Joker’s Monster

美月

第1話

長い黒髪を首の後ろでくくった少年は、緊張のただ中にあった。握り拳をつくった手のひらには大量の汗をかいている。いや、手のひらだけではない。全身から、緊張で汗が吹き出している。緊張は当然ある。だが、それ以上に少年の顔に浮かぶのは期待と不安だ。

 ここにいるのは、少年だけではない。同じ年頃の、少年少女もここに集っている。彼らもまた、一様に緊張しているようだが、やはり期待と不安を誰もが抱え込んでいる。

 そして。

 その時は訪れた。

 彼らの前で、擬音では表現しづらい音がし、黒い渦が出現する。

 その渦から最初に出てきたのは黒豹だった。尻尾が二本あり、さらに黒翼を持つ黒豹は、威風堂々と全員の前に姿を現すと、一声天に向かって吠えた。

 それが、合図だったのだろう。次々に、黒い渦から様々な姿の動物の特徴を兼ね備えた存在がやって来る。

 異界からの来訪者たち。総じて、幻獣と呼ばれる彼らの姿に、少年も当然のように興奮してしまう。

 黒い渦は、既にない。

 幻獣だけが残った。一番最初に出てきた黒豹の幻獣が、歩き始める。黒豹は一人の少女の前で歩を止めた。

「がぅ」

「わ、私を選んでくれるの?」

 少女の震えた声での問いかけに、黒豹は頷いた。少女は信じられないとばかりに瞬きを繰り返し、そっと小さな手を伸ばした。黒豹に触れて、少女の顔が喜色で彩られる。

 幻獣たちは、異世界からやって来ているので、まだこの世界にその体が馴染んでいない。体をこの世界に馴染ませるために、また、彼らが存在を維持するためには一定量の魔力と呼ばれるエネルギーを必要とする。彼らはその魔力量と魂の色で、自分の契約者を選ぶのだ。

 契約者が、幻獣に名前を付けると、契約が完了する。以後、契約が破棄されない限り、幻獣は契約者の側に居続け、契約者に寄り添ってくれる。

「私を選んでくれてありがとう。あなたの名前は、ライガー!」

 そして、一番力がある幻獣が、自分の契約者を決めたところで、おとなしくしていた他の幻獣たちも一斉に動き始めた。

 あちこちで上がる歓声や雄叫び。それを聞きながら、少年も動いてみたが。

 何故か少年が近づくと幻獣たちに逃げられてしまう。

 その内に異世界から来た幻獣たちは、全員自分の契約者を決めてしまったようで、集会はお開きとなった。

 今回、幻獣と契約ができなかった者たちにもまだまだ機会はあるという、教師の言葉を聞きながら、契約できなかった者たちは、肩を落としつつ互いを慰め合った。

 それが、初回の集会のこと。

 それから、何回も幻獣と契約を結ぶための集会は行われた。しかし。回を重ねる度に、契約者は増えていき、同学年で契約できていない者は、少年ただ一人となってしまった。

 少年がいくら幻獣たちに近づこうとしても、幻獣たちはそれを嫌がった。

 まるで、少年を怯えるかのように。

 それでも、少年は諦めなかった。諦めずに、何度も何度も集会へと向かう。


 いつからか、誰かが少年をこう呼ぶようになった。


「幻獣避者(げんじゅうひしゃ)」ー幻獣から避けられる者。


 最初の集会から、既に三年が経過した。少年の側に、いまだ幻獣の姿はない。



 この世界に幻獣が現れたのは今からおよそ百年程前のことだったと本は語る。

 それまで、科学の発展してきていたこの世界にとって、異世界からの存在や、その異世界の存在が通る門の存在は、それこそパニックなどという言葉では済まない程の混乱を招き、世界大戦まで後一歩といったところまで発展してしまった。幸い、大戦は起きなかったものの、異世界から現れた存在ー幻獣をどうするかという問題は解決することはなく、連日会議が催されたが、結局来てしまうものは仕方がない、なので、どうにかこちらに来てしまった幻獣に対応するしかないという結論に達した。そして、研究が始まり、幻獣たちとの関係をどうすればよいか試行錯誤を繰り返しながら、時は足早に過ぎ去った。

