♯2
ユリノは久しぶりに姉の夢を見ていた。
だが悪夢ではない。
とてもとても幸せな夢だった。
第五次グォイド大規模侵攻迎撃戦を無事乗り切ったユリノは、〈じんりゅう〉が母港の〈斗南〉ステーションに帰還するなり、そこに住む姉夫婦のもとに駆けつけたのだった。
そこでは無邪気な笑顔と共に母親に甘えまくる姪のユイと、義兄、そして姉レイカが、食事を作って待っていてくれた。
すでに【ANESYS】の適正限界を迎えた姉は、SSDFを退役し、ここで専業主婦をやっている。
ユリノは〈じんりゅう〉の新たな艦長になって以来、任務を終えて〈斗南〉に帰る度に、姉夫婦の家へ食事に行くのが恒例となっていたのだった。
一応の表向きの理由は、姪であるユイの顔を見に行く為だ。
自分の子供では無くとも、一部とはいえ自分と同じ遺伝子を持つ姪に、ユリノは無限に湧きあがる愛情を感じずにはいられなかった。
だから会い行く度に、目一杯に姪を甘やかせまくった。
だが、今回は少しだけ事情が違った。
今回、姉の家を訪問したのは、姉レイカに相談があったからだ。
とてもセンシティブで、姉以外には到底できない相談だ。
ユリノは、まず彼女にこの悩みを打ち明けようと、訪問したのだった。
――気になる人ができちゃった……どうしよう?
少しばかり年下の航宙艦エンジニアの少年に抱いたこの想いをどう処理すべきか、自分では皆目分からなかったのだ。
だから、VS艦隊の艦長でありながらさっさと結婚して子供を設けた姉に、どうしたら良いか訊きたかった。
だが、ユリノは結局、姉にこの悩みを打ち明けることが出来ないまま、姉夫婦宅を去る時間が来てしまった。
やっぱり恥ずかしくて口にする勇気が出てこなかったのだ。
しかし、姉はユリノが自ら打ち明けるまでも無く、全てお見通しだった。
「幸せになりなさいユリノ……出来るだけ長生きして、好きな人ができたなら、その人とたくさん子供を産みなさい」
玄関から出る間際、ぎゅっと
「でででで、でもでも……!」
――私が誰かを好きになっちゃったら、迷惑がかかる人だっているんだよ!
――向こうにだって選ぶ権利があるんだよ!
――もしも…………もしも振られちゃったら……私どうすれば良いっていうの!?
ユリノは言いたいことが色々あったが言葉が出てこなかった。
姉はそんなユリノの唇に人差し指をあてて制した。
「ユリノは色々考えちゃうんだろうけどさ、やってみなきゃ分からないことは、やってみなきゃ分からないんだよ」
姉は抱きしめながら、背中を優しくぽんぽんと叩き続けた。
「ユリノは、これまでに人生を、戦いを、一切手を抜かずに全力でぶつかって来たんでしょ? だったら迷う事に時間をかけるのは論理的じゃないんじゃない?」
「お姉ちゃん…………そんなこと言われたってさ……」
ユリノはそこから先に言葉を続けることが出来なかった。
言うべきことや言いたいことがもっとたくさんあったはずだったが、こうして姉に抱きしめられていると、胸の奥のモヤモヤも、悩みも不安も、解けていってしまうような気がした。
ずっと姉にこうしてもらえたなら、勇気が湧いてくる気がした。
これでは姪を甘やかしに来たのではなく、姉に甘えに来たようだ。
「じゃ、そろそろ時間だから、わたし行くね」
「?」
ユリノが姉の言葉に違和感を感じた時には、既に姉は背を向け、とても遠くを歩き去って行くところだった。
「!?…………ま、待って! お姉ちゃん!」
慌てて去りゆく姉に手を伸ばし、彼女を追いかけようとして、脚が重くて動かないことに気づいた。
「ま……………………待ってよぉ!」
ユリノがいくら叫んでも姉は振り返りもせず、姉の家でも〈斗南〉でも無い、暗がりの中へと去って行った。
ユリノは混乱した思考の中で、自分が薄暗がりの部屋の天井に手を伸ばしていることに気づいた。
――これは夢だ……。
いや……今もまだ夢の続きなのかもしれない。だが少なくとも今見ていたのは夢だ。
何故なら姉はもう…………いない。
――もう慣れたと思ったのに…………!
