ヒバナは人殺しになりたがる 6

 これは夢か?

 夢って死んだ後でも見れるものだったのか?

 体が浮いているような感覚だ。

 魂とか幽霊とか、死後の世界とかいう話はよく聞くが、私は今それを身をもって体験してるんだろうか。

 ――下に何かある。

 私は今どこかに横になっているのか?

 死んだまま、そのままほったらかしにされているのか?

 その割りには、ずいぶんやわらかいところに寝かされているような。

 そもそも、今、私、目を開けているんじゃないか?

 視界がぼんやりしているが、まさかこれは・・・寝ぼけているだけ?


「おはようヒバナ」


 一気に目が覚めた。

 驚いて飛び上がるなんて、生まれて初めての経験だ。

 ベッドの上で飛び上がるなんて、ギャグマンガでしかありえない光景だと思っていたのに。

 それ以前に、なんであいつが私の住みかで、ベッドで寝ていた私のそばにいる。

 そうじゃなくて、なんで私は住みかでベッドで寝ているんだ。

 いや、そうでもなくて――なんで私は生きている?


「落ち着いてヒバナ」


「落ち着けるか! 他人事だと思って!」


「倒れたヒバナを私がここまで運んだの。ヒバナが目を覚ますまでずっと待ってたんだ。あ、あのバケモノたちは私がみんな斬ったから」


「聞いてもない質問に答えるな! ・・・・・・お前、この質問に答えられるか?」


「なに?」


「なんで私は生きている?」


「私たちは死なないんだよヒバナ」


 言葉が出てこようとしない。


「私たちは傷ついて動けなくなることはあっても、死ぬことはない。しばらく眠ればまた目を覚ますの。私も最近わかったんだけど、ヒバナ、わかってなかった?」


「・・・・・・」


まったくわかってなかった。


「前、シキが――墓守の子に自分を殺してって頼まれたから、本当はイヤだったんだけどすっごく真剣に頼まれたから言うとおりにしたの。あの子を刀で刺した。でも、あの子はしばらく眠っただけで目を覚ました。そのときにわかったんだ。私たちは死なないんだって。あのときも、私、今みたいにシキが起きるまでずっと待ってた」


「しばらくって、どれくらいだ?」


「一日は経ってた」


「・・・私も一日眠ってたのか」


「三日だったよ」


「・・・・・・・ずっと待ってたのか?」


「うん、ずっと」


「ずっとここに?」


「うん、ここに」


 ――――もう、言葉の尽くしようがない。

 自分はバケモノだ人間とはちがうと思っていながら、その実、人間とバケモノのちがいをわかっていなかったのか。

 殺されれば死ぬ、人間と同じ性質を持っていると思っていたのか。

 なにより、殺すことができないやつを殺そうと必死になっていたわけか。

 もう――――


「どうしたのヒバナ?」


 もう――しかできない。それしかできない――はずなのに、できない。


「ヒバナ、泣きたい?」


 ちがう。

 もう、笑うしかできない。そう思ってわざと笑おうとしたのに。

 笑えない。

 立ち上がり、鏡の前に駆け寄った。

 ――誰だこいつは?

 これが、私の顔か?

 なんで、こんな、今にも泣きそうな顔をしている?

 笑ってみせる――できない。

 笑顔を作ることすら、できない。


「ヒバナ、泣いてもいいんだよ?」


 あいつが、私の肩に手を置いた。

 すぐに振り払った。


「泣きたかったら、泣いてもいいんだよ?」


「・・・・・・誰が泣くか」


 表情を作った。怒りの形相ってやつを。


 私が眠っていた三日間、異変は何も解決していなかった。

 あいもかわらず、町はバケモノであふれ、学校は休みのまま。

 あいつが私のそばにつきっきりだったせいで、犠牲者は格段に増えたと思いきや、そうでもないらしい。

 バケモノを殺せるのは、私とあいつだけじゃない。他の、人の姿をしたバケモノががんばっていたらしい。

 バケモノにボールぶつけてドカンと爆破させ、そのボールが自分の頭に落ちてくる自称町一番のやつ。

 火をあやつってバケモノを燃やすマッチ売りの少女に、水で閉じ込めて溺れさせる人魚。

 バケモノが嫌いな音を聞かせ続けるシンガーソングライター、ひたすら人間をバケモノの攻撃からかばい続けるマゾヒストに、ひたすらバケモノを虐げ続ける料理好きのサディスト。

