第17話 三月兎のティーパーティー
口の中に鉄の味が広がっている。
振り下ろすように拳を叩きつけると、さっきまで暴れていた人間が口から血の混じった吐瀉物をぶちまけて動かなくなった。
祐未は敵に容赦しない。
そんなことをしていたら自分が死んでしまうからだ。
祐未は死にたくない。
まだ生きていたいのだ。
もともとは自分が死んだら直樹が次の実験体になってしまうから死ねないはずだった。
祐未が有能な駒になれば、直樹は祐未に対する切り札として保護されるはずだから戦っていたはずだった。
いつからだろう。
いつから生き続けること自体が目的になってしまったのだろう。
最初になんでもいいから呼吸がしたいと思ったのはいつだっただろうか。
とにかく呼吸がしたくて、とにかく生き続けたくて、そうなってしまったのはいつごろからだっただろうか。
祐未はいつの間にか、当初の目的を忘れていた。一番忘れてはいけないことを忘れていたのだ。
だからきっと直樹は祐未を怒ったのだろう。祐未が自分のことしか考えていなかったから。
ああ、こんな自分は罰せられて当然なのだ!
せめてもの罪滅ぼしに、これからは全て直樹の望むとおりにしよう。
それが祐未のできる唯一の贖罪だ。
「ぐぁあああるっ!」
白い犬が牙を剥きだして祐未に襲い掛かってくる。大きく口を開けたそいつの下あごをわし掴んで喉を晒すと、毛皮に覆われた喉笛に思い切り噛みついてやった。ブツリと何かが切れる低い音がして犬の体がビクリと大きく揺れる。
「ギャッ……」
犬の情けない悲鳴は最後まで音として発音されずにただの風になった。
口の中に毛と血の味が広がって酷く不快だ。
喉元から血をまき散らし、痙攣しながら白い犬が倒れこむ。
口の中にある毛皮まじりの肉を吐き出すが、細かい毛はまだ口の中に残っているようだ。口をすすぎたかったがそうも言っていられない。
背後から忙しない足音が聞こえてきた。祐未が振り返ると、銀髪赤目の女が長い髪を振り乱して走ってくるところだった。
「がっ、ぁぁ!」
祐未が女の長い髪を掴んで地面に引き倒す。頭を地面に打ち付けた女の口から妙な声が漏れた。女は無我夢中で腕を振り回す。拳が彼女の髪を掴んでいた祐未の右手に当たった。
祐未が女の腹部を蹴りつけ、腕を掴む。関節とは逆の方向に思い切り曲げた。ボキリと乾いた音がする。
「ぎぃやぁあああぁああああぁっ!」
悲鳴が聞こえるけれど知ったことではない。
女の腹部に足を置き、力を込めて押しつぶすようにしてやる。手をまげてやったときと似たような音がした。女が痛みに身を捩る。腹部にのせた足でそのまま下あごを蹴り飛ばした。女の後頭部が床に叩きつけられてガツンという音を立てる。女が動かなくなったことを確認して、邪魔な死体を蹴り飛ばした。いざという時足を取られたりしたら困るからだ。
祐未も直樹も生き続けることが、祐未の本当の目的だ。
そのためには人間であることを捨てたってかまわない。
獣だろうと化け物だろうと、なんにだってなってやる。
「……うぅうぅうううぅっ、ぅがぁああああああぁあああああああぁあ!」
祐未が叫んだら周りにいた獣どもが怯んだ。
祐未とこいつらに大した変わりはない。
どちらも自分が生きたいから戦っているだけだ。
どちらも自分が生きたいから殺されるまえに殺しているだけだ。
相手にも自分にも罪なんてない。
ただ生きたいだけだ。
ただ呼吸したいだけだ。
でも祐未は直樹の分の生も背負っているから、誰かに負けるわけにはいかない。
きっとここにいる誰だって誰かに負けるわけにはいかないけれど、それでも負けたくないし死にたくないから、祐未も戦うのだ。
それはとても単純な理由で、とてもわかりやすい理由で、だからこそ祐未は迷わないで戦うことを選んだ。
「がぁああああああああぁあああああああぁあああっ!」
祐未の咆吼に答えるかのように獣たちが吠える。
生きたいと思うのは当たり前のことで、だから祐未も彼らも迷わない。
襲い掛かってきた猫を蹴り飛ばして、後方にいた犬に死体をぶつける。キャインと甲高く鳴いた犬の頭を踏みつけて横にいた銀髪の子供を殴り飛ばす。血反吐を吐く汚らしい水音が聞こえたので、嗚咽する喉を蹴りつけた。
トドメは間違いなく刺さないと、あとで後ろから攻撃されるなんてゴメンだ。相手も祐未も生きたいと思っているから、お互いに手段は選ばない。
だってそうしなければ死んでしまうから。
「
テオの声が聞こえる。倉庫は血と死体に塗れていて、哀れな獣の中で生き残っているのは祐未ただ一人だけになっていた。
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