♯3

「クソ! また撃ちやがった!」


 大赤斑下の大渦のまさに根元部分を周回している最中、クィンティルラ大尉がコックピット天面を見上げながら毒づいた。

 


 ――〈ユピティ・ダイバー〉コックピット内――

 ――大赤斑直下深度約2300キロ――



 反時計周りで螺旋状に降下してゆく大赤斑基部周囲のガス潮流は、その大渦の直径が最も細くなったことに合わせ急激にその速度を増していき、同時に船体を襲いはじめた強大な遠心力に対し、クィンティルラ大尉は〈ユピティ・ダイバー〉を左に約90度ロールさせることで対応していた。

 そんな中をコックピット天面、進行方向左側を、またしても木星UVユピティキャノンの光の柱が大渦内を通過していったのだ。

 無数の小型グォイドが大渦内を上昇していった六~七分後のことであった。

 再び放たれた木星UVユピティキャノンに対し、クィンティルラ大尉が毒づくのも無理無かった。

 それが放たれたということは、またSSDFの艦が沈められた可能性が高いということなのだから……。

 その木星UVユピティキャノンが、味方の誰かの命を奪うどころか、リバイアサン・グォイドに留めを刺したことなど知りようも無いケイジは、この事態に対し、何もできない自分を歯がゆく思うことしか出来なかった。

 そしてそれは、きっとクィンティルラ大尉も同じなのだろうと思った。

 もし、今自分達に出来ることがあるとすれば、それは一刻も早く〈じんりゅう〉の元に駆けつけることだけだ。

 〈じんりゅう〉と合流さえできれば、〈ユピティ・ダイバー〉の能力と合わせ、この一連の木星でのグォイドの目論みに対し、木星内部から抗う術もあるかもしれない。

 だが気ばかり焦っていても、今〈ユピティ・ダイバー〉は、〈じんりゅう〉までの道程の中でも最大級の難所に達しようとしているところであった。

 とても他者の心配をしている場合ではなかった。


『クィンティルラさん、ケイジさん、間も無くこの渦と【ザ・トーラス】との接合点…………なんですけど、何か……ワタクシが出てきた時よりも……凄く……すご~く中の流速が速くなってるんですけどぉ…………』


 前方で先導していたサティから情けない声が届いて来た。

 ケイジは彼女のその言葉に、自分の懸念が懸念ですまなかったことを確認し、思わず息を呑んだ。

 〈ユピティ・ダイバー〉の最初で最後の〈じんりゅう〉までの旅路の中で最大の難所は、グォイドとの予期せぬ遭遇を別にすれば、今、前方に待ちうけている大赤斑下の大渦と【ザ・トーラス】が接合する部分に違いない、そうケイジは予測していた。

 【ザ・トーラス】はシンクロトロンとして木星赤道直下を西から東への反時計周りで内部の物体を周回加速させ、惑星間レールガンとして大赤斑直下にある大渦こと大赤斑バレル砲身を通し、グォイド・スフィアを発射せんとしている。

 その姿は、巨大な円環から、東方向へ傾いたラッパ状の大渦こと大赤斑バレル砲身が伸び得ていることから、管楽器のホルンに似ている。

 問題は、大赤斑バレル砲身内の本来の物体移動方向に逆らって〈ユピティ・ダイバー〉は【ザ・トーラス】に突入せねばならないということだ。

 つまり、大赤斑バレル砲身内を逆走し【ザ・トーラス】に突入する際には、それまでの進行方向から、右後方に急回頭せねばならなくなるということになる。

 例えるならメリーゴーランドに、馬の後ろから追いかけて乗るのではなく、馬の頭側――回転の進行方向から飛び乗るようなものだ。

 それも、惑星間レールガンの発射寸前まで【ザ・トーラス】内部が加速されている状態でだ。

 サティが驚いたのはそこだ。

 この30時間で、【ザ・トーラス】内部での物体の周回速度は数十倍になっている。

 いきなりその流れの中に飛びこめば、〈ユピティ・ダイバー〉とそのパイロットにいかな破滅的Gがかかるかは想像もできなかった。

 そして事態はさらに複雑かつ深刻である。

 【ザ・トーラス】は、無数のリング状巨大物体が環状に並ぶことによって、円環状低気圧空間を形成している。

 【ザ・トーラス】内の流速に対し、そのリング状巨大物体は赤道直下に固定されたままだ。

 〈ユピティ・ダイバー〉が【ザ・トーラス】内部の流速に合わせた速度で突入しようと試み、そのリング状巨大物体に誤って接触しようものなら、当然〈ユピティ・ダイバー〉は即粉々になることだろう。

