夜: 残された数字 [須佐政一郎]

 私への報告の声がひっきりなしに飛んでくる。後で<思い出し>て仕分けすれば良い話だと皆が知ると、他の者が報告中であっても注進する者が目立ちだした。それからは雪崩式だ。相手を思いやるのがこの国の持つ隠れた美徳ではなかったのか——?

「申し上げます! 緋呂金家裏山にて怪異の動きありとのこと! 敷地内には立ち寄れませんので、こちらは遠方からの観測と遠射のみに留めております! なお、未確認ながら緋呂金家私兵、緋狐が動いている模様!」

「中央広場への巡回部隊が全て迎撃に駆り出されています! 大量の怪異です! 参係や伍係のものまでもかき集め、防衛に当たっています! 『変異型多し、注意されたし』とのこと!」

「同様ですが、志水神社では怪異は沸いていますが、こちらの防衛陣は全く突破されていません! 逆に弐係の西ノ海にしのうみ隊らが周囲の巡回を強化し、水も漏らさぬ防衛を遂行できている様子!」

「政務官殿、急進です! 外町からは連絡無し! 全く応答がありません! 本日の避難は終わりましたが、事が収束不能になれば奴らは我らを切り捨てるに違いありません!」

「須佐政務官! 教会の守りが過剰なようです。三ツ滝方面の部隊は鳳様により帰還させられておりますので、中央と緋呂金の応援に、——!?」

 不意に、横手の城壁の向こう側の森から爆発音が響く。

「何事だ、観測手!」

 彼らが報告を止め、周りにいる者達が弓矢を手に取る。戦の気配を感じ始めたのだろう。

 連続的な爆発が何度も何度も起きながら、政庁の壁を揺らす。近づいてきてはいるが、ここに届くまでに時間はありそうか。

「か、怪異が自爆している模様です! 新しい変異体です! 灰と赤の混色! 体躯を——くっ、爆発させて、木をなぎ倒しながら中央広場への道に向かっています!」

 展望台からの報告が階下へと至る。

<思い出す>——この島の地図と避難者リスト、今日の夜の時点での部隊配置図、それと第伍区、第ろく区での巡回報告を。

「怪異の通り道を開けるんだ。中央までの経路上に残っている人はいない。こちらがあえて手薄な箇所を作れば、奴らは必ずそこを通る。三段階の穴を作り、二段目通過時点でこれを包囲し迎え撃ち、三段目は最終防衛ラインとしよう」

 爆音が私の声を遮りがちに響く。まだ会話できる範囲だ。

「穴とはどうすれば?」

「考えるんだ。『存在強化』がかかっているんだぞ。道に土嚢を積んで一箇所だけ開けるとか、建物を木っ端微塵に破壊して荒地にすれば、道や家としての防衛強化は薄れる。早く行きたまえ! 余分な人員は教会から引っ張ってくるようにしよう。足の速い御手口君に音頭を取って貰おうか。泣き言は大人には似合わない、学生が各地で手伝ってくれているんだと各員肝に銘じるようにと伝えてくれ」

「し、しかし、家を壊せば町に被害が……」

「そんなものは皆の給料から仲良く天引きだ。中央が怪異に抑えられたら我々は各個に撃破されるんだぞ。どうした、早く行き給え!」

「りょ了解しましたぁ!」

「中央広場の隊にも伝えてくれ。爆発はしているが、あそこには伍係の日鉢君がいるからね。新手の襲来音に気付けないかもしれない。三ツ滝の部隊は二班に分かれて巡回し、残りは中央へ!」

 次は緋呂金か。

「緋呂金は今のままで待機だ。緋狐が出ているのなら、彼ら自身の手に負えなくなったら恥も外聞もかなぐり捨てて助太刀を求めてくる。遠射のみの対処で良いだろう。今、緋呂金の炉の火を消す訳にはいかない。前線で柔軟に対応してくれ。ただし、応援を送るとなると中央から最短経路は、敵を突破する必要がある。回り橋で迂回すれば遅くはなるが確実だ。中央の状況を見て突破できそうなら行ってくれ。ただし伝令に中央の部隊は使わないように。多少遅れても緋狐ならば持ちこたえる」

「はっ!」

 そして、志水神社か。あそこは元々防衛に適した地形だ。

「良くやった、気を抜くなと伝えてくれ。周りの雑音に惑わされぬよう自分達の仕事を続けてくれ。ただし、くれぐれも思考を硬直させないように。新手の敵の強襲に耐えられるようなら中央の手助けか——くっ、御手口君のヘルプに派遣しても良い。現場での判断を尊重する!」

