二つの社会の真中から 異社会見聞録

石粉護符

第一章 真中、移住する。

真中、失敗する。

第1話 初耳だよその規則

 ああ、最近暇を持て余して仕方がない。

 何か楽しいことはないだろうか、と日々模索しているのだがそう見つからない。

 そんな日々の徒然なる事共を、頭に浮かべて思い出すにつけ、全く刺激のないド平坦な日々を過ごしていることにぞっとする。

 これではいけない。

 いつの間にか年をとって気がつけば墓の中では、死んでも死にきれないぞ。


 ということで、男は今だからできる事がないものかと、記憶の海へ飛び込んだ。


 ああ、そうだ。

 恋愛をしようか。

 生まれて二十年、恋と言ふなるもの未だせずここに至ってしまったではないか。

 しかし、ただ普通に恋をしても詰まらない。

 どうせならもっと面白く珍しい恋をしようか。

 神様連中には常識だが、人間がすることは稀であるという、ハーレムなるものを作ってみようか。


「よし、ハーレムを作ろう!」


 しかし、どう作ればよいのかわからない。

 風の噂に聞いたところでは、ハーレムを作るためには、願書を提出して神役局かみやくきょくで許可をもらわなければならないとか。

 願書は局内で無料配布を行っているということだから、とりあえず行ってみるか。


 男の座右の銘は思い立ったが吉日、一度決断してしまえば行動は迅速である。

 そこに深謀遠慮などあろうはずがなく、ただ一時の勢いに従うのみ。 


 神役局の入り口へと通じる階段には、役局の営業時間中はいつも大行列ができる。

 何かと揉め事、約束事等の多い人間達が列を形成している。


 例外はないので、面倒とは思いながらも男は最後尾に並んだ。

 少しずつ前に進む彼が後ろを振り返れば、次から次へと人がやってきて、列が短くなる気配は一向にない。

 ようやく神役局へと入った彼は、受付窓口にいる丸い眼鏡をかけ灰色のちょび髭を生やした、垂れ目の優しそうな役神様に尋ねる。


 隣の女神様はしっかりと働いているのに、この神様は欠伸なんかして暇なのか。

 男がこの神様を選んだ理由はこんなところだろう。


「あの、すみません。ハーレム作りたいんですけど」

「ああ、そう。でもあなた人間みたいだけど、きちんと手続きできるの?」


 男の目をまじまじと覗き込みながら、役神様は尋ねた。


「はい、大丈夫です!」


 男は食い気味に答える。


 ここではっきり答えないと、怪しまれて余計に時間を食うことになるからな。

 こういう時は間髪入れずに即断即決が基本だ。


 勢いだけで生きてきた男の処世術である。


「それじゃ、ここに名前と年齢書いて。あと人間の場合は、そこの宣誓書にもね」

「はいはい、何枚だって書いちゃいますよっと」


 宣誓書とは、人間がハーレムを作る際にだけ提出を求められる書類らしい。

 何の為のものなのだろうか。


「なになに……。汝、人たる身を以て、其の周りに数多の生霊を侍らさんと欲するならば、其の所有せんとする者達全てに等しく、恒久に亘って情愛を与え続けることを誓うか」


 なるほど、ハーレムの作り捨ては駄目よってことね。

 まだ、続きがあるぞ。


「えっと……若し、この誓約を特段の由無く破りし時は、如何なる者なれども赦さず。その魂は、永久に地獄の業火にくべられる贄となるだろう」


 破ったら罰があるよってことね。

 博愛主義者の俺には全く当たらない警告だな。

 それじゃ、ちょちょっと名前を書いて、年齢、性別、倫学所在所歴の有無、っと。


「はい、役神様。これでいいかな、書ける所は全部埋められたはずだけど」


 そう言って、男は二枚の書類を役神様に手渡した。

 彼はほころんだ顔を隠そうともせず、側にあった椅子に座り足を組む。

 書類を受け取った役神様は、二枚とも上から下へとざっと目を通すと、書類に何かを書き込みながら話し始めた。


「ええっと、うむ。特段問題になりそうなところはないかな。萬屋真中よろずや まなかさんね。それじゃ、書類審査は終わり。第二審査へ移ってください」

「えっ、これで終わりじゃないの?」

「そんなわけないだろう、人の身で神と同じ事をしようとしてるんだよ。誰でもかれでも許可を出してたらきりがないよ」


 気だるげに手を振りながら役神様は答える。

 そして、彼は書類を持って何処かへ行ってしまった。

 

