君と未来のアルカディア

真堂 灯

序章

黒雨戦争

 黒い雨が降っていた。


 小さな女の子が両手を天に掲げ、笑顔を浮かべながらはしゃいでいる。

 墨汁を点々と垂らすように、雨は白いワンピースを徐々に黒く染めていった。


 黒煙と雷鳴。人々の怒号と絶叫。耳を覆いたくなるような警報。


 そんな中、女の子の笑い声がだんだんと狂気じみたものに変わっていく。

 その足元では、母親が息絶えていた。この女の子もそれからすぐに地にうずくまり、そのまま動かなくなった。


 翌日、夜が明けることはなかった。暗闇に覆われた空は、朝を迎えても、正午になっても明るくなることはなかった。次の日も、また次の日も暗闇の中で黒い雨が降り続いた。




 あれがテロという殺戮行為であることを理解したのは、それから一年後、紫藤しどうレイジが六歳になった頃だった。


 化学兵器を用いた大規模無差別テロ。それを発端に始まった世界大戦によって世界人口が三分の一まで減ってしまったという事実は、一年に渡る戦争が終結した後、週一回に変更された小学校で知った。


 今まで世界に何人いるかなんて考えたことがなかったし、自分は被害に遭わなかったから、それを知って可哀想だとは思っても、悲しくなることは特になかった。

 自分と家族が無事であればそれでいい、レイジは幼いながらにそう思っていた。


 しかし国内の都市半分が壊滅したことによって、戦争難民が自分たちの町にも流れ込んできた。物価がかつてないほど上昇し、戦争以前の生活をすることは到底不可能だった。



 それで人々が生き残るために決断した行動が、命の奪い合いだった。



 その火付け役となったのは、海外の武器商人たち。力を手にした者たちは人の命を奪い、金を奪った。そのターゲットは言うまでもない、戦争で家を失わなかった者たちだ。


 法など無意味だった。ただでさえ政府がきちんと機能していないこの状況では、彼らを鎮めることなどできない。抵抗することもできずに命を奪われ、戦争以上に無慈悲な行為が毎日のように繰り広げられた。


 それでも希望を持って生活していたレイジたち家族だったが、それもなんの前触れもなく終わりを迎えたのだった。


 ある日レイジが学校から家に帰ると、家中が荒らされ、煙が立ち込めていた。すぐに父や母のことを探すが、見つけた時には命のない、ただの二つの肉の塊となっていた。

 声が出なくなるまで叫んだ。もう二度と会話することができないことを思うと、一気に涙が溢れ出した。これが人の死なのだと知った。皆が戦争で感じた悲しみなのだ。

 だが親を亡き者にした者への復讐心は不思議となく、これは苦しむ他人に対してなにも思わなかった自分への罰なのだと悟った。


 そして誓った。

 争いを引き起こす者がいるならば、それと戦おう。悲しみの涙を見ずに済む世界を創ろうと。






 ――それから一年。


 銃弾の雨が降り続く毎日。

 かつて大都会と言われていた街も今や荒廃し、砂けむりが舞っている。

 銃撃戦が始まってすでに一時間。民間軍に所属する武部たけべという男の体感時間は、すでに五時間以上が経過していた。


 今夜も食料を求める政府への暴動が起きているという報告が入って駆けつけた民間軍は、この一時間で一〇名以上の死者を出していた。皆いつまで経っても呼吸が整うことはなく、震える手で機関銃を握り締めている。


 政府へ反発するレジスタンスの野獣のような咆哮が辺りを騒がせる。そして深夜という時間帯が敵味方の位置を把握できない状態にし、緊張感を極限まで高めていた。


 武部は重さ一二キロある鉄の盾を引きずりながら、撃たれた仲間の元へ向かっていた。盾に銃弾が容赦なく当たり、自分を狙っている者が複数いることに恐怖を感じた。


 五メートル先の仲間にたどり着くまでに一〇分を用し、ようやくたどり着いたところで声を掛けたが、彼はすでに息絶えていた。悲しみに暮れる暇もなく背後に敵が現れ、武部は吠えながらトリガーを絞った。怒りと悲しみ全てを一気に吐き出すように。


 人数は敵のほうが圧倒的に多く、武装も優れている。元々勝てる戦いではなかったのかもしれない。だがここで諦めるならば、その力は今後なんの罪もない人々に向けられることになる。そんなことは許すことはできなかった。そう考えている間にも次々と仲間が倒れていく。