ユリノは自分がいつどのようにしてここにいるのかも思い出せないまま、ベッドの上で置きあがり膝を抱えると、ただ声を殺して泣いた。
夢の中で姉夫婦と姪と過ごす時間が楽しくて幸せであればあった程、体が震えて止まらぬ程、急速に胸の奥が凍りついて行くような悲しみと、猛烈な寂しさを覚えた。
「え~こほん、あのぉ……」
だから夢の中で姉に相談しようとしていた少年が、何故か目の前に現れると、信じられないくらいに嬉しかった。
「…………ケイ……ジくん……なの?」
これは夢なのか現実なのかは分からない。
だが思わず抱きしめずにはいられなかった。
「わ~ん! ケイジくんだぁ~!」
どうせ夢なんだからと。
最後に会った時よりも半年分成長した彼の体の感触は、姉とはまったく違っていた。
柔らかさはよりも弾力が勝っている気がする……それに燃えるように熱かった。
そしてなによりも、物凄く実在感があった。
ユリノはそのことに猛烈な安心感を覚え、ついさっき見た夢で感じた喪失感が埋められていくのを感じながら、また夢すら見ない程の深い眠りへと落ちていった。
やたら引きの遠景の宇宙から、画面がひたすらズーム、虚無空間、泡構造宇宙、銀河団、天の川銀河、オリオン椀、太陽系、そして土星・木星間の戦場へと繋がっていく。
ド派手なBGMに合わせ、大仰な筆文字で描かれた映画タイトルが起き上がってくる。
続いてナレーションが始まる。
『時に23世紀の初頭、人類は遥か深宇宙より飛来し、地球を我がものにせんとする謎の敵性異性体グォイドの襲来により、かつてない存亡の危機を迎えていた!
人類は、太陽系防衛艦隊――通称SSDFを創設し、これに対処した。
そしてその中に、適正を持つ少女でしか扱えない超高速情報処理システム【ANESYS】を用いることで、敢然とグォイドに立ち向かう艦隊があった。
名を〈ヴィルギニー・スターズ〉!
彼女たちの艦隊である!』
サティはもう数え切れないほど何度も聞いたその言葉に、体にUVエネルギーとは別種の力がみなぎるような気がして目が覚めた。
「おおおおおおルジーナ! 目が覚めたみたいだぞ!」
「あ……ああああ~! サティ殿ぉ~良かったデスぞな~!」
――〈じんりゅう〉艦尾上部格納庫――
『ルジ氏にクィンティルラさん……これはいったい……?』
サティは自分の触椀の一つに抱きつくルジ氏と、その傍らに立つクィンティルラ氏に尋ねつつも、瞬時にしてここに至った状況を思い出していた。
有象無象グォイドが攻撃してくるまっただ中を、〈ユピティ・ダイバー〉と共に〈じんりゅう〉に帰ろうとして、何発かグォイドに撃たれたのだ。
まさに絶体絶命の状況であったが、〈ユピティ・ダイバー〉内にいた例の少年がUVエネルギーを分け与えてくれたことで辛うじて命を繋ぎとめたのだ。
そして………………サティは自分が最初にルジ氏と出会った〈じんりゅう〉上部格納庫の最奥で、昇電DSの機体後部を飲みこみながら、無数の触椀を伸ばして格納庫内壁にへばり付くような形で固まっていることに気づいた。
昇電DSは、数枚の衝突防止用のネットを突き破り、機首を格納庫の奥の壁にぶつける直前で止まっていた。
『ワタクシ……ちゃんと〈じんりゅう〉に戻れたんですね…………あのケイジさんは?』
サティは姿の見えない命の恩人の安否が気になって尋ねた。
「奴なら無事だよ、心配しなくて良い。
だがお前さんの方がここで固まったまま全然目覚めないもんだから、ルジーナがめちゃめちゃ心配してだな、ケイジのそばにいるのを切りあげて、お前さんの傍で大ファンな『VS』を再生したらひょっとしたら目覚めるかもと思って、
クィンティルラ氏が、今も背後の格納庫の壁に投影され続けているアニメ『VS』の映像を親指で指し示しながら説明してくれた。
そして「まさかホントに効くとは……」と呟いた。
『ああ……ルジ氏……』
サティはルジ氏の心遣いに言葉が出てこなかった。
『あの……それでグォイド・スフィア弾との戦いはどうなんたんですか?』
「安心しろ! そっち方面はとりあえず解決したから、今〈じんりゅう〉は安心安全だ」
『ああ、そうなんですね! 良かった……』
「あ、あ、あ~こほん! こほん! ところでサティ? 目覚めてすぐで悪いんだが、オレの昇電を床に降ろしてはもらえまいか? そのままじゃメンテもできないんだ」
『え? あ、はい! これは失礼しました』
クィンティルラ氏に言われ、サティが慌てて己の体に半分飲み込んでいた昇電の機体をそっと床に下ろすと、彼女は「ああオレの昇電が……」と駆け寄って行った。
どうやら彼女は、自分が昇電を降ろすのをずっと待っていたらしい。