 科学の発展した世界で最初は浮いていた幻獣たちだったが、今では当たり前に幻獣を連れ歩いている人の姿が街のあちこちで見られるようになった。そもそも、幻獣は異世界からやって来ただけあって数々の恩恵をこの世界にもたらした。

 その一つが魔法の存在だ。それまで、魔法などお伽話のように扱われていたのが、魔力という目に見えないエネルギーを摂取する幻獣たちが、特殊な能力を兼ね備えていることに気づいた学者たちが研究を始めた。生憎、人間が幻獣たちのように魔法を操ることはできなかったが、それでも、幾つかの成果はあった。今では、三歳ぐらいから魔力操作の鍛練を始めるぐらいだ。魔力操作ができなければ、幻獣たちとの契約も交わせないので、子供も必死にやるのだ。

 だが、中には魔力があっても、集会と呼ばれる幻獣と出会える場にどれだけ出向いても、幻獣から見向きもされない特殊な人間もいた。

 そう、この物語の主人公のように。



 ざっ。そそくさ。プイッ。タタタタタタタッ。

(この三年で、なんだかずいぶんと見慣れたなぁ、この光景)

 黒い瞳に年に似合わないほどの深い諦念を浮かべながら、やれやれと肩をすくめる。さすがに三年も同じ光景が繰り返されれば、嫌でも見慣れる。最初は、落ち込んだり、泣いたり、叫んだりもしたが、今はあぁ、まぁいつものことだな、程度の感情しか浮かばない。

 彼の周囲だけがぽっかりと穴が開いたように、誰も近寄ってこないし、幻獣もいない。この三年で広まった「幻獣避者」のまったく嬉しくないあだ名は、少年の予想外に広まってしまい、誰もが少年を避けるようになってしまった。

 一応、さりげなさを装って、幻獣に近づいてみたものの、少年の接近に気づくと逃げ出される。

 手持ち無沙汰になってしまい、暇潰しのために学校の図書館で借りてきた幻獣の生態についてかかれた本を広げる。

 集会のメンバーは、既にみんな少年よりも年下であり、正直居たたまれない気持ちになる。嫌なら、幻獣との契約を諦めれば良いのだろうが、それは、少年にとって夢を諦めるのと同じだ。

 針のむしろだろうが、悪評が高まろうが、心が何度も擦りきれそうになろうが、それでも。

 諦めきれないものがあるのだ。

 叶えたい夢も思いもあるのだ。

 だからこそ、ここにいるし、自分にできる努力はしておこうと、幻獣についての勉強もしている。

「・・・・・・くん。・・・タチバナ君!!」

 本に集中していた少年、シュウ・タチバナははっと顔を上げた。

 そこに、教師らしき人物が申し訳なさそうに告げてくる。

「えっと、ね。その、タチバナ君と契約してくれそうな幻獣は、いないみたいで・・・ここまで出向いてくれて、悪いとは思うんだけど、帰ってもらってもいいかしら? 幻獣たちも落ち着かないみたいで・・・」

 シュウは本を閉じた。元々ここにいるのは七歳になった子ども、学年で言えば小学一年から二年の間までの子どもが大半だ。十歳のシュウが混じれば、それだけで悪目立ちする。さらには幻獣たちが近寄らないシュウのことを恐れてる子どもも多いようだ。仕方ないか、とシュウは息を吐き出す。