 自分の命一つで、他の命を一つ助けることができるなら、それでよい。



 このような信念を掲げて入った民間軍の勝利を祈りながら、武部は敵に突撃していった。


 銃口が一斉に自分へ向けられる。せめて一人だけでも――


 すると突然、空から「きいいぃぃん」という、耳を塞ぎたくなるような高い音が響き渡った。

 途切れることのなかった銃声が一斉に止まる。おそらく戦場の全員が空に顔を向けているのだろう。


 何事かと思った直後、空が発光した。

 暗闇で慣れた目でこの光に耐えられる者は誰もいなかった。それほどに強い光。光は数秒で消えたが、痛む目をすぐに開けることはできなかった。


 騒めく戦場。そのど真ん中にいた武部は、すぐに状況を把握したかった。これを仕掛けたのは敵なのか味方なのか。今のところ敵に動きはないようだが、先に目を開けたのが敵だった場合を想像するとぞっとする。


 それで痛む目を無視し、武部は勢いよく目を開いた。

 視力はほとんど戻っていないが、目の前には今までこの戦場にいなかったはずの、奇妙な格好をした人物が数人立っているのがぼんやりと見えた。


 黒光りした頑丈そうな金属製アーマーを全員が着ており、まるでそれは子どもの頃に見たヒーロー映画の主人公ような、近未来的な外観だった。顔の上半分がマスクのようなもので隠れていたため、性別まではわからない。


 徐々に目を開け始める戦場の男たち。

 まだ状況が把握しきれていないが、視力が戻り始めた者から再び銃をギュッと握り、この好機を逃さんとばかりに敵を探し始めた。


 その時だった。あの黒アーマーを着た人物たちが、人間離れした跳躍力で戦地を駆け始めた。

 軽い踏み切りで一〇メートルは前に跳んだように見える。

 彼らは銃のようなものを取り出すと、それを両手で構え、民間軍以外の人物に的確に銃弾を当てていった。


「すごい……」


 武部は思わず息を呑んだ。

 民間軍か! と勘違いの声を上げながら、レジスタンスの男たちは黒アーマーたちに機関銃を向ける。


 しかし何十発も命中させているにも関わらず、金属の鎧にはダメージが通っているようには見えなかった。鉄の板ですらへこませることのできる銃弾が全く効いていないのだ。


 それどころか黒アーマーの一人は、自分に向かって発砲している男の方へ、ゆっくりと歩き出した。


 ガガガガガッという、弾が命中しているはずの金属音が、意味もなく響き続けている。


 近づくそれに、悲鳴にも近い叫び声を上げながら銃弾を浴びせ続けた男だったが、その行為も虚しく銃を弾かれると、すぐに制圧された。


 武部は身体を硬直させながらその光景を見ていた。

 気づいた時には周りから銃声がしなくなっていた。口から飛び出そうな心臓を胸でぎゅっと押さえつけながら、武部はゆっくりと周りを見回した。


 レジスタンスのメンバーはすべて地面に倒れ、立っていたのは黒アーマーの五人と、民間軍の八名だけだった。この戦いで、敵味方合わせ三二名の命が儚くも散った。





 あれから数日後、日本政府から発表があった。


 日本平和機構『リウェルト(Re‐welt)』

 ――意味:世界【welt】の再生【Regeneration】



 そして目的を実現させるための『リウェルト軍』を発足したことを。

 圧倒的な武力を持って争いを根絶する。それを目的とする組織だった。


 あの晩の戦いに現れた黒アーマーの人物が、そこに所属するメンバーだということも公表された。

 武部はあの時、確かに武力で戦いを終わらせる場面を身をもって体感した。


 敵には絶対に回したくないと思うほど圧倒的な力。


 確かにあの力さえあれば、民間で起きるあの程度の暴動など、あっという間に終わらせることができるだろう。それどころかあの技術さえあれば、戦争にだって勝てたのではないか。


 ――いや、認めよう。日本は負けたのだ。その事実は受け入れなければならない。


 これから世界がどう変わっていくか、この組織がすべてを握っていることは間違いない。

 武部はこの知らせを聞いた病室で一人希望を抱いていた。世界はまだ終わっていない。救えるのだと。




 だが、黒い雨から一〇年後――


 人類は世界を放棄した。

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