「サティ殿! 大丈夫デスかな? どこか痛いところとかは?」
何度も鼻を啜りあげながらルジ氏が尋ねてきた。
『は……はい、お陰さまでもちろん元気です!』
「よかったなぁルジーナぃ」
サティの答えに、そばに来たクィンティルラがルジ氏の背中を叩きながらそう告げた。
常にHMDゴーグルを掛けているルジ氏の目に涙は見えなかったが、彼女は何度も無言で頷いていた。
『ごめんさい、そしてありがとうルジ氏。ワタクシご心配をかけてしまったみたいですね…どうか泣かないで下さい………ワタクシはもう元気ですから……』
サティは謝り、そして彼女らの心遣いに心から感謝した。
『眠っていたんですね……ワタクシ……』
サティは目覚めた今となってから驚き、思わずそう呟いた。
気絶したというならばともかく、サティはこれまで眠ったことが無い、少なくとも自覚的には。
サティらクラウディアンが住む木星大気内の奥底は、高温高圧かつ猛烈なガス潮流が吹きすさぶ過酷極まる環境下であり、身を守る為の警戒を一切止め、人間が行うような睡眠などという行為をする余裕は無く、またサティ自身の生態として、必ずしも睡眠を必要としてはいなかったからだ。
だが、今回は違った。
〈じんりゅう〉という安全な空間にいることで、サティはは生まれて初めて、一切の身を守る為の一切の警戒を止め、言い方を変えれば恐ろしくリラックスした状態となることが許されたのだ。
その結果、彼女は始めて睡眠と言える状態になったのだ。
「どうかしたのですかサティ殿?」
ルジ氏からの質問に、サティは一瞬言葉に詰まった。
自分が睡眠中に体験したことを何と呼べば良いのか分からなかったからだ。
だが、その言葉にはすぐに思い至った。
『ルジ氏、それにクィンティルラさん、ワタクシ……どうも“夢”を見ていたみたいです』
サティは何故か、今しがた自分が経験したことを聞いて欲しくてたまらなくなった。
グォイドに撃たれた傷は深かったが、昇電DSから分け与えられたUVエネルギーのお陰で、己の体は着々と回復しつつあった。
そして傷を癒やす以外にすることが無くなったことが、彼女の意識に“夢”としかいえないものを見せたのだ。
「夢? どんな?」
『え~と……不思議ですね、うまく言葉にできません……』
自分で言いだしておいて答えられないことに、サティは自分でも驚いた。
「おお、ホントに夢らしいな」
しかしクィンティルラ氏からはそんな反応が返って来た。どうもニンゲンの見る“夢”もそういうものらしい。
サティはなんとか記憶を掘り起こしながら話を続けた。
『え~っと……誰かと話していた夢です。〈じんりゅう〉のメインブリッジでカウチソファに寝そべりながら…………』
「お前さんが? ブリッジで? ソファに寝そべって? ……誰とさ?」
クィンティルラ氏が当然の疑問を投げかけたが、サティはうまく答えられなかった。
巨大かつ不定形な自分が、入ったことも無い〈じんりゅう〉のブリッジの中にいて、ソファに
「ま……夢だからな……」
クィンティルラ氏が黙りこんでしまったサティをフォローするかのように続けた。
『すいません。夢を見るのはこれが初めてだったものですから……』
「……でサティ殿、その夢の中でメインブリッジでソファに寝そべって何をしてたのデス?」
『え~っと、誰か女の人にカウンセリングを受けていたんですルジ氏』
「カウンセリングって悩み相談するアレか? で誰か……って、だれ?」
『さぁ……よく思い出せませんクィンティルラさん。クルーの誰かではないみたいです……でも見覚えはある人なんです……いったい誰だったのでしょうか……?』
「【ANESYS】のアヴィティラとかデスかな?」
『ああ! 確かに! ……でも……似てるけれど……なにか違う気がします…………ともかくその人が……なにやらワタクシについて根ほり葉ほり訊いてくるんです』
「根ほり葉ほりデスとな?」
『生きるとは何か? 生命とは何か? あなたの存在意義とはなにか? そしてあなたは何を望むのか? ……みたいな……』
サティは何とか見た夢の説明を試みたが、それはなかなかに難儀な行いであった。
ただでさえ掴みどころが無い話な上に、サティは夢を見たのはこれが初めてなのだ。
しかしルジ氏とクィンティルラ氏に話しているうちに、段々と記憶と思考が明確化していくのを感じた。
――夢の中で話しかけてきた
サティは思い出せそうでなかなか思い出せないもどかしさに、その巨大な身体をもじもじとさせ、周りの二人をビクリとさせた。
どうも有象無象グォイドに撃たれた時に、脳も兼ねた肉体それ自体の記憶領域の一部が断裂して、まだ完全に再生していないらしい。