 文字通り手分けして戦う人形屋、人間の姿をしながらバケモノを爪と牙で引き裂くケダモノ。

 恐怖の仕掛けでバケモノをひたすらおどかすクリエイター、町にも深く根を張る森の番人。

 バケモノに石の雨を降らせる墓守。他にも結構いるが、これ以上は面倒くさい。

 バケモノを殺すことはできる。だが、誰一人根本的な解決はできていなかった。

 

「きっと何か、強い心、とっても強い、人を殺したいという気持ちを抱いている人がたくさんいて、そのせいでバケモノもたくさん生まれているんだと思う」


 そう提案したのは、あいつだ。


「強い殺意ってのは実行に移すほどの強い思いだ。そこまでの思いを抱いてるやつが、ある日いきなり急増するなんて、最近暴力的なマンガが流行りでもしたか?」


 私は反論した。


「ちがうよヒバナ。殺したくても殺すことができないと、思いだけがどんどん強くなるんだよ」


 ――事実を述べれば、私がこの異変の真相にたどり着けたのは、あいつのこの言葉がきっかけだ。


 人間たちの間で、あるアパレルブランドが流行っていた。

 デザインはそこそこってところだったが、何よりも値段の安さで人間たちに重宝された。

 老若男女、子供たちもそのブランドのとりことなり、町は同じような服着たやつであふれかえっていた。

 そのブランドの製造工場に、私は見学しに行った。当然アポなし、許可なし。

 許可なんぞ下りるわけがない。工場にはブランドの秘密がたっぷり詰まっていた。

 どこの店よりも、低価格で販売できる秘密が。

 従業員は全員子供だった。

 みんな身寄りのない子供だ。

 親が病気で死んだ、人かバケモノに殺された、捨てられた、あらゆる理由で親をなくした子供が、この工場で働かされていた。

 ほぼ休みなし、給金はまさに子供の小遣い程度。

 しかも、外出は禁止で小遣いは主に、一日三食、白飯と味噌汁ぐらいの食事にデザートの菓子を買ってもらうしか使い道はない。

 安さの秘密は、徹底的な人件費のカットだった。

 子供たちは皆、生きる気力をなくした目をしていた。

 でも心の中に強い気持ちは抱き続けていた。

 殺したい、自分をこんな目にあわせた大人を殺したいと。

 その大人に、私は面会を試みた。当然、事前連絡なし。

 自分の部屋で、豪華な調度品に囲まれながらイスでふんぞり返り、スナック菓子を食らうのに余念がない、タルみたいな体型の女だった。

 マダム・シラトリなどと名乗る(ブランド名と同じ)やつは、自分はいわゆるセレブだと思いたくてたまらなかったらしい。

 金を稼ぐためならどんなことでもした。身寄りのない子供を引き取って、愛情をささげると見せかけて、道具のように使うことなんて、なんのためらいもなかった。

 ナイフ片手の私がデスクに飛び乗ったのを見て、やつは悲鳴を上げてすぐに逃げ出そうとした。

 いろいろとわかっていたらしい。自分のやってるのはどんなことかも、この町には平気で人を殺せるバケモノが住んでいることも。

 ドスドスとどうしても重い足取りで、そいつは部屋から走り出る。

 ここで仕留めなかったのは、無論わざとだ。

 やつを追いかける。足の遅さにあわせるのが面倒だった。

 ときおり、前に回りこむことで、ルートの調整を図った。

 そして試みは成功した。

 子供の仕事場にやつを導いた。

 突然駆け込んできたやつに、子供たちはまず驚く。そして怖がる。

 やつには逆らえないと思うような目にあわされていたらしい。

 焦るそいつは壁を背にした。汗だくだくで、息をするのもつらそうだった。二重あごが揺れていた。

 遺言を言わせるとか、冥土の土産をくれてやるつもりは一切なかった。

