第106話

 同時刻――橋の上。


 深まった夜の中、暗闇が剥離された一角を蘭は魔眼を通して視ていた。

 現在、研究所跡地では彩葉たちが死闘を繰り広げている最中であり、ついさきほどまでは蘭自身も魔力砲で援護を行った。だが、それも今では手を出しづらい状況になってしまっていた。

 華南柚子瑠。かつての蘭の同期であり、共に戦闘員として戦い抜いた者だ。


「……柚子瑠。まさかあんたが出てくるとはね」


 蘭にとっては非常にやりにくい相手だ。なにせ戦闘スタイルから何から何まで把握されている。しかし、それは逆もまた然り。蘭だって柚子瑠の戦闘スタイルは把握している。

 鞭で痛めつけ、縛り、弱った対象に止めの銃弾。鞭と銃を駆使した中、遠距離型。

 対して、いま戦っているのは覇人だ。大気を束ねて刺突状にした武器を操る近距離型。またそれ以外に投擲なども行う。特異な魔法を覇人は近、中、遠すべてをこなしながら戦う。万能型。

 蘭の眼からして、実力の差は拮抗しているどころか、はるかに覇人が押しているように見えていた。柚子瑠の方も奮闘はしているが、よくて相打ちに持っていけるかどうかと言ったところか。

 となれば、覇人には手出しをする必要はないだろうと蘭は考えた。むしろ、余計なことになりかねないとも。第一、柚子瑠には魔力砲をあっけなく防がれてしまっている。二発目を撃ったところで同じことになりそうだ。ならば、いま自分がやることと言えば、両者の戦いに翻弄されながらも戦闘員たちと交戦している彩葉たちを手伝ってやるべきだろう。


「なにやってるのよ……」


 数の差で上回られているせいか、はたまた覇人と柚子瑠の戦闘の余波か。目標地点である研究所跡地内まで中々踏み込めないでいる。

 神経を研ぎ澄まし、戦闘員時代の感覚を蘇らす。あの頃、狙撃銃を担いで魔法使いを撃ち抜いた日々を――。

 魔力砲じゃ被害範囲が大きすぎる。滅茶苦茶になっている戦場に撃ち込めば、さらに悪化させるのは間違いない。

 必要なのは、一人一人を撃ち抜くだけの細かな弾。そう、魔力弾で丁度いい。


「まったく……しょうがないわね」


 とりあえず、敵を一人に絞る。たとえ暗闇のなかだろうと魔眼は明瞭に敵を視界に納める。

 あとはトリガーを引くようなイメージで手のひらに集中させた魔力を解き放つ。その単純な動作を実行に移そうとした、まさにその時――緋真がゆっくりと口を開いた。


「気配もなく女の子の背を取るのは見過ごせないわよ」


 蘭の五感に引っかからなかった気配は、緋真の声と共に機能し、背後にいる者へと意識を振り向かせる。それはただ単に彩葉たちの方に集中し過ぎていたというわけではない、本当に気配を感じ取ることが出来なかったからの驚愕が蘭にはあった。


「――鎗真。なによ、あんただったの」

「おい、何ですか。その微妙な反応は」


 背後にいた人物は蘭もよく知った人物だったこともあり、極まった緊張が一気に弛緩していった。


「聞いたわよ。戦闘員に移籍したってね。実力もないあんたには過酷な場所でしょ」

「そっちこそ、魔法使いに堕ちたそうで。無様ですね」


 脳裏に過ぎるのは、天童守人による挑発に乗ったあの日。そして、戦闘員から抜けた蘭と纏の穴埋めとして新たに樹神鎗真が選出されたのだ。


「何でも天童さんにまんまと利用されたのだとか。そこにいる魔法使いを探すために」


 自然と緋真の姿が蘭の視界に入る。

 蘭は天童守人の手によって立派な戦闘員へと育て上げられ、魔法使いとして動いている緋真との接触を図ることに利用された。そうして、見事に事が運んで仇と再会を果たした天童守人の前に緋真は敗北し、研究所へと連れられたのだ。間接的にではあるが、そういった事態に進めてしまった要因には蘭が関わっている。その事実を知って蘭は魔法使いへと堕ちてしまった。


「ちょっとあなた。蘭とどういう関係かは知らないけれど、私の可愛い妹を苛めるつもりなら、覚悟は出来ているのよね」


 緋真は全身から魔力を溢れ出させ、いつでも攻撃が出来る態勢で鎗真へと語り掛ける。


「これまた血の気の多い女ですね、血は争えないと言いますか――と、まあ別に挑発つもりはなかったのですけどね。そもそも君たちとは今はまだ、事を構えるつもりもありませんし」