 〈ユピティ・ダイバー〉はその空間に、大渦の外に巻きつく螺旋状の降下潮流から突入・遷移しようとしているのだ。

 速度、角度、障害物、そのどれもが〈ユピティ・ダイバー〉の進路に仇なすものとして待ちうけていた。

 ケイジはホロ総合位置情報図スィロム内に描かれた〈ユピティ・ダイバー〉の予定コースを見て、超巨大なジェット・コースターみたいだなと思った。

 予定コースでは、大赤斑バレル砲身の螺旋潮流基部が最も南側に達した位置から【ザ・トーラス】への突入を試みることになっている。

 だがその周辺は、実際には様々な方向のガス潮流がぶつかりあったことで、大小の渦がいくつも発生しており、とても予定通りにとはいきそうにない。

 その大小の渦を加味して新たな予定コースを構築して見ると、明後日の方向に勝手気ままに捻じれ曲がるそのコースは、確かに幼い頃に乗ったことがあるジェット・コースターに似た姿となった。

 が、残念ながらこのコースターには一切の安全装置がついていない。


「サティよ……お前さんがそう言うってことは……」


 クィンティルラ大尉の言葉はそこで途切れた。

 そこから先は、口に出すにはあまりにも不吉に感じたのかもしれない。

 生まれも育ちも木星の|雲の人クラウディアンたるサティが怯えているくらいなのだから、待ちうける危険度は相当なものなのだろう。

 それが確認できたことに、ケイジもまた身体が震えるのを感じた。

 とはいえ、今更引き返すことはたとえしたくとも出来ない。

 〈ユピティ・ダイバー〉はとっくの昔に、己の意思ではなく、ガス潮流に流されるがままに降下しているのだ。

 今〈ユピティ・ダイバー〉に与えられた自由は、行く手にある幾つものガス潮流の中から、望みのルートを選び出す僅かな自由だけだ。

 あとはひたすら、船体と、その中の自分達の肉体が耐えられることを祈るしかない。

 だがそれは逆に言えば、正しいガス潮流さえ選ぶことができたならば、あとはほとんど勝手に潮流が目的地まで運んでくれるということでもあった。

 木星がガス潮流に覆われた星でなければ不可能な所業と言えた。


「腹をくくれよケイジ! あとサティも、どうせ行くっきゃないんだ!」


 クィンティルラ大尉が、鼓舞するように怒鳴った。

 ケイジは呻くようにして「はい!」と答えたつもりだが、音声になっていたかは分からなかった。


「ケイジよ、どうせすぐぶっ潰れるとは思うが、プローブをばら撒いてくれ。それでできるだけ【ザ・トーラス】に連れて行ってくれそうなガス潮流を探す」

「了解。プローブばら撒きます!」


 ケイジはクィンティルラ大尉に答えると、直ちに〈ユピティ・ダイバー〉に僅かに搭載されていたプローブを発射した。

 その直後からコックピット内総合位置情報図スィロムに反映されるプローブの位置を示す光点ブリップ

 だがそれはクィンティルラ大尉が予想した通り、発射後十秒もしないうちに現深度の圧力に負け圧壊した。

 が、それが発射から潰れるまでに総合位置情報図スィロム内〈ユピティ・ダイバー〉前方に描いた軌跡から、どのガス潮流を選ぶべきかのヒントくらいにはなった。


「よしケイジ、コースは決まった。まず曳航式センサーブイをしまってくれ」

「了解」


 クィンティルラ大尉の指示に答えると、ケイジは〈ユピティ・ダイバー〉艦尾から伸びるセンサーブイのケーブルを巻き取り始めた。

 これから突入する高速ガス潮流内では、抵抗にしかならないからだ。


「ケイジ、サティよ、これから〈ユピティ・ダイバー〉は全UV出力をシールドと生命維持に回し、ガス流任せで【ザ・トーラス】直近まで移動、そこまで行ったらオレがBMI操縦で推力最大噴射をかけさせ【ザ・トーラス】内に突っ込む! ケイジはその間【ANESYS】用の固定パッドで両手両足を固定しておけ、危ないからな」