「わかりました、これで失礼します。今日は、わざわざ集会に参加させてもらい、ありがとうございました」

 ペコリとシュウは教師に一礼する。

 今日は、自分の学校ではなく、他校の学校である集会に、シュウは参加させてもらっていたのだ。だが、空振りに終わった。確かにもうここに用はない。

「いいえ、いいのよ。早く、あなたにも幻獣が見つかるといいわね」

「お気遣い、ありがとうございます。では、これで」

 シュウはさっさと集会を行った体育館から出た。びゅう、と春の風に桜の花びらが舞う。その光景に目を細めながら、シュウは足を動かし、止めた。

「俺に何か用か?」

 シュウの前には、今日一番最初に門を出てきた幻獣がいた。顔は美しい女性のものだが、体はライオン、尾は蛇、そこに翼まで持っている幻獣の種族は、あまりに有名だった。

 スフィンクス。

 謎かけが大好きな幻獣で、たまにテレビでもクイズ番組に出場していたりする。シュウも実物は初めてお目にかかったぐらい、稀少な幻獣だ。

「そなたに、どうしても言っておきたいことがあってな。他のものは、恐れて口には出せぬ故、私が来た。そなたの前に、いずれ至高と呼ばれる幻獣が現れる。そして、そなたがその幻獣と契約せぬ限り、そなたは幻獣に避けられ続ける。その一頭以外にはな。誇り高きその幻獣は、お前を欲している。望まれし者よ、名は?」

「シュウ・タチバナ」

 シュウはスフィンクスに気圧されて、つい名乗った。それに、スフィンクスは満足げに笑う。

「その名、確かに預かった。私が誇り高き幻獣に伝えよう。時間をとらせたな。ただ、私でも誇り高き幻獣のところへと赴くのは容易ではない。しばらく時間がかかるだろう。待たせてしまうが構わぬか?」

「え、あ。わ、わかった」

 口ではそう言いながらも、内心は首を傾げている。スフィンクスはシュウの戸惑いに苦笑し、再び門を開いて、帰ってしまった。

「すごいな。あっという間に門をつくっちゃった」

 まだ、人間の科学力では門を開くことはできない。精々、門の座標を数回に一回の確率で指定することができるのと、その門がいつ開くかわかる程度だ。

 門をつくりだすにはすさまじいまでのエネルギーが必要であり、自然にできるものはともかく、人間がつくりだそうとすると賄える魔力ではない。幻獣の中でも高位の存在しか、門を開くことはできない。故に、簡単に門を開いて元の世界に帰ったスフィンクスはすごいと素直にシュウは感心した。

「至高の幻獣、か。本当なら、嬉しいな」

 シュウは、スフィンクスの言葉に気持ちが少し軽くなった気がして、頬を緩める。

 春。この出会いが、シュウの今後さえも左右する程の大きな影響を与える一石だとは、まだ誰も知らなかった。


 最寄り駅が徒歩五分という好立地の駅近のマンション、「アビス」。その三階の310号室。二LDKの一室にシュウは家族四人で暮らしている。

「ただいまー」

 玄関で靴を脱ぎながら、シュウは背負ったリュックを手に持つ。シュウが帰ってきた報告をすると。ドダダダダダ!と、足音がして。

「シュウ兄お帰りーっ!!」

 さっとシュウはリュックを飛び付いてきた相手と自分の間に滑り込む。

 ガツン、と音がして、飛び付こうとしていた相手がリュックに抱きつく。

「ただいま、リュウ」

「う、うぅ。シュウ兄、そのリュック、いつも思うけど何入ってんの。結構痛かったんだけど」

 柔らかな短い茶髪に、くりくりとした大きな猫目にいつもシュウは自分とは違うなと感じる。鼻を打ったのか、赤くなった鼻をさすりながら、シュウの弟であるリュウ・タチバナが、恨めしげに涙目で睨み上げてくる。

「えーっと、今日借りたのは幻獣百選と、世界の幻獣の分布と特徴、あとは・・・」

「あーもう、題名聞いてるだけでもわかんないから! 難しい本の話なんていいから! どうだったの!?」

 リュウは、毎回集会に行った後に結果を聞いてくる。なので、帰るのが嫌になるときもあるが、ひとまず、返事をする。

「いつも通り」

「そっか」

 それで通じるのもどうかと思うが、いつものやりとりなので、通じてしまうのだ。

「でも、」

「でも?」

 いつもとは違う接続詞に、リュウは続きを促す。

「スフィンクスに、色々言われたな。俺は、最初に契約する幻獣が決まってるとか。その幻獣と契約しない限り、他の幻獣と契約できないんだってさ。嘘かほんとかは知らないけど。少なくとも俺にはからかってるとか、嘘を言ってるようには見えなかったかな。それに、説得力あるし」

