▼終章    『木星より永久に』

♯1

 ――同時刻・木星大赤斑の近傍上空――


「やっ………………首尾はどうだ?」


 テューラは思わず「……ったか?」と続けそうになるのを寸前でこらえ、傍に座っているキルスティに尋ねた。


 ――〈リグ=ヴェーダ〉内CIC中央情報室――


「グォイド・スフィア弾の発射阻止に関しては……成功かと思われますテューラ司令……ですが……」

「なんだ?」

「開きかけた大赤斑バレル砲身が再び閉じてしまった為、突入させた無人艦からのデータはその直前までで途絶えています。

 グォイド・スフィア弾が、今回のウィンドウ時に大赤斑バレル砲身内から出てこないことから、無人艦は命中し、目標に少なからずダメージを与え、惑星間レールガンとしての発射を断念させることには成功したとは思われますが、目標を破壊にいたったかまでは不明です」


 〈ヘファイストス〉との連絡役として〈リグ=ヴェーダ〉に残り、状況報告をしにCIC中央情報室に入って来た際にそのまま残り、開いているコンソールに着いていた彼女は告げた。


「…………でもまぁ、発射を阻止できたことには違いないのであろう?」

「……………………はい、司令」


 しばしの沈黙の後にキルスティからその言葉を聞き出すと、テューラはようやく肩の力を抜き、指揮官席に身体を深く埋めさせた。

 CIC中央情報室のそこかしこでも、クルー達がキルスティからの作戦成功の報を聞き、あるものは歓声を上げ、あるいはガッツポーズし、思い思いのリアクションで長い戦いの果てに得た勝利の感想を現していたが、多くの者はテューラと同じように、ただただ安堵の溜息をもらすだけだった。

 少なくとも、これで当面は地球圏に危機が及ぶことな無くなったのだ。


「やれやれ…………それにしても艦を盛大に使いつぶしたものですな」

「今さら言ってくれるなよナンバーワン、無駄に沈めたわけじゃないんだから」


 せっかくの良い気分なところに、情け容赦無く冷や水を浴びせてくる副官に、逆に畏敬の念すら覚えながらテューラは言い返した。

 約10分ほど前、グォイド・スフィア弾がの惑星間レールガンとしての発射予測時刻が迫る中、新たに大赤斑バレル砲身内より現れたレギオン・グォイドの増援を、テューラ率いる『一つの指輪ワン・リング』作戦攻撃艦隊は種も仕掛けもないゴリ押しに近い実体弾投射艦による砲撃によって、なんとかこれを殲滅することに成功した。

 そしてようやく『一つの指輪ワン・リング』作戦の最終フェイズたるグォイド・スフィア弾への攻撃にかかることが許されたのであったが、その時点で『一つの指輪ワン・リング』作戦攻撃艦隊には、一発の実体弾もUV弾頭ミサイルも残ってはいなかった。

 もちろん弾薬の補給を待つ時間的余裕は無い。

 だが、この事態は予め予想されていたことでもあった。

 仮に実体弾に残弾があったとしても、月程のサイズがあるグォイド・スフィア弾に対してそれが通用するかどうかは怪しいからだ。

 サイズ比からいって、豆鉄砲程の効果も無い可能性が高い。

 そこでプランBが実行されることとなった。

 実体弾を撃ち尽くした実体弾投射艦や、ダメージは受けたが推進部と遠隔コントロール機能には問題が無い駆逐艦など、この作戦に使用可能であり、なおかつなるべく廃艦にしても惜しくはない艦を選び、グォイド・スフィア弾に向け体当たりさせたのだ。

 だがこのプランBは言うほど簡単な行いでは無かった。

 まず、基本的に大赤斑バレル砲身は、目標グォイド・スフィア弾がいる【ザ・トーラス】内部までは開通していないので、無人艦を送ること自体が不可能だ。

 困ったことに、大赤斑バレル砲身はグォイド側で自在に開通と閉鎖をコントロールできるらしい。

 大赤斑バレル砲身が開通するのは、木星UVユピティキャノンの発射時か、レギオン・グォイドの射出の時、あるいは惑星間レールガンとしてのグォイド・スフィア弾の発射の時のみだ。

