第30話 意志強き女王の頁-4-
――おかしい
拗ねて部屋に戻った後から、バルトの様子がどこかおかしかったのを、アイリスは知っている。
最初はすぐに戻るだろうと思っていたが、そう思いながら既に三ヶ月が過ぎ、雪がしんしんと降る季節となった。
アイリスがいい加減そろそろおかしいと気付いた時には、バルトは明らかに彼女を避けるような態度を取り始め、
「一体そんなに、何を悩んでいるというのだ………」
その間にもベルディはいやに饒舌となり、此方の言い争いは劣勢になっていった。
後もう一押しされればきっと、戦略を変えざるを得なくなるだろう。
そのために、会議はアイリスがギリギリまで延ばし続けていた。
だがそろそろ限界だ。
「腹が立つ………」
考えれば考えるほど苛立ちが募り、アイリスは稽古の場でありながらブツブツと何事かを呟き、挙句の果て、怒りが頂点に達すると、剣を取り出して、壁に深々とそれを突き刺した。
「くそっ…何があったんだ、バルト…」
彼が病み始めてからというもの、彼の周りに人が寄らなくなった。
いや、正確には、バルト自身が人を寄せ付けなかった。
しかし彼の天性は、人を巻き込んでいく…いや、自ら彼に身を任せたくなるような、面白い魅力に溢れた人間の筈だった。
そんな彼は、今では大好きな運動をする姿も消え、それどころか、城の中でも、息を潜めるようになっている。
この前など、真後ろにいて気付かなかった程、影が薄くなっていた。
驚くべきは、彼がアイリスに向けて敬語を使うようになっていたことだった。
彼女だけでなく、大臣全員に敬語を使うようになった時など、いよいよ気味が悪くなり悪寒がしたのをアイリスは覚えている。
しかし一番彼女が気に入らなかったのは、あの彼の顔から、完全に笑顔が消えた事だった。
「っ…あああ!!もう!!!」
ここまで幼馴染…否、片想いの相手が悩んでいるのにも関わらず、何もできない自分自身に一番、彼女は苛立っていた。
一度彼の部屋に押し掛けて問いただそうとしたが、それに失敗してからというもの、彼は日中は自分の部屋にいることがなくなり、姿を捉えることが更に難しくなってしまっている。
「……何をやっているというのだあいつは……!!」
そうこうしている間にも、彼を敬愛して止まない兵たちの不安は募っていき、とうとうこの前、アイリスにまで彼に何があったのかを聞き出そうとしてくるような者も出てきていた。
身分を超えた仲の良さというのは、こういう時はなかなかに厄介だ。
――何があったかなど、私が聞きたいくらいだ……!!
物に当たっても尚、怒りの収まる様子を見せないアイリスは、稽古の途中であるというのに、ブツブツとまだ文句を言いながら、稽古場を飛び出してしまった。
✽✽✽
彼女が怒り任せに、何も考えないで歩いていると、いつの間にか庭に出ていた。
そしてそこで、ある人物に目が留まった。
――バルト……?!しかし一体何を…?
思考を巡らせようとした瞬間、バルトは城から外に出て行ってしまった。
――きっとまだ気付いてはおるまい……
アイリスは思うが早いか、急いで部屋に戻ってお忍び用の服に着替えると、見失わないようにバルトの後を追った。
✽✽✽
バルトは狂気の森を迷うことなく進み、石壁に開けられた大きな穴を潜り抜けて行く。
辿り着いた場所に、アイリスは驚いた。
――何故レアシスに…?
レアシス。
アナスタチア出身の者が集う場所。
バルトはここの者達にもすこぶる好かれていた。
しかし、今までの彼等と、明らかにバルトに対する接し方は変わっている。
「おお!バルトじゃねぇか!また来たか!」
「いいだろ別に〜?いつ来ようが俺の勝手さ〜」
「相変わらず自由だなぁお前は!」
ここに来ると、少しだけ、いつもの彼に戻っていた。
しかし、問題はそこじゃない。
――敬語じゃない…?
アイリスは驚きを隠せなかった。
彼らはバルトがこの国でどの様な地位に付いているか、また、誰が彼らの居場所を作ったのかを知っている。
それを知った上で、彼に対しての態度はこれだった。
いや、違う。昔は確かに敬語を使っていた。
しかし今の彼らはそんなものを使うこともなく、それに対して躊躇も見られなかった。
「何がどうなっているんだ……?」
余りの変化の大きさに、アイリスの脳は既にパンク寸前だった。
そんなことをしている間に、バルトは街の奥の方に進んで行っていた。
アイリスは混乱しきった頭を抱えながら、バルトに付いていった。
✽✽✽
だいぶ歩いてレアシスの端の方まで来ると、バルトは一件の店に入っていった。
「カフェ…?何故?」
軍の中にも食堂はある。
決して不味くはなく、寧ろ美味な物が多い。
――それなのにわざわざここに来るとはどういうことだ…?
中を見るとバルトしか客はいないらしく、どうしたものかとアイリスは悩み始めた。
そこに、店の人間らしき人物がアイリスに声をかけた。
「ご来店ですか?」
不意に声をかけてきた制服姿の水色の瞳の少年を見た瞬間、アイリスに名案が浮かんだ。
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