♯4

「おほほほほほ、それで我が〈ナガラジャ〉自慢の〈ラーマーヤナの湯〉の湯加減はいかがかしら?」

「え? ええまぁとても丁度良いわよ」

「そう! ホントに!? 満足した??」


 アイシュワリアの問いに何気なく答えてみたら、思いのほか激しく食いついてきたので、ユリノ艦長は辟易しながらミユミ達〈じんりゅう〉クルーの方に、同意を求めるように振り返った。

 ミユミ達は慌ててコクコクと頷いた。

 正直なことを言えば、見た目が豪華な以外〈じんりゅう〉の大浴場と入り心地は大して変わらなかったのだが……まぁたまにはこういう経験はするのも真新しくて良いかもしれない。


「そう! 良か……った~。この浴場はワタクシの故郷の職人が、ハンドメイドで作りあげたものなんですのよ。どうか心ゆくまでお楽しみ下さいませ。さて、それではワタクシも――」


 ミユミ達が正直な感想を隠している一方で、アイシュワリアは彼女らの返答に大いに満足……というか安堵したようで、ようやく湯船に身を沈めようと一歩足を踏み出したところで、後にいた副長らしき女性に首を引っ掴まれた。


「きゅっ!?」

「姫様、何度も申し上げていますように、まず身体を流して下さい。それがお風呂の作法というものです。分かりましたか?」

「……は、はい……」


 曰く言い難い威圧感に気押され、アイシュワリア艦長は静々とシャワーで身体を流しに向かった。

 その場に残った女性は、〈じんりゅう〉で言えばフォムフォム少尉と同じくらいの長身とより濃い褐色の肌、それとナイスボディの持ち主であった。

 肩まで見事なドレッドヘアの頭髪が特徴的な女性だ。


「挨拶が遅れましたユリノ艦長、それと〈じんりゅう〉の皆さま。柳瀬ミユミ少尉とキルスティ・オテルマ少尉とは初めてでしたね、自分は当艦副長のデボゥザ・イジョフォー少佐です。以後よろしくお願いいたします」


 残ったデボゥザ副長に突然名前を呼ばれ、ミユミとキルスティは反射的に起立敬礼し「は、はい!」と声を揃えて何とか答えた。

 デボゥザ副長はそんな二人に笑顔で答えると、「少々お待ち下さい」と告げ、自らもシャワーで身体を流しにアイシュワリアの元に向かった。

 残こされたユリノ艦長達は、どうしたものやら分からず、とりあえず再び湯に身体を沈めた。


 ――〈ナガラジャ〉の副長ってこんな人だったんだ……。


ミユミはデボゥザ副長の後姿を目で追いかけながら思った。

 艦長と副長を逆にした方が異和感が無いんじゃ……いや、それだと副長の仕事が無くなるか……と。


「……にしても……」

「ミユミ先輩、どうかしました?」


 思わず漏れていた呟きに、傍らにいたキルスティが反応した。


「あ~ああ、え~っとぉ……さっきデボゥザ副長、アイシュワリア艦長のことを姫様って呼んでなかった? って思って……」

「ああ、なんだそんなことですか」


 キルスティにとっては、ミユミの疑問は実に初歩的な謎だったようだ。


「アイシュワリア艦長は、火星王国の第十七王女様なのです」

「火星王国……って、あの?」


 火星王国――それはこの時代の教育を受けたミユミであれば概要くらいは知っていた。

 後にグォイドと呼ばれることになるUDOが観測されるよりもさらに昔――。

 時に21世紀の終わり――軌道エレベーターの建造によって巻き起こった大宇宙開発競争時代の初戦は、資本に物を言わせたアメリカを中心とした国家間同盟〈ステイツ〉によって、まず月がほぼ独占して開発される結果となった。

 そして当然の帰結として、月の次に地球に近しい火星が、人類の次の開拓目標地となった。

 結果として、離合集散を繰り返して疲弊した欧州連合〈ユニオン〉と、紛争による傷の癒えないロシアとその周辺国による同盟〈アライアンス〉は、火星を賭けた宇宙開発競争に国力を裂く余裕はなく、当時急速に勢力を伸ばしていたアフリカ諸国と西インド洋諸国連合〈ASIOアシオ〉が、安価に大量の人員を投入することによって半ば強引に火星を制す形となった。