 このは惑星間レールガンとしての発射の時以外に、開通された大赤斑バレル砲身に無人艦を送った場合は、木星UVユピティキャノンにより消し飛ばされるか、レギオン・グォイドに正面衝突して無駄に終わってしまうだろう。

 つまりプランBは、惑星間レールガンとしてグォイド・スフィア弾が発射される正にその瞬間にしか行えないのだ。

 しかも、無人航宙艦が実体弾・・・としての効果を発揮できる程に加速させる為には、大赤斑バレル砲身突入前に、あらかじめ大赤斑上空から高度をとって加速させねばならない。

 それには大赤斑が開通するタイミングを事前に予測する必要があった。

 しかも、リバイアサン・グォイドを殲滅出来たとはいえ、大赤斑真上への木星UVユピティキャノンの脅威は未だに残った最中をだ。

 この難題に対し、テューラはノォバ・チーフに助力を求めつつ、半ば無理矢理に解決した。

 大赤斑バレル砲身が開通するタイミングの予測は、ノォバ・チーフをはじめとした現地修理用・技術支援艦〈ヘファイストス〉のスタッフの尽力で何とかした。

 〈ヘファイストス〉に連れてこられたケイジが、木星が巨大なシンクロトロンにしてレールガンに変貌しており、中を巨大な実体弾が周回加速中であることを見抜いたのと同じ手段を使ったのだ。

 分厚い木星大気の奥深くにある【ザ・トーラス】内を周回加速中のグォイド・スフィア弾を、直接観測することなど当然不可能だが、それでも木星内部を月サイズと物体が周回加速を続ければ、木星それ自体を揺さぶるようにして、自転運動に大きな影響を与えることになる。

 ノォバ・チーフらは、木星のその異常な動きを観測観察することで、グォイド・スフィア弾が木星赤道直下の【ザ・トーラス】内のどこを周回加速中かを割り出すプログラムを構築したのだ。

 ノォバ・チーフらは、さらに30時間前の〈じんりゅう〉との通信時に送られてきたデータを加味させることでタイミング予測の精度を上げさせ、実用に耐えうるようにした。

 グォイド・スフィア弾の目標が地球圏であるとしたならば、惑星間レールガンとして同グォイドが射出されるタイミングは自然と収束してくるので、このタイミングで新たに構築した発射予測プログラムを用いることで、木星SSDFはヘグォイド・スフィア弾発射のタイミングを無視できる範囲のラグ内に納め、プランBを実行に移したのだった。。

 もちろんプログラムの構築は、【ANESYS】のように一瞬でというわけにはいかなかったが、逆にある程度の時間さえあれば、【ANESYS】を使わずともそのようなプログラムを作ることは不可能では無いのだ。

 だが、たとえグォイド・スフィア弾の発射タイミング――大赤斑バレル砲身が開通されるタイミングが分かったとしても、木星UVユピティキャノンの脅威は未だに残っていた。

 大赤斑に突入するということは、木星UVユピティキャノンの射線に飛びこむということでもあるのだ。

 しかも、グォイド・スフィア弾の立場になって考えてみれば、惑星間レールガンとしての己の発射と同時に、妨害を排除する為に木星UVユピティキャノンを放つ可能性が非常に高い。

 少なくともテューラは、自分が相手の立場であったならば、このタイミングで木星UVユピティキャノンを撃つと考えていた。

 この問題に対し、テューラはごく単純な手段をもって対処した。

 用意できる限り一隻でも多くの無人艦を用意し、大きく間隔をあけた単縦陣をとらせた上で、ギリギリまで大赤斑真上の木星UVユピティキャノンの射線上には入らないようして突入させることで、たとえ突入の途中で木星UVユピティキャノンが放たれても、前後中央いずれかの無人艦は木星UVユピティキャノンから逃れ、突入に成功するようにしむけたのだ。