 シュウの言葉に、リュウは目をキラキラさせている。

「それ、本当!? じゃあ、その最初の幻獣と契約したら、シュウ兄もいっぱい契約できるようになるんだ! あ、そうだ。シュウ兄、手を出して!」

 疑問符を浮かべながら、シュウが手を出すと手のひらにそっと何かを乗せられた。白の体毛に、黒い模様。ピクピクと耳を動かしながら、黄緑色の瞳をシュウに向けてくる。風虎と呼ばれる種族で、リュウが契約している幻獣だ。

「!? まさか。これフータ!? すっごい小さくなってんだけど!?」

「どう。すごいでしょ!? 俺が・・・」

 しかし、シュウの様子にリュウは黙り込む。ゴゴゴゴゴという擬音がシュウの背中から聞こえてきそうだ。

「リュウ。お前、また机の引き出しに入れといた魔封札、勝手に使ったな!?あれは実験的に創ったものだから、使うなっていつも言ってんのに!!」

「うわぁ! シュウ兄が怒った!!」

「待て、リュウ!!」

 リュウは逃げ出し、それをシュウが追いかける。だが、決まった部屋の中をぐるぐるするので、最終的に壁際に追い詰められて捕まったリュウは、シュウの拳骨を食らうのだった。


「追いかけっこは終わりました?」

 シュウのお説教と、拳骨の痛みで半泣きになっていたリュウが、台所から出てきた人物に目を輝かせる。

「あ、カレン姉! 来てたんだ!?」

「カレン姉! 聞いてよ、またリュウのやつ、俺が創った魔封札使ったんだ! 危ないから、使うなっていつも言ってんのに!!」

 染めているのでなければ人間ではあり得ない、若草色の肩まで伸ばした髪に、柔らかい日差しを閉じ込めたかのような琥珀の瞳。顔立ちもアイドル顔負けなぐらいに整っている、二十歳前後の女性。彼女の背中には薄く透明な羽があり、彼女が幻獣であることを示している。

 カレンは、シュウとリュウの母親と契約している花精だ。両親が共働きで忙しいために、シュウやリュウの面倒はカレンがよくみてくれる。そのため、シュウやリュウにとっては、姉のような存在だった。

「ふふふ。リュウ君は、本当にお兄ちゃんっこですね。シュウ君のことが大好きだから、もっと構ってほしくて、悪戯してるんですよ。本当に危険なものは、シュウ君は鍵つきの金庫に入れてますし」

「危険性が低いからって、使用するのにちょっとは躊躇ってほしいんだけど」

 はぁ、とため息を吐くシュウに気まずげにリュウが顔をそらす。少しふてくされたその表情に、シュウは試作品の魔封札は全部金庫にいれてしまおうかと考える。

「シュウ兄。リュウを責めないでー。僕がもっと体が小さかったら、シュウ兄の邪魔にならないかもって言っちゃったんだよ。それで、リュウが僕に使ったんだ」

「ったく。フータも少しはリュウに対して文句言っていいからな? あんまり甘やかすと、リュウのためになんないし」

「それはシュウ兄に一任するよー」

 フータが、笑いながら丸投げしてくるのに、シュウが、ひどく嫌そうに眉をしかめた。

「でも、すごいですね、この魔封札の効果。これなら、体の大きな幻獣と契約した人が、すぐに買ってくれますよ」

「まぁ、俺もフータが部屋の中が狭くてあちこちに体ぶつけてなきゃ、創ろうとは思わなかったけど」


 魔封札は、なんとか幻獣のような力を道具に持たせられないかと研究された結果、形になった成功作の一つだ。幻獣がこの世界に現れるようになったことで、この世界でも特別な才能や素質を開花させるものが次々に出てきた。そんな中、創造魔法という魔法が発見される。

 自らの魔力と、想像力によって、この世界になかったはずの魔法を生み出す、特殊な魔法。その創造魔法で創った魔法を、特別な製法で造られた札に宿した物が魔封札だ。魔封札に封じられた魔法は、魔力を流し込むことで魔法効果が発動するようになっている。魔封札は、効果が多種多様に及ぶので、国や魔封札安全協会などが厳重に管理しており、値段もかなり張る、高級品だ。だが、幸か不孝か、シュウには創造魔法の才能があった。故に、魔封札安全協会に許可を得て、実験的に家で創っているのだ。