 爆音が段々と大きく、数も音量も大きくなってくる。まだ話せる状態だが、声を大きくせねば。

「外町のことは諦めよう。背中から刺されないだけでもましだ。新手の自爆型への対応を優先させてくれ!」

「了解です!」

 一通り指示を出し終わると、皆、己がなすべきことをするべく散会する。

「政務官、お茶を」

 弥生君の差し出す湯呑みを掴み、

「ありがとう、助かるよ」

 生温い液体で喉を潤す。少し喋りすぎたか。

「ヒトガタが活発化していますね。私が赴任して以来初めての数の襲撃です」

「僕の生まれてからでも、だよ。ここ数日、黒騎士が来てから変事が起こりっぱなしだ」

「私はこれから中央広場へ参ります。修羅場になるでしょう。及ばずながら陣頭指揮をしたいと思います」

「ああ、弥生君、助かるよ。君ならば大丈夫だ」

「政務官殿は、黒騎士が生きていると信じていらっしゃるのですか? 伍係配属の学徒が確認しただけですが?」

「壱係は信じていないようだけどね。政務官としては賛成しかねるね、参組の学園生が壱係の評判を落とすために作り話をでっち上げたとは」

「でしたら、この変事も奴らが?」

「あるいは、機に乗じて何処かに現れるか、かな。今でさえ手一杯なのに黒騎士まで現れたらお手上げだよ」

「それならば鳳様をお呼びすれば良いのでは!?」

 弥生君、君は何故鳳珠の話題になると熱く語ってしまうのか。

「あの御方には要を守って頂いている。今日は動いて貰う訳にはいかないんだよ」

「そうでしたか……。ですが、三ツ滝が要なのですか?」

「まぁね。大事な場所なんだ」

 今の私の答えで彼女の中で察しはついているだろう。

 島の各地に点在する部隊が何処で集結し、何処を守ろうとしているか。それに黒騎士がこれまで襲撃してきた箇所を重ねれば自ずと解は浮かび上がってくる。

「政務官殿はどう思われますか? 黒騎士が生きていると仮定し、鳳様と戦って勝つのはどちらか?」

 彼女の問いに<思い出す>——私が静さんの屋敷で棍棒で気絶させられるまでに見て感じた黒騎士の圧と、昨晩見たあの抜刀術を。それに黒騎士に関するこれまでの戦闘報告書を加えれば、

「何をもって勝利と呼ぶかによるかな……」

 聖教圏最強の一角、異端審問局の執行官、

 日本皇国最強戦力、皇国護鬼——

 ぶつかり合えばどうなるか?

 私のような貧弱な者には勝敗を予想すること自体が困難極まりない。


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 雨は勢いを増しています。少しずつですが確実に。隣を流れる川へと雨が流れ落ち、表面に細かい波紋が幾つも立っています。

 ‘ゲオルグさん、どうやら各地で怪異共が暴れまわっているようです’

 召喚した五人の剣兵は、物言わず私に付き従っています。

 川の流れを遡るにつれて、こちらでも怪異の姿が目立つようになってきました。

 ‘サルとクズの戦いなんぞ興味ねェなァ’

 この男は、相も変わらず悪態をつきますね。

 その手にした<罪狩り>から発せられる剣風が、怪異を寄せ付けていません。

 いえ、違います。怪異達は愚かにも向かって来ているのです。ですが、あの男が例の刀を喰ったことで得た操風能力による圧縮された空気の断層が近づくものを全て八つ裂きにしているだけなのです。

 数日しか経っていないのにこの威力! 御主があの男に御与えになった恩寵は驚嘆すべきものですが、それに負けていないのはこの男の適応力! 変化する力、状況に合わせた最適な進化は留まることを知りません!

 これもひとえに御主の御恵みと御導き、そしてこの男のたゆまぬ努力の賜物でしょう。

 ‘いるな、オイ’

 ‘分かるのですか?’

 ‘あァ。こっちのことはもうバレてやがる。剣気が妙に静かなのに、尖り方が半端ねェ。ククク、ただのサル島かと思いきや、やべェ人間がきちんといるじゃねェか、え、おィ?’

 ‘それはそうでしょう。貴方が人間と呼ぶに値する人材が少なくとも六人はいて貰わないと困りますからね’

 我々が入れば六人、入らなければ八人、数は絶対です。多い分には、死に至る病と呼ぶべき魂の審判を受ける者が増えるだけですが、少ない分には困りますね。

 遠くから、怪異共のあげる不快なことこの上ない断末魔の悲鳴が、滝の流れる音に混じって聞こえるようになってきました。が、

 ‘あちらは何人ですか?’

 ‘一人だよ、クソガキ。俺を止めるにはそれで十分ってことらしい、カッ!’