 そうしてグォイド・スフィア弾の大赤斑バレル砲身到達タイミングに合わせて加速を開始した計21隻の無人艦は、途中で二度放たれた木星UVユピティキャノンによりその大半が沈められ、大赤斑バレル砲身への突入をはたしたのは7隻だけだった。

 しかし、結果から言えば、それで上出来であったと言えた。

 可能性の上では、無人艦全てが木星UVユピティキャノンにより消し飛ばされていた場合も充分にありえたからだ。

 しかし、結果としてプランBは成功した。

 何故グォイド・スフィア弾がもっと激しく木星UVユピティキャノンを放ち、無人艦を迎撃しなかったのかは分からない。

 惑星間レールガンとして、秒速数百キロで射出されようとしていたグォイド・スフィア弾に対し、猛加速の上、体当たりした無人艦は、その相対速度差による破壊力もさることながら、その一隻一隻がと人造UVDとUVシールドを備えた超巨大なUV弾頭ミサイル並みの威力で命中した。

 その威力にテューラは、グォイド・スフィア弾の完全な破壊も可能なのではと考えた程であった。

 が、開通した大赤斑バレル砲身を通じ、可能な限りのデータをこちらに送信するようセットしておいた無人艦群からの、数々の観測データを精査した限り、少なくともグォイド・スフィア弾を粉々の破壊することは叶わなかったようだ。

 木星の自転異常を観測したデータから言っても、まだグォイド・スフィア弾は少なくとも巨大な質量物体の塊として周回し続けているようだった。


他人ひとのところの艦隊の航宙艦をミサイル代わりに体当たりさせて、発射は阻止できたとはいえ、目標を沈めそこねて、それで無駄にはしなかったと理解してもらえると良いんですけど…………」

「う~…………だが人的損害を出すよかはるかにマシだろ?」


 副官のぼやきに、テューラは低く呻くと、なんとか反論を試みた。

 SSDFの航宙艦は、経済的な面はさておき、建造するだけならばSヴィム(無人機械群)によって、航宙士一人を育成するよりも遥かに短い時間で建造できる。

 グォイドとの戦いが続く中、優先されるべきは艦では無くクルーの方だと、テューラは信じていた。


「それに、あの…………」

「なんだキルスティ?」


 挙手したキルスティにテューラが促すと、彼女はおずおずと続けた。


「今の攻撃、〈じんりゅう〉は大丈夫だったでしょうか? その…………なんと言いますか、〈じんりゅう〉に対する配慮がいささか足りなかった気がしたんですけど……もしもグォイド・スフィア弾のそばに〈じんりゅう〉がいたら……」


 最後に通信が繋がった約30時間前の段階で、〈じんりゅう〉はグォイド・スフィア弾のすぐそばに潜伏し、同グォイドの監視を続けていた。

 〈ユピティ・ダイバー〉はその位置へと向かい、合流を試みたはずなのだが、その試みの成否は木星上空のここからでは確かめようが無かった。

 だから〈じんりゅう〉がまだグォイド・スフィア弾のそばにいて、突入させた無人艦攻撃に巻き込まれていないかを心配するキルスティの気持ちはもっともだと言えた。


「連中なら大丈夫だ、気にするな、万が一グォイド・スフィア弾のそばに連中がいたとしても、ちゃんと警告メッセージは送ったしな…………というか、クィンティルラ達が無事〈じんりゅう〉と合流してるかの方がよほど心配すべきだ」