「戦闘員のあんたが背後を取ろうとしてよく言うわね。説得力もないわよ」

「蘭曰く、俺には戦闘員としての実力はないらしいが?」

「そうね。あんたは素質がなかったから、監視官に回されたのよね。じゃあ、なに? しばらく見ない内にあんたはあたしよりも上を行ったとでも言いたいわけ?」


 鎗真の反論に多少の苛立ちを乗せて蘭は言い返す。


「……そう言ったつもりなんですが――貴様には難問でしたか」


 凄んで見せた鎗真の迫力に気圧された蘭は身震いを感じた。

 分かった。分かってしまった故の……身震いだ。


「話しに聞く限りだと、つい最近戦闘員になったみたいね。それが僅か短期間でそこまでの実力を身に付くとは思えないわ。なにより……あなた、場慣れし過ぎてるのよね」

「ふふ、牙を隠していた。と言ったところですかね」


 膨大な魔力で威圧させて見せる緋真を相手にしても、顔色一つ変えず鎗真は受け答える。まるで猛獣を狩る前のハンターのように、怯むことはなかった。


「そう……だったら、その隠している牙。ちょーっと強引に引きずり出させてもらうわね」


 緋真は魔法を発動させ、火球を生みだす。その射出砲口には鎗真。

 荒々しくも猛々しい――魔力弾と炎を組み合わせた緋真オリジナルの暴力が鎗真に振る舞われる。


「――世界、展開」


 鎗真の呟いたそれは、突如現れた正体不明の異物質によって爆散されることで掻き消され、二人の耳には届くことはなかった。

 そして、思わず驚きを見せる緋真。何故なら、爆散という形で防がれたことなど一度もなかったからだ。


「……それが正体なのね」


 緋真と蘭が目にしたのは、裂かれた空間から荒波の如く狂った真っ赤な世界。別次元とでも呼べばいいか。

 それが障壁となって鎗真を魔法の一撃から守り切ったのだ。

 緋真は思った――まるで盾のようで、だけども盾とは違う。それは盾と呼ぶにはほど遠く、むしろ刃のような凶器に近い、と。

 そんな緋真と違って、蘭は堂々巡りに合っていた。


 アレはなんだ――脳を駆ける疑問符。

 アレはなんだ――解けることのない疑問符。


 訳の分からない事象に名付けようもない感覚に囚われる中、ただ一つ――赤く染まった異空間からは、どこか怒りを想起させるような狂気性を感じさせた。


「魔法とはちょっと違うわね。その異質な力、どうやら予想以上に只者じゃなさそうね」

「魔法以外の力? 確かに魔力は感じなかったわ。でも、そんなものがあるの?」


 しばし黙考してあらゆる可能性の中を緋真は模索する。

 魔法ではないが、限りなく近い力。純粋な魔法使いではないことは確かだが、だからと言って半魔法使いのように一時的に引き出されている物に近いようで遠い。

 そもそもな話し。魔法でなければ何だというのだ。感覚的に“怒り”と表現するに値する攻撃的な感情だけは掴めた。そこでふと緋真はある要素に引っかかった。


「そういうことなのね」

「何か分かったの?」

「さっきのは自分の胸の内に秘めた内緒の力。私たち魔法使いの根源そのものとも言えるものよ」

「――感情」


 それは、魔法使い化する切っ掛けとなる一因である。つまり、つまりだ。

 だったらアレは、感情そのものではないのか。

 喜び、怒り、哀しみ、楽しい。あらゆる想いが詰まった人の表現方法の保管庫。

 その名を――“全ての贈り物で満ちた世界パンドラワールド”。 

 研ぎ澄まされた“怒り”という名の刃。すなわち人に内包された攻撃性の一面が、今ここに現実世界を侵して顕現する。

 そのあり得ざる事象に否定は無意味、あるがままの存在かたちを受け入れよ――!

 あれこそが感情の具現化。魔法ではなく、しかして限りなく魔法に近い根源の力。彼女らの有する魔法の発端となるべき力そのものなのだから。


「限定的とは言っても、心象を現実世界に展開させちゃうなんて……ね。あなた、本来の所属はどこなのかしら」

「――え?」


 驚くのも無理はない。それは戦闘員ではないと言い切っているような物言いなのだから。。そう指摘した緋真の言葉が正しいのかどうか、蘭は確認するように鎗真の表情を窺がった。


「秘密主義なのが方針でね。色々と好きに想像してくれて構いませんよ」

「適当にはぐらかそうとするのもいいけれど、その才能は戦闘員にしておくにはあまりにも勿体ない才能よね。……あなたの正体、何となく分かっちゃったわよ」

「それはそれは……結構なことで。まあ、こちらも貴様らのことはある程度は耳にしているのでお相子としましょうか」

「そうね。――ところで一体あなたは誰を狙っているのかしら? 蘭や私ではなさそうだけど」


 状況を上手く呑み込めずにいる蘭は二人の問答を何とか理解しようと試みてみるも、やはり答えが出そうにもない。

 蘭が知っている事実では、鎗真は戦闘員としてアンチマジックへと来たものの、適性がなく監視官へと回されたこと。そして、自分と纏が脱退したことによって戦闘員へと異動されたこと。それぐらいしかない。


