御柱七海の声優譚 世界最強の声優はこうして生まれた
平平 祐
000・プロローグ
「シュバルツ・バルダー!!」
全力。そう、なにもかもが全力だった。
知覚できる魔力を使いきった状態から、命を削って魔力を作り出し、
闇色の斬撃は、風を切りながら一直線に突き進み、奴の、邪神シゲロイデスの障壁を突き抜け、その左腕を切断した。
戦っていたシュガーから目をそらし、すさまじい形相で私を睨む邪神。そして、怒りに任せて攻撃魔法を放つ。
紫色の魔光が私に迫る。
すべてを出し切った私の体は動かない。為す術もなく魔光の奔流に飲み込まれた。
しかし、見た。
確かに見た。
魔光に飲まれる直前、シュガーから放たれた五色の光を。
私たち五人の魔法洋菓子職人と、世界中のお菓子を愛する人たちの願いが込められた至高の魔法が、邪神シゲロイデスを浄化するところを。
うん、やったね。シュガー。
「——ちゃん! ソルトちゃん!」
誰かが私を呼んでいる。とても、とても優しい声。これは——シュガーの声だ。大切な親友の声だ。
「ソルトちゃん! ソルトちゃん!」
頬に、何かが零れ落ちてくる。これは——シュガーの涙?
泣いてる。シュガーが泣いてる。なら、起きなくちゃ。起きて、言ってあげなくちゃ。
「ダメ……だよ……シュガー」
口を動かした後、鉛のように重い瞼をどうにか開ける。すると、雲一つない青空と、両目いっぱいに涙を湛えた親友の泣き顔が見えた。
「私たち
「ソルトちゃん!」
泣き叫び、私に抱きついてくるシュガー。嗚咽は酷くなるばかりで、泣き止む気配はまったくない。
泣き続けるシュガー。一人前の洋菓子職人になっても、彼女が泣き虫なのは変わらない。いつも私を困らせる。
でも、大丈夫。
彼女を笑顔にする方法は、私が誰よりも知っている。
いつだって、何度だって、私がシュガーを笑顔にしてあげる。
「もう、また泣いて……しょうがないなぁ……ほら、シュガーの大好きなケーキ、私が出してあげるから……一緒に、食べよ?」
右手をゆっくりと上げ、そこに魔力を込める。思い浮かべるのはイチゴのショートケーキ、シュガーとの思い出の味。それだけで掌の上には——
「——あれ?」
ケーキが出ない。
「えい……えい……」
何度やってもケーキが出ない。おかしいな、こんな初歩の魔法を失敗するなんて。
「シュガー……ごめんね……ケーキ……出ないや……私、ダメみたい……魔法洋菓子職人……失格……だね……」
「そんなことないよ! ソルトちゃんは、いつだって最高の洋菓子職人だよ! 最高の魔法使いだよ! だから! だから!」
「シュガー……これ……これを……」
私は、自身の魔力の源たるケーキナイフを取り出し、シュガーに向かって差し出す。そして、今できる精一杯の笑顔を浮かべ、口を開いた。
「受け取って……そして、お菓子を愛する笑顔の素敵な誰かに……その子が……いつかきっと……私の代わりに……」
「やだ! やだやだ! そんなこと言っちゃやだ! ソイソーちゃん、早く来て! 早く治療を! ソルトちゃんが! ソルトちゃんが!!」
「シュガーに……最高のケーキを……お菓子を……作って……くれるから……」
視界が霞む、全身の感覚が消えていく。お別れの時間だ。
さよなら、シュガー。私の最高の友達。
そして、さよなら。もう一人の私。
今までありがとう。声優・
◇
「ソルトちゃぁぁぁあああん!!」
悲しみの感情がこれでもかと込められた絶叫が、アフレコブースに響き——
「はい、OK!!」
音響監督が満足げな声で叫んだ。
ここは『劇場版・魔法洋菓子職人シュガー』のアフレコ現場。都内某所にあるレコーディングスタジオである。
白を基調とした広めのスタジオで、録音機材などが設置してあるコントロールルーム、四本のマイクと三枚の液晶パネルが設置されているアフレコブース、静音化と空調を別扱いにさせるためのマシーンルームの三部屋があり、それらが壁と防音ガラスによって仕切られていた。
スタジオ内の壁には何枚もの大きなポスターが貼られており、そのポスターには『劇場版・魔法洋菓子職人シュガー』のタイトルロゴと、十五歳ぐらいと思われる二人の女の子が描かれている。
一人は、襟元に五つの星があしらわれた純白のエプロンドレスを身に纏い、ポニーテールに纏めた茶色の髪を靡かせて、自身の身長を優に超える巨大な泡だて器を構える、優しい瞳をした女の子。
もう一人は、襟元に五つの星があしらわれた漆黒のエプロンドレスを身に纏い、腰にまで届くストレートロングの黒髪を広げ、刀と見紛うほどに長大なケーキナイフを豪快に振りかぶる、とても凛々しい瞳をした女の子。
純白のエプロンドレスを着た女の子が、作品の主人公であるシュガー。漆黒のエプロンドレスを着た女の子が、準主役のソルトである。