「了解!」


 ケイジは宣言したクィンティルラ大尉に短く答えた。

 クィンティルラ大尉のプランに、ケイジは異論など無かった。

 実際〈ユピティ・ダイバー〉に許された選択肢はそれしかなかった。

 あとはクィンティルラ大尉が|〈ユピティ・ダイバー〉の核たる昇電に、【ANESYS】デヴァイスを兼ねて搭載されたブレイン《B》・マシンインターフェイスによって得た操縦反応速度に期待するしかない。

 ケイジは指示通り、後席に設けられた【ANESYS】起動時用の両手両足の固定パッドを使い、これから待ちうけるGに対し、手足が暴れて怪我をしないように固定した。

 これからの自分は、クィンティルラ大尉に心配をかけないことが最大の任務となるのだ。


『あのぉ~クィンティルラさんにケイジさん、もしよろしければ、ワタクシとくっついて突入しませんか? その方が無事抜けられるかもしれませんよ?』

「はぁ? くっつくだってぇ?」


 サティからの唐突な提案に、クィンティルラ大尉が訊き返した。


『はい! また離れ離れにならないように、そうした方が良いと思うんです! また一人ぼっちになって、ガス流でワタクシの身体が削られてまたおバカさんいなっちゃったりしたら、再会した時またこの艦に襲いかかっちゃうかもしれませんしね』

「う、う~む……」


 クィンティルラ大尉はすぐには答えられなかった。

 確かにサティと離れ離れにになり、最初に会った時のように、また本能のままに襲いかかって来るような状態になられたら面倒だが、彼女の提案は即答するのが躊躇われる謎が一部あったからだ。


「サティ、くっつく……って、どうやって?」

『こうです!』

「え、あ、ちょっとま――」


 艦前方にいたサティはクィンティルラ大尉の問いに答えるなり、止める間も無くクラゲ型から姿を変え〈ユピティ・ダイバー〉に覆いかぶさって来た。

 会話を聞いているだけだったケイジは思わず目を瞑った。

 普通、この高温高圧下でUVシールドを越え、サティが〈ユピティ・ダイバー〉の船体に触れでもしたら、接触部分に圧力が集中して一瞬でこの艦が圧壊すると思ったからだ。

 だが、恐る恐る目を開けてみても、そのカタストロフはやってきてはいなかった。


『ほら、これならお二人と一緒に〈じんりゅう〉まで行けますよ?』


 サティのドヤ声が彼女の持つ〈じんりゅう〉由来の通信機ではなく、〈ユピティ・ダイバー〉船体そのものを震わせ再び響く。

 ケイジが大慌てで〈ユピティ・ダイバー〉の状態を確認し、ホロ総合位置情報図スィロムに反映させると、〈ユピティ・ダイバー〉の船体中央に、太く短い筒のような姿となったサティが数本のパイロンで固定されていた。

 その姿はまるで〈ユピティ・ダイバー〉艦尾に搭載されたシュラウドリング型大気内推進装置をそのまま巨大化させたようであった。

 というよりも、サティがシュラウドリング型大気内推進装置を真似て姿を変えたのかもしれない。


「オレの〈ユピティ・ダイバー〉が浮き輪つけたみたいになっちまった……」


 それなりにこの艦に愛着が湧いていたらしいクィンティルラ大尉がぼそりと呟いた。


『あの…………どう……でしょうか?』


 止める間もなくそこまで実行してしまったサティが、今さらのように尋ねてきた。

 だが、確かにその姿ならば、空気抵抗も最小限で済み、ガス大気中を航行するのに問題は無さそうではあった。

 サティ自身にもガス大気中推進力があるのだから、〈ユピティ・ダイバー〉の足かせにはならないし、それどころか、いざという時の予備推進機替わりになるかもとケイジは思った。