それでもサティはなんとか話し続けているうちに、聞いている二人の顔が、ただの世間話を聞いている表情ではなくなっていくのを感じた。
『……で、その人は散々ワタクシに質問してきたあと、急に自分の役割とやらを説明しだしてきたんです……なんでも自分はここの管理者であり、アナタの記憶から理解しやすい姿を用いてコンタクトを試みたとかなんとか……それでアナタとアナタがいる器を、ここの利用者と認め? その利用方法と注意事項を説明する者である……とかなんとか言ってきたんですけどぉ……』
「おいおいサティ、それって…………そんな話……たしか『VS』にもあったな」
「ああ! 言われてみれば『VS』の『奪われたテレパシー』回や『戦慄のドリームアルゴリズム』回にそんな話がありましたデスね……」
クィンティルラ氏とルジ氏の言葉に、サティも心当たりがあった。
アニメ『VS』第34話『奪われたテレパシー』、第72話『戦慄のドリームアルゴリズム』はどちらも未知の生命体、あるいは知的生命体が〈じんりゅう〉クルーにテレパシーや夢を使ってコンタクトしてくる話だ。
今にして思えば、サティが夢で見た〈じんりゅう〉メインブリッジは、アニメで見た〈じんりゅう〉のブリッジであった気がする。
「サティ殿……ひょっとして、ワタシと初めて会った時みたいに……どこかの誰かから何か受信でもしてませんデスかな?」
『受信? あ…………』
サティはルジ氏の言葉に、唐突に思い出そうとしても思い出せなかった記憶が蘇るのを感じた。
そして自分が〈じんりゅう〉のクルーに重大な事を伝え忘れていたことに気づいた。
その忘れていたことこそが、今見た夢と関連しているのだ。
ルジ氏とは、彼女にしか受信できないテレパシーのような声無き声をを聞くことで、この格納庫内で出会い知りあった。
規模と内容こそ違えど、それと同じようなことが夢の中で起きたのかもしれない。
そしてその確信に至ると同時に、今この瞬間も、自分が受信を続けていることに気づいた。
『お二人とも! 今〈じんりゅう〉はどこにいるんでしょうか!?』
「はい? ああ今〈じんりゅう〉でしたら【ザ・トーラス】のすぐ外側の木星大気中に出て、大赤斑
『大赤斑
サティは猛烈な焦りを感じながら二人に告げた。
――その数分前――
ユリノはパチリと目が覚め瞼を開けると、天井から射す照明の眩しさに思わず片手で顔を覆った。そして起き上がろうとして、もう片方の手を誰かに握られていることに気づいた。
仰向けに寝ている自分の下半身の方に目を向けると、右手を握っていたのは、ベッドに上体を突っ伏して寝ているサヲリであった。
と同時に、ここが〈じんりゅう〉医療室のベッドの上であり、眠る前に何があったの記憶が一瞬にして蘇った。
グォイドとの死闘の末、【ザ・トーラス】か脱出した直後に、気を失ってしまったのだ。
ついでに幾つかの夢を見た気がしたが、今は思い出せなった。
思い出さない方が良い気も何故かした。
「あの……サヲリ?」
ユリノは小声で起こそうとして途中でやめた。
察するに、自分の看病をしていて、そのまま眠ってしまったのだろう。
ユリノは極めてレアなサヲリの無防備な寝顔が、医療室の照明で神秘的に照らされているのをしばしの間、目に焼き付けておいた。
それから、これではいつぞやと立場が逆だ……と思いつつ、彼女を起こしてしまわないよう気を使いながら起き上ろうとして、あっさり失敗した。
「艦長……起きたのですね」
サヲリはスイッチが入ったかのようにむくりと置きあがった。
「おおう……ごめん、起こしちゃったわね」
「構いません、艦長が目覚めてくれたことが大事ですから……身体は大丈夫そうですか?」
「ああうん。もう全然へーきみたい」
ユリノはガッツポーズして見せようとして、サヲリがまだ手を離してくれなかったので諦めた。
頭がまだ微かにぼんやりしているが、それは単に深い眠りから目覚めたばかりだからな気もする。
「心配……かけたみたいね……」
「確かに心配しました。カオルコが艦長席から転げ落ちるあなたをキャッチしていなければ、大変なことになっていたところです……」
サヲリは片手でベッドサイドの医療用モニターを操作し、ユリノを検査しながら答えた。
しばしの検査の結果、問題は無いようだった。
「……面目ない、サヲリ」
ユリノは安堵しながら謝った。
「すでに分かっているかもしれませんが、艦長は【ANESYS】
「ウうう……分かったわ。で今〈じんりゅう〉はどういう状況なの? ……サヲリがこうしていられるってことは、とりあえずは安全なんだろうけれど……私、どれくらいの時間眠ってたの?」
