第13話 第一事業部

 俺は勉強三昧のゴールデンウイークが終わり、英会話や第二外国語だった中国語などを磨き直した。黒龍ほど流暢には話せないが、自分の意思を伝えることはできる。


「ねぇ、前田さんって第一事業部で何を担当しているのかな?」


 挨拶に行ったけど、俺は緊張していたし、黒龍は興味が無かったから、教育係の前田さんがどんな仕事をしているかも聞いてなかった。


「さあね、会えばわかるよ」


 地下鉄で10分なので、通勤は楽になったし、黒龍は相変わらず何か手を使って座っている。


「あっ! お弁当持って来たけど……前田さんが社食で食べたり、外で食べるなら、一緒に行かなきゃいけないかな?」


 俺は隣の席も開いてるのに、意地になって立っている。それに10分なら立っていても平気だ。


「前田がどうしようと、聡君には関係ないよ」


 先輩の教育係を呼び捨てる黒龍に聡は注意する。


「わかってるよ、私と聡君とだけの話だから。他の人の前では、気をつけるよ」


 黒龍が就職したのは自分が他の人達と仲良くするのを阻止する為にすぎないのだと、俺は腹を立てる。


「今までは同期だけの研修だったけど、これからは配属先で勤務するんだから、君付けは止めろよ」


 同じ名字だけでも、どういう関係かと尋ねられるのに、社会人なのに『聡君』は無いだろうと注意する。


「じゃあ、聡と呼ぶ」


 呼び捨てだね! と、少し恥ずかしそうな黒龍の頭を叩きたくなったが、電車は降りる駅に着いた。


「確かに通勤は楽だけど……あっ! 総務課に届けを出さなくちゃいけないのかな? あれ? 黒龍はどうしていたんだ? まさか、同じアパートの部屋を書いていたのか?」


 黒龍はそんな些細な事はどうでも良いだろうと、俺を人混みからガードしながら出口へと誘導する。


「些細じゃないよ! 引っ越しとかしたら、通勤費や住民税とかの関係もあるから、移動届を提出するようにと研修で習っただろ。ああ! もしかして、僕と同じアパートを書いたのか!」


 どんな誤解をされているかと、真っ青になった俺に、天宮家の屋敷の住所を書いたと黒龍は渋々答えた。


「アパートの同じ部屋は駄目だと青龍達がうるさかったんだ。でも、今度の家なら何人かでシェアーしてても不思議じゃないよな。そうだね、私も移動届を出さなきゃね」


 上機嫌になった黒龍に、前の住所で良いだろう俺は慌てて文句をつけたが、住民税とか困るんだろと取り合わない。


 一旦は研修の行われていた会議室に集まって、それぞれ辞令を貰って配属先に向かう。ああだこうだと黒龍には腹を立てたが、俺は一人で第一事業部に配属されるより心強く感じている自分の頼りなさにガックリする。