「…………でしょうか? …………ですよね!」


 テューラの言葉に、キルスティは自分で自分を納得させるかのように言った。


「そうさ、ちゃんとクィンティルラ達とユリノ達が合流出来てるなら、UVシールド出力が復活してるのだから、それでちゃっちゃと木星の底から脱出すれば良いんだ」

「ですよね! …………ですよね!」

「わざわざ単艦でグォイド・スフィア弾に立ち向かおうだなんて、いくらユリノでもそこまで無茶でおバカじゃないさ!」

「ですよね! …………ですよ……ね!?」

「私は|どっちかというと……一緒に〈じんりゅう〉に送りこんだアイツ・・・が、吉と出るか凶と出るかの方がもっと気がかりだ……」

「…………」


 最後にぼそりと続けたテューラの言葉に、ようやく笑顔を取り戻しかけたキルスティの顔は凍りついた。








「全艦・全システムに異常無し、ダメージ・バッファへの負荷蓄積を除けば、ここまでの戦闘による損害は特にありません艦長、〈じんりゅう〉の船体は現在正常に稼働中」

「本艦は現在、木星深度約2280キロ、大赤斑エクスポート発射口を形成している大渦の基部を反時計まわりで周回中デス」


 ――〈じんりゅう〉バトルブリッジ――。


 ダメコン担当でもある副長サヲリと電側員ルジーナの報告に、ユリノは「ふう」と大きく溜息をつくと、艦長帽を一旦脱いで髪をかきあげた。

 正面のメインビュワーには、再び位置情報視覚化LDVプログラムによって彩られた深深度高温高圧木星大気下の情景が映されていた。

 上方ビュワーを仰げば、大赤斑の大渦が画面を横切る巨大な柱となった見えていた。


「大した頑丈さなものだな、強化されたシールドは……」


 ユリノの前方の席で、カオルコがノーダメージだというサヲリの報告に呆れた。


「新たなUVシールド・コンバーターは、最初に装備していた物よりもバージョン・アップされているようですね。シールド強化率が数段勝っています」

「良いタイミングで良い物を持ってきてくれたものね」


 サヲリの補足説明にユリノはしみじみと呟いた。

 〈じんりゅう〉は辛くも惑星間レールガン並みの速度から減速し、大赤斑エクスポート発射口付近の名壁を主砲で突き破り、【ザ・トーラス】から木星深深度大気への脱出を果たしていた。

 いくら主砲で穴を開けたとはいえ、個体の壁に衝突するのと同様の衝撃が〈じんりゅう〉を襲った時は寿命が縮んだ気がしたが、強化されたシールドのお陰でこと無きをえたようだった。

 だが脱出したとはいえども、艦の周りの環境は【ザ・トーラス】内よりも遥かに過酷だ。


「……ですが、高温高圧の木星深深度の現環境下で艦が耐えられる時間には限界があるのです。現状の過熱率からいくと、あと4時間でまたUVシールドに限界が来る模様なのです」


 無人艦指揮席で、新造パーツの耐久分析を行ったシズからの報告。


「まぁ……4時間もあれば、浮上は可能よね?」

「楽勝とはいかないまでも充分できるよ艦長、超ダウンバーストには気をつけなきゃだけど」


 ユリノの問いに、操舵席からフィニィが答えた。


「ふむん、でグォイド・スフィア弾は?」

[残念ナガラ、ココカラデハ位置的環境的ニ観測不可能ダゆりのヨ。

 ぐぉいど・すふぃあ弾ハ現在、大赤斑えくすぽーとカラ【さ・とーらす】ノ東2万きろヲ移動中

 貴奴ノだめーじ具合ニモヨルガ、最短デアト20分後ニ、再ビココ大赤斑えくすぽーとノ直下ヲ通過スル。

 ……ダガ、地球圏ヘ向ケテノうぃんどうハ スデニ閉ジテイルコトカラ、タトエ最後ニ見タ状況カラだめーじガ回復サレテイタトシテモ、惑星間れーるがんトシテ発射サレル心配ハシバラクハ無イト思ワレル]