 ナイフを投げつけた。やつは目を閉じた。

 やつは再び目を開けた。自分のほほギリギリの壁に、ナイフが突き刺さっているのを見た。

 一瞬、やつは安心した。すぐに安心感はなくなった。

 ナイフは勝手に壁から抜け、ひとりでに動き出す。

 上に行ったり、右に行ったり、宙返りしたり、きりもみ落下したりとナイフは工場中を飛び回る。

 やつはわけがわからなくなっていた。それがやつの最期の感情だった。

 飛び回るナイフは、やつの首根っこを着地点にした。即死だ。

 やつは壁にもたれながら、ずるずると崩れ落ちた。

 その様子を、従業員にされた子供たち全員が見届けた。

 私は、自分が今までの自分とちがうことを自覚した。

 ナイフを手を使わず自由自在に動かすことはできる。

 なんのためらいなく人を殺すこともできる。

 だけど、人を殺して笑うことだけはできなくなっていた。

 ――記憶がよみがえってきた。あいつが子供の目の前で親を殺したときのこと。


  来てくれたんだとほほ笑んだあいつを見て私は、まず震えていた。

 そのときは、なぜ自分がこんな状態になっているかわからなかったが、今ならなんとなくわかる。

 私は、そのとき最善だと思っていた行動をとった。

 あいつめがけてナイフを投げつけた。

 ナイフはあいつのひたいに命中――しなかった。

 あいつのひたいの前で、ピタッと静止した。時間が止まったように動かなくなった。

 そうだ、あの時も突然、胸が苦しくなって、とても立てるような状態でなくなったんだ。

 息が切れてその場にへたり込んだ。

 どうして、どうしてこうなるんだと思っていた。あいつをあのナイフで貫いてやりたいのに、できない。

 私のナイフは思い通りに、物理法則も無視して動かせる。

 だから、あいつにナイフを刺そうとしないのは、他でもない私の意思なんだ。

 なぜ? なぜできない。私は殺すことが大好きなバケモノのはずだ! そう思って、心の中がぐちゃぐちゃになって、目の前が見えなくなってきた。

 そんな私に対し、あいつは眼前のナイフに怯えることなく、顔色一つ変えず、柄を手に取った。それを私に持ってきた。


「ほら、大事なものでしょ」


 と、私に差し出した。

 へたり込む私に膝まで着いた。


「ヒバナ、大丈夫だよ。私が守るから」


 屈託のない笑顔を見せるあいつに、私は――

 悲鳴を上げて逃げ出した。

 胸の苦しみをこらえ、息苦しさに構うことなく全速力でその場から逃げた。

 必死な思いで、なんとか自分の住みかまで戻って、そこで力尽きた。道ばたで倒れることこそしなかったが、それでも、今思い出しても情けない有様だった。

 やっぱりあいつは大嫌いだ。あいつの笑顔を見てると、私はおかしくなってしまう。


 動かなくなったタルみたいな女を見て、喜ぶ子供はいない。

 ただ恐怖に震えるだけだ。


「マネするなよ」


 言うべきことは言い残して、私はその場を去った。

 殺意は跡形もなく消え去っていた。


 バケモノ騒動が収まり、町は後片付けに躍起になっていた。

 工場で働かされていた子供は解放され、町中の人間が子供たちを哀れみ、そいつらをひどい目に遭わせていた、あのタルみたいな女を呪った。

 今まで自分たちが着ていた、やつのブランドの服を投げ捨て、一ヶ所に集めて燃やし尽くすセレモニーを行った。

 ああやって自分たちは正義の味方だと思いたいんだろう。

 墓場は当然、墓石の数が増えた。幸い、この町の墓石職人兼墓守は仕事がとても早い上に丁寧だ。

 全ての犠牲者に、りっぱな墓石をあつらえ、万感の思いをこめて葬式を行った。