『社会人なのだから、しっかりしなきゃ!』


 エレベーターが第一事業部のあるフロアーに着くと、二人で前田さんの机に向かう。


「今日から第一事業部に配属された天宮聡です」


「天宮黒龍です」


 前田さんは用意してあるデスクに案内してくれた。


「今日は部長は出張だけど、課長の手があいたら挨拶しよう。それまでは森さんに面倒見て貰ってくれ」


 ゴールデンウィーク明けで忙しいのか、教育係の前田さんから、事務員の森さんにバトンタッチされた。小柄な可愛い森さんに、聡はお願いしますと頭を下げた。


「先ずは事務用品や、名刺やハンコなどの備品を揃えましょうね」


 デスクは用意してあったが、机の上も中も空っぽだ。


「先ずはPCね! あっ、連絡しないといけないから、スマホの番号とアドレスを教えてね」


 小柄な森さんに連れ回されて、自分のデスクを整えた。


「これで一応は揃ったわね、何か質問は無いかしら?」


 小さな隣り合ったブースの机の上には電話、PC、メモ用紙、ボールペン、それに注文してあったのかプラスチックの小箱の中には名刺がある。


「あのう……教育係の前田さんって、何の担当なのでしょう?」


 前に挨拶に来た時に聞いとけば良かったと、少し気恥ずかしかったが、俺は優しそうな森さんに質問する。


「ええっ? 聞いてないの? しょうがないなぁ~、前田さんは今は水道関係のアクアプロジェクトを担当しているのよ。貴方達も東南アジアやアフリカや中国に行くかもね」


 黒龍は発展途上国での開発プロジェクトだなんて、危険じゃないのかと眉をしかめている。無視するぞ。


「水かぁ~、良いなぁ~」


 衛生的な水を飲めない人達には、水道設備が必要だよなぁと、夢見がちの俺を黒龍と森さんが大丈夫かなと心配する。


「それで、前田さんはどの国を担当しているのですか?」


 俺を不衛生な海外に行かせたくないと、黒龍にしては積極的に質問する。いざとなったら、青龍から天宮家に圧力を掛けて貰おうなんて考えてないだろうな。


「前田さんは、少し前まではマレーシアに売り込んでいたのよ。今は、次の売り込み先を検討している筈だけど……どこだったかな?」


 森さんの質問に他の女子社員達が集まってきた。


「これから会議で検討するみたいよ。マレーシアは最終プレゼンまで残ったけど、結局は他の会社に落札されたから、今度こそは失敗できないもの」


 なかなか厳しそうだと俺は驚いていたが、女子社員達に囲まれて、色々と質問された。


「ねぇ、天宮さん達は親戚なの?」


「同じ大学、同じ会社だなんて、親戚でも珍しいわよね」


 黒龍が変なことを言わない前にと、俺が慌てて答える。


「そうですよね! 私も黒龍が東洋物産に就活していただなんて、内定を貰うまで知らなかったのです。それに、同じ配属先だなんて考えてもいませんでした」


 女子社員と和気藹々と話している俺に、黒龍は少し不機嫌になった。


「そうだ! ゴールデンウィークに引っ越したから、総務課に移動届を出さなきゃいけないですよね。聡も提出しろよ」


 周りから、就職したばかりなのに引っ越したのかと怪訝な顔をされる。


「急に、親戚が海外赴任をすることになって、家の管理を頼まれたんです。空き家にすると家がいたむし、人に貸したら帰国した時にトラブっても困るから。だから、私達が一緒に住んで管理することになったのです」


 へぇ~! と驚きながらも、海外での仕事が多い第一事業部の女子社員達は、赴任したら空き家の管理に親戚を住ますのも有りかもと納得した。ただし、同居を公表された俺は真っ赤になって怒っていたが、さりとてこの場で叱ることもできなかった。


「これで、明日からは同じ弁当でもOKだよね」


 手抜きの日の丸弁当でも、聡の豪華なお弁当からおかずをちゃっかり貰っていたが、黒龍なりにしっかりと栄養を取らせなきゃと考えてもいたのだ。


「栄養不足で黄龍になれなかったら、困るからね~」なんて人の耳元で囁くなよ!


「なら、この用紙に記入して総務課に提出したら良いのよ」


 森さんから移動届を貰って書いていると、高級住宅街の地名に女子社員達はどよめいた。


「凄いお金持ちの親戚がいるのね~」


 俺は慌てて、自分の両親はごく普通の公務員だからと訂正する。


✳︎

 やっと会議室から帰って来た前田は、ごく普通の公務員の息子を部長が『様』付けしないだろうと溜め息をついた。ゴールデンウィーク中に、そう言えば彼奴なら知っているかもと、とんでもないほどの金持ちの子息に『天宮家』について探りを入れたのだ。


『天宮家……お前、どこでそんな話を聞いたんだ』


 大学を卒業した後、外交官になった知り合いは、『天宮家』に過剰反応した。


『いやぁ、俺が教育係になった新入社員なんだけど……天宮聡と天宮黒龍っていうんだよ。上司がビクビクしてるから、何か凄いコネでも持っているのかなぁと思ってさ』


 電話の先で、『新入社員!』と叫ぶ声がした。これで外交官が勤まるのか? と取り乱した知り合いを心配したが、それより『天宮家』が何なのかが気に掛かる。


『お前、悪いことは言わないから、そのお二方にはくれぐれも乱暴な口調や、ぞんざいな扱いはしないことだな! もう、これ以上は話せない』


 ピッ! と切られてしまったが、前田は自分の中の天の邪鬼が目を覚ましたのを感じた。


「こうなったら、徹底的に鍛えてやろうじゃないか! ひよっこの新入社員を、東洋物産の花形である第一事業部の企業戦士に相応しくしてやる!」


 そんなやりとりがゴールデンウィーク中にあったとは、聡も黒龍も知らなかった。


✳︎


「さぁ、そろそろ飯の時間だ! 今日は奢ってやるから、付いて来い!」


 バン! と前田さんに肩を叩かれて、俺はお弁当ですとは言えなかった。


「前田さん、私達はお弁当を持参しています」


 何処までもマイペースな黒龍に勢いは削がれたが、この程度では前田さんはメゲない。


「なら、一緒に社食で食べよう! 昼からは挨拶まわりだから、しっかり食べておけよ」


 はい! と前田さんの勢いに圧されている俺を、黒龍は心配そうに見つめた。 

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