アイシュワリアは勢いよく宣言した後で、新たな疑問にぶち当たった。


「私達が上手くコントロールして、〈じんりゅう〉をグォイド・スフィア弾に追いつかせたられたとしてもよ…………そこで姉さま方はどうやって奴をやっつけるつもりなの?」

 







「ふう……」

「なんとか間に合いましたね艦長」


 テューラ司令ら木星上空SSDFとの交信を終えると同時に、艦長席へと深く沈みこんだユリノに、サヲリがそう声をかけてきた。


 木星雲海深度2300キロ・大赤斑エクスポート発射口・リングのそば、【ザ・トーラス】から約2キロの位置、〈じんりゅう〉バトルブリッジ内――


「……これで……〈じんりゅう〉だけじゃなく、下手すると人類全体もう後戻りできなくなっちゃったわね……」

「気にすることはないぞユリノ、この宇宙でグォイドと戦っているご時世にはよくあることだ」


 溜息混じりに呟くユリノにカオルコがポニーテールを翻しながら告げた。


「……そういう責任あるポジションは、せめて〈じんりゅう〉以外の艦にお任せしたかったわ……で、こっちのスタンバイは大丈夫そう?」


 ユリノはバトルブリッジの最前列に向かって声を掛けた。

 バトルブリッジ最前列の右舷側・操舵席、左舷側・電側席のそれぞれの後ろには、現在ケイジとヒューボの手によって、新たな座席が取り付けられていた。


「いけそうだぜ艦長」

「フォムフォム……問題無い……」


 据え付けられた新たな座席に着いていたクィンティルラとフォムフォムが、HMDを掛けた頭で振り返り返答した。


「ボクは不安が増したけどなぁ……」


 クィンティルラの前にある本来の操舵席にかけていたフィニィがポツリと呟いた。

 ケイジ少年のアイデアが出されてから約二時間が経過し、白熱したブリーフィングの末に結論を下した〈じんりゅう〉は、軌道エレベーターのピラーに取り付けられ、超ダウンバーストによって降下した耐圧通信デヴァイスを目指して再び潜航し、サティの協力でまた木星上空SSDFとの交信に成功した。

 が、その行いは高温高圧大気内での〈じんりゅう〉の残りシールド耐久時間を大きく奪う結果ともなった。

 もうここから普通に上昇をかけたのでは、浮上前にシールド耐久時間を越え〈じんりゅう〉が圧壊してしまうことが決定していた。

 〈じんりゅう〉が無事に木星から脱出するには、もう【ザ・トーラス】内に再突入し、惑星間レールガン弾体として飛び出る以外に道は無い。

 木星上空SSDFとの連絡がつき、〈ナガラジャ〉の【ANESYS】によって、惑星間レールガンとしての〈じんりゅう〉をコントロールしてもらう算段がついたことで、とりあえず最大いの懸念事項の一つが解決したわけだが、それでもまだ解決すべき問題は残っていた。


「とりあえず、これで〈じんりゅう〉の【ザ・トーラス】への再突入は可能になったのよね?」


 ユリノは念を押すようにブリッジ前方に向かって尋ねた。


「まぁ何とかなったというか、打てる手は打ったと言いますか…………だね艦長」

「大丈夫だってフィニィ、俺が操縦した〈ユピティ・ダイバー〉だって【ザ・トーラス】に入れたんだ。確かに〈じんりゅう〉は〈ユピティ・ダイバー〉よりでかいし重いが、いけるいける!」


 慎重に答えるフィニィに対し、クィンティルラが軽薄極まりなく答えた。


「ま、できることを全てやってあるならばそれで結構よ。どっちにしろ、その作業はグォイド・スフィア弾に追いついた時に必要になってくるし」


 ユリノはそれ以上考えても無駄だと判断し、後は運命を天に委ねることにした。

 【ANESYS】戦術マニューバ無しで、如何にして〈じんりゅう〉をシンクロトロンとして可動中の【ザ・トーラス】内に再突入させるか?

 また木星から発射された後、グォイド・スフィア弾に追いつき、“〈じんりゅう〉”の【ANESYS】で交戦する直前までの間、如何にして超高速移動中の〈じんりゅう〉を操舵するか?