 しかし、人命を軽視することによってなされたその火星開拓は、本国との間に深い軋轢を生む結果となり、火星開拓民は自給自足が可能となるまでに開発が行われると、〈ASIO〉に対し独立を宣言、当時火星開拓民の中でカリスマ的支持を得ていた指導者を君主とした〈火星王国〉の樹立を発表した。

 当然この事態に〈ASIO〉は激しく反発し〈火星王国〉と対立、引いては人類史上初の宇宙戦争を巻き起こす寸前にまで至ったが、その直前でUDOが太陽系に到達し、グォイドと呼ばれる時代が到来し、〈ASIO〉と火星王国は有耶無耶のうちに和解し、火星王国は独立しつつも〈ASIO〉の一加盟国のとして、グォイドとの戦いに参加してる。

 〈ASIO〉にしてみれば、グォイドの戦いを火星王国にある程度任せられるならば、独立を許すくらい安い買い物だという判断なのだろう……と言われている。

 ――その王国の十七番目の姫様が〈ナガラジャ〉の艦長だったとは、知らなかったが。


「……それって~割と常識なのかな……?」

「はい、割りと」


 キルスティに即答されて、ミユミは顔を半分湯に沈めた。


「アイシュワリア艦長は、現火星王国国王の十七番目のご息女であらせられる同時に、生後半年で【ANESYS】適正が認められ、幼くしてVS艦隊のクルーとして対グォイド戦闘の指揮官とになることが運命づけられていた……のだそうですよ」

「へぁ~…………」


 ミユミは驚嘆の溜息を洩らす事しかできなかった。

 だが、その事実を知って見ると、〈ナガラジャ〉の船体や大浴場が装飾過多なのに少し納得がいく気がした。

 それらの装飾は、姫様が座乗する艦だから――という意味が込められているのかもしれない。

 ミユミの知る限り、〈ASIO〉も火星王国も科学技術や工業力に秀でた勢力では無いが、ただ一隻の艦に、職人的技術を投入することは出来たのだろう――ミユミはそう納得した。


「さてと、お待たせしました皆さま」


 考え込んでいるうちにアイシュワリア艦長とデボゥザ副長が戻ってきた。

 火星の姫君だと知った上でみるアイシュワリア艦長を見ると、何かしらのオーラがあるような気がして、ミユミは自分の現金さに呆れた。

 同時にこんなまだ幼い身で背負わされた宿命の重さに、思わず鼻の奥がツンとしてしまうのだった。

 アイシュワリア艦長は見た限り、伸長を含めて、おシズ大尉とクィンティルラ大尉の中間くらいの年齢にしか見えない。

 VS艦隊のクルーになって命がけでグォイドと戦うだけでも充分過酷だと思うのに、艦長という重責まで背負わされてしまうだなんて……ミユミはそこまでで考えるのを止めておいた。

 自分がどうこう言う話では無い、と。


「あ、あのミユミ少尉? どうかなさいましたか?」

「いえぇなんでも!」


 いつの間にか泣きそうな顔で見詰めていたらしい……気づいたアイシュワリア艦長に声をかけられ、ミユミはぶるんぶるんと顔を横に振った。


「そう、なら良いんですけれど。先にデボゥザが挨拶を済ませてしまいましたけれど、あなたとキルスティ少尉には、ワタクシも早く会ってみたいと思っていたのよ」

「そそそそそうなんですかぁ?」

「ミユミ少尉は〈じんりゅう〉と通信する時はいつも最初に声を聞いてましたし……それにキルスティ少尉は、ワタクシ達が先に〈ナガラジャ〉に御誘いしたと思っていましたのよ」

「はいぃ?」


 アイシュワリアの発言に、今度はキルスティが素っ頓狂な声を上げた。


「〈ナガラジャ〉の電算室オペレーターの一人が、もうすぐ【ANESYS】適正年齢の限界を迎えそうなの。だから今のうちに新人クルーを物色していて、あなたにも目をつけていたんですけれど、テューラ司令に『〈じんりゅう〉の方が火急なのだ』って言われてかっ攫われてしまったんですの、おほほほほほほほほほ……」

