精霊界の異端演者(ノイズメーカー)

飾絹羽鳥

第1章

1 異世界

一人の少年が、コンビニで菓子とジュースを買っている。


名前を駿河するが りょう


休日を、先日買ったばかりの新作ゲーム漬けで過ごそうと考える、健全な高校男児だ。


やや細身で、身長も平均的ながら、中学校時代には水泳部に所属しており。肩幅は広く、見た目以上に筋肉もある。

しかし高校に入ってからは帰宅部となっており、体力的には少々衰えをみせていて、それは本人も少々気にはしているところだった。


それでも、部活を辞めて空いた放課後の時間に、短期のアルバイトで遊興費を稼ぎ。

豪遊と称して、ゲームと菓子で気ままに過ごすというのは、なかなか気に入っていて。生活態度というものは改まりそうにない。


ゲームの残金で買った豪華な品々を両手にぶら下げ、コンビニを後にすると。17年という年月を過ごし、歩きなれた閑静な住宅街の中を一人歩く。


住宅街の街路樹達には、もう一枚の葉もついておらず。

裸の幹を冬の冷気に晒して久しい。


亮もまた、時折吹く寒波に身を縮め。

少しでも風を遮ろうと、愛用の黒いショートトレンチコートの襟元を正しながら。横着してマフラーをして来なかった事を後悔していた。


身を刺す寒さに耐えかねたか。

亮は家路を急ぐため、公園を突っ切って近道をするべく。公園を囲む低い植え込みを飛び越えようとした。


だがその些細な行為が、彼の運命を大きく変える事になる。

今まさにジャンプしようとした瞬間。

突然、何の前触れも無く、目の前に眩い光の壁が出現したのだ。


それが現れたのは、突然の閃光に目を覆う事はおろか、驚く暇も与えられないタイミングで。

となれば勿論、ジャンプするのを取りやめられる筈もなく。

亮はそのまま、自ら光の壁に飛び込んだ。


光の壁は一瞬の浮遊感を与えただけで、さしたる衝撃もなく通り抜けられたが。

着地した時には、今度は周囲が真っ暗になっていた。


途端に、洗濯機に放り込まれたような激しい目眩と、胃を鷲掴みにシェイクされたような吐き気に襲われ。

亮は最早立っているのもままならず、滝のような冷や汗を流しながらその場に突っ伏し。

そのまま喘ぎながら、力無く横に倒れ込んだ。


どれほどの時間が経っただろうか。


目眩や吐き気も徐々に治まり。

亮は永遠とも感じられる地獄から解放され、息を整えながらゆっくり身を起こす。


いまだに乗り物酔いのような不快感は残っているが、先程までに比べれば無いも同じだ。


手袋を外し、顔中の汗を拭いながら胡座をかいて、自分の置かれている状況を考える。

どうにも足下の感覚が、公園の土ではない気がする。

触ってみればツルツルで、所々凸凹もしており。うす濡れた石畳のような気がした。

しかし、確認しようにも、亮には周囲が全く見えない。


先程の光は何だったのか?

そして、何故突然暗くなったのか?