 この問題の解決……というより対応策は、乗るべき艦載機が無くなり手の空いているクィンティルラとフォムフォムを操舵の補助に回すというものであった。

 言い出したのは例によってケイジ少年だった。

 彼は発言する度に脂汗をかいている割に、それでも決して発言自体を控えようとは思わなかったらしい。

 人類の運命がかかっている時に、遠慮などしている場合では無いという理性が勝ったということなのだろうか。

 彼はクィンティルラとフォムフォムの操縦スキルを、〈じんりゅう〉の操舵にも転用できるように、現在格納庫で擱坐中の昇電DSから操縦席を取り外し、バトルブリッジ内に操縦補助席として取りつけることを提案し、その作業をヒューボットと共に約90分程成し遂げてしまった。

 補助席用に新たなビュワーを設けることはさすがに無理であったため、使用者への情報伝達はすべてヘッドマウントデイスプレイで賄うことにしてある。

 この処置がどこまで活かせるかはユリノにもケイジ自信にも分からないが、それでも出来ることはやっておいたという自信にはなった。


「艦長、大赤斑エクスポート発射口に開通の兆候を確認、あと3分程で木星UVユピティキャノンの発射と同時にグォイド・スフィア弾が射出される模様デス!」


 ルジーナの報告。


「とうとう来たか……」


 ユリノは艦長帽を脱ぐと、髪を書きあげ再び被り直した。

 ケイジ案を実行するには、まずグォイド・スフィア弾の発射を許さなければならない。

 そしてそれを許したら最後、〈じんりゅう〉には失敗は許されなかった。

 この作戦にはプランBは無いのだ。


「総員、第一種戦闘配置に付け! サティはただちに格納庫に帰って来て! え……………………ケイジ君はどこ?」

「すいません! 艦内を目視点検してたら遅れました!」


 ユリノがふとブリッジを見回し、ケイジ少年がいないことを誰かに訊こうとしたまさにその瞬間、装甲宇宙服ハード・スーツを着こんだケイジがブリッジに駆け込んで来ると、そう言いながら肩で息をしつつ敬礼した。


「ふう……これで全員そろってるわね?」 


 ユリノは改めてバトルブリッジ内を見まわした。

 サヲリ、カオルコ、フィニィ、ルジーナ、おシズ、ミユミに加え、クィンティルラとフォムフォムがいて、そして何よりもケイジ君がいる。

 ついでにエクスプリカとサティもいる。

 不安は多々あったが、それでもユリノは、ブリッジに集まったクルーの顔を見回すと、――どうにかなるんじゃないの? ――という気分になってくることを不思議に思った。


「よし、みんな、いっちょやったろうじゃないの!」


 ユリノの言葉に即座に返って来るクルーの“了解”という声。

 だがユリノはそこで、未だに立ちっぱなしのケイジ少年に気づいた。


「ケイジ君、座らないの?」

「いや……あの……でも良いんでしょうか? あの俺が座っても……」


 ケイジ少年は機関部席の傍で、この期に及んでも、まだもじもじとしながら突っ立っていた。

そういえば、彼は〈じんりゅう〉のブリッジに足を踏み入れても、まだその席に座ったところを見た事が無かった。

 彼の身になって考えれば、仕方のないことなのかもしれない。

 ただの三曹の少年が、〈じんりゅう〉のブリッジの一席に座ることを躊躇してしまうのは、責められはしなかった。

 かつて彼はこの艦で掛け替えの無い役割を果たしたのだが、その記憶は〈じんりゅう〉の勝利と引き換えに失われてしまたのだ。

 ユリノはケイジ少年に、如何に自分達が彼に感謝し、大切に想っているか伝えたかったが、それは禁じられていた。

 だから、ユリノは精一杯の優しさを込めて彼に告げた。


「ケイジ君、その機関部できはもうあなたの担当席なのよ、だから安心して、自信をもって使って良いのよ……」


 そう声をかけると、ケイジ少年は微かに顔を赤らめてから「ハイ!」と答え、キルスティが使って以来、誰も座ることの無かった〈じんりゅう〉機関コントロール席へと座ろうとして…………失敗した。