 このマンションは、セキュリティも厳しく、さらにシュウが魔封札を創るために部屋にも特殊な仕掛けが施されている。元々、母方の祖父が創造魔法の使い手なので、許可が降りるのが早かった。その祖父に、週に一回教えてもらいながら、シュウは細々と創っているに過ぎない、と本人は至って気楽に考えているのだが。

 シュウ本人は知らない。シュウが送ってきた魔封札の効果を実験した祖父が、あまりの効果の高さに、公表すべきか悩みに悩み、これなら大丈夫だろうと発表した魔封札は注文が殺到して、てんやわんやする羽目になっているなど。

 元々、子どもの発想というのは、余計な考えに染まっていない分、大人に比べてとても柔軟だし、シュウだって年頃の男の子らしく、ヒーロー戦隊ものやアニメも好んでみる。

 そして、ヒーローの必殺技が使えたらかっこいい!という非常に子ども的な発想から、生まれた魔法の数々は、子どもの夢を叶えるためのものであり、実用性に欠けると思われがちだった。

 だが、実際にシュウの祖父と一緒に魔封札の効果を確認した者たちは、そんな思い込みを吹き飛ばされた。魔封札の有用性を認めざるを得なかった。


 かっこいいから。

 憧れるから。

 こんなことができたらすごいなぁ。

 こんなものがあったら楽しいだろうなぁ。


 そんな発想から生まれたものは、大人たちの打算的な想像などを吹き飛ばしてしまう。素直にすごい魔封札だと誰もが称賛した。勿論、真似しようとした者もいたが、原本(オリジナル)に比べると、効果が格段に低くなる。

 故に、シュウには創造魔法使いの証明書が発行されただけでなく、様々な特権が与えられていた。シュウが、本来高価で入手しづらい魔封札用の札を大量に持っているのもそうだ。ただ、両親も祖父母もわざわざそれをシュウに伝えたりしない。

 故に、シュウもリュウも特に創造魔法のことについて特別視したりしていない。

「あ。二人とも。お茶の時間が終わったら、いつも通り訓練を始めますから。和室に来てくださいね」

 カレンの作ってくれたクッキーを頬張っていた二人は、わかっていると頷いた。


 訓練。それはシュウたちが物心ついたときから始めさせられた魔力操作の訓練だ。最初はよくわからないまま、始めた二人だったが幻獣と契約するためには魔力操作が必要不可欠と言われて、現在まで続いている。三才から始めているので二人にとってはもはや習慣となっている。

「それでは、魔力ボールを宙に浮かせるところから始めましょうか。よろしくお願いします」

「「よろしくお願いします」」

 二人の返事に、カレンはニコッと微笑みながら、魔力ボールを取り出した。このボールは、魔力を込めることで、浮かぶようになっている。それを五十個用意し、リュウに二十個、シュウには三十個渡す。二人は特に感慨もなく、ボールに触れることなく、魔力を込めて宙に浮かせる。ふわりと、ボールが天井近くにまで浮き上がる。規則正しく円になったシュウの浮かせた魔力ボールと、少しシュウより歪な円になったリュウの魔力ボール。その状態を十五分維持するだけなのだが、既にリュウの額からは汗が流れ始めている。

「うぅ。やっぱり二十個はキツイ・・・」

「リュウには、フータがいるからな。俺は契約してる幻獣がいないから、魔力にかなり余裕があるし」

「でも! 精度は上げられると思うんだ! 確かに、きついけど、俺だってもっと・・・!」

 兄弟の会話を微笑ましく見守っているカレンだが内心はやり過ぎたかもしれない、と考えていたりした。何故なら、魔力ボールは子どもならおよそ十個が限度だ。契約していない子どもでそれである。二十個浮かせているリュウも十分すごいが、シュウなどその気になれば三十個でも、一時間二時間は余裕で保たせてしまう。最高でどれぐらい保たせられるか訊ねて、カレンでさえ後悔したことがある。