「あ、あの、なんと言うか、すみませんでした」


 突然そんなことを言われ、キルスティはペコリと頭を下げた。


「ああ、別にもう良いんですのよキルスティ少尉。でも、万が一にもそんな事態にはならないでしょうけれど、もし〈じんりゅう〉を出て他所のVS艦に行こうと思う事が億が一来た時は、是非ともこの〈ナガラジャ〉にいらしてね、ね!?」


 そう言ってアイシュワリア艦長はそう言ってまた「おほほ」と笑い出したが、ミユミの見る限り、その目は決して笑っていなかった。








 窓があればその向こうに広がる景色を見たくなるもので、ミユミは木星を見つめる度に軽い眩暈を覚えるにも関わらず、ついつい大浴場の舷側大窓に目を向けてしまっていた。

 実はミユミが窓の向こうをどうしても気にしてしまうのは、そこから見える景色の彼方に、木星に向け移動中の幼なじみの乗った〈ワンダービート〉の姿は無いか? と思ってしまうからなのだが、当人に自覚症状は無かった。

 ただ戦闘後にこうして風呂に浸かり、何も心配することなくリラックスできるのはやはり良いものだと実感していた。

 火照った身体をひんやりした窓に預けて冷ましていると、窓の向こう、視界の大半を占める木星の外側、僅かに見える漆黒の宇宙を背景に、緑の光点が輝いているのが見えた。

 〈ナガラジャ〉の周囲を守る無人艦の右舷灯の光だ。良く見れば、緑の光は他にも幾つか見える。

 ニンジンを二つ束ねたようなのが、噂に聞く〈ゲミニー〉級近接格闘無人艦に違いない。

 その他にも、見慣れた大根みたいな見た目の汎用無人駆逐艦の姿が見えた。


「あれ~VS805艦隊も〈ラパナス〉って使ってたんですね?」

「ギクゥッ!」


 何気なく尋ねたミユミの言葉に、アイシュワリア艦長が激しく反応した。


「ああああああ、あれぇ? あれはね? あれはですねぇ? おほほほ、ほほほほほほほ」

「ああ、確かに〈ナガラジャ〉の周りに〈ラパナス〉飛んでたなぁ~、てっきり姫様んとこは、格闘艦以外は絶対使わないってポリシーでもあるのかと思ってたんだけど。とうとう考えを改めたのかい?」

「だぁ~!! そそそそそれにつきましては、背に腹は代えられませぬと言いますか……」


 カオルコ少佐の問いに、アイシュワリア艦長があからさまにしどろもどろになる。


「ああ、私んとこのVS802艦隊も、ガニメデで新しい〈ラパナス改〉無人艦を受領する予定なんだ~。いや~前もらった〈ラパナス改〉は四隻全部沈めちゃったから、新しいの貰うの滅茶苦茶苦労したのよ」

「ギクゥッ!」


 そこへさらにユリノ艦長の笑顔が追い打ちをかけた。


「そういえば、ウチのおシズ殿も凄く楽しみにしてましたゾヨ、新しい無人艦が来るの……ってアイシュワリア艦長、大丈夫デスかぁ?」

「はは、はははは、じゃなかった。おほほほほ………全然……ぜんぜん大丈夫であえ☆k◆うぃ○×ぶぐぶく」


 ルジーナ中尉がアイシュワリア艦長の罪悪感にピンポイントで刺激を与え、彼女は気が抜けて湯に沈めそうになっては浮上を繰り返していた。


「無人艦といえばさ~、さっきの戦闘で一隻沈められてなかったっけ? 無人艦……なぁフォムフォム?」

「うむ、フォムフォム」

「…………」


 パイロット二人の言葉に、アイシュワリア艦長は最早魂を抜かれたかのような状態になっていた。


「姫様、気の進まないことは早めにすますことをお勧めしますよ」

「……だって、だってぇ~デボゥザぁ~」


 デボゥザ副長に諭されるアイシュワリア艦長を見て、ミユミはいい加減にアイシュワリア艦長の様子がおかしい……というか何かしら隠し事があるっぽい事に気づき初めていたが、自分は関わらないでおこうと思った。