 全ての犠牲者――そう、あのタルみたいな女も、この墓場で眠ることになった。

 そいつの墓の前に立っている。花なんぞ持ってきてないし、祈りをささげる気もない。


「また墓参りに来たけど、何をすればいいかわからないと思っているのかい?」


 声に振り向いた。

 墓守だ。

 いつ見ても、黒いフードを頭にすっぽりかぶっている。


「こいつを他のやつらと同じ墓場に埋めていいものなのか?」


 私は聞いてみる。


「死は全てを平等にする」


 わかりきった答えだった。


「君は・・・どうしたんだい?」


 今度は墓守が質問してきた。


「どうしたんだって、どう答えればいいかわからん質問はやめてほしい」


「ずいぶん雰囲気が変わったね」


「雰囲気なんて抽象的な言葉を使われても意味がわからない」


「前は常に笑顔だったのに、今はまるで正反対だ」


「・・・・・・どんな顔になっている」


「特に目がちがうな。憂いを帯びた目になっている」


「見てるとそっちもつらくなるとでも?」


「いいや、むしろ・・・」


「むしろ?」


「常に作り笑いをしているよりは、その表情のほうがマシだ」


 会話を終えるために沈黙する。

 墓守のほほ笑みの意味がわからない。誰かを思い出してしまいそうになる。


「そうだ、この死したる人はどんな心の声を発しているんだい?」


 墓守は質問を止めない。

 なんだか、いたずらっぽい表情で私に迫る。

 こいつ、こんな仕草をするようなやつだったのか?

 質問の答えはと言うと――――


「・・・・・・何も聞こえん」


「え?」


「何も聞こえん。以前は墓場じゅうに響いていたはずの声が、聞こえてこない」


「そうか。よかった」


「よかった?」


「思い込みを解消できてよかったね。思い込みは恐ろしいからね、ないものもあると思ってしまう」


「興味がなくなったんだ」


 我ながら反論になってるのかわからんことを言い残し、私は墓場から立ち去った。


「墓参りならいつでも歓迎するよ」


 背中越しに墓守は私に言った。

 振り向いたところ、墓守は手を振って笑っていた。


  町の中を歩く。

 町は活気を取り戻し、人であふれている。学校も再開した。

 バケモノがいなくなったわけではない。だがこの町にはバケモノを殺せるバケモノがいる。

 今までどおりの日常に戻っただけだ。

 人の多い場所から外れたところにいる。目的もなく、なんとくなく歩き回る。

 あの時計塔に登って殺意を捜すという日課は、最近サボり気味だ。

 いつのまにか、田んぼの周りを歩いていた。

 稲穂が風に揺れている。収穫にはまだ早いか。

 ふと景色を見やる。田んぼを囲むように、赤い花がたくさん咲いている。妙な形をした花だ。

 何の気なしに、その花を近くで見る。妙な形だが、ただの花だ。

 こちとら花を可愛がるような心は持っていない。

 そのはずなのに、なぜかその花がどうしても気になってしまう。

 手をのばそうとする。


「その花はヒバナと同じだよ」


 あわてて手を引っ込める。

 いつの間にいたんだ。

 あいつめ、いきなり話しかけるだけでなく、わけのわからんことを言って私の心をかき乱すとは。


「私とこの花が同じってそれはどういう意味だ? 妙な形をしていることか?」


「ちがうよヒバナ。ヒバナと同じで、この花は命を守るために何かを殺す花なんだよ」


「花が殺す?」


「この花には毒がある。かじると毒が体に回り、死に至ることもある。その花をこの田んぼの周りに咲かせると、田んぼを狙いに来たネズミやモグラがこの花をかじって死ぬんだ」