「う~……」


 クィンティルラ大尉は軽く唸っていたが、少なくともあからさまに反対ではないようだったし、ケイジもまた異論は無かった。

 〈ユピティ・ダイバー〉を圧壊させずにUVシールドをすり抜け、そんな形でくっつくとは驚きだが、後になってみれば、まぁ彼女ならそれくらい出来そうな気もしてくる。


「……分かったよサティ、だが実行してからやっていいですか? はこれっきりだぞ」

『やった~!』


 ようやく口を開いたクィンティルラ大尉の言葉に対し、サティは朗らかに答えた。


「まぁ、いざって時のクッション替わりにゃなるかもしれんしな……」


 クィンティルラ大尉がぼそりと呟くと、〈ユピティ・ダイバー〉はいよいよこの旅路最大の難所へと突入を開始した。

 プローブによって選択したガス潮流に艦を乗せていく。

 その瞬間、予想通り襲って来た強大なGに、ケイジは幼い事に乗り自分は絶対にパイロットには向いて無いと確信したジェットコースターのことを思い出した。

 幼い頃乗ったコースター同様これから乗るガス潮流にもまた、途中下車は許されない。











 ――〈リグ=ヴェーダ〉内CIC中央情報室――

 大赤斑の西、木星赤道部雲海、浅深度――



「司令、そろそろ何か手を打たないと、惑星間レールガンが発射されてしまいますよ」

「わかっとるわい!」


 テューラは他人事のように告げる副官に言い返した。

 リバイアサン・グォイドが〈ナガラジャ〉により撃破され、一時は勝利の歓声と安堵の溜息で満たされた〈リグ=ヴェーダ〉内CIC中央情報室であった。

 がしかし、それから五分が経過し、一気に人類に傾いたかに思えた戦況は、雲霞のごとく大量に大赤斑バレル砲身内から現れた軽駆逐艦級グォイドがそれを許さなかった。

 それまでの戦闘から、軽駆逐艦級グォイドの性能は極めて低いことが分かっていた。

 少なくとも防御力と攻撃力では、グォイド艦の中でも最弱と言えるレベルである。

 SSDFの駆逐艦や〈リグ=ヴェーダ〉搭載の小口径UVキャノンでも充分沈められる程であった。

 だがその数と機動性能は極めて厄介であった。

 木星表層部『一つの指輪ワン・リング』作戦攻撃艦隊は、残った僅かな〈ラパナス〉級駆逐艦と実体弾投射艦で迎撃戦闘を行っていたが、敵は沈めても沈めても切りがなく、また残存実体弾投射艦の実体弾で狙い撃つにはあまりにも速すぎた。

 さらに一度に複数の軽駆逐艦級グォイドに攻められた場合、その攻撃力は決して無視できないものとなる。

 幸い、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト他の木星圏各衛星に残っていたSSDF艦艇には、『一つの指輪ワン・リング』作戦に参加しなかったSSDF戦艦級が護衛用に多数残されており、それらの活躍によって各衛星での軽駆逐艦級グォイドとの戦闘は終息に向かいつつあった。

 だが、実体弾投射艦が中核を占める『一つの指輪ワン・リング』作戦攻撃艦隊と、軽駆逐艦級グォイド群との戦闘は降着状態になりつつあった。

 数と速さで攻めるグォイドに対し、人類側はガス雲浅深度に潜伏しつつ、反撃の機会を窺う状態が続いていた。

 だが、いつまでもそうはしていられない。

 テューラは戦闘が終結し次第、各衛星にいるSSDF戦艦に増援に駆けつけてもらうよう要請しておいたが、大赤斑周辺での戦闘に間に合うかは怪しかった。

 すでに夜明けから十数分が経過し、内太陽系方面を向いた大赤斑から、もういつ惑星間レールガンが放たれてもおかしくないのだ。

 人類は一刻も早く大赤斑バレル砲身上空を占拠し、木星内【ザ・トーラス】から放たれてくるグォイド・スフィア弾を迎え撃たなければならない。

 もしそれに失敗してしまえば、現状の人類に、グォイド・スフィア弾が高速で地球圏に進攻するのを防ぐ手立ては無いのだ。

 だが、木星大赤斑周囲に残された戦力で、軽駆逐艦級グォイド群を撃破し、グォイド・スフィア弾を破壊するのは極めて困難といえた、少なくとも通常の戦術マニュアルでは……。


