第33話 Event1:私たちはその時を迎えていた

 呼吸の音がはっきり聞こえていた。

 自分の、そしてみんなの、どきどきしている心臓の音まで。


「名前ヲ」

「名前ヲ」


 二人の女は空中で静止して、まるで死そのもののような圧倒的な重圧をかぶせてくる。その存在がかいま見させるのは、生の終わり。腐れおちる自然。脈動の終焉は、人の恐怖を呼び起こす。

 はっ、と気がついた。

「シロウ、シロウ、しっかりして! ここで気絶なんかしやがったらあんた、町に戻ったら売り飛ばすからね!」

 肩をひっつかんでがたがた揺さぶった。気が遠くなっていたシロウのうつろな視線が定まる。青ざめた顔で、あ、ああ、と剣を握りなおしている。まったくもう、まったくもう、危ういったらありゃしない!


「サラ」


 緊張してとがったノアの声。見るとノアの手の中にある女神像がふわりふわりと宙に浮きだした。白い花が五本、光沢を失った女神像を飾っている。

 私たちはその時を迎えていた。

 ゲームをしたものならばたぶん、かならず覚えがある感覚。ちょっとタイムってひとつ前の部屋に戻りたくなるか、やる気マンマンでさぁ来いやぁ! と挑発のひとつもかましたくなるか。いや、そのすべてがないまぜになったような、そんな感じ。

 対ボス戦。聖女と魔女の魂は、イベントボスの名に相応しい風格で私たちを見下ろしていた。綺麗で怖い、悪夢そのものの姿で。


 我が名を。

 さぁ、名を。


 求められ、私たちはひとかたまりになった。私とシロウでノアを守る格好。たぶんこれから私たちの戦闘態勢は、こうなるのだ。そうと知ると笑いがこぼれそうになった。

「じゃあ、任せるよ。ノア」

「うん、俺も、それでいい」

「ちょっと、あなたたち……」

 ノアが目を丸くし、そして言う。

「それって単に思いつかないからじゃ、ないよね!?」

 私は笑顔で首を振った。

 シロウも笑顔で首を振った。

 ノアは難しく眉間にしわを寄せたけれど、議論している場合ではないと思い切ったんだろう。

 だけど、一人でその名を告げはしなかった。


「人間が聖女と呼んだのは、エアリエル。そしてまた魔女と呼んだのはキルサ。

 ギュンターが求めたのは聖女の魂。エアリエルの魂。姉妹はギュンターを好きになり、はじまりの封印は解かれそうになった。エアリエルの魂を捧げようとしたのは、エアリエル自身。妹。

 そして、それを止めるのは、エアリエルじゃない者、姉。」

 ノアは続ける。

「メアリーが見たもの、人間たちの見た姉妹と妖精たちの話の矛盾は、魂と身体を分離させて考えるとすっきりするわ。心臓を捧げようとした妹を止めようとした姉は、どんな魔法を使ったか知らないけれど、妹の身体を乗っ取った。

 聖女と魔女の魂は交換される。入れ替わった二人は、お互いの役柄を演じることになる。妹は、身体を奪われた憎悪ゆえに。姉は……妹の身体を守るために。それが選ばれなかった者の復讐なのか、姉妹愛ゆえなのかは分からないけれど。妖精は魂を見る。人間は、身体を見る。二人はお互いの力を使いながら、最後の戦いに望んだ」

 私たちはマリアに見せてもらった。二人の戦いの行方。死にゆく人々、破壊される村。そして暗黒公は吐き捨てる、

 ―――自分が必要としていたのは聖女の魂。それは既に堕落した。もう、用はない―――

 聖女の奇跡は失敗し、この屋敷はゴーストの住まう場所になり果てた。

 入り乱れる言葉、言葉、だけどノアの言うとおりに聞くと、すべてはちゃんとつながる。


「聖女は魔女に敗北し、首をくくって死んだ。その足下に咲いた花を悪神に捧げる者には幸いが訪れる……て、いうのは、首をくくった女の名前を呼べっていう意味だと思う。……ちょっと苦しいかな?」

「そんなことないよ」

 さて。だとすると最初に答は、あったわけだ。

 人間が魔女と呼ぶ、その名を呼べば良いんだ。


 私たちは顔を見合わせ、ひとつうなづいた。

「ここで違う方の名前呼んだらかなりひんしゅく?」

「うん、後ろからファイアーそそぎ込んで上げる。シロウならゾンビと二人っきりにしてあげる」

「かかかか勘弁」


 浮遊し、くるくる回っていた女神像。そして私たちは叫んだ。




「「「キルサ!」」」




と。




■ ■ ■ ■





「ア、アアアアアアア、アア…………!!!」


 聖女と魔女の魂が、鳴動を始める。気持ちの悪い悲鳴を上げながら、ふたりの身体をうねうねと蛇がうごめく。手を取り合う二人の身体は融合していて、血管のように蛇が入り乱れているのだ。メデューサの首みたいに。

 そして黒い髪をした女がまるで落とし穴から抜け出すように、忌まわしい身体に腕を突っ張って身体を伸ばす。気持ちの悪い身体から黒い髪の女の身体だけが普通で、だからなおかつ気持ち悪かった。

 女神像が光る。そして、それをまもるように飾られていた白い花が、天井から光を受けて輝き出す。


「アア、アアア、アアアアア………」


 女の苦悶するその声は、子供がきいたらたぶん失禁する、寝苦しい夏の夜の悪夢から聞こえてくるようなものだった。子供じゃなくてもシロウ君が、気が遠くなってますが。



「アアアア……!!! ……私の眠りを乱すのは誰? 私は敗北し首をくくって死んだ。哀しみの海をたゆたい永遠に終わらぬ夢を見る。

 私はエアリエル、だけどお前たちは本当の名を呼んだ。

 だから助けよう、妹の哀しみの魂がおかす殺戮の歌から、守ってあげよう」



 黒髪の女が光の固まりになり、はじけて飛んだ。そして女神像にその魂が宿る。女神像の石の身体に、キルサの魂が宿る。するとその姿は、一人の姿勢の良い女の姿になり、地面に降り立った。

 そして、蛇の固まりになった金髪の女の魂が、変動をやめた。

 悲しげに目を閉じた女の顔が、見開かれる。その赤さ。そして、憎々しげに歪んだその顔の恐ろしさ。


「そう……お前たちも私を選ばないと……言うのね……!!」



 戦闘開始、だった。

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