デルタの番犬
第21話 細い身体
「大丈夫かっ! 誰か、息のある者はいないかっ!」
血の臭いが充満するあばら屋にガツンッという音が響き渡った。アサルトカービンを片手に立っているのは迷彩服を着た若い男。腹に響く声を張り上げてあばら屋の中を見渡す。外では乾いた銃声が響いているけれど、もうすぐ終わるだろう。数はこちらのほうが多い。
「ルーカスっ! ヴァリオっ! 返事をしろっ!」
男がアサルトカービンを持ったままあばら屋の奥に入っていく。血の臭いがいっそう濃くなったような気がした。足を一歩踏み出すとぴちゃりと足下で水がはねる。きっと水ではないのだろう。
「……っ、息のあるものはいるかっ!」
男は暗い部屋を見回してもう一度声を張り上げた。窓ガラスが割れている。あらゆるところに銃弾の跡。彼がもう一歩部屋に入るとテーブルの影に人影が見えた。動いているように見える。
「誰だっ!」
駆け寄るとすぐ足下に銃弾が撃ち込まれた。視線の先には脱力した男の身体。頭の右半分が吹き飛んで潰れたトマトのようになっている。
「ルー……カス……」
自分で思ったよりもその声は擦れていた。浅黒い肌と金色の髪両方を持っている人間は知り合いに一人しかいない。しかし彼に銃を撃つことは無理そうだ。銃を撃つどころか歩くことも喋ることも、息をすることすらできまい。お世辞にも綺麗とは言えない死体の前に、血まみれの少女が座り込んでいた。恐らくこの少女が銃を撃ったのだろう。
「君は……」
東洋人の少女だった。目が紅いように見えるのは光の加減だろうか。50口径のデザートイーグルを両手で握りしめてしっかり男を見据えていた。少しクセのある黒髪にも黒縁の眼鏡にも、赤黒く変色した血がこびりついている。興奮していて状況が掴めていないようだった。様子を見るにどうやら二人でここに立てこもっていたらしいから仕方がないのかもしれない。極限状態が何時間も続いていたのだろう。現地で合流した兵士だったと記憶している。上層部からの指示で作戦に参加した少女で、自分達と同等の戦闘訓練を受けているらしかった。明確な情報は開示されておらず上司が苛ついていたことを覚えている。年齢は確か14歳だったか。
「……大丈夫、私は味方だよ」
そう言って手を伸ばすと少女の身体がビクリと揺れた。死体を護るかのように座り込んだまま後ずさる。
「大丈夫だ」
もう一度ゆっくりと言葉を発音すると、少女の身体から少し力が抜けた。一歩近づいて手を伸ばす。少女はデザートイーグルから片手を放しおそるおそる手を伸ばしてくる。男が赤黒い汚れのついた腕をしっかりと掴んだ。思った以上に細い。折れてしまいそうな弱々しさはなく、きちんと鍛えられた腕だ。少女の見かけには似つかわしくない。子供がこんな腕をもってデザートイーグルとレミントン700を扱っていたのかと思うと怖気が立った。こんな事にならない為に自分は軍人になったのではなかったか。この現実を防ぐ為に訓練を受け続けていたのではなかったか……
頭に血が上りそうになるのを何とか押さえ込み、ぐっと腹に力を込めた。その勢いで座り込んでいた少女の身体を引き寄せる。少女の身体は風に巻き込まれた羽のようにふわりと舞い上がった。ふらりとよろめく小さい身体を抱き留めて呟く。
「……ありがとう、私の友を護ってくれて」
少女が驚いたように顔をあげこちらをまじまじと見つめる。男はもう一度口を開けた。
「彼は私の友人だ。本の趣味は合わなかったがね。だからありがとう……祐未君」
今度は少し冗談めかしていう。最後に名前を呼ばれた少女はどこかの傷が痛んだかのような表情を見せて俯いてしまった。
「だって、あいつ、死んじゃったよ……」
聞こえてきたのは弱々しい声。足を負傷してしまったらしい祐未に肩を貸しあばら屋を出る。そうとう衰弱しているようだから早急に治療が必要だった。
「死体があるだけありがたいよ。葬儀ができる」
少女の肩が少し震えたようだった。地面に落ちる小さな水滴は見ないフリをして少女を横抱きにしてしまおうかとも思ったが、思いとどまる。
きっと今彼女は、痛みがあっても辛くても、自力で歩きたいだろうから。
「……なぁ、ごめん……アンタの名前、聞いて良いか……覚えてねぇんだ……」
やがて少女が震える声で呟いた。彼女の負傷した足に負担をかけないよう考慮しながら、男は答える。
「アレックス・ラドフォード中尉。親しいものは、アルと呼んでくれるね」
足だけでなく、だらりとぶら下がった腕もいたるところに傷がある。腕や足に限らず身体中に傷があるようだった。アレックスの肩に掛かる重みはいつも背負っている荷物よりもずっと軽い。祐未という名前の少女は腕も足もひどく細かった。
――この細身で、ついさっきまで戦っていたのかと思うと……何故か、胸が高鳴った。
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