第九章 その雫は風に乗って ②


           *


 いつまで経っても衝撃は来なかった。CIWSが二発とも撃ち落としたのだろうか?

 夕陽が恐る恐る顔を上げると、CICの面々は既に慌ただしく状況の確認を始めていた。

「敵ミサイルが甲板を擦ったようですが被害なし。発艦、着艦共に支障ありません」

 CIC内がどよめく。どうやらミサイルは「いずも」に当たったが不発で、奇跡的に助かったということだ。

 尾澤が手元のマイクを手繰り寄せる。

「各艦、被害状況を報告せよ!!」

 レーダー上には「いずも」を含めた一〇隻が映っているが、果たして無傷で済んでいるのか?

〝こちら「こんごう」、被害なし。レーダーも正常〟

〝「あたご」も同じく被害なし。健在です〟

 続いて「あきづき」「おおなみ」「むらさめ」「いかづち」「あけぼの」「ありあけ」と各艦から無事の報告が入る。だが「てるづき」からなかなか応答がない。

〝ジーク05より「いずも」へ。「てるづき」は左舷側のレーダーをやられた模様。恐らく火器管制不能と思われる〟

 それは敏生の声だった。シビアな報告内容にも関わらず、彼の声を聞いた夕陽は安堵感からか思わず涙ぐみそうになり、慌てて首を振る。その報告から十秒ほど遅れて「てるづき」から報告が入った。

〝こちら「てるづき」。人的被害なしも左舷側レーダー損傷。……火器管制不能です〟

 その報告に誰もがショックを隠し切れなかった。火器管制が不能ではESSMを放つことはおろか、主砲によるミサイル迎撃すら不可能だ。使えるのは別系統のCIWSのみ。

 これでは蟷螂とうろうの斧に等しい。

「統合作戦本部、尾澤だ。〝てるづき〟人的被害なしもFCSをられ戦闘不能。これ以上の防戦は厳しい。反撃したいが良いか?」

 だが、またしても即答は得られなかった。一体、何を悩んでいるというのか?  その市ヶ谷の〝態度〟に苛立ちを隠しきれない。こうしている間にも敵は第三波の準備を進めている。そして艦隊を殲滅した暁には、制空部隊が襲いかかり尖閣上空の制空権を一気に奪取しに来るはずだ。

「本部!! 聞こえているのか!? ……総理!!」

「……反撃は……許可しない。引き続き敵ミサイルの迎撃に……努めよ」

 それは制服組トップである統幕長の涙交じりの声だった。かつては海自随一の操艦の名手としてDDHやイージス艦の艦長を歴任した生粋の船乗り。部下想いで清廉かつ高潔、将兵達の信望を一身に集める尾澤自身も心酔してやまない人物。その彼の指示が断腸の思いであることが感じとれ、尾澤にはそれ以上言い返す気が起きなかった。

「了解した。引き続き敵ミサイルの迎撃に努める!!」

 そのやり取りに静まり返るCIC。

 そんな……、こんなの凌ぎ切れるわけないじゃない……。なんで……。

 夕陽はただ呆然と、Blipが蠢くレーダースクリーンを見つめるしかなかった。


           *


 皆が意気消沈する中、敏生には何となく反撃の許可が下りない理由が分かったような気がした。

 同盟国である米国の参戦が得られない中、日本が単独で反撃して無傷のまま一方的に勝利することがまずいのだ。先制攻撃を受け被害が出たためにやむを得ず反撃した、恐らくその状況を創出したいのだ。中国側に余計な言い分を与えないためか、または国際社会へのアピールか。いずれにしてもそれは高度な政治的判断。

 だが……。

 人間は、かくも冷酷な判断を下せるものなのだろうか?

 誰かが殺られるまで反撃してはならぬなどと!!

 すると突然、「いずも」の左舷二キロメートル後方に布陣していた「てるづき」が猛然と前進を始めたかと思うと、「いずも」の左舷二〇〇メートルのところで艦体を停止させた。

 僚艦の「はるさめ」を守ることができず、仲間が紅蓮の炎に包まれ沈んで行くのをただ眺めていることしかできなかった「てるづき」の乗組員達。その時から彼らの修羅の道は既に始まっていたのだ。そして敏生同様、この命令の意味も理解していた。ほぼ戦闘能力を失った自分達がその役に適任であることを!!

 一度は失った命、仲間を守るためであれば惜しくない。自ら盾となり旗艦「いずも」を守る。その行動は彼らの決意の現れ。

 そんな「てるづき」の様子を上空から見ていた敏生は怒りを抑えることができなかった。

 敵に対するそれではない。

 こんなの……、こんなのありかよっ!? 何であんたがついていながら……!!

 眼下の「てるづき」はもはや洋上に浮かぶ鉄屑だ。

 その横に浮かぶ「いずも」もSeaRAMは第二波で撃ち尽くした。この二隻にはもう四基のCIWSしか残されておらず、三、四発のミサイルでも防げるかすら怪しい。戦闘飛行隊のライトニングも自分を含め第二波でAAM4を撃ち尽くし、積んでいるのは対戦闘機戦闘用のAAM5のみで、対艦ミサイルの迎撃には力不足だ。

 俺は……どうしたらいい?