先ほどの吐き気と目眩の事もあり、思い立ったのが、脳に何かしらの問題が起きて失明。

亮は、慌ててポケットからスマートフォンを取り出すと、祈りを込めて開く。

すぐさまついた、画面の光りに、ホッと胸を撫で下ろした。


その仄かな光を見て気持ちが僅かに落ち着くと。

冷静に自身の置かれた状況を知ろうと、立ち上がって、スマートフォンの灯りで辺りを照らす。


亮が居るのは直径5メートル程の円形の部屋である事がわかった。

天井は低く、手を伸ばせば容易に触れられるほどしか高さは無いが。

壁は石造りで、目地にはしっかりとモルタルが塗り込まれて造りは良いと思われる。


壁の一角に小さな四角い格子窓の付いた、厚い木製の扉が一つあり、見たところ他の出入り口や窓は無い。

天井に照明器具も見当たらず、外からの光が入り込まないこの部屋が、真っ暗なのは当然だろう。


亮は何故、西伊豆の田舎町にいた自分が、急にこんな妙な所にきているのか解らなかったが。取り敢えず外に出ようと扉に近づく。


古臭いデザインの大きなアーチ型の扉には、ノブの代わりに鉄の輪が付いていて、鍵穴は見当たらない。

しかし、外に錠前か閂でも付いているのか。

どんなに力を込めても、ガチャガチャと音がするだけで、まったく開いてはくれなかった。


「すみませーん、誰かいませんかーー!!」


格子窓に顔を寄せ、大声で呼び掛けてみた。


窓から見えるのは右への通路で、直ぐに上り階段になっており。

段の形を見るに、この部屋の壁の外周に沿っている、大回りの螺旋階段だと思われる。


格子に顔を引っ付けてしばらく待ってみても、階段から誰か降りてくる様子はなく。

それどころか人の気配をすら全く感じられない。


電話が繋がらないかと電波状況を見れば、予想通りの圏外表示。


亮はここに至って、やっと自身が閉じ込められている事を認め、がっくりと肩を落とした。


ショックと焦りで半ばヤケになって、扉を蹴ったり、体当たりしたり。

有らん限りの大声で呼び掛けたりと、一通りの無駄な足掻きを始め。


かと思えば。

やるだけやってスッキリしたというか、ただ単に疲れただけか。

亮はパニックになりかけた頭を落ち着かせて。どうにか外に出られないかと、考えを巡らせ始めた。


もう一度室内に目を向け。取り敢えず、何か使える物でもないかと、部屋を調べてみる。


部屋は一見倉庫にも見え、壁際には棚が幾つか備え付けてあり。

見たことのない文字がラベルに書かれた、薬品のような瓶がいくつも並んでいる。


ここでふと、熱したフライパンに水を垂らしたような小さな音と。

ツンと鼻をつく、微かな刺激臭に気付いた。


正体を確かめようとライトを床に向けると、まず目に入ったのは床に刻み込まれた図形。


それは、直径2メートル弱の二重の円と、その中に幾何学模様と文字であろう物が組み合わされた図形で。

ゲームを嗜む亮には、それが魔法陣と呼ばれるものだと、すぐに解った。


それは勿論、日常的に目にするような代物ではない。

実物を目の当たりにした感想といえば、自分はどこぞのカルトにでも拉致されたのかと、不安が増すというもので。

引きつった笑みを浮かべる。


魔法陣の上には、何か光を反射して煌めく、細かな破片が広がっており。

その脇に、これまた細やかな紋様が刻まれた、高さ1メートル程の円柱状で、全体が金属で出来た台の様な物が倒れている。


台の三本のあった脚の一本が、床に広がっていた液体に触れた事で、腐食し。

バランスが崩れて倒れたようだ。


蒸発するような音と臭いは、この液体が金属を腐食させる時に出ているようで。


試しに金属台を液体の上に動かせば。

まるでバターでも溶かしているかの様な勢いで、金属を溶かしていく。


液体内の金属濃度があがると溶けなくなっていくようだが。

その効果は十分過ぎるほどだ。

この液体さえ有れば、錠前の1つや2つ、障害の内に入らない。


液体の出所は側にあった棚で。


棚の上に乗っていた素焼きの薬瓶が、何かの拍子に倒れたらしく。横倒しになった瓶から液体が漏れ出し、床に垂れて広がっている。

それが金属台の方にまで流れていって、脚を溶かして倒したらしい。


亮は薬瓶を起こし、緩まった蓋をしっかり閉め。振って残量を確認すると、それなりには残っているようだ。


正直、亮はこれほどの金属を腐食させる薬品など、聞いたこと無かったが。

元々、科学に興味も薄かったので、特には気にしなかった。


いざ開けようと扉を見ると、格子窓から扉の錠前は見えず。これは格子から手を伸ばすというのも中々に骨が折れる。


これは格子窓を外してしまおうと、四本ある鉄格子を外しにかかり。一本目を外したところで、扉の蝶番が室内側に付いている様子が目に入り。

亮は思わず苦笑いを浮かべる。


こちらは極めて簡単だ。適当に薬をかければ扉ごと音を立てて外れた。


瓶の中身は八割ほどまで減っていて、格子を溶かすなどしていれば、足りなくなっていたかもしれない。

そうなれば、ここに閉じ込められたままになっていただろう。


軽く恐怖を覚えたが、とりあえずはどうにかなっている。ここは一旦気を取り直し、鞄とコンビニ袋を持って部屋から出た。


そのまま埃っぽい階段を上っていくと、明かりが見えてきて。階段が終わると地上階だった。


目の前には玄関とも見える小さな空間があり、左には扉の無い出入口、そこから建物の外に木々が広がっているのが見える。

そこに在ったであろう扉は、幾つかの木片に変わり、目の前の空間に散らばり落ちていた。


正面にも、地下の扉に似ているが、少し小綺麗な木の扉があり。

その格子窓からは、更に上への螺旋階段が見える。


そして右側。


こちらは下と同じ間取りの円形の部屋で、窓が1つ。

壁際には釜戸が2つと大瓶、壁付きの小棚には小瓶が並び。

食器棚に皿や鍋。

部屋の中心には大きめのテーブルと、椅子が数脚。

以前は果物やパンを入れたであろうバスケット。


それら生活の痕跡のほとんどが壊され、木片やくずとなって床に散乱していた。

落ち葉や埃が積もる様子に、それなりに時間がたっているものと思われるが、この荒れようは風化ではなく、破壊の形跡に見る。


何があったのかと頭をかしげながら、亮は建物の外に出た。

だが、屋外の状況は。

亮に更なる疑問を投げかけてきた。


建物の外には、背の低い草が生い茂り。

所々で、色とりどりの花が咲いている。


そして、数メートル先からは、緑の葉を茂らせた林が広がっていて。

なによりも、日差しが温かく。

コートを着ていては暑いほどだった。


明らかな春の気候に、亮は慌ててスマートフォンを取り出し、今まで気に留めてなかった日時を確認する。

そこには、日にちは変わっていなかったうえに。時間すら、コンビニを出て2時間も経っていないと表示されており。

いよいよもって、亮の混乱は最高潮に達した。


思わず、自らが出てきた建物を振り返ると、石を隙間なく積んだ灰色の壁が目に飛び込んでくる。

その壁は高くそびえ立ち。高さ15メートルほどの石造りの塔としてそこにあった。


突然現れた光の壁。


部屋にあった魔法陣。


突然変わった季節と、経過していない時間。


眼前の明らかに中世の建造物。


これらの要因から、亮は幾つかの結論を導き出す。


タイムスリップ、パラレルワールド、異世界。


「マジかよ……」


そのどれであっても、常軌を逸しているのは確かだった。

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