「分かったわエクスプリカ……それでケイ…………こほん、格納庫の様子はどう?」

「フォムフォム……昇電DSは緊急着艦ネットを三層全てをぶち抜いたが、無事着艦には成功している。

 クィンティルラもケイジも無事だ。ケイジはのびているが……。サティには反応が無いが、それでも格納庫内のUVエネルギーが彼女によって吸われていることが確認されているから、一応彼女も無事ではいるようだ」

『お~い! そっちで一息ついたなら、誰でも良いからこっから出してくれ~! 昇電のコックピットハッチが歪んで、自力じゃ出れねんだよう!』


 フォムフォムに続きクィンティルラの無駄に元気そうな声が響いた。


「……そう……一応みな無事なのね……良かった………………ホントに良かった……」

「あの……ユリノ艦長、メディック・ヒューボットと一緒に格納庫に行ってもよろしいでしょうか!?」


 一息つくユリノに、通信席のミユミが勢い良く立ちあがると許可を求めた。

 ミユミの気持ちは痛い程ユリノにも理解できた。

 もちろんユリノは幼なじみを案じる彼女を引きとようなどとするはずも無く、すぐに許可すると、彼女はバトル・ブリッジから飛び出してった。

 とりあえず通信士に火急の任務は無いであろうし、ミユミは例の少年の幼なじみであるだけでなく、この艦ではカオルコに次ぐ衛生士メディックでもあるのだから、格納庫へ救出作業に向かうべき人材でもある。


「フォムフォム……」

「ああ、フォムフォムも行っていいわよ格納庫」


 ユリノは切なげに自分の方を向いたフォムフォムに、慌てて付け加えた。

 格納庫では相棒たるクィンティルラが待っているのだ。

 彼女を向かわせないのは酷というものだろう。


「ふう…………」


 フォムフォムがミユミを追いかけるようにバトルブリッジからかけ出していくと、ユリノは今一度大きく溜息を洩らした。

 とりあえずの危機は脱したと見て良いようだ。

 今回は、想像をはるかに超えてタフな戦いだった…………いや、木星という星と、グォイドという存在を、自分達が甘く見過ぎていただけなのかもしれないが……。

 それでも、クルーが誰一人欠けること無くここまで切り抜けられたことに、ユリノは猛烈な安堵を覚えずにはいられなかったのだ。

 あまりにほっとし過ぎて、魂が身体から漂い出てしまいそうな気がしたほどだった。

 だがその感覚は、あながち気のせいでは無いようだった。

 ユリノはいつものように、次に何をすべきかを考えようとして、頭が働かないことに気づいた。

 猛烈な眩暈と睡魔が混ざったような感覚が頭に辿っている。

 それでいて、猛烈な動悸と、熱くも冷たくも無い汗が額をつたうのを感じた。

 原因はすぐに思い至った。

 先刻の【ANESYS】戦術マニューバの影響だ。

 【ANESYS】により、9人のクルーの思考を統合する際、その艦の艦長の思考は、統合思考体の中枢ハブとなる。

 その結果、今回の【ANESYS】戦術マニューバにおいて、限界を越えての超高速情報処理を行った影響が、まず自分に現れたのだ。


「ユリノ…………お前……少しばかり顔色が悪くは無いか?」


 急に黙りこんだユリノに、真っ先に気づいたのはカオルコだった。


[さをり、かおるこ! ゆりのノばいたるニ異常ガ出テイルゾ! 意識喪失マデアト4……3……2……]

「え……なにぃ? 何のことぉ?」


 ユリノは割と焦っているかのよう聞えるエクスプリカの声に、うわ言のように聞き返しながら、気がついたころにはバトルブリッジの景色が半転していた。

 自分が一段高くなっている艦長席から立ち上がろうとして、そのままよろけたのだと理解したのは、咄嗟に駆け寄ったカオルコの放漫なバストに頭から飛び込み、めり込むようにして受け止められた後だった。