「電側、〈ナガラジャ〉はどうしてる?」

「健在です。大赤斑東でイルカみたいに雲海から出たり入ったりを繰り返しながら敵と交戦中、【ANESYS】が使えないので効率は悪いですが……」


 テューラの問いに、すぐに電側員からの返答が返って来た。

 リバイアサン・グォイドを見事討ちとった〈ナガラジャ〉であったが、【ANESYS】の使用限界時間を越えてしまった為、必殺の宇宙皮剥きスターピーラーが使えずに、軽駆逐艦級グォイド群との戦いでは苦戦を強いられていた。

 ただでさえ対リバイアサン・グォイド戦からの連続戦闘な上に、数と機動性に優れた軽駆逐艦級グォイド群は、〈ナガラジャ〉にとって、とても相性の悪い相手といえた。

 きっと戦闘中のアイシュワリア艦長はバトル・ブリッジで相当イライラしていることだろう。

 テューラはその姿が目に浮かぶようだった。

 ともかく、残念ながらこれ以上〈ナガラジャ〉の彼女達に頼るのは酷というものだろう。

 むしろ雲の中でじっとして少しは休めと言った方が良いくらいだ。

 SSDF駆逐艦も実体弾投射艦も、〈ナガラジャ〉も軽駆逐艦級グォイド群との戦いでは今一歩戦力にならず、テューラは難しい立場に立たされていたが、かといって、ただ手をこまねいて待っていたわけではなかった。

 テューラは元初代〈じんりゅう〉副長として数々の戦闘に参加し、【ANESYS】適正を失った後もSSDFに残り、VS艦隊司令となった女であったが、自分が必ずしも優秀な戦術家ではないことぐらい自覚していた。

 対リバイアサン・グォイドとの戦いではいくつかの戦術的アイデアも出はしたが、だからこそ、この状況の打開策が自分にはすぐに思い付けそうに無いことぐらい、即座にわかっていた。