ユリノは内心かなり焦りつつも、冷静を装いながら尋ねた。
「現在、艦長が倒れてから約2時間が経過しています」
「うぇ!? そんなにぃ? じゃシールドの耐久限界までもう時間が無いんじゃないの!?」
ユリノは真っ青になって尋ねた。
ここはもう【ザ・トーラス】内とは違う、高温高圧かつ高速のガス潮流が吹き荒れる木星大気の奥底なのだ。
ここから脱出しようにも、大気外まで浮上するには相応の時間が必要なはずだ。
「心配には及びません艦長、〈じんりゅう〉は目下、木星大気深度・約2250キロを、大赤斑
上昇に伴って体気圧が減少していくため、シールド耐久限界までの時間が延長されていき、浮上に必要な時間はまだ充分に残されています」
「な……なるほどぉ」
ユリノは他ならぬサヲリが言うことなので、とりあえず納得しておいた。
「クルーは艦長が倒れたことを受け、交代で休憩をとらせています。ブリッジは今、先に休憩を済ませたカオルコとフィニィが直にあたっています」
「分かったわ……でグォイド・スフィア弾の様子は?」
「本艦が【ザ・トーラス】の外に出てしまった為に、ここ大赤斑
「そう……うん……まぁ良かった…………それで……あのぉ……昇電で帰って来た……」
ユリノはとりあえずの懸案が無くなると、改めて平静を装いながら尋ねた……つもりだった
「昇電DSでクィンティルラ大尉と共に帰還したサティは、未だに格納庫で昇電を抱え込んだまま眠った状態ですが、スキャンした限りでは生命活動は正常に行われているようなので、いずれ目覚めると思われます」
「ああ、うん分かったわ、それでぇ――」
「三鷹ケイジ技術三等宙曹は、艦長より先に目覚め、現在ミユミ少尉が付き添い、今後の処遇が決まるまで食堂で待機しています……」
ユリノの熱い視線に、サヲリはようやく答えてくれた。
「おお!」
「が、しかしです!」
サヲリがようやく知りたかったことを語りだし、ユリノが歓喜しかけたところで、突然彼女が言葉に力を込めたのでユリノはビクリとした。
「クィンティルラ大尉が持ってきたメモリーデヴァイス経由で、キルスティ少尉より、ケイジ三曹について重要なメッセージデータを受け取っています。
艦長が倒れた為、まずワタシが確認し、副長判断で他のクルーにもすでに見せています。
艦長はまずこのメッセージを確認してください」
「は……はい」
ユリノは真剣な眼差しで言うサヲリに、とりあえず頷くほかなかった。
サヲリがタブレットに落とした映像の向こうで、短い銀髪の少女が、映像を見る者に向かって語り出した。
絶体絶命の〈じんりゅう〉から、クィンティルラと共に自分達だけ脱出することを許され、そして今度は木星上空に一人だけ残った〈じんりゅう〉の幼き新任機関長キルスティ。
彼女の口から語られるメッセージ映像、それは簡単に言えば、キルスティがケイジ少年を“何故”〈じんりゅう〉に送り込もうと思ったかの理由説明と、ケイジ少年に〈じんりゅう〉クルーが接するにあたっての注意事項であった。
まず、ケイジを行かせた理由は、そうすることで〈じんりゅう〉クルーの【ANESYS】統合レベルが上がると確信していたからだという……。
それ以外に論理的・科学的な理由説明は一切無かった。
――いや『確信したから』って……。
ユリノは思ったが、悔しい事にというか情けない事にというか、確かにケイジ少年との合流直後に行った【ANESYS】
おかげで自分が倒れてしまった程に……。
もしケイジ少年がの絶体絶命のタイミングで駆けつけてくれなかったら……いかに【ANESYS】
ケイジ少年の存在と彼の尽力が、グォイド・スフィア弾の発射阻止の重要な要因の一つであったことは確かに否めない。
ユリノはキルスティの判断が、結果的に間違って無かったことを認めざるをえなかった。
そして、ケイジ三曹に接するにあたっての注意事項とは、もちろん【ANESYS】の統合時の妨げとなるような色恋沙汰になりような事態は避けること! ……と念を押してはいたが、
それとは別に、彼の記憶喪失に関する注意事項も含まれていた。
半年前のケレス沖会戦時の記憶をケイジ少年はまるまる失っているが、その記憶を取り戻して欲しいと望むならば、何があったかを直接ケイジ少年には教えてはならない……というものであった。
下手に教えてしまうと、それを元に記憶を創作してしまう可能性があるからだそうだ。
「ホントに……何も覚えてないのね……」
「そのようです艦長――というわけですので、艦長もケイジ三曹と会う際はくれぐれも気を付けて下さい!」
