第25話 カーチェイス

「30分くらい前に警報システムと電子ロックの回路が破壊されたみたいだ。別途稼働するはずの警報システムもとりつけられたダミー回路のせいで作動してなかった……まんまとやられたよ」


「そんな悔しがるなよ。こんどつける予定の新しいやつなら大丈夫なんだろ?」


 パソコンの前に座り苦々しげな表情を作る弟に裕未は言った。直樹がちらりと彼女のほうを見る。近くにあったボールペンを左手の中で回転させつつ、表情は苦々しいまま呟く。


「システム導入前に襲撃されたら意味ないよ。だからもっと早く導入するべきだって言ったんだ……」


 テオが何者かに腹部を撃たれてから数分後。正面駐車場入り口の検問に配置された警備員も負傷して倒れていることが発覚し、研究所内部は文字通り蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。負傷者を医務室に運び、治療を施すのと同時進行で襲撃者の正体を探る。施設のサーバー管理全般を任されている直樹はひどくイライラした様子でパソコン二台を交互に見比べていた。一台目に映し出されているのはここ数時間で防犯カメラがとらえた映像、二台目には警報システムと電子ロックの回路システムが表示されている。直樹が特に注視しているのは防犯カメラの映像で、施設の前を通る車と施設から出ていく車の映像を忙しなくチェックしていた。本来なら発行されたIDカードを通してのみ検問を通過できるはずなのだが、警備システムを内側から弄ったらしい。そういう自体に備えてICLOでは防犯カメラを通して映像を記録することになっていた。


「なんかへんな車いたか?」


「黒のHHR。ニューヨークB8914。ナンバー控えて」


「おう」


 指示通り祐未がナンバーをメモする。直樹は凄まじい早さでパソコンのキーボードをタイプし始めた。地図情報を表示したウィンドウが開き、一ヵ所が赤く点滅し始める。移動しながら光る点を注視しつつ直樹が言った。


「対象はリンカーン・ドライブを187号線に向けて逃走中! 今後の動きは追って連絡。行って!」


「わーった!」


 車のキーを鷲づかみにして祐未がバタバタと駆けていく。通信用のイヤホンを右耳にねじ込むと弟の声が聞こえてきた。


『乗ってるのは男の二人組、金髪か茶髪と黒髪、どっちも髪型はベリーショートで年齢は20代後半から30代前半!』


「おう!」


 祐未の返事は車のエンジン音のせいで直樹に届いたかどうか疑わしい。キーを捻ると同時にアクセルを踏み込むと、さらにけたたましい悲鳴をあげて車が走り出す。


『シートベルトしめたの!?』


「そんな暇ねぇ! それより187のどっちにいった!?」


『……出たら直ぐに左に曲がって』


 少し場違いな弟の悲鳴に口元を緩めながら、祐未は勢いよくハンドルを切って駐車場とサービス・ロード・ウエストを抜け出した。施設の間を走るリンカーン・ドライブからオールド・ジョージタウンの187号線へ飛び出す。大きな二車線道路は交通渋滞もなくスムーズに車が流れている。直樹に言われたとおり交差点を左に曲がると、前方に運良く黒のHHRが走っていた。


「前走ってんのでいいのか? 直樹!」


『うん』


「おっしゃ、ビンゴ!」


 膝を叩いて自分の強運を喜んだ後、祐未は再びアクセルを踏み込んで黒い車に近づいていく。前方を行くHHRも比例するようにスピードをあげた。まるで祐未が追いかけてくるのがわかっていたようだ。


「ンの野郎、往生際が悪ぃんだよっ!」


 ギュイン、と双方のエンジンが悲鳴をあげる。二車線道路でぴたりと張り付きチキンレースのような状態で併走すると、裕未は勢いよくハンドルをHHRのほうに切った。黒い車はガツンと大きな音をたてたあと縁石に押しつけられて小さな火花を走らせる。次の交差点を抜け、閑静な住宅街にそったゆるやかなカーブを2台の車が猛スピードで走り抜けていく。背の高い建物はない。教会や白い屋根の民家がぽつぽつと顔を見せる風景で彼らのカーチェイスは異質だった。