 まさに、規格外。そんな言葉がぴったりだ。

(いえ、私が魔力操作を常にしていれば、自然と魔力の質が向上して、もっと魔力操作が上手になりますよと言ったのですが・・・四歳でやるとか思わないでしょう、普通)

 四歳で、魔力操作を常にやるようになり、そこから六年が経過し、もはや歩く魔力貯蔵庫と化していることに、本人とその弟だけが気づいていないのだ。

 なんだか、ため息が出てきそうになる。これからのこの二人の将来について考えると、頭が痛くなってくるのは何故だろうか。

「カレン姉ー。十五分経ったよ?」

 息を荒げて、がっくりとしゃがみこむリュウとは違い、ピンシャンしているシュウに、カレンは告げた。

「明日から、シュウ君の魔力ボールは倍に増やしますね」

 シュウの様子から、まだまだしごき足りないとカレンは判断した。こういうのは個人に合わせてやっていかなければならないのだ。規格外には規格外に合わせた訓練が必要だ。

「え!?」

「えぇぇえええ!? 倍ってことは、六十個!? 本気で!?」

 唖然とする兄弟二人にカレンは天使の笑顔で地獄の三丁目行きを教えた。

「それだけじゃありません。シュウ君には、これからは魔力封じを付けてもらっての訓練にします。魔力操作に慣れていますから、半分近く落ちても、すぐに慣れますよ、シュウ君なら」

 さすがに顔をひきつらせるシュウに、それでも容赦をする気はないカレンだった。訓練時には優しい姉ではなく厳しい訓練師範代になるカレンに、シュウとリュウはぶるりと震えたのだった。


「う、うぅ。体が重い。魔力封じ、つらい」

「シュウ兄、大丈夫?」

「大丈夫じゃない」

 シュウはぐてん、とリビングのソファーに横たわりながら、弱音を吐いていた。シュウの右手首にはまった銀の腕輪。それが魔力封じであり、常に体内で循環させてる魔力が、上手く流れないのだ。そのためか、いつもよりも体に負担がかかって体が重くて動きたくない心境になる。

 慣れるまでは、こうだろうなと半泣きになりながら、宿題と今日借りてきた本をいつ読むか頭の中で計算し。

「リュウー、ちょっと悪いんだけど、俺のリュックここまで持ってきてくれないか? 学校の宿題やるから。取ってきてくれたら、お礼にこの前欲しがってた仮面セイバーのシールかカードやる」

「わかった! 取ってくる!」

 仮面セイバーは、リュウが大好きなヒーローものの話で、シュウもわりと好きなので日曜の夜六時半には二人仲良くテレビで観ている。仮面を被った、光のライトニングソードを操るヒーローが、敵を切り捨てていく場面はいつ観てもかっこよく、シュウもお気に入りなのだ。リュウがリュックを取ってきてくれたので、シュウが重い体を起こしてリュックの中から連絡帳を取り出していると、カレンから声がかかった。


「あ、シュウ君に、リュウ君。少し、いいですか?実は、お砂糖が切れてしまって。二人で買い物に行ってきてくれませんか?」

「「えぇ~」」

「行ってくれるなら、二人が好きな御菓子を一つか、百五十円までの予算で買いたいだけお菓子を買ってきていいですよ」

「「行くっ!」」

 子ども心をくすぐるカレンの言葉に二人はすぐに出掛ける準備に入る。と、いっても、シュウの動きはいつもよりもかなり緩慢だが。カレンがリュウにお金と、買い物メモと、エコバッグを渡した。

「シュウ兄、早く!!」

「あーもう、わかってるって! トイレくらい行かせろ!」

 わいのわいのと、賑やかにしながら、二人は買い物セットを手に、マンションの裏手にある自転車置き場に向かう。

「はぁ~。春になったはずだけど、まだ寒いね、シュウ兄」

「そうだな。かなり寒い。風邪引くなよ、リュウ」

 がちゃん、と自転車のスタンドを上げて、二人はよく行く近所のスーパーマーケットへ向けて自転車をこぎ始めた。


 無事に買い物を済ませた二人は、帰り道、新しくできたばかりの店を見つけた。可愛らしい赤い屋根の家の壁には、「魔封札ショップ 隠れ家シリウス」と看板が出ている。

「シュウ兄! この店、魔封札ショップって書いてあるよ!」

「へぇ。珍しいな。許可がないと売れないし、個人経営の店とかあんまりこの辺りじゃ見かけないし」

 きらきらとした瞳で、自転車を停めて店に魅入っているリュウに、シュウは仕方ないなと自分も自転車を停めた。「少しだけだぞ」と前置きして、シュウとリュウは店の中に入った。