 宇宙における対グォイド戦闘では、司令に戦術家的な才能は必ずしも必要では無い。

 最も必要なのは決断力であり、その内容云々については、過去の戦闘経験から戦術AIや優秀な〈リグ=エーダ〉クルーに導き出させれば良いのだ。

 基本的に宇宙戦闘では、正しい答えは論理的に収束されていくのだから。

 だがこの木星での戦闘では、今までの人類のグォイドとの戦闘経験は一切活かせず、一朝一夕に打開策を見つけるのは困難なようであった。

 そこでテューラは、この軽駆逐艦級グォイド群との戦闘に際し、状況を打開すべく己の立場で出来うる最大限の手段をすでに講じていた。

 つまりは他人任せである。


「テューラ司令、失礼します! 〈ヘファイストス〉のノォバ・チーフから入電です!」


 キルスティが突然CIC中央情報室に駆け込んでくるなり、叫ぶようにして告げた。


「やっとか!」


 テューラは息を切らして駆け込んできたキルスティに向き直った。










 サティは、大渦と【ザ・トーラス】接合点に存在する小渦の凄まじい流速の中で、必死に一体となった〈ユピティ・ダイバー〉を離すまいとした。

 そしてうっかり強く掴み過ぎて、握り潰してしまったりしないよう気をつけた。

 なにしろ中にはクィンティルラ大尉と、あのケイジ少年が入っているのだから。

 もしものことがあったら、〈じんりゅう〉の皆に口を聞いてもらえなくなりかねない。

 サティはガス流に対し、己の身体の柔らかさを微妙に変化させることで、その肉体にかかる負荷を少しでも受け流そうと努力した。

 だから、この状況下で、抱えている〈ユピティ・ダイバー〉内のクィンティルラでもケイジでもない誰かが自分を呼びかけているのに、すぐには気づくことができなかった。

 サティは『今の気づきましたか?』とコックピット内の二人に尋ねてみたが、二人とも艦の操縦とGに耐えるのに精一杯で答えるどころではなかった。

 それに聞えるのは、〈じんりゅう〉でルジーナだけがサティの音声では無い声が聞こえた時のように、人間には聞こえない種類の声なようであった。

 最初サティは、ひょっとしたらクラウディアンの姉妹の誰かが生き延びていて、話しかけてきてくれた可能性を考えたが、すぐに違うと分かった。

 もちろんグォイドという可能性も無い。

 その声――いわばテレパシー的な――は、今は亡き姉妹達とも〈じんりゅう〉で出会った人間達とも違った。

 どう違うのかを言語化するのは難しいが、強いて言えば、その声は〈じんりゅう〉にいたエクスプリカの声に似た印象を抱いた。

 ようするに無機質に感じたのだ。


『あの~……どちらさまですかぁ?』


 サティは手っ取り早く、その声の主の正体を知ろうと呼びかけてみた。

 そしてどんな用事で呼びかけてきたのかを尋ねてみた。

 その声の主は――警告です――と答えた。









「なんだぁ……結局実体弾か……」

『他に何があるって言うんだテューラよ』


 説明後のテューラの第一声に、大慌てで対抗策を立案したらしいノォバ・チーフから不愉快そうな声が返ってきた。


「ま、確かにその通りなのだけどな……」


 テューラは髪をかき上げながら、溜息混じりにノォバ・チーフに同意した。


 〈ヘファイストス〉との連絡役として〈リグ=ヴェーダ〉に乗艦させていたキルスティがCIC中央情報室に駆け込んできてから数分後――。


 テューラは、リバイアサン・グォイドへの〈ナガラジャ〉によるスマートブリッド砲撃作戦・『一つの指輪ワン・リング』第二号の最中に、軽駆逐艦級グォイドが大赤斑バレル砲身から大量に沸いて出てきた直後の段階で、すぐにキルスティを通じて、〈ヘファイストス〉にこの大量のグォイドを現状戦力で倒す手段を立案するように頼んでおいたのだった。

 幸い、〈ヘファイストス〉は〈ユピティ・ダイバー〉を雲海に投下した後、すぐに安全圏である木星極軌道に遷移し、木星UVユピティキャノンからも軽駆逐艦級グォイド群からも被害は受けていない。

 テューラは、この状況を打開するにはノォバ・チーフをはじめをとした〈ヘファイストス〉クルーの技術的な知恵を借りるしかないとすぐに確信し、後方の彼ら知恵を求めたのだった。

 とはいえ、火力も防御力も弱いが高機動かつ大量な敵を、魔法のごとく一掃する術などあるはずもなく、〈ヘファイストス〉のノォバ・チーフから返って来た答えは、要求を満たしはすれど、これでもう安心安堵できるような手段ではなかった。


『今ある兵装であのハエどもをやっつけたけりゃ、他に手は無いと思われるぞテューラよ。やるなら急げ。それと分かってると思うが、なるべく相手に一カ所に固まっていてもらわないと、この砲撃方法は効果が薄い。なんとか上手い事やってくれ』

「そこまでのサービスは無しか……」

『そっちは専門家に任せる』


 ノォバ・チーフはにべもなく答えた。

 確かに技術面はさておき戦術面はテューラ達の担当分野だ。

 テューラは素早く脳を働かせ、ノォバ・チーフから得た攻撃手段を活用した新たな作戦を練り始めた、











 クィンティルラはBMIとHMDを通じ、〈ユピティ・ダイバー〉が大赤斑下の大渦から【ザ・トーラス】の表層へと移動したことを確信した。

 乱流によって〈ユピティ・ダイバー〉は翻弄され、ピッチ・ヨー・ロールが混ざった方向に回転し、そに合わせて肉体にかかるGの方向も変化し、コックピット内の二人の体力を削ったが、それでも無事生きている。