 ミサイル一発で散った親友の槙村と後輩の若葉、そして彼らを含む一四〇名の仲間達の声なき声が敏生の脳裏をこだまする。

 ドクン

 心臓が鳴る。

 自分の拳を両手で握りしめ、泣きじゃくる最愛の人の記憶。

〝この手はお前を守るためにあるんだよ。俺にとっての全てを守るために〟 

 だよな……、それが俺の戦う意味だ。

 敏生は歯を食い縛ると、操縦桿を握り直した。


           *


 尾澤はドンッとテーブルを叩くと唇を噛んだ。その目には涙が滲んでいる。

「全艦ッ……第三波に備えよ。……一発たりとも撃ち漏らすな!! 全て撃ち落とせ!!」

 その「てるづき」の覚悟の様子と尾澤の一喝に、無謀な命令で意気消沈しかけていた全ての艦艇・作戦機の乗組員達が再び奮い立つ。そして尾澤も覚悟を決めた。 この第三波をもし凌ぐことができたら、自分のくびを、刑罰を賭して反撃をすることを。

「中国艦よりミサイル発射!! 第三波来ます!!」

 幸か不幸か、第二波よりはミサイルの数は少なかった。いよいよ向こうも手詰まりなのだろうか? だが「てるづき」が防空戦に加われない今、それは何の気休めにもならない。

 ジャミングとイージス艦のスタンダードミサイルによる防御網を突破したミサイル群が猛然とこちらに向かってくる。

「あきづき」他、各艦から迎撃のESSMとシースパローが次々と発射されていく様子を、夕陽が祈るような気持ちで見つめている時だった。

「ジーク05、何をしている!?」

 CICがざわつく。その声で夕陽が視線をスライドさせると、敏生のライトニングが「てるづき」の四キロメートルほど先に布陣していた。

 え……?

〝見りゃ分かんだろ、俺がミサイルを引き付ける。その代わり逃した残りはお前ら全て撃ち落とせよ?〟

 まるでピクニックにでも行くかのような、明るい彼の声に夕陽が固まる。

 ちょっ……敏生……今何て……?

 すーっと身体が冷える。彼が何を言っているのか意味が分からない。

〝ガイア!! そんなことして何になる!? 退避しろ!!〟

 勝野の声だ。

〝悪いな、オッサン。あいにく俺は不器用でね。これしか思いつかねぇんだよ〟

〝てめぇふざけんな!! お前が死んだらイデアはどうするんだよ!?〟

 それはいつもクールな〝アッシュ〟刑部の初めて聞く怒鳴り声。

 彼らの制止にようやく状況が飲み込めた夕陽は、慌てて立ち上がると司令席に駆けつけ、尾澤の手元から構わずマイクを奪った。

「何やってるの!? 敏生やめて!」

 だが、彼からの応答はない。

 そんな……、まさかそんな……ッ!!

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!! お願い敏生逃げて!! 逃げてよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 取り乱し絶叫する夕陽を周りの幕僚達が慌てて取り押さえにかかる。それを振り解こうとしながら夕陽はマイクに向かって叫び続けた。


           *


 イヤフォンを通して聞こえてくる愛しい女性の悲痛な叫び。だが、敏生にはもはや逃げるなどという選択肢はなかった。

「いずも」の身代わりになろうとしている「てるづき」には二〇〇名、旗艦の「いずも」には五〇〇名の乗組員が乗っている。そしてその中には最愛の君も含まれているのだ。

 ごめん、夕陽。

 音速でこちらに向かってくる、防御を突破した六発の対艦ミサイル。

 敏生は残った四発のAAM5をそれぞれにロックオンすると、一斉に発射した。

 AAM4と異なり対戦闘機戦闘用のミサイル故、これで撃ち落とせるかは疑問だったが、デコイにはなるかもしれない。

 そして幸運にもその内の一発は敵ミサイルを撃ち落とした。

 だが、敏生にはそれを確認することはできなかった。

 最期に脳裏に浮かんだのは、初めて出会ったときの不機嫌そうな夕陽の顔。


 ごめん。


 彼の目から涙が零れたが、それが頬を最後まで伝うことはなかった。

 敏生のライトニングは三発の対艦ミサイルを引き付け、

 南洋の空に散華した―――――


           *


「ジーク05、ロスト……!!」

 レーダー員の悲痛な叫び声に夕陽の頭の中は真っ白になった。レーダースクリーンからは敏生のライトニングが消えている。

 残りの二発のミサイルは「てるづき」と「いずも」のCIWSがそれぞれいとも容易く撃ち落としたのだが、喜ぶ者は誰もなくCICの中はシンと静まり返っていた。

「……神月!?」

 夕陽は突然、弾けたように駆け出すと、片山の呼び止める声にも振り向くことなく、CICを飛び出し甲板に向かった。

 そうだよ、

 敏生が……

 日本最強のファイターパイロットが、

 優しくていつもあたしのことを考えてくれる彼が

 あたしを置いて行くわけないじゃない

 きっと撃墜される前に脱出して……

 階段を駆け上がりドアを乱暴に開けて甲板に出ると、強い海風に夕陽は息をのんだ。

 辺りを見回すと、敏生を慕っていた若い甲板員達が座り込んで泣きじゃくっている。その中の一人が夕陽を見つけると、

「神月三尉!! 門真二尉が……トシさんが……!!」

 と号泣しながら叫んだ。

 うそ……だよね……?

 夕陽はよろよろと二三歩進むと、一気に腰の力が抜け、その場にへたり込んだ。

「うそつき……」

 呆然と空を見つめる彼女の頬を一筋の涙が伝い、その雫は風に乗って彼の消えた彼方へと飛んでいった。

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