ひとりの少女が揺蕩う夢

花水坂

序章 : 未来 < ヤクソク >

Prologue : 此処から始まったけしき


 辛くて、悲しいことがあった。


 どうしようもない想いと、どうにもならない痛みで動けなくなりそうだった。


 もう歩けない、そう思って立ち止まった。


 耐えきれない悲しみと、


 行き場のなくなった愛おしさが堪えきれない虚しさへと変わっていく。


 心も、


 身体も、


 想いも、


 記憶も、


 全てが重く、己すらわからない"何か"が足を引っ張っていた。


 身体を横にして眠ったところで変わらない。


 どうしようもない。


 どうしようもなかった。


 だけど、


 それでも――


  ◆   ◆   ◆


「いつかは前に歩いて行かなければいけない」


 そんな言葉が " 彼女 " に届いた時、独りだった少女の頬に何かが伝っていた。

「……っ!」

 言葉が出てこない。

 我慢できないくらい苦くて、ほのかに甘い――《何か》が胸から込み上げてきて、息が詰まる。

「っぁ……」

 どうにか出せたその声は掠れ、肩まで揃えられた彼女の髪を揺らす風に消える。

 次第に彼女が見ている景色がぼやけ始めた。

 明るい日が差す緑の多い中庭が、彼女の目から溢れる何かで歪んでいく。

「っ、っ……な、なんでっ……?」

 どうして?

 出せるようになった掠れた声で、繰り返す。


 なんでっ? どうしてっ?


 私のことなのにわからない!

 

 ぽろぽろ。

 自分の涙が、ワンピースの白いスカートを濡らす。

 

 自分が泣いている。

 その事実に気付いても、悲鳴を上げるように軋む心の訳が今の彼女にはわからなかった。

 わかりたくない《何か》を受け入れることなんか出来ない。



 だから、


 彼女の前に立った " 彼 " は言う。


「わからないなら、知っていけばいい」


 ただ戸惑い動けなくなる彼女の心にそっと入ってきた言葉。

 その言葉に引かれ、彼女は顔を上げる。

「俺がいる」

 車椅子に合わせてしゃがむ彼は離すことなく彼女の目を見ていた。

「お前の傍にいる」

 涙で濡れた景色の先で、彼は彼女に投げかけ続ける。

「ゆっくりだっていい」


 優しくて、なぜか懐かしさを覚えるようなその声に彼女の見る景色がはっきりしていく。


「独りで抱えこまずに、わからないならわからないって」

 涙はいつの間にか止まっていた。


「想いを叫んで、誰かに頼って」

 びっくりしたからなのか。

 安心したからなのか。


「そうして自分を見つめなおして」

 彼女にもそれはわからない。

 今の感じる《何か》も、苦しみも、どこかから感じる暖かな気持ちも。

 いろいろな想いが混ざり混ざって、考えるのも止まってしまった。


 だけど、

「ゆっくりでも進んでいこう」

 ゆっくりと、だけどしっかりと告げられる彼の言葉は心に入ってきた。


 どうしてだろう?

 思い出したようにまだ思考が動き出した彼女を前に、彼が立ち上がる。


 つられて彼女も顔を上げると、色が変わった。


「誰かの代わりにもなれないし、なるつもりもない」


 彼越しに見えた大きく広がる青い空が彼女の目に映り、暖かな光に気が付く。

 暗い気持ちの中にも、また一つ、灯りが灯った気がした。


「誰かの代わりにもさせない」


 彼女に、そして自分に決意を表すように伝える彼と再び目が合った。


「俺は俺で」


 いつの間にか力の入っていた顔を緩めて、彼はそっと笑う。


「お前はお前のまま」


 そうして、彼が右手を差し出した。


「一緒に歩いて行こう」


 その手を見た瞬間、彼女の頬からまた想いが零れた。



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