 キルスティの体格に合わせて縮められていた肱掛けがつっかえたのだ。

 少年は顔をますます真っ赤にしながら笑って誤魔化すと、急いで座席を調節して、今度こそ機関部席に身を沈めた。

 〈じんりゅう〉すぐそばの大赤斑エクスポート発射口内を木星ユピティキャノンの閃光が通過してブリッジを照らすと、続いてグォイドスフィア弾が激震と共に通過し、木星から水星へと向かって放たれたのは、その後間も無くのことであった。








▼〈じんりゅう〉による水星に向け飛翔中のグォイド・スフィア弾に対する追撃作戦

・仮称『メルクリウス(※俊足の神)作戦』実施要項


・フェイズ1

 ――グォイド・スフィア弾発射直後の【ザ・トーラス】への再突入を果たしつつ、サティを通じての異星AIコンタクトによって、大赤斑エクスポート発射口を開通状態のまま維持する――



「いけ~! フィニィ! クィンティルラ!」


 全クルーが座席でシートベルトを直用しGと衝撃に備えた中、 ユリノが叫ぶ同時に、〈じんりゅう〉が艦首を下げ、再び【ザ・トーラス】へと向かいだした。

 大赤斑エクスポート発射口を反時計回りに周回しつつ、間南側から円環状真空空間へと突っ込み、真東方向へと周回をせんとする。

 高温高圧かつ高速のガス潮流から【ザ・トーラス】内に突入するのは、【ザ・トーラス】を形成している直径4000キロのリング状巨大物体へ衝突する危険を意味していたが、それはただ頑張って避ける以外に対処のしようが無かった。

 バトルブリッジ内に衝突警告アラートがけたたましく鳴り響く中、ユリノはメインビュワーに迫る【ザ・トーラス】を示す蛍光グリーンの壁が画面一杯に迫ると、思わず目を瞑った。

 その次の瞬間、バトルブリッジがそれまでの嘘のような静けさに包まれた。

 高温高圧大気内から真空へと移動した為に、それまでブリッジ内に響いていた風鳴りが消え去ったのだ。 

 〈じんりゅう〉は巨大円環状真空空間へと突入を果たしていた。


 ――もう入ったの!?


 フィニィ、とクィンティルラの二人操舵態勢が上手くいったのか、意外とすんなり【ザ・トーラス】への突入が成されたことに、思わずユリノは心の内で歓喜した。

 だが、もちろん喜んでいる場合では無かった。

 微かな安堵を覚えた次の瞬間、ブリッジに蹴飛ばされたような衝撃が走ったかと思うと、猛烈な加速Gがあらゆる方向へ移動しながら襲いかかってきたのだ。

 【ザ・トーラス】内のシンクロトロン効果が〈じんりゅう〉を急加速させはじめたのだ。

 同時にメインビュワーの向こうの景色がデタラメに回転しているのが見えた。

 突入と同時に〈じんりゅう〉がランダム回転運動をはじめてしまったからだ。

 直ちににブリッジ前方でフィニィ、とクィンティルラが「ふんが~!」と揃って呻きながら艦の姿勢を正そうとし始めると、Gの方向が艦尾方向へと定まって行きはじめた。


「サティ! 大至急異星AIに大赤斑エクスポート発射口の開通とその維持を頼んで!」


 ユリノは艦長席の肱掛けを握りしめながら叫んだ。

 『はぁい』というサティの返事が聞えた気がするが、艦長席から飛ばされないだけで精一杯であまりよく分からなかった。

 とりあえず、作戦フェイズ1で〈じんりゅう〉ができることはやった。

 ここまで上手く行ったかどうかは、すぐに分かるはずだった。






▼『メルクリウス作戦』実施要項

・フェイズ2

 開通を維持された大赤斑エクスポート発射口より【ANESYS】起動中の〈ナガラジャ〉からのコントロール信号を受けつつ周回急加速、惑星間レールガン弾体としての速度を獲得し次第、大赤斑エクスポート発射口よりグォイド・スフィア弾に向け発射される。



『VS‐805〈ナガラジャ〉より〈じんりゅう〉へ、大赤斑エクスポート発射口の開通とプローブによる信号の中継を確認! これより【ANESYS】を用いて貴艦を強制遠隔操縦オーバーライドする。クルーは急加速に備えられたし!』