「標的を明かすことなんて出来るわけがないでしょうが。ただまあ、貴様ら個人には現状、用はないとだけ言っておきますよ」

「だったらいいわ。少なくとも蘭が標的でないのなら。もし、この子を狙っていた場合、生きて帰れなかったわよ」

「物騒な女ですね。全く、そう脅さなくとも手を出す気はありませんって」


 緋真は蘭を守るように身体へ触れる。と同時に強力な魔力で鎗真を威圧してみせた。

 言葉では余裕ぶって見せている鎗真だが、微かに動揺していた。先ほどの一撃と合わせ、まともにやりあえば、勝てる見込みはあまりないだろうことは明白だった。真正面からぶつかり合うなんて冗談ではない。

 ならば、退くべきか。そもそも目的はすでに果たしたのだから、留まる理由も特にない。

 そう判断すると鎗真は撤退の準備を始める。


全ての贈り物で満ちた世界パンドラワールドを用いた転移法……。そこまでの使い手なのね」

「転移……って。ちょっとあんた逃げる気?」


 足元から摩訶不思議な光が立ち上り、たちまち鎗真の身体を覆い尽くしていく。現象はともかく、蘭は逃がすまいと魔力砲の狙いを鎗真へと定めた。


「安い挑発ですね。こちらとしてはそれなりの収穫があったので、意味のない争いは避けて通らせてもらうってだけですよ」

「収穫……なるほど、大方私たちの……いえ、組織の動きでも探りに来た。と言ったところかしら? “機関の戦闘部隊さん”」

「バレバレでしたか。ではこちらからも一つ聞かせてもらえませんかね。ここ最近の外部の連合結社の妙な動きについて」

「――そのことね。それで教団の方との関わりを探るために姿を現したのね」


 二人にしか分からないやり取りが交わされ、蘭はただ成行きを見守る。どうやら外と内側とで何かが起こっていることは確かなようだが。


「別にそれだけが理由ではありませんけどね。直接会って確かめたいこともあったことですし」

「……あたし?」


 鎗真の視線が蘭に刺さる。不意に投げ渡された会話のバトンをすぐに受け止めきれず、困惑の中で絞り出せたのは、その一言だけだった。

 露骨に敵意を見せた緋真に対して鎗真は視線を戻す。



「悪いけど、あなたに教えられるようなことは何もなさそうね」


 さっきので機嫌を悪くさせてしまったか。緋真は突き放す様な口調で返す。


「まあいいでしょう。そのうち外部から連絡も入るだろうし、構いませんよ。さて、本来の目的もありますんで、この辺りで今日は退かせてもらいますよ」

「ちょ、待ちなさいよ。あんた結局何者なのよ……!」


 帰ろうとする鎗真を呼び止めたのは蘭だ。唯一置いてけぼり感を味わわされた蘭は、せめて何か一つぐらいは知っておかなければ気が済みそうもなかった。


「……蘭とは短い付き合いでしたけど、せめてもの情け。本名ぐらいは明かしてやりますか」


 えらく上からの物言いにイラッとはきた蘭だったが、こいつはこういう奴だと言い聞かせて黙って告げられる、その名に耳を貸す――。


「ソーマ・エコー。馴染みのない名前だとは思うが、よろしく頼みますよ」


 名前なのか、それは? 真っ先に疑念が浮かぶ蘭だったが、払拭させるように緋真が説明を付け加える。


「外部独特の名前よ。ここと向こうじゃあちょっと違うのよ」

「……! 外部の、人間!?」


 初めて見た。初めて聞く名。おかげでますます樹神鎗真。いや、ソーマ・エコーという人物が分からなくなる。


「ふっ……お互いにやるべきことも残っているでしょうし、今日はこの辺で――それではまた」


 光に包まれ、消滅と共にソーマ・エコーと名乗る男の姿も掻き消えた。

 今までのやり取りに困惑するしかなかった蘭は忽然と消えた場所を中心に魔眼で周囲を探った。こういった切り替えの速さはこれまでの経験のおかげだろう。

 だが、いくら見渡してもそれらしい魔力は感じられず、結局は諦めるしかなくなってしまった。


「ふう……これでマスターの読み通りとなっちゃったわね」

「ねえ、お姉ちゃん。あいつ一体……」

「そのことについては戻ってから報告するときに教えてあげるわ。それよりも、まず彩葉ちゃんたちのフォローに入りましょ」


 研究所跡地では、華南柚子瑠を筆頭に戦闘員たちと激闘が繰り広げられていた。戦況を見るに、柚子瑠が覇人を相手にやや押され気味なようだ。それに彩葉たちも戦闘の余波に巻き込まれながらも戦闘員たちと争っている。

 どうやら、目的はまだ達成できていないようだ。


「そろそろ時間ね。行くわよ、蘭」

「行くって……どこによ。……て、それに何の時間なのよ?」


 車に乗り込んだ緋真を呼び止めるように問いかける。てっきりここで援護射撃を再開するものかと思っていたのだが。


「道中説明してあげるわ。ほら、ちゃっちゃと乗って! 彩葉ちゃんたちを拾い次第、離脱するわよ」


 色々腑に落ちないことは多いが、何はともあれ緋真がそう言うのであれば蘭には従うほかになかった。

 助手席に乗り込んだ蘭は念のためにと魔眼で周囲の索敵を行いながら、車両は研究所跡地へと向けて発進した。《ルビを入力…》

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