 ほうっておいても必要なら自ら言いだすだろう――そう思っていたところで、アイシュワリア艦長がすっくと立ち上がった。


「あ、あのねユリノ艦長、それと〈じんりゅう〉クルーの皆さま! …………実は……」

「あれ? あれ〈リグ=ヴェーダ〉じゃないデスかナ?」


 アイシュワリア艦長が意を決して何かを言おうとし。が、それは、ルジーナ中尉が舷側大窓を指さしながら放った言葉によって遮られてしまった。

 振り返り、大窓を向く一同。

 確かに大窓の向こう、木星をバックにして矢じりのようなシルエットの航宙艦が、窓枠の下方から〈ナガラジャ〉の真横に向けゆっくりと上昇してくるのが見えた。

 その光景に、クルーはそれまで交わしていた会話の内容を一瞬忘れた。

 なぜならば……、


「うぇ、〈リグ=ヴェーダ〉が来た……ってことは……」


 ユリノ艦長が思わず呟く。


「〈リグ=ヴェーダ〉って確か…………」


 ミユミはその艦に見覚えがあった。というかケレス沖会戦で〈じんりゅう〉のピンチに駆けつけてくれた艦だ。

 VS艦隊の航宙艦は〈じんりゅう〉級と各無人艦だけでは無い。

 〈リグ=ウェーダ〉は、太陽系各宙域で活動するVS艦隊の戦闘を、VS艦隊総司令が現場で指揮する目的で使用される艦隊指揮用高速巡洋艦だ。その目的から武装は最小限であり、その分通信能力と高速航行性能に秀でている。

 その高速巡洋艦が今、〈ナガラジャ〉の真横に現れ、そして……


「ねぇ……ひょっとしてこれって……近づいて…………来てるぅ!?」


 ユリノ艦長の呟きが悲鳴めいた声に変わった。

 大窓の彼方に見える〈リグ=ヴェーダ〉のシルエットがみるみる巨大化し、窓枠からはみ出てその船殻装甲のディティールが目で分かる程になると、次の瞬間――どごぉ~んという轟音と共に、大浴場の湯が盛大にひっくり返った。

 大浴場にクルー達の悲鳴が響き渡る。

 ショートヘア組のクルーはもちろん、髪を濡らさないように気を使って纏めていたロングヘア組のクルーも、等しく頭から盛大に湯をかぶり、張り付いた髪の毛でどっちが身体の前か分からないような姿になった。

 振動と大波が鎮まると、大窓の向こうで〈リグ=ヴェーダ〉の船体がピタリと静止していた。

 続いてガコンという金属音が、大窓の隣から響く。

 航宙士たる彼女達には、それが〈リグ=ヴェーダ〉と〈ナガラジャ〉が接舷された際の音だと分かった。

 そして一同は思った……これは非常にマズイ――と。


『あ~〈ナガラジャ〉大浴場を使用中のVS艦隊クルーに告げる…………』


 突然、聞き覚えのある声の艦内放送が響きそこまで告げると、大きく息を吸い込んでから続けた。


『――そこを……動くな!』


 既に脱衣所へと続くスライドドアの手前まで来て脱出を図っていたアイシュワリア艦長と、ユリノ艦長、カオルコ少佐、クィンティルラ大尉、ルジーナ中尉は、その歩みをピタリと止めた。

 程無く、目の前のスライドドアの彼方で、バタンドタドタバサリバサリと誰かが脱衣所に入る気配がした。


「…………」


 既に……退路は断たれていた。

 ミユミやキルスティが茫然と見守る中、アイシュワリア艦長達は、そのまま時間を巻き戻したかのようにペタペタと後退すると湯船に避難した。もちろん防御力皆無なことは承知していたが、他に逃げ場など無かった。

 ……そして彼女達が最大限の警戒をする中、脱衣所からのスライドドアは開け放たれた。

 そこには、風呂グッズ満載の洗面器を小脇に抱え、頭にタオルを巻いた以外は一糸まとわぬ姿で仁王立ちするVS艦隊総司令テューラ・ヒュウラその人の姿があった。


「待たせたな! お前達!!」


 ――いえ特に待ってません!


 ミユミには、逃亡を試みたVS艦隊の艦長達の背中が、そう語っているような気がした。

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