「ネズミもモグラもアホだ。その花をかじらなきゃいいものを」


「ネズミもモグラも毒のある花を知らないから。この花は、田んぼを守っているの。稲穂を育てる田んぼを。みんなの命を守る田んぼを」


「田んぼが命を?」


「私たちはちがうけど、人間は食べないと生きていけない。命をつなげる食べものを育てる場所を守るために、この花は毒をもって命を奪おうとするものを殺すんだ」


「なぜこれが私と同じ?」


「ヒバナもみんなを守るために、みんなの命を奪おうとするものを殺すことができる」


 一瞬だった。

 あいつの首をなぎ払わんとナイフを振った。

 ナイフはやっぱり、あいつの寸前で止まった。

 あいつも無抵抗ではない。

 あいつの刀が、私の首にあてがえられようとしていた。

 お互い、すました顔をしてるもんだ。


「私が殺すのは、町のみんなを守るためなんかじゃない」


「じゃあ、どうして子供たちを苦しめていたやつを、誰も殺してないうちに殺したの?」


「人の殺意に応えてやるのも面白いと思っただけだ」


「やっぱりヒバナはすごいね」


 あいつが笑顔になる。

 私にナイフを突きつけられたまま、私に刀をあてがおうとしたまま、笑い出した。


「ヒバナは私にできないことができる。バケモノを生み出す原因に、私ちっとも気づかなかった。やっぱりヒバナは私よりも町のみんなを守ってくれる」


「私はバケモノだ。人殺しが大好きな」


「だったら、町のみんなを無差別に殺してるはずでしょう? それこそあのバケモノたちみたいに。でもヒバナはそんなことしない。ヒバナが殺すのは、誰かを殺したか殺そうとする人だけ」


「それ以上しゃべると殺す」


「殺せばいい」


 私の左手は、ナイフを動かそうとしない。

 ナイフを消した。あいつも刀を消した。

 殺しても復活するやつに、何をしてるんだか。

 やっぱり人殺しのバケモノは、殺すことしか心にない。

 

「ヒバナ、苦しくない?」


「いいや、ちっとも」


「ヒバナ、強くなったね」


 これほど、ほめられてもうれしくないことってあるか?


「いいか、私は変わっていない。私はお前が大嫌いだし、この町の人間を守る気などさらさらない。私が人を殺すのは・・・・・・」


「殺すのは?」


「・・・・・・私以外の誰かが人を殺すのが嫌いなんだ」


「だから人を殺すの?」


「ああ、まごうことなき矛盾さ」


「私が人を殺すのもいや?」


「ああ、お前が殺すのが一番嫌いだ。命令してみようか? もう人を殺すな」


「なんで?」


「このせまい町に、人殺しは私一人で十分だ」


「それなら、私を一人にさせて」


「断る」


「私も断る」


 話し合いで解決できない問題とは、まさにこのこと。

 こっちはしかめっ面だが、あいつはやっぱり笑顔だ。


「ヒバナ、変わったね」


「変わってないって言ったのを聞いてなかったら、一度耳をどうにかしろ」


「この町に来たころはなにかあったらいつも笑ってごまかそうとしてた。今は素直に悲しそうだったり怒ってそうだったりしてる」


「こちとら心の底から常に笑顔でいたいんだがな」


「私は今のヒバナの方が好きだよ」


 もう話したくない。

 だまってあいつに背を向け、この場から立ち去る。

 

「ヒバナ、私はいつまでもこの町のみんなを、ヒバナのこともいつまでも守るからね! この花・・・」


「やめろ!」


 突然の大声に、流石のあいつも言葉が詰まった。


「その花の名前は知ってる。だから聞きたくない。聞くときっとまた私はおかしくなる」


 そう言ってそのまま立ち去る。あいつは何も言わなくなった。

 私に気を遣ったつもりか。

 つい、振り向いてしまった。

 あいつは変わることなく笑顔だった。

 いやになるくらい何度も見た笑顔だった。

 たった今わかった。私があいつを一番嫌いなのは、人を殺すところじゃない。

 あいつが泣いたり怒ったりしないところが一番大嫌いだ。


――あるゆがみの娘の語り

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