 ――おお…………これはなかなか……。


 ユリノはかつて姉に抱きしめられた時の感動を思い出しながら、スイッチを切るようにして気を失った。








 これは夢だ…………ケイジはすぐに理解した。

 何故ならば慢性的に右脚を襲う痛みを、今は感じなかったからだ。

 クローン義足との継ぎ目に襲う痛みも、今だにヒリヒリする左半面半身の火傷の痛みも、今はまったく感じなかった。

 だからこれは夢に違いない。

 が、そのこと自体すぐに忘れてしまった。

 何しろこれは夢なのだから仕方が無い。

 ケイジはいつぶりに味わうかも分からない程の、深く心地よいまどろみの中、誰かに名を呼ばれた気がした。

 知ってる人間な気もするが、誰かは思い出せなかった。

 自分がいったい“いつ”“どこ”で、どういうシュチュエーションで、どういう理由があって彼女に呼ばれているのか、ケイジには分からなかった。

 ただ目の前の彼女が、飛びきりの美しい女性であることは分かった。

 とはいえ、なにしろ夢なので、明確なビジュアルは判然としない。

 ただの先入観にちかいイメージでしかなかった。

 その彼女は、言葉にならない言葉でケイジに何度も訴えかけていた。

 彼女の想いを言葉で現してしまうのは無粋としか思えなかったが、それでも無理矢理に言葉にしたならば、彼女は『会いたかった』『嬉しい』と訴えていた。

 そして『もう離れないで』とも。

 彼女にそう強く訴えられながら、ケイジは彼女に強く抱擁されるのを感じた。

 同時にケイジの心に彼女の想いそのものが伝わって来る気がした。

 大きな喜びと安堵と、それに伴って湧きあがる切なさと不安に。

 彼女のその気持ちは、そのままケイジ自身の気持ちとなって彼の心を震わせた。

 

 ――いったい彼女は誰なのだろう?

 