「わ……分かった! 分かったってば! それで……もうケイジ君にはみんな会ったの?」
ユリノの問いにサヲリは首を横に振った。
「ケイジ三曹と話しているのは、昇電で一緒に来たクィンティルラ大尉を除けば、今のところ一応衛星士補の立場からミユミ少尉だけです……あと医療室でか――………」
「ん? なに?」
「いえ、覚えていないなら結構です」
サヲリが何か不穏なことを言った気がしたが、ユリノは精神的健康維持の為に追求しないでおくことにした。
「……そっか」
ユリノはサヲリの報告に、なんとなくだがミユミ以外の他のクルーが、まだケイジと再会していない心境が分かった気がした。
彼と会うのに緊張しているのは自分だけでは無いらしい。
そして……ユリノはもう一つの現実にも行きついていた。
たとえここで再会したとしても、すぐにまた別れはやって来るだろうということを……。
地球圏を狙うグォイド・スフィア弾の企みは、すでに阻止したと言っていいだろう。
仮に彼のグォイドがまだ地球圏への攻撃をあきらめていないとしても、次の発射ウィンドウが開くまでに、人類の防衛態勢が整っているはずだ。
もう〈じんりゅう〉にはすべきことも、出来ることも無い。
ここでシールド限界時間までグォイド・スフィア弾を監視したら、あとは〈じんりゅう〉は浮上し、木星上空の僚艦と合流するしかない。
そうしたならば、当然ケイジ少年は〈じんりゅう〉を降りることになるだろう。
この再会はあくまで束の間でしか無いのだ。
いま会えば、それだけ別れる切なさが増すだけの気がして、再会を躊躇ってしまうクルー達の気持ちが、ユリノには分かる気がした。
だが、いつまでもここでじっとしてるわけにもいかなかった。
「よし、とりあえずブリッジに行くわ。エクスプリカのグォイド・スフィア弾の観測結果を聞きいた上で、全体ブリーフィングして今後の動向を決めないと……」
「! …………」
ユリノはベッドから降りようとして、サヲリがはっと息を呑み、何か言おうとするのを我慢したのを感じた。
「サヲリ、私なら大丈夫だから! もう無茶はしないから!」
「……ほんとぃ?」
ユリノは微かに瞳を潤ませ始めた〈じんりゅう〉副長に、何度も約束した。
どうやら自分は思ったよりもはるかに彼女を心配させてしまったらしい。
ユリノは最後にお願いした。
「私なら大丈夫だから、……だからもう握った手を離しても大丈夫だから……」
ユリノは目覚めて以来、握ったまま離してくれないサヲリの手を示して言った。
「どうせ止めたって無駄なのでしょうしね……」
サヲリは溜息混じりにそう呟くと、ようやく手を離してくれた。
予測すべきことではあったが、〈じんりゅう〉に滞在するということは、かなりの緊張を強いられる行いであるということをケイジは知った。
……なにしろ目覚めるなり、いきなり艦長たしき女性に、名を呼ばれながら抱きつかれたのだから。
そして同時に、本当に自分が半年前に〈じんりゅう〉を訪れていたことを、ケイジは改めて実感した。
――本当に俺はここに来たことがあるんだ…………。
別にキルスティ少尉やテューラ司令の言葉を疑っていたわけではないのだが、“ケイジ”と名を呼ばれながら抱きつかれたら、もう信じないわけにはいかなかった。
ケイジは医療室で目覚めた後、再会したミユミによって引っ掴まれ、とりあえず〈じんりゅう〉食堂へと移動させられていた。
ちなみに目覚めるなり寝ぼけて抱きついて来た艦長らしき女性は、メディカルヒューボットによって、粛々とまたベッド戻されていた。
それから今まで、記憶の限りでは五年ぶり、だが実際には半年ぶりに再会した
ケイジはミユミのその顔に、胸が締め付けられるような思いがしたが、思い出せない以上、何も答えることが出来なかった。
再会した彼女は、目の錯覚を疑う程に、ケイジの知る他のVS艦隊クルーと遜色ない美貌に成長していた。
正直なところ心臓に悪い。
ケイジはテヴィリスがいた〈ワンダービート〉での生活が、まさか懐かしくなるとは思わなかった。
だが、不思議なことに、慢性的に襲い来る右脚の痛みは、〈じんりゅう〉で目覚めて以来、何故か襲ってくることは無かった。
ケイジは落ちつかない時間を過ごすことになったが、ミユミから聞いた話によれば、その時間も長く続くことは無いようだった。
なんとケイジが昇電DSの中で気を失っている間に、グォイド・スフィア弾の発射阻止が成されてしまったらしい。
キルスティ少尉からは、自分が〈じんりゅう〉に乗ることがとても重要だ云々と言われた気がするが、乗った瞬間に目的が達成されてしまったのでは、正直拍子抜けであった。
自分はいったい何をしにここに来たのだろうか?