 HHRが乱暴にハンドルを切り祐未の車を隣車線へ押し出す。ちょうど後ろから走ってきたトラックがクラクションを鳴らしてハンドルを切り、祐未もあわてて車線を戻した。運転手からの罵倒が飛んでくるが聞いている暇はない。逃げるHHRに何度か車体をぶつけ、目の前の交差点に信号を無視して突っ込む。

 2、3台の車がけたたましいブレーキ音とともに急停止し、クラクションの音が鳴り響いた。急停止した車の間をすり抜けると、祐未よりも少しだけ前方を行くHHRが突然左に曲がる。住宅街だ。わずかばかり白いタイルで作られた道の周りを芝生が被い、広い庭をもつ家々の垣根はキレイに手入れをされている。背の高い木々が天に向かって伸び、道路や家の庭に影を作っていた。

 車通りのほとんどない二車線道路の路肩にはほぼ等間隔で車が止められている。おそらく家の前を駐車場替わりにしているのだろう。HHRはその中の一台にぶつかって急停止してしまい、2人の男が飛び出してきた。そのうちの1人である黒髪の男が拳銃を構える。祐未はあわててブレーキを踏み、ハンドルを切った。ついでに体をかがめると二回発砲音がする。フロントガラスの端にヒビが入った。安物でも防弾ガラスを使っていたのが功を奏したらしく、弾は貫通しなかったようだ。そのかわりに車はコントロールを失い、通学路標識すれすれを飛ぶようにして芝生の上に乗り上げてしまった。タイヤがパンクしたのだ。おそらく二発目の弾のせいだろう。車はもうまともに走れそうもない。


「こンの野郎っ!」


 祐未は怒りも露わに男二人を睨み付けて車から降りた。タイヤの仕返しとばかりに拳銃を構えた男に殴りかかる。拳銃こそはじき飛ばせたがすぐに距離を取られてしまう。かわりにもう一人の茶髪男が祐未の腹部を狙って足を叩き込んできた。

 彼の足を両の手で受け止めた祐未は男を引き倒してやろうと腕に力を込める。

 足を掴まれた男の腕が微かに動いた。すばやい動きで祐未の喉元へ飛んでくるそれを咄嗟に上半身だけ動かして避ける。ピリリと頬に小さな痛みが走り、生暖かいものが肌を流れた。血だ。男が隠し持っていたナイフを取り出し、切りつけてきたのだ。

 男がさらに祐未の手を攻撃してきたので、たまらず捉えた足から手を離してしまう。


「クソがっ!」


 男は迷わず祐未の喉元を――つまり頸動脈を狙ってきていた。ICLOの施設に忍び込んだ時点で警戒は充分にしていたが、ナイフの正確な扱いや銃の的確な狙いを鑑みるにそうとう特殊な訓練を受けているのは間違いない。


 黒髪男がはじき飛ばされた銃を拾うために走り出す。祐未が後を追おうとすると、すぐ横からナイフが飛んできた。

 黒髪は滑り込むような形で銃を拾い上げると、祐未に標準を合わせる。

 ナイフを避けながら銃口を見据える祐未の耳元でパンッ、と風船が破裂するような音がする。男が銃を撃ったのだ。

 祐未が足下の弾痕に気を取られていると目の前からナイフが飛んでくる。


 相当厄介な相手だ。一人でこれを相手にするのはキツイ。

 背中に嫌な汗が伝うのを感じながら祐未は男二人と距離を取った。ジーンズに挟み込んだデザートイーグルを使う隙があるかどうかも怪しい。

 拳銃とナイフを相手にどこまでできるかわからないが、やってみるしかない。

 右足を引いて体勢を低くすると、ザリッと砂を踏む音がした。

 閑静な住宅街には場違いな緊張感の中、さらに場違いな声が響く。


「その勝負待った!」


 祐未と男たちが慌てて声のほうを向くと、そこに男の姿があった。

 白いシャツにジーンズをあわせ、無造作にアーミージャケットを羽織った男だった。少しクセのある金髪を短くカットし、ツリ目がちのアクアブルーでまっすぐ祐未たちを見据えている。ジーンズのポケットに手を突っ込んだままの男は、拳銃とナイフが見えていないわけでもなかろうに悠然と胸を張って歩いてきた。

