第42話 上海の冬

「上海の冬がこれほど寒いとは、知りませんでした」


 俺は白い息を吐きながら、前田さんと現場に向かう自動車に乗り込み、大陸北部からの寒気団が居座っていると溜め息をついた。


「何を弱っちいことを言っているんだ! 冬はこれからが本番だぞ!」


 前田さんの言葉は勇ましいが、クシャンとくしゃみをしながらなので、教育的指導としては効果が薄い。とは言うものの、とっくに俺と黒龍の教育指導期間は終わっている。


「前田さん、聡に風邪をうつさないで下さいね」


 先に上海支店の駐車場に降りて、車を暖房で暖めていた黒龍は、風邪なら部屋に送りますと、前田さんを除外して俺と現場まで二人っきりのドライブを楽しもうと提案する。


「馬鹿を言うな! これからやっと工事が始まるのに、風邪なんかひいている場合か!」


 俺は、黒龍と前田のやりあいを聞きながら、上海についてきた青龍や赤龍や白龍も日本へ帰さなきゃいけないなと、溜め息をつく。


 前田さんは山本支店長が借りていたアパートの部屋を引き継いだが、俺と黒龍は青龍が用意した屋敷で暮らしている。その屋敷には当然の如く、青龍、赤龍、白龍も一緒に住んでいるのだが、どうもそれが日本のお偉い様達には不満の種みたいだ。


 しかも、黄龍が時々俺が寝た後で起き出して、上海を彷徨いているのは、何となく感じているが、それで寝不足になったりはしないので、文句をつける理由も無いが、それも問題視されている。


『天宮の本家が、龍達を日本へ帰国させろと、煩いからなぁ~』


 満月になる度に、俺は自分の中の黄龍が交尾をするために飛び立つのではないかと、ヒヤヒヤするのだが、今のところは外の世界に夢中のようだ。


『東洋物産は中国以外で仕事はしないのか?』


 興味津々で尋ねられて、俺も色々な国を見てみたいと答えた。そんな呑気な雰囲気が天宮本家には伝わり、黄龍が交尾をしないと龍が途絶えてしまうと、俺に対してもあれやこれや文句をつけてくるのだ。


『彼奴らを黙らせてやろうか?』


 俺の中で黄龍が、自分に向かって指図するつもりかと腹を立てるのを、必死で制する。


『言いたいように言わせておけばいい! 鬱陶しいけど、実害は無いよ』


 自分の身内なんだから、無茶な真似はしないでと頼む俺に、黄龍はフンと鼻で返事をした。



 ただ李大人は妙に勘が良くて、俺の中の黄龍に気づいたみたいなのが悩みの種だ。


『きっと夜に彷徨いているのが、俺じゃないと気づいたんだよ』


 姿形は俺なのだが、圧倒的な存在感がある黄龍は人目を惹き付ける。李大人でなくても、特別な存在だと気づくだろう。


『なら、おとなしく眠っていようか?』


 俺は少し考えて首を横に振った。黄龍にも外の世界を楽しむ権利があるし、四龍と親しくなって欲しいと考えたのだ。


『子龍を作るだけの関係だなんて、何だか虚しいよ! 皆、それぞれ個性もあるのに』


 交尾して卵を産む相手というだけだと、クールな黄龍が理解できないと俺は呆れる。


『男と結婚したくないと大騒ぎしていたくせに!』


 ケタケタと笑われるが、やはり俺には薄情に感じる。そんな俺と黄龍を四龍がほっておけるわけがない。四龍は俺に惹かれているのか、黄龍に魅せられているのか、自分でも判別できないが、側を離れるつもりは更々無いようだ。


『なぁ、黄龍は聡に感化されて、交尾飛行をのばしているんじゃないのか?』


 どうも、満月の夜は俺の中で眠って、外に出ようとしない黄龍に、四龍は少し焦りを感じてはいるが、世界を見るのに飽きたら、子龍を作ると話す言葉を信じて待つしかない。それに、こうした穏やかな暮らしが心地好いので、ついつい文句を言いながらも、日々を過ごしている。



『いつか、聡が龍を受け入れる気持ちになれば、交尾飛行しよう!』


 黄龍として交尾飛行しても、その影響が俺にも及ぶのではと考えて、少し四龍を待たせているのだ。


 聡は上海郊外の浄水槽の建設現場に向かう自動車の中で、自分の中の黄龍の不穏な考えを感じとって身震いした。


「聡! 大丈夫か? 前田さんに風邪をうつされたんじゃないのか?」


 運転しているのに後ろを振り返った黒龍に、俺と前田さんは「前を向いて運転しろ!」と同時に怒鳴り付けた。俺の中で昼寝をしていた黄龍は、龍が交通事故などするわけが無いだろう! と爆笑した。



 青龍は屋敷の絨毯を模様替えしている赤龍と、晩御飯の買い出しに日本まで飛んでった白龍を、書斎で感じながら、この平穏な日々が何時までも続くことを願う自分の中にも、空を飛ぶ黄龍を早く見たい気持ちがあるのに苦笑した。


「我が君……」


 青龍は聡に『我が君』とは自分のことか、黄龍のことかと問い質された時から、口にするのを憚っていたが、時々誰も居ない時に口にして、甘さを噛み締めていた。


「我が君は黄龍をも統べるお方です」


 そう清々しく言葉を発すると、東洋物産に圧力を掛けている李大人に余計な口出しをしないように釘を刺しに出向くことにした。 

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