だがケイジの曰く言い難い憤りは、〈じんりゅう〉食堂に響いた艦内通信によって中断された。
――全クルーってのには自分も含まれるのかしらん?
ケイジは悩む間も与えられずに、ミユミに手を引かれながら〈じんりゅう〉バトル・ブリッジへと向かうこととなった。
そして〈じんりゅう〉バトルブリッジの手前――。
「…………ぱ~…………ぱ~…………ぱ~………………」
ゆっくりと、おごそかに、一音ごとに転調していく彼女の声。
それに合わせ、少年は一歩……また一歩と足を踏み出していった。
「ぁ~…………じゃじゃぁ~ん!」
『でんどんでんどんでんどんでんどん』
「ルジーナにサティ、ケイジ君が一歩ブリッジに入る度に『ツァラトゥストラはかく語りき』を口三味線で奏でるの止めなさい!」
ユリノはケイジ少年がおずおずちバトルブリッジに入るなり、口三味線で歓迎しているのか、からかっているのか分からないルジーナとサティに注意した。
「す……すみませぬ」『ごめんなさい艦長』
怒られてしゅんとするブリッジ最前列のHMDを付けた少女と、格納庫にいるサティの声がスピーカーから響いた。
とはいえユリノは、ケイジ少年が入室する直前のクルーらの緊張した空気を考えれば、彼女らの行いはあまり責める気にはなれなかった。
「……ふう、全員揃ったわね。サティ………それからケイジ三曹も、もう身体は平気なのね?」
『はい、もちろんです』
ユリノの問いに、サティが元気に答える一方で、ケイジ少年は緊張しているのか、言葉が出てこないままコクコクと頷く事しかできないでいた。
「……ならば結構、みんな私も心配かけてごめんね」
ユリノはユリノで、ケイジの顔を見つめていられなくなって目をそらした。
「早速だけど今後の行動についてブリ―フィングを始めるわ。え~と……」
「艦長、まずサティの話を聞いて欲しい。割と重要な事を伝えたいらしいんだ」
ユリノが何か言う前に、フォムフォムと共に補助席に座っていたクィンティルラが挙手した。
「そうなのサティ?」
『え? え~と、なんと言いましょうか……あの、エクスプリカさん? 報告があるんでしたらお先にどうぞ』
クィンティルラに促された当のサティは、いまいち話すことに乗り気では無いらしく、ブリッジの隅で今もグォイド・スフィア弾の動向を分析中のエクスプリカに話を振った。
しかし、話を振られたエクスプリカは単眼カメラを明滅させながら、微動だにしなかった。
[さてぃヨ、コッチモマダ分析ガ済ンデイナイ。話ガアルナラバ、ソチラガ先デカマワナイゾ]
『ああ……そですか……うう』
エクスプリカに袖にされたサティは、よほど自分が話す内容に躊躇いがあるようだった。
「構わないわサティ、良いから話してちょうだい」
ユリノはサティが何を話そうというのか皆目分からないまま、彼女に促した。
『わ……分かりました艦長……え~と皆さん、ワタクシはど~もこの【ザ・トーラス】をと言いますか、この皆さんが木星と呼ぶ星を惑星間レールガンに変えた存在とお話ができるみたいなんです…………けどぉ…………皆さん?』
予想しなかったサティの言葉にクルーが絶句していると、彼女が不安げにブリッジに呼びかけた。
『その人……もちろんヒトではないんですけれどもぉ……そのお方とは、〈ユピティ・ダイバー〉で、大赤斑
……けれども、その事をクィンティルラさんたちにお話ししようと思ったところで、グォイド・スフィア弾との戦闘が始まってしまって、撃たれて今まで言いだせなかったんです』
「………………ちょっと待てサティ、ここを作った存在だって?」
『そうですカオルコさん』
「どうやってコンタクトしてきたというのだ?」
『ワタクシにだけ届くテレパシーのようなものでです
その方は、ワタクシとも人間の方々とも、思考形態が全然違っていて、ワタクシはしばらく意味がよく理解できなかったんです。
…………けれども、さっきワタクシが眠っている間に、ワタクシが見ている夢の中に現れて、メッセージを伝えてきたんです……』
「なんて? 何を伝えてきたっていうの?」
ユリノはたまらず尋ねた。
『ああ、やっぱりそれ訊きますよね? え~と、これはあくまで人間の皆さんに理解できるように意訳した結果なんですけれども……』
サティはしばしの躊躇いの沈黙の後に続けた。
『え~……
【この度は、太陽系コンストラクター第五惑星・大質量移送サービスをご利用いただき、まことにありがとうございます。