そんなポスターが何枚も張られ、アニメのキャラクターに見守られたアフレコブース内には、有名、無名、新参、古参、十人を超える老若男女の声優たちがいた。
大人気のまま最終回を迎えた『魔法洋菓子職人シュガー』から一年。新たな仲間を加えて再び集まった声優たち。彼らは今、そのほとんどが椅子に腰かけている。レコーディング用マイクの前に立っているのは、うら若き女の子が二人だけ。
一人は、栗色の髪で肩上のショートボブ、童顔で小柄、可愛らしいという表現が実にしっくりくる女の子。だが、か弱い印象はなく、むしろ力強い印象を受ける。白のワンピースを着ており、ノイズに配慮してか、アクセサリーの類は一切身に着けていない。
もう一人は、腰にまで届く長いストレートロングの黒髪で、可愛いと言うよりは美しいという表現が似合う女の子。スレンダーで少し大人びた顔つき、どこか神秘的な印象を受け、外見だけで判断すれば育ちの良いお嬢様に見える。黒のノースリーブサマーセーターと、黒のミニスカートを着ており、やはりノイズに配慮してか、アクセサリーの類は一切身に着けていない。
この二人こそが、主役・シュガー役の
白の悠里と、黒の七海。
並び立つ、白と黒。
これは悠里、七海共々、自らが声を当てるキャラクターのイメージカラーを意識して、独自に服をコーディネートした結果である。監督に指示された訳でも、事前に示し合せた訳でもない。
「一回でうまくいったね、七海ちゃん!」
悠里が満面の笑みを浮かべ、隣に立つ七海に向って声をかけた。そして、それを切っかけに他の声優たちが席を立ち、二人に近づいていく。
「いや~二人ともよかったよ。おじさん泣いちゃうかと思った」
「私も私も!!」
「ふえ~ん! やっぱり二人とも凄過ぎです~!」
自分たちの目の前で驚異的才能を見せつけた二人を、有名声優たちは目を少し潤ませ、新人声優にいたっては号泣しながら褒め称えた。
途切れることのない称賛に悠里は照れ笑いを浮かべ、頬を赤く染めて口を開く。
「えへへ、ありがとうございます。でも、私なんてまだまだですよ。経験も全然足りませんし、若輩ですし」
「そういえば、悠里ちゃんも七海ちゃんも、まだ中学生だっけ。私たち困っちゃうな~」
「うん、自信なくしちゃうかも……」
「もう、何弱気なこと言ってるのよ! 私たちだってまだ十七歳じゃない!」
「おいおい……」
「出た! 自称永遠の十七歳!」
どっと笑いに包まれるスタジオ。声優、スタッフを含め、その場にいる全員で笑い合う。
そんな中——
「あれ? 七海ちゃん?」
七海だけが動かない。台詞を言い終えた体勢のまま少し俯き、固まっている。
「七海ちゃん? どうしたの?」
声をかけた後、小走りで七海に近づく悠里。次いで、何かを察したように声を上げた。
「あ、わかった! 泣いちゃったんでしょ~! そっかそっか、ソルトちゃんは七海ちゃんにとって特別な子だもんね」
にっこりと笑い、七海の肩に手をかける悠里。すると——
「よし、親友の私が慰めて——え?」
七海が崩れ落ちるように倒れた。その瞬間、スタジオ内の時間が凍りつく。
「七海ちゃん?」
状況が理解できないのか、小首を傾げ、再度呼びかける悠里。その呼びかけに七海は答えない、動かない。目を開けたまま、力なく床に横たわる。
「七海ちゃん? 七海ちゃん!?」
数秒の硬直の後、倒れた七海の肩を掴み、前後に揺すりながら名を呼ぶ悠里。しかし、七海からは何の反応も帰ってこなかった。
悠里は体を揺するのをやめ、恐る恐る自分の耳を七海の顔に近づける。直後愕然とし、顔面を蒼白にした。
「……してない」
徐々に白くなっていく七海の顔を真っ直ぐに見つめて、悠里は叫ぶ。
「どうしよう……七海ちゃん、息してないよぉ!」
悠里の持ち味、鈴のように高い声が静まりかえったスタジオに響く。そして、止まっていたスタジオ内の時間が一斉に動き出した。
「救急車だ! 救急車を呼べ!」
「ちょ、ちょっと、心臓も動いてないわよ!?」
「AEDだ! AED持ってこい!!」
「七海ちゃん! しっかりして七海ちゃん!! 七海ちゃん!!」
先ほどのシュガーの台詞を遥かに上回る悲痛な叫びを、悠里は何度も何度も繰り返し口にした。だが、悠里の声は七海に届かない。そう、アニメのシナリオで、シュガーの声がソルトに届かなかったのと同じように。
その後、七海は救急車で病院まで運ばれ、三日三晩生死の境を彷徨った。
四日目の朝、七海は眠りから覚めるように意識を取り戻すと、突然泣き始める。そして、大粒の涙を幾つも流しながら、こう呟いた。
「さよなら、私の友達……魔法洋菓子職人ソルト」
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