 〈じんりゅう〉バトルブリッジにアイシュワリアの声が響く。

 それは同時にサティによる異星AIへのコンタクトが真実であり上手くいった証でまあった。


「〈じんりゅう〉了解! お手柔らかに頼むわ!」


 ユリノはまさ加速するの!? と驚きながらも〈ナガラジャ〉へと返答した。

 〈ナガラジャ〉からの強制遠隔操縦オーバーライドが始まったことは、艦の姿勢が安定すると同時に、さらなる急加速によって、ユリノの背中が座席に猛烈に押し付けられることによってすぐに分かった。

 同時に、メインビュワーに位置情報視覚化LDVプログラムによって映された【ザ・トーラス】の円環の中心から見た景色が、艦尾方向へと認識不可能な速度で去って行く。

 これと同じ景色をグォイド・スフィア弾は見たのか……とユリノはそんなことを感じた。

 ただ〈じんりゅう〉がグォイド・スフィア弾と違っていたのは、〈じんりゅう〉が彼のグォイドに比べて圧倒的に軽いことであった。

 グォイド・スフィア弾が【ザ・トーラス】内を数時間かけて加速した速度に達するまで、〈じんりゅう〉の場合は5分もかからなかった。


[ゆりのヨ、【ANESYS】中ノ〈ながらじゃ〉カラ、予定こーすトたいむすけじゅーるガ送ラレテキテ

イルソ]


 高G加速中でも涼しい声のエクスプリカが、ブリッジ中央のホロ総合位置情報図スィロムに、当初の予定通りで〈じんりゅう〉がグォイド・スフィア弾へと追いつくコースが描かれた。

 フェイズ2もは予定通りに進行中だ。


「艦長、大赤斑エクスポート発射口まであと20秒、間も無く木星からの発射となりますデス!」


 ルジーナの報告。

 ユリノは一瞬、正体不明の名残惜しさのいうなものを感じた。

 あれだけ脱出したいと望んでいた木星から、別れの感慨にふける間も無く飛び立ってしまうのだ。


[ゆりのヨ〈ながらじゃ〉ヨリめっせーじガ来タゾ、『グッドラック〈じんりゅう〉』ダソウダ]


 エクスプリカからの伝言は、〈ナガラジャ〉からの別れの言葉でもあった。

 ユリノは何か〈ナガラジャ〉に答えようと思ったが、その前にメインビュワーに映る円環の彼方に黒い点が見えたかと思うと、それは瞬時に巨大化し、〈じんりゅう〉はその中へと飛びこんでいた。

 黒い点に見えたものが大赤斑エクスポート発射口から見た漆黒の宇宙空間だと分かった頃には、〈じんりゅう〉は木星の外へと飛び出していたのだ。

 位置情報視覚化LDVプログラムではないの宇宙空間の星の海原の映像が、久しぶりにビュワーを満たした。


 ――ああ……さようなら…………行ってきます……!――


 ユリノはテューラ司令やキルスティやノォバ・チーフ、〈ナガラジャ〉の皆に心の中で別れを告げつつ、今まで過ごしてきた木星に向けテレパシーを送った。

 艦尾映像の中で、様々な濃さの赤褐色が混じりあう巨大な雲の惑星が、猛烈な勢いで小さくなっていく。

 〈じんりゅう〉は当初の計画の通り、いやそれよりももっと順調に、木星から、水星へと向かうグォイド・スフィア弾を追いかける旅を始めた。

 その戦いの決着がつくのは、想定よりも早くなりそうであった。

 それは〈じんりゅう〉とそのクルーにとってありがたい事であった。

 内太陽系へ破片をまき散らさないようにグォイド・スフィア弾を破壊するには、彼のグォイドとの接触が早いに越したことはないからだ。

 【ザ・トーラス】のシンクロトロン効果による加速が止み、一時の平穏が訪れた〈じんりゅう〉バトルブリッジ内で、ユリノは叫んだ。


「メルクリウス作戦フェイズ3へ移行! ケイジ君! たのんだわよ!」


 ユリノは〈じんりゅう〉に残された最後の切り札に願いを託した。

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