 まるで、別の国に迷い混んだかのような気がした。ふわりと漂う紅茶の匂い、中は木目も美しい床と壁で彩られ、壁にあるランプ風の電灯が描く陰影が、どこか人を懐かしい気持ちにさせる。その下に並んだ、やはり木製のガラスケースに、たくさんの魔封札が丁寧に並べられていた。

「あ! シュウ兄、これ!」

 ガラスケースに入っていた魔封札に、リュウが興味を示した。

「どれ・・・って、うわっ! ハーバード大学への近道がある!」

 ハーバード大学への近道は、移動魔法の魔封札で、使用すると、世界中どこからでもハーバード大学へと行くことができる。ただし、一回だけの使いきりであり、魔力消費量も高い。他にも、世界各地の観光名所に行く移動魔法の魔封札がこれでもかとあった。

「スッゴいねぇ。これなんて、高山病にならないのかな?」

 とある標高四千メートル越えの山への近道を示したリュウに、シュウも同意見だ。登山準備をしても厳しいだろう。山の高地に住む幻獣は、喜ぶだろうが。

「エベレスト山に行ってしまった人は、高山病で苦しんだって話は僕も聞きましたよ」

 気づけば、銀髪の青年が、青い瞳を柔らかに細めて、シュウとリュウの会話に入ってきた。

「あ、すみません。お邪魔してます」

「いえいえ。最初のお客がこんなに小さなお客とは思わなかったな。狭い店だけど、どうぞ好きなだけ見てって。あ、今紅茶淹れるから、待ってて」

 青年の穏やかでのんびりとした緩やかな雰囲気に二人は呑まれて、気づけば奥のテーブルに案内されてしまっていた。白地に、花の模様が描かれたティーカップに、温かな紅茶が注がれる。

「どうぞ。あ、お茶請けも一緒にどうかな?マカロンがあるんだ」

 至れり尽くせりの対応に、シュウもリュウも恐縮してしまう。だが、口をつけないのも失礼だと思い、いただきます、と言ってから、シュウは紅茶を一口含んだ。この店と青年の人柄を思わせる、優しくて穏やかな、ほっとする味だった。

「おいしい・・・」

 シュウの隣では猫舌のリュウが必死にティーカップの中身を冷まそうと、フーッ、フーッと息を吹きかけている。そして、一口飲んで、満面の笑みを浮かべた。

「えっと、あなたがここの店主さん、なんですか?」

「うん、そうだよ。越してきたばかりで、今日の夕方から開店したんだけどね。君たちがお客第一号だよ。あぁ、ごめん、名乗りが遅れたね。僕の名前はシリウス。主に移動用の創造魔法を魔封札に込めて売ってるんだ。君たちは、ここの近所に住んでる子どもかな?」

 シュウは、ペコリと座りながらお辞儀をした。

「初めまして、シリウスさん。俺はシュウ・タチバナ。こっちは、弟のリュウ・タチバナです。シリウスさんの予想通り、この近くのマンションに家族で住んでます」

 あ、とシュウが思ったときにはすらすらと言葉が勝手に口から出てしまっていた。

(し、しまった。つい、他の学校の集会に行く時の癖が出た)