 クィンティルラは艦の姿勢をランダム回転状態から正し、艦首を東下方に向けさせた。

 リング状巨大物体を〈ユピティ・ダイバー〉自前のセンサー類で見つけることはまだ距離があるため出来なかったが、〈じんりゅう〉から届いた位置情報データを元に位置情報視覚化LDVプログラムに反映させ、コックピット内壁やHMDに映すことができた。

 それによれば〈ユピティ・ダイバー〉は未だにガス潮流の中にあったが、高度的には【ザ・トーラス】を形成しているリング状巨大物体とリング状巨大物体との間の、低気圧空間のすぐ上にいるらしい。

 現在いるガス潮流は真東方向へと高速で流れているものだった。

 どうやら真下の【ザ・トーラス】内部の流れと微妙にシンクロしているらしい。おかげで【ザ・トーラス】内部に突入してから、内部の速度に合わせて加速する手間がいくらか減ったようだ。

 あと数十キロも降下すれば、そこはもう【ザ・トーラス】内部ということになる。

 艦下方の【ザ・トーラス】の中に目を向ければ、微かに何か黒い粒のようなものが超高速で〈ユピティ・ダイバー〉を追い越し、東の方向へと消えているのが見えたが、それが何かは分からなかった。


「ケイジ! サティ! 起きろ! 生きてるか!?」


 クィンティルラは後席に向かって怒鳴ったが、微かな呻き声しか返ってこなかった。 

 だがそれで充分だった。とりあえず生きているならば。

 クィンティルラは後席パイロットのバイタルが正常であることを確認すると、一時彼は放置しておくことに決めた。

 問題はもう一人の方だ。


「サティ? おいサティ!? お前は大丈夫なのか?」


 サティは確かに浮き輪のような状態で、今も〈ユピティ・ダイバー〉にくっついていたが、彼女からの返事は無かった。

 一瞬、また最初に出会った時のような事がおきるのではないかという不安が過る。

 が、しかし――、


『あ……ああごめんなさい! ぼ~っとしてましたぁ。ワタクシなら大丈夫ですよぉ』


 いつもの気の抜けたような声がコックピットに響き、クィンティルラはどっと溜息を吐き出した。


「まったくヒヤッとさせやがって……」

『ごめんなさいクィンティルラさん……実は……』


 サティの珍しく神妙な声はそこで途切れた。

「なんだ? 何か問題でもおきたのか?」

『あ、いえ……後でいいです。それよりも…………そろそろ降下した方が良いのではないでしょうか……』

「ん?」


 クィンティルラの問いにサティは曖昧に答えると、遠慮がちに言った。

 サティが何を言わんとしたのかはすぐに分かった。

 いつの間にか前方に位置情報視覚化LDVプログラムによって描かれたリング状巨大物体が、水平線のような巨大な弧となって迫ってきていたからだ。

 クィンティルラは大慌てで〈ユピティ・ダイバー〉の艦首を真下に向けると、推力前回で降下を開始させた。

 後席から「おおおおおおおぉ……」というケイジの恐怖と驚きの入り混じった呻き声が聞こえてきた。どうやら目は覚めているらしい。


『ワタクシもお手伝いしますね!』


 そうサティ言うと、〈ユピティ・ダイバー〉の降下速度が増した。

 彼女がその肉体を振動させることガス内の推進力にしているかららしい、

 リング状巨大物体がみるみる視界を覆う巨大な影となって迫るなか、〈ユピティ・ダイバー〉は接触するギリギリ手前でその下をくぐり抜けた。

 そして、〈ユピティ・ダイバー〉は三人が危機をくぐり抜けたことに安堵する間も無く、木星重力によって唐突に自由落下を始めた。

 急激に薄くなってく気圧の中に、三人の悲鳴が響く。

 〈ユピティ・ダイバー〉が、ついに円環状低気圧空間【サ・トーラス】内部への突入に成功したのだ。

 だが同時に、濃厚なガス大気の抵抗が無くなった為、降下時の慣性と木星の高重力により、一気に木星中心核方向へと落下してしまったのだ。

 そしてそんな〈ユピティ・ダイバー〉を、突然西方向から伸びてきた幾筋ものUVキャノンの光の柱がかすめていった。

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