 

「せっかくの休暇中派手なカーチェイスを見たから何事かと思ったら……二人がかりで武器まで使い、いたいけな少女を嬲るとは見過ごせない!」


 今までゆったりと歩いていた男が言い放つや否や二人組との距離をつめた。あっという間の出来事に、祐未は二、三度目を瞬かせる。

 ツリ目男の手には、いつのまにか木の枝が握られていた。近くにあった家の植木を折ったものだろう。男は肘くらいまでの大きさがあるしっかりとした枝を黒髪男の手もとに叩きつけた。

 叩きつけたというよりは『枝で手を貫いた』と言ったほうが正しい。

 骨を避け、親指と人差し指の間にある一番薄い部分を正確に狙った攻撃だ。黒髪男が握っていた銃を取り落とす。ツリ目は地面に落ちた銃を黒髪男よりもすばやく拾い上げた。背後から襲い掛かってきたナイフ男の一撃を紙一重で避けると、銃のグリップで伸びきった茶髪男の腕を強く殴打する。甲高い音を立ててナイフが落ちると、ツリ目はすかさずそれを蹴飛ばして茶髪男が手の届かない場所へと追いやった。彼がナイフを蹴り飛ばした足で男の腹部に膝蹴りをくらわせる。

 たまらず蹲った男たちを仁王立ちしたツリ目が高らかに怒鳴った。


「貴様らそれでも軍人か!」


――誰も彼らが軍人とは言っていないが、ツリ目の中では決定事項らしい。


「なっ、なんなんだ一体!」


 男たちが悲鳴をあげるのも無理はないだろう。ツリ目男はこの問いを待っていましたと言わんばかりに胸を張り、威風堂々と声を張り上げる。


「デルタの番犬、ミスターヒーロー……呼び名は色々あるが、今日はあえてこう名乗らせてもらおう。侍! アレックス・ラドフォード!」


――どこらへんが侍よ。


 黙ってことの成り行きを見守ってしまった祐未が心の中で呟く。金色の髪にアクアブルーの瞳を持った白人が言うにはあまりにも似合わない言葉だった。男達はアレックスと名乗ったツリ目の発言があまりにも奇異で言葉をなくしてしまったらしい。わずかに口を開けて茫然としている。

 冷えきった空気を気にもせずアレックスが首を傾げた。


「さて、自己紹介がすんだところでだ。君たちには先ほどのカーチェイスがなんなのか私に説明してもらいたいのだが」


 うずくまった男たちが軽く歯軋りをした。いままで茫然としていた祐未が我に返り、小走りで二人組のもとへ駆け寄る。施設を襲撃した理由と目的を聞き出さなければならないのだ。彼女が携帯電話で弟と連絡を取ろうとしたとき、右肩を強い力で掴まれ、引き寄せられた。アレックスだ。どういうつもりだと問いかける間もなく、目の前をシルバーのワゴン車が横切った。スライド式のドアが開きそこから黒人の男が顔を出す。


「行くぞ!」


 道ばたに蹲っていた二人組の男に言ったようだった。言うや否や彼は二人組の腕を掴んで車内へ連れ込む。恐らく五秒ほどしか掛かっていないだろう。あっというまに走り出したシルバーのワゴン車に祐未は思わず声を荒げた。


