第24話 賽の河原

 創作とはゼロからものを作り出すのではなく、ゼロからものを組み立てる作業だと、僕は考える。


 それは『よいインプットがなければ、よいアウトプットはできない』につながり『オリジナルなき模倣の世界』にたどり着く。


 集合的無意識と同一か、或いは極めて似た構造を持った世界か。


 心の奥底に釣り糸を垂らして、何かを引き上げる作業――つまるところゼロからまったく新しいものを作り出すというのは、それこそ神の領域であり、その意味で人間は悪魔的であるといえるかもしれない。


 創作という作業は、集合的無意識に意識的に向かい合いながら、さも自らが造り上げたという錯覚のもとに成し遂げられる。造り上げるまでは自分は神であり、作り終わった後はただの人になる。神であればすべて満たされるのだろうけど、ただの人だから、また神になりたいと思うようになる。


 創作者であり続けようと努力し、あがき続ける。


 それは地獄となんら変わりはない。

 賽の河原で石ころをひとつひとつ積み上げてはそれを壊され、また積み上げる。


 石の一つ一つがアイデアであり、それを積み上げて完成することを許されない塔を建てる。

 石ころを壊すのはすなわち心の中に巣食う鬼であり、創作者は心に鬼を飼う鬼神であり奇人であり貴人である。

 そして心の中の神が去った後、悪魔が心の扉をノックする。


 もっとこうすれば、今風じゃん?

 ほら、これってあの作家のあの作品に似てるよね。

 こんな登場人物がいたら萌え度アップじゃねー。

 こういう反社会的なことを描くのって、どーなのよ。


 神は何もしてくれない。

 神が去った後は鬼と悪魔がせめぎ合う。

 それを傍観者として眺めているうちはいいが、少しでも口を出そうものなら両方から責めを受ける。


 で、人間。お前は何がしたいんだ? ハァ?

 お前の魂なんぞ悪魔も買いやしないぜ。

 大体、人の分際で何か創り出そうなんて100年、いや数万年早いのさ。

 人間は壊すのは得意だが作るのはせいぜいコンクリートの塊くらいだものな。


 でも、だからこそ、人はペンを持ち、紙を前にして、神を前にして文字を書き殴った。

 神の声を紙に書とめ、それを読み広めた。

 神の言葉は人を救い、魂を救済した。

 紙は、人の書いた文字は神なのだ――それを信じる者にとっては。


 だからさぁ、そんなのオリジナルじゃねーっていってんのよ。

 だいたい人間程度の知能で神の言葉を人の言葉に変換した時点で、それはもう人の言葉よ。

 やっぱりお前たち人間は石を積み上げ続けるしかないんだよ。

 そして、積み上げた石を自ら怖し、それを鬼のせいにする。

 そして、積み上げ方を間違えた責任を悪魔のせいにする。


 俺たち私たちを生み出したのは、人間。お前たちなんだぜ。


 賽の河原に流れ着いた石は、いったいどこから来たのだろうか。

 神のみぞ知ると人は思った。

 そんなことはどうでもいいことだと鬼は笑った。

 知りたければ川を上ればいいと悪魔が囁いた。


 僕は誰のせいにもしたくなかったので

 誰にも笑われたくなかったので

 誰にもそそのかされたくないので


 また、石を積み上げた。


 ひとつ積んでは父のため、二つ積んでは母のため……


 僕はその先の歌を知らないことを思い出して

 また、溜息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る