 夢の中でケイジは思う。

 確かに自分は彼女のことを知っているはずなのに、思い出すことができない。

 ケイジが悩むなか、彼女は名残惜しそうにケイジから離れると、最後に『彼女たちをよろしくお願い』という想いをケイジに伝え、儚く消えていった。








 何か凄く良い夢を見た気がするのだが思い出せない。

 ケイジは自分がついさっきまで、何か良い夢を見たとい自覚はあったが、思い出すことができなかった。

 代わりにどこかから響く声に気づいた。

 その声もまた夢かもしれなかったが、今聞えているのは間違いなく音であり声であった。

 それは水中で聞く音のように濁って聞えていたが、会話する複数の少女達の声であるように思えた。

 一体誰と誰が話しあっている声なのか、ケイジはもちろん知りたいとは思ったが、その欲求をはるかに上回る程に肉体が疲れ切っていて、瞼を開けることは叶わなかった。



 ――〈じんりゅう〉医療室・外廊下――


『いやはや、再会早々カプセルに入った奴のこの姿をお目にかかれるとは、感慨深いものだなぁ』

『いやいやいやいやカオルコ少佐ぁ! もの凄く不謹慎な上に、そんなまじまじと見ちゃいけませんてば!』

『何を言っとるのだフィニィ、お前もさっきから指の隙間から目が放せていないではないか?』

『いや! これは違うんですってカオルコ少佐!』

『何が違うと言うのだ? やはりあんなものをぶら下げていたのでは男性用軟式簡易宇宙服ソフティ・スーツの開発は無理だなぁ~……とかか?』

『違いま~す~! ただ彼の傷跡が、間近で見たらあんまり痛々しかったものだからぁ!』

『確かにな。だが、半年前のケレスでの戦いの後で、ここに運び込んだ時に比べたら遥かに回復しているよ。それにちょっと逞しくもなっているんじゃないのか? 色々と……』

『フォムフォム………フォムフォムもそう思う……』

『あれ? フォムフォムいつの間に? あなただけ? クィンティルラは?』

『フィニィよ、クィンティルラは一回休みだ…………ここで検診してもらった後、格納庫へ昇電の状態を見に行った』

『一回休み?』

『クィンティルラはここまでに充分に彼と過ごした……だから一回休みだ』

『ああ、そ、そう………そうなんだ……そういえばフォムフォム、ルジーナ知らない? ついさっきまでここで一緒に彼を見てたのに……』

『ルジーナなら格納庫に行った、サティの様子を見に……』

『そっか……心配だものね』

『フォムフォム……艦長が倒れたと聞いたが大丈夫なのか?』

『ああ、それなら問題無い。AIドクターの診断で原因も分かっているし、休めば回復するということだ。今はすぐそこのベッドで眠らせている』

『………………フォムフォム』

『ホント……まったくだねフォムフォム、ボクも焦ったよ』

『フォムフォム……ということはブリッジにはサヲリとシズが?』

『ああ、あとエクスプリカがいる。ユリノが倒れたものだから、他のクルーもまず一端休養をとれ! と、サヲリから副長権限で命令を出されてな。

 だから我々も早く休まないとサヲリに怒られるぞ……ユリノが倒れたものだからサヲリも焦ってるようだ』

『ああ! 皆さんここで何してるんですか!?』

『あ、ミユミちゃん……』

『もう! カオルコ少佐まで……いくら戦闘が一息ついたからって、こんなところでたむろして、彼をジロジロ見ないでください! サヲリ副長から自室で睡眠をとるよう言われているはずです!』

『おうっふ……』






 …………そんな少女達の会話を聞いた時から、いったいどれくらいの時間が経ったのか……ケイジが背中に重力がかかるのを感じて目覚めると、見知らぬ天井が見下ろしていた。

 いや、思い出せない天井というべきか…………真新しい天井の照明と、ここ半年で嗅ぎ慣れた独特の薬品の臭い、周りを囲むオフホワイトのカーテンから、ここが医療室のベッドであることがすぐに分かった。

 照明は暗く落とされていたが、それが患者であるケイジに配慮されてのことなのか、それとも艦内時間が夜だからなのかは分からなかった。

 同時に、自分がいかにしてここにいることになったのかの記憶が、一瞬にして蘇った。

 〈ワンダー・ビート〉から〈ナガラジャ〉へ、〈ヘファイストス〉へ、そして〈ユピティ・ダイバー〉から〈じんりゅう〉へと、ついに自分は辿り着いたのだ。


 ――〈じんりゅう〉だここ…………。


 ケイジがまず抱いたのはヤバイという感情だった。

 何がどうヤバイかは分からないが、ともかくヤバイ、マジヤバイ!

 ここからの己の一挙手一投足が自分の命に関わって来ると、ケイジは一瞬にして理解した。

 なにしろここはあの〈じんりゅう〉なのだ。

 清廉なる乙女ヴィルジニ星々ステルラの艦なのだ。

 一応は男である自分が、この清廉な空間で粗相をすれば、後でどんな目にあうか分かったものでは無い。

 ケイジは恐怖を覚えると共に、そんな艦に到着するなり、また気を失ってしまった自分が情けなくてたまらなくなった。

 だが、経緯はどうあれ、目覚めた以上は、いつまでもここでじっとしている気にはなれなかった。

 ケイジは自分の体が、懐かしい痛みと共にちゃんと動くことを入念に確認すると、ベッドから慎重に起き上がり、薄い患者服からベッドの傍らに用意されていたジャンプスーツ他の着替えに身を包んだ。

 そもそも自分がいかにして、装甲宇宙服ハードスーツから患者服姿になったのかは、今は考えないでおくことにした。

 一瞬、なんでこの艦に男性用の着替えが用意されているのだろう? という疑問がわいたが、紙のように薄い患者服で出歩くわけにも行かないので、とりあえずその疑問は脇に置いておく。