「待ちやがれてめぇら!」


 ジーンズに挟み込んだデザートイーグルを構えて引き金を引くが、猛スピードで走り去る車のフロントガラスにヒビを入れただけだった。防弾ガラスを使用しているらしい。タイヤも狙ったのだが、遠ざかる小さな的にはうまく当たらなかった。思わず地面を蹴って毒を吐く。


「くそっ!」


「そう憤ることもあるまい。君に怪我がなくてよかったよ、祐未」


 アレックスと名乗った男はそう言うと、祐未にまっすぐ視線を合わせてにこりと笑った。


「は……」


 なにいってんだ、と言おうとして、なぜ自分の名前を知っているのか疑問に思う。けれど男の顔にはよく見ると見覚えがあったし、アレックス・ラドフォードという名前にも聞き覚えがあった。

 祐未の戸惑いに気づいたのだろう。アレックスは悪戯っぽい笑みを浮かべ、首を傾げてみせた。


「二年前をお忘れかな? プリンセス」


 祐未は少し考える。二年前の、アレックス・ラドフォード。三秒後に答えが出てきた。


「あ……、アレックス中尉か!」


「今は昇進して大尉だがね」


「そっかー! おめでとー! 久しぶりだな! 元気だった?」


「元気だったさ! 君は相変わらず危険なことをしているようだね」


「しょうがねぇよ仕事だもん。そっかー、でもありがとな! あん時も今日もあんたには助けてもらってばっかりだなー!」


「アルでいいよ。可愛いプリンセスを助けるのは当り前だろう?」


「相変わらず恥ずかしいこと普通に言うなー!」


 祐未はアレックスの両腕を掴み、気分の高揚を表すようにぴょこぴょことその場で飛び跳ねてみせる。それを笑顔で見守るアレックスはとても嬉しそうだった。一瞬、祐未は自分がICLOを襲撃した犯人を追っていて取り逃がしてしまった事実をキレイに忘れてしまったが、足下についた銃弾と芝生の上に突っ込んだ自分の車を見て我に返る。


「あ、そうだあいつら追いかけないと! ごめんなアル、また今度ゆっくり話そうぜ!」


「それについては同意するしお誘いは嬉しいかぎりなんだが、祐未はなぜ彼らを追いかけていたんだい?」


「あいつらがあたしの職場で人に怪我させやがったんだよ!」


「ふむ、そうか……」


 アレックスはごく自然な動作で祐未の肩に手を置き、首を傾げる。祐未もつられて首を傾げた。男が祐未に言う。


「たしかこの近くに駐車場があったね。先ほどの車のナンバーはE6871だったかな……187号線沿いの店舗やライブカメラに犯人の顔が映っている可能性がある。まず身元の割り出しから初めてはどうだい? 車の捜索なんて祐未一人では難しいよ。人手を増やしたほうがいい」


「う、うん、わかった。言ってみる。ありがとな!」


 ほぼ初めてと言ってもいい失態に動揺していた祐未は、アレックスの言葉に何度も頷いてみせる。彼女の様子を見たアレックスは軽く微笑んで祐未の頭を撫でた。突然のことに硬直した祐未を満面の笑みで見つめている。

 ふと、アレックスが来ているアーミージャケットのポケットから小さな電子音が聞こえてきた。固まっている祐未を尻目に彼は悠然と音の原因を取り出す。携帯電話だ。


「アレックスだ。……わかった。すぐ戻る」


 彼は手早く通話を終えると、唖然としている祐未の手にポケットから取り出した名刺を渡す。


「私も全面的に協力したい、と言いたいが急な仕事が入ってしまったようだ。変わりといってはなんだが、なにかあったらここに連絡してくれ。できるかぎり君の力になりたい」


 携帯が鳴っているよ、と最後に小さく付け加えてアレックスは踵を返した。指摘されたとおりポケットに入れていた祐未の携帯が弟からの着信を告げていて、彼女はあわててそれを耳に押し当てる。


「ありがとなー!」


 最後に大きな声で礼を言うと、男は背を向けたまま軽く手を振り祐未の言葉にこたえたのだった。

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