 シュウがこれまで訪れた学校は優に二十校を越える。そのため、自己紹介には自己紹介+他己紹介を自然とやってしまうのだ。

「ふふ。シュウ君は礼儀正しいんだね。ご両親がしっかりしてるんだろうね。敬語も慣れてるみたいだし。あ、でも僕に話しかけるときは普通に話しかけてくれればいいからね」

「ありがとうございます」

 ほっと一息ついたところで、けたたましい声が店内に響いた。

「おいおいおいおいおい! なんだ、こりゃ!? お前、何勝手にこんなやつら店に入れてんだよ!? どうみたって冷やかしじゃねぇか!」

「リッツ」

 太い、だみ声の出所を探してシュウとリュウがキョロキョロすると、たたっとシリウスの肩に何かが登った。それは栗鼠のような姿に、白い角を持った幻獣だった。

一角白ホワイト・ホーン栗鼠スクウォル!?」

 シュウは興奮した。ものすごく稀少な幻獣だ。リュウは初めてみる幻獣に目が釘付けになっている。

「リッツ。お客さんに失礼だよ。君のそういう物言いでこの間もお客さんを怒らせて帰らせちゃったじゃないか」

「はっ! 本当に買いたい客かどうか、一目見れば俺にはわかるっつうの! こいつらは冷やかし、もしくは見学! 紅茶を淹れてやる必要もねぇよ!」

「・・・口、悪」

 ぼそりとリュウが呟いた。リッツは、あぁ!?と喧嘩腰だ。このままでは喧嘩になると思ったシュウはどうしたものかと考える。その隙に、リュウのポケットから飛び出したフータが、そのままリッツに飛びかかり、シリウスの肩にいたのをペチャッと床に落とした。

「まったく。口が悪い栗鼠だね。どんな人間でも相手にしないといけないのが商売でしょ? 子どもだからとか侮って、後で痛い目みるのは、シリウスさんなんだから、自分の言動、見直したら?」

 フータはべっと舌を出して、そのままテーブルの空いてるところに着地する。シリウスは目を丸くした。

「え? えぇ!? なに、これ!? なんで、こんなに小さな風虎がいるわけ!?」

 ぶるり、と身震いしたフータが、慌ててテーブルから降りた。その途端、フータの元の大きさ、体長およそ二メートル程の体躯に戻った。つい、効果はおよそ三、四時間程か、とシュウはポケットのメモ帳に書き付ける。

「え? えぇ? 本当に、これどうなってるの? 幻獣の特技か何か?」

「あ、驚かせてすみません、シリウスさん。これ、うちのじいちゃんから送られてきた魔封札の効果を試してただけです」

 さらりとシュウが祖父の名前を出す辺りに、こんなことはこの兄弟にとっては日常茶飯事だとありありとわかる。

 魔封札の効果が切れた場合、シュウは自作だとは教えずに祖父の名を出すことを義務付けられている。創造魔法を使える者はそれなりに貴重であり、時に狙われることもあるのだ。特に、シュウみたいにまだ成人もしていない子どもでは身を守ることは難しい。そのため、シュウが創造魔法を操れることは家族と家族と契約している幻獣以外には内緒にしている。

「あの、君たちの祖父の名前は?」

「あー、それも内緒でお願いします。弱味になっちゃうから」

 シリウスに明確な答えは返さず、シュウはリュウにそろそろ帰ろうか、と声を掛けた。

「早く帰らないと、カレン姉が心配しちゃうし」

「あ、うん。そだね。すぐに飲み干すから、シュウ兄!」

 紅茶を飲み干したリュウと一緒にシュウはシリウスに礼を述べると、逃げるように店から出ていった。

「くそっ! 俺の美しい毛並みが! 二度と来るな!」

 リッツの悪態も、扉を締めた後では聞こえなかっただろう。風虎だけは耳を逆立てていたので聞こえたかもしれないが。

「おもしろいお客さんだったね、リッツ」

「おもしろいってお前・・・」

「リッツだって危険じゃないって思ったから、顔を見せたんだろう?」

 リッツは黙り込む。リッツは、小さいがそれ故に愛玩動物と同列にしようと考える輩から逃げてる最中に、シリウスと出会い、契約した。だが、まだ危険が去ったわけではないとリッツが怯えたために、比較的治安の良い国を選んで渡来してきたのだ。

「大丈夫だよ。何かあっても、二人で逃げられるから。世界中どこでも、ね」

 シリウスの手に撫でられながら、ヘソ曲がりな一角白栗鼠は、ふん、とそっぽを向くのだった。

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