 途中メディカル・ヒューボが現れ目覚めたケイジを検診したが、ケイジに問題が無いと判断したのか、静々と去っていった。

 ここが〈じんりゅう〉であり、〈ヘファイストス〉でキルスティ少尉が教えてくれたように、かつて自分がこの艦にいたことがあるならば、このベッドにも自分は横になったことがあるのかもしれなかったが、まったく思い出せなかった。

 だから、カーテンを開けこのブースから出ようとした時も、左右正面のどの方向が出口なのかもまったく分からなかった。

 しかし、自分がいたベッドの隣のカーテンの向こうから、なんとなく人の気配がするのを感じたので、思い切ってそこを開け、カーテンの彼方にいる人に尋ねてみようかと考えた。

 医療室のスタッフクルーなのかもしれない。

 どうせいつかはクルーに会う宿命なのだからと、ケイジは一呼吸置くとカーテンを引いた。


「え~こほん、あのぉ……」


 ケイジはカーテンを開けてから“失敗した!”と思ったが、時すでに遅かった。

 カーテンの向こうも患者用スペースであり、そこには、ベッドの上でシーツを被りながら膝を抱え、肩を震わせている人影があった。

 薄暗い照明の中では、その人物のディティールは良く分からなかったが、とりあえず女性クルーであることは間違い無い。

 問題だったのは、その彼女が、どうも膝に頭を埋めて泣いているらしかったことだ。

 ケイジは瞬時にして人生最大クラスの二択を迫られた。

 

 A:見なかったことにして去る――触らぬ神になんとやらである。

 B:大丈夫ですか? と声をかける――突然声を掛けてきた不審な男性に悲鳴を上げる女性クルー=人生的デッドエンド。


 ケイジは瞬時に選択し、彼女に背を向けようとしたが、宇宙においてはそれでも決断を下すまでに時間を掛け過ぎだった。


「…………ケイ……ジくん……なの?」


 掠れ掠れの声で名を呼ばれては、振り返らないわけにはいかなかった。

 頭からかぶっていたシーツをはらりと落とし、ベッドの上にぺたんと座っていた彼女は、ケイジが覚えている限り、生で見た女性の中で一番美しい人だった。


「あ……え~と……」


 軟式簡易宇宙服ソフティ・スーツの前のジッパーが腰まで下げられた状態で、S字にしなるようにしてベッドの上に座り、ケイジを見つめる女性の瞳は、やはりついさっきまで泣き腫らしていたのか、薄暗い照明の中でもキラキラと光り潤んでいた。

 そんな目で見つめられては、ケイジに咄嗟に出て来る言など無かった。

 何か怖い夢でも見たのだろうか?

 まだ夢の続きを見ているつもりなのか、彼女は目の前にいるケイジに、一瞬驚いたような顔をすると、ゆっくりと穏やかな笑顔になり、そしてそこから唇を歪ませ、また泣きそうな顔になった。

 これはヤバイ! そう思った頃に遅かった。


「わ~ん! ケイジくんだぁ~!」


 ケイジは飛び付くように突然抱きしめられ、固まった。

 たとえようも無い柔らかな感触、息も詰まる程濃密な彼女の香り、耳元に吹きかけられる吐息。

 ケイジは両手をペンギンのようにしてそっくり返らせると、彼女の体重を支えきれずに、ゆっくりとそのまま床に崩れ落ちた。

 崩れ落ちながら、ケイジは視界に映る彼女がいたベッドの隅に、艦長帽と艦長専用コートが乗っているのを発見した。


 ――…………と、いうことは……


 ケイジは今抱きついて来た人物の正体にいきついたが、だからといってどうすることもできずに、仰向けに床に倒れるしかなかった。

 メディカル・ヒューボからの知らせを受け、ミユミが〈じんりゅう〉医療室に駆け込んできたのは、その直後のことであった。


「んま~ッ!」


 半年ぶりに再会した幼なじみの第一声はそれだった。

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