 はあ、さっさと許可をもらってハーレムづくりに邁進しようと思ったのだが、物事というのは上手く運ばないようにできてるもんだな。


 てっきりすぐに許可が下りるものだと思い込んでいた真中は、肩を落としてゆっくりと第二審査窓口へ歩いて行く。

 しかし、悪いことはすぐ忘れてしまうのが、彼の良いところでもある。

 窓口へ近づくころにはすっかりご機嫌で、丸い目をさらに見開き眉をあげ満面の笑みで、どんなハーレムを作ろうか、と妄想しながら歩いていた。


「すみません。さっきあっちで願書提出したら、ここで第二審査受けて来いと言われて来たんですけど」


 真中が呼びかけると窓口の奥から役神様が現れる。


「ああ、さっきの短髪の子ね。それじゃ、今から第二審査を始めます」

「あれ、さっきの人、じゃなかった神様じゃないですか」

「いやあ、神役局も神手不足でねえ。人間たちがもう少し仲良くやってくれるといいんだけれど、そうもいかないものだからねえ。はっはっは」

「……へえ、神様も大変ですね。はは」


 人間の一人としてちょっと申し訳ない気持ちになるなあ。

 争い事はできるだけ避けるように努力しよう。

 

 役神様は冗談のつもりで言ったのだろうが、人間の真中としては良心が痛む。

 反応に困って白々しく笑う彼をよそに、役神様は手続きを進めた。


「はいはい、それじゃあ第二審査始めますよー」


 それを聞いた真中はきりっと姿勢を正して、役神様に深々とお辞儀をした。


「よろしくお願いします」

「ええっと、まず理由を」

「俺、いや私は常々博愛主義を旨としておりまして、誰か一人だけではこの愛の大きさゆえに、かえって相手を傷つけることになってしまうのでは、と危惧しているのであります」

「へえ……、それで?」


 何やら書類に書き込んでいるようだが、真中からははっきりとは覗けない。


 全部は見えないが、髪の色が黒だ、とか身長はほどほどにある、なんて書いてあるみたいだな。

 つまりは、変な奴じゃないかを色々検査してるってことかな。


「それならば、この器に見合うだけのハーレムを築き、私の愛せる限りの者たちを平等に慈しむことこそ、正しき行いだと考えました」

「な、なるほど。まあ倫学所も出ておられるようですし、見た感じ真面目そうかと言われるとあれだけれど、人格面で悪いところは特にないでしょう。わかりました、それでは最後に、ハンコを必要分だけ頂けますか」


 倫学所とは、神様から人の良き人たるために為すべき道を説教していただく学問所のことであり、通うことは義務ではないが、これを修学したものは神様からも一目置かれる人間になることができる。


 この世界において、神様に認められるというのは何かと融通が利くのでとても有益だが、普段の人間社会においては、そこまで重要視されることはない。

 神様は世界を統べていることになっているのだが、かといって絶対的な存在ということもなく、あくまで人間の信託を受けたことを根拠とする神聖性に基づいて、権威を保持している。

 よって、人間社会においてある程度影響を及ぼすことはできても、全てを意のままに操るというものではない。故に、倫学所の修学歴が人間世界での万能性を示すものにはならない。


 ハンコってなんだ。

 そんなの初めて聞いたぞ。

 

 役神様の言葉に動揺した真中は、慌ててズボンのポケットに手を突っ込むと、印鑑を取り出して役神様に尋ねる。


「あの、ハンコとはこれの事ですか?」

「え、知らないの? ハンコっていったらハンコでしょう。これがないんじゃ願書は受理できないなあ。またハンコと一緒に来てくださいね。それじゃ」

「え、いや、ハンコってなによ。出直してくるからそれだけ教えて下さい」


 真中が役神様にすがりつくと、眉をひそめて困惑しているらしい役神様は、彼を見下ろしながら言葉を返す。


「無理ですよ。手続きに関する事柄を直接人間に指南することは禁止されているんです。きちんと自主的に学び、そのうえで手続きを踏む者だけに、神の恩寵は与えられるのです」

「倫学所の先生は少しは融通きいたぞ。この通りだから、お願いします!」


 手を合わせて役神様を拝む真中。


宗通束理しゅうつう そくり先生は特別ですよ。人間の神倫教育を司るものとして、かなりの超則行為を大泰帝ひろやすのみかど様から許可されているんです」


 目を瞑って右腕をあげ、人差し指をたてて神様は言った。

 宗通束理先生は倫学所の偉い方、大泰帝様は神様の中で一番偉い方。

 真中はその場に崩れ落ちて膝をつく。


「そんな……」

「まあ、役局だって鬼じゃありませんからね。今回の手続きをすべてすましたうえでの保留ということで、次はハンコだけ持ってきて頂ければそのまま承認とします」


 大げさに反応する真中には目もくれず、手に持った書類を眺めながら、役神様はそう伝えた。

 これを聞いた真中は、正座しながら地獄に仏とばかりに役神様を拝む。


「本当ですか。ありがとうございます」

「それじゃ、次はきちんとハンコ持ってきてね」

「はい、必ず!」


 立ち上がった真中は一礼して窓口を去り、役神様は微笑みながら真中を見送った。

 基本的に神様は善良である。

 神様の笑いは恵みを与えるというが、後ろを向いて帰り始めた真中は全く気付いていない。

 今の彼の頭の中は、ハンコとはなんなのかという疑問一色だ。


 とにかく、こうして萬屋真中のハーレム計画は、いきなり暗礁に乗り上げた。

 果たして、彼は無事ハーレムを築きあげることができるのだろうか。

 その結末や、神さえも知らずである。






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