第39話 聡の決意

 上海から帰国した後は、アクアプロジェクトの実施に向けて、第一事業部は慌ただしく、教育係の前田さんは俺や黒龍の指導どころでは無くなり、事務などの雑用を森さんに面倒を丸投げしてしまった。


 俺は自分の中の黄龍が目覚めると、どうなるのかという不安を、日々の生活を送ることでまぎらわせていた。他の龍達も俺が悩んでいることは察していたが、黄龍の目覚めも待ち望んでいたので、何も解決策を考えることができなかった。

✳︎


「やはり、中国政府は天宮君達を指名してきたな」


 第一事業部の部長は、上からの天宮家の二人を日本に留めておけという命令と、受注先の要望との間で悩む。


「原課長は詳しくは天宮家について事情は知らないのだなぁ」


 どうするべきか、原課長に相談したいが、天宮家の件を広めたくないので、どうやら事情を知っているらしい前田主任を呼ぶ。


「李大人はまだ天宮家の二人を寄越せと行ってるのですか?」


 前田はやれやれと肩を竦める。


「そんなことを言うなよ。李大人のご機嫌を損ねたら、アクアプロジェクトの妨害をしかねないぞ」


 確かに中国では、政府のお偉い様の都合で許認可が下りたり、取り消されたりすると前田も苦虫を噛み潰した顔になる。


「じゃあ、天宮二人を上海へ行かせたら良いじゃないですか」


 それが出来ないから困っているのだと、部長は苛つく。


「では、天宮聡にどうしたいか、選ばせたら良いと思います。聡が決めたのなら、他の人達は文句をつけれないでしょう」


 何故、能力面で優れている黒龍ではなく聡なのかと部長は疑問を持ったが、一番身近で観察している前田のアドバイスに従うことにした。前田は龍だろうが何だろうが、アクアプロジェクトを成功させる為に、李大人の要望に応えた方が得策だと割りきって考えていたし、真面目な聡が断るとは考えていなかった。


「上海でアクアプロジェクトの手伝いをするのですか!」


 パッと顔を輝かした聡に、前田はこれなら断ることは無いだろうとほくそえんだ。


「あのう、アクアプロジェクトは数年掛かりますよね……」


 そんなの資料を見てわかっている筈だと、前田は怪訝な顔をする。


「少し、考えてから返事をさせて貰っても良いでしょうか? 私としては引き受けたいのですが、諸事情があるので……」


 その諸事情には心当たりがある前田は、普通の新入社員ならこんなチャンスを断るなんて許されないのだが、少し待つことを了承した。


✳︎


「なぁ、前田さんは何の用事だったんだ?」


 黒龍が席に帰るなり話しかけてきたが、俺は森さんに言いつけられた事務仕事に戻り、返事はしなかった。


『何か聡はおかしい……黄龍が目覚める日が近いから、神経質になっているのだろうか?』


 黒龍は黄龍が目覚めるのを長年待ち望んでいたのだが、その後どうなるのかの知識が無い事にちりちりする程の焦りを感じる。子龍を持ちたい! という種族保存の本能は抑え難いが、側にいる聡が黄龍に目覚めた時に、その存在が無くなってしまうのは哀しい気持ちもする。


『青龍は何か知らないのだろうか?』


 四龍のうちでは一番年下の黒龍は、前の黄龍を覚えて無かった。真面目に働いている聡を見つめながら、どうにか聡の意識も保ってやりたいと黒龍は考えた。




「あのう、森さん……有給休暇の書き方はこれで良いのでしょうか? この許可印は前田さんに貰えば良いのですか?」


 アクアプロジェクトで忙しいのに有給休暇? と顔をあげた森さんは、近頃の新入社員は呑気だわねぇ! と怒鳴りつけようとしたが、俺の顔を見て口を閉じた。


「ええ、これで大丈夫よ……前田主任で良いけど……」


 ありがとうございますと、頭を下げて遠ざかる俺を森は呆然と見つめていた。


「ねぇ、森さん! 新入社員がこんな忙しい時に有給休暇なんてとって良いの?」


 こっちは休日出勤なんですけどと、周りの女子社員からクレームがきた。


「有給休暇は社員の都合でとって良いのよ!」


 それは建て前で、繁忙期に有給休暇など取らないのが、社会人のルールだと他の女子社員はぶつぶつ言ったが、お局様の一にらみで口を閉じる。


「前田さんが許可しないわよ!」


 それでも、最後の一声があがったが、さっさと仕事をしなさい! と森さんとしては珍しく声を荒らげたので、首を竦めて熱心に仕事に集中する。




 俺は自分の中の黄龍の存在が日々大きくなり、目覚める日が近いのがわかっていた。


『上海で前田さんとアクアプロジェクトを成功させたい! 綺麗で衛生的な水を多くの人に提供したいけど……僕はその時まで存在しないかも……』


 外国に赴任中に黄龍に目覚め、自分が居なくなったら、東洋物産にも、前田さんにも迷惑をかけてしまうと、俺としては遣りたくて仕方無いけど即答ができなかったのだ。こんな時期に有給休暇を取るのが非常識なのは承知していたが、自分が居なくなるなら、両親や姉には会っておきたかった。


『今度の満月には僕は居なくなる……去年の龍神祭以来、両親には会って無い!』


 前田さんは俺の思い詰めた顔を見て、黙って有給休暇届を受け取った。


「私も同じ日に休みます!」


 名前だけ書いた有給休暇届を机に置いて、俺の後を追いかけた黒龍には呆れ果てたが、何か俺が問題を抱え込んでいるのだと察しながら、何もアドバイスできない苛つきをぶつける。


「黒龍! 聡の面倒をみろよ!」


 綺麗な顔で振り向いた黒龍は、当然だ! と頷いた。

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