当サービスでは、利用者の方々の望む物体を当恒星系内外問わず、お好みの場所へ向け、加速のうえ投射させていただいております。
利用をご希望の方は、加速希望物体を円環状加速路内に投入し、加速を行ってください。
なお、当サービスは先着順のご利用となっております。現在、先着の利用者が円環状加速路を利用中となっております。
後から当サービスへいらっしゃった方は、先着の方の利用終了を待って当サービスをご利用ください】
…………みたいな? …………感じなんですけれども……あの……皆さん?』
不安げに呼びかけるサティに答えられる者は、すぐにはいなかった。
「………………太陽系コンストラクター第五惑星・大質量移送サービス……ですってぇ?」
ユリノは自分が何を言ってるのかも良く分からないまま、何とかサティに尋ねた。
『はい艦長、ワタクシに呼びかけた存在は、今から20億年ほど前に太陽系を訪れ、今の太陽系になるように加工した方々なのだそうです』
「だから“太陽系のコンストラクター”だというのか!?」
『そうですカオルコさん』
「ちょっと待てサティ! あ~その太陽系何がしの言う事が真実だとして、そいつは何が目的で太陽系をいじったんだ?」
『それは分かりませんクィンティルラさん、ワタクシに呼びかけてきた存在は、人間の皆さんでいうところの大赤斑
ワタクシに呼びかけてきたヒトは、ただ〈じんりゅう〉とワタクシがこのサービスを使う資格がある存在だと認識したが為に、コンタクトしてきただけみたいです』
「…………」
バトルブリッジ内に、クルーらの溜息だけが微かに聞えた。
サティの唐突かつ壮大な話に、すぐに理解が及ぶ人間はいなかった。
サティの言う事を疑っているというわけでは無い、ただ信じて想像する下地が存在していなかったのだ。
「あの……質問しても良いでしょうか」
それまで沈黙を守っていたケイジが急に声を出したので、ユリノ達は一斉に彼の方を向いた。
「あの……サティ、その呼びかけてきた異星AIっぽい何かは、なんでサティと〈じんりゅう〉をこの惑星間レールガンの利用者と認めたんだい?」
誰も何も言わないので質問が許可されたと解釈したケイジ少年が、おずおずと尋ねた。
『それは…………ああ! ワタクシと〈じんりゅう〉がUVエネルギーを利用することができる知性体だと判断したからだそうです』
「なるほど……ん?」
ケイジはサティの答えに一端頷いたあと、訝しげに顔を上げた。
「ひょっとして、サティに話しかけて来ている異星のAIって、今もテレパシー送って来てる?」
『はい、その異星AIさんとは、今もテレパシーでお話ができる状態です。ちゃんと理解できてるかは微妙ですが』
サティはケイジの問いに、こともなげに答えた。
「う~む……」
ユリノは思わずサティからの話に、まだ医療室で眠っているべきだったかと、艦長帽を脱いで頭を抱えた。
サティの今の話が真実ならば、つまり太陽系はグォイドでは無い何者かによって意図的に生み出された恒星系であり、その存在が木星に残したのが【ザ・トーラス】であり、惑星間レールガンということになる。
確かにオリジナルUVDと同質の超巨大リング状物体を木星内に埋めることによって、この【ザ・トーラス】が出来ているのだから、サティの話は予測してしかるべき内容であった。
まさかその存在と今コンタクトできるとは思わなかったが……。
「あ……あの……ユ……ユリノ艦長」
ケイジ少年に、突然緊張気味に名を呼ばれ、ユリノもまたドキリとした。
「あの……サティの話が本当で、今もコンタクトが出来ているってのが本当ならば、【ザ・トーラス】の中にいるグォイド・スフィア弾って、今も惑星間レールガンとして発射されるのを諦めて無いってことになりませんか?」
「……」
ユリノはケイジの問いに、まだ【ANESYS】
が、彼女の代わりに答える者がいた。
[ゆりのヨ、けいじ三曹ノ言ッテイルコトハ正しシイゾ。観測シタぐぉいど・すふぃあ弾ヲ分析シタ限リ、貴奴ハ再ビ加速ヲ開始シテイル]
エクスプリカが単眼カメラを明滅させながら、淡々と告げた。
[ドコガ目標カハ分カラナイガ、ぐぉいど・すふぃあ弾ハ今度コソ木星カラ惑星間れーるがんトシテ発射サレルツモリダ]
エクスプリカの出した結論に、しばし反応できるクルーはいなかった。
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