 川の流れに逆らって進む私達の行く手には、水からは浮かび上がる蛇が、森からは這い寄る蛇共が跳梁跋扈しています。

 この男は持てる力の一割も出してはいないでしょう。ですが十分なのです。本能むき出しで理性など持ち得ぬ怪異共を殲滅するのには。御主の御威光などに頼らずとも良いのです。

 今日の怪異撃破数が百を越えた頃、私にも見えてきました。滝と、それが流れ落ちる水の広場と、そこに立つ一人の剣士の姿が。

 大量の水が流れ落ち、湖面とぶつかって水しぶきを生じています。荒れ立つ水面が下へ下へと押し流されて川の始まる場所です。

 そこに、灰色や水色の、蛇と人間と足した形の怪異達が、湖の中に展開し、一人の騎士を取り囲んでいます。

 騎士へと迫っては死に、死んでは再び発生する、を際限なく幾度も繰り返しています。

 水場に立つ剣士は、赤みがかった深い茶色の鎧と兜に身を包み、上から薄桃色のサーコートを着ています。

 左手に剣を持ち腰だめに構えてはいますが、鞘から刃が覗くことはありません。その輝きすらも姿を隠しています。常に斬れる体制を維持しながら、怪異だけが不思議に斬られては死に、塵へと帰っていきます。

「来たかの」

 顔に大きな傷のある女性です。女性の顔に傷とは美貌を損なう組み合わせではありますが、この女性からは美を越えた剣士としての威風しか感じ取れません。

 別口で頼んでいた人材ですが、ここに来てしまいましたか。

 手が少し震え出します。緊張しているのでしょうか? 御主の御意を果たさんとするこの身が? 否、これは喜びなのです——どうして隠しきれましょうか、私がこの聖戦の一翼を担う喜びを!! 腹の底からくる震えが止まりません!

「これ、そこな二人、その場より五歩前に出れば仕置致すぞえ?」

 戦場に不釣り合いな間の抜けた可愛らしさを持つ声です。

 しかし、後ろに引けぬのはこちらとて同じことです。今日の主目的は彼女が背負う滝の流れに隠された洞窟にある祭壇なのですから。

 私達は無言で水場へと足を踏み入れます。

 滝の流れ落ちる水しぶきと雨が混ざり合い、私達の体を濡らしてきます。

 二歩、三歩と足を進め、四歩目で私達は立ち止まります。

ヌシが噂の黒騎士かえ? 壮健そうじゃの。何ぞ土に潰される主を見た言う者も、それでも生きている姿を見た言う者もおったがのぅ。黒騎士出現の際に感じられる波動とやらが無い故、死んでおる言う珍説は廃案じゃの、ほっほっほ」

 あれはただの目くらましですよ。内通者に我々の手の内全てを知られる訳にはいきません。

 あちらにはあちらの思惑があり、こちらに隠れて勝手にことを進めているのです。私達が死んだことにしておけばこちらの作業がはかどるのです。

 あの重圧は、この男の<罪狩り>による解放の一撃、『嫉妬』の罪をへと解き放ったものです。射程内にいれば誰もがその存在を否応なく知覚させられるものです。目くらましにはもってこいですね。解放時の圧と『嫉妬』の知覚刺激を合わせているのですから。

「初めまシテ。タマ・オオトリさん、デスネ? 私達ハ、」

 私の前口上をこの男が無造作に遮ります。鎌を肩越しに構えながら、ふくらはぎまで浸かる水面から一歩、五歩目にして彼女の最終勧告の最後の一歩を無造作に踏み越えます!

 ‘————ガッ!?’

 足がつくよりも早く、いや、水面をソルレットが叩くのが僅かに早かったでしょうか? この男が大きく後退させられます。

 ‘チッ! 飛ばし屋か!’

 その声は強者と死合う歓喜に溢れていました。

 目を見張りました。黒い鎧に斬撃の跡がくっきりと残っているではありませんか! 赤とも黒とも形容しがたい血が流れています。

 目に見えぬ遠隔攻撃のそれは、この男が誇る防御力を軽く突破したのです。

「ふ〜む、頑強じゃのぅ」

 あの男を斬り飛ばしたのに、その刃は未だ抜かれず、鞘に納られたままです。

 ‘次は、こっちの番だな’

 分かり易すぎる台詞を吐きながら、この男が左手を柄中央のハンドルから刃に近い部分に添え、全身を伸び上がるように後方へと捻ります。その姿、まるでセットされた射出前の弓と矢、バネ仕掛けのクロスボウ、いえ、城門を破壊する破城槌でしょうか! 風が集いて黒刃へと集結します!

 ‘オーーラァッ!!’

 振り下ろされたその大鎌から発生した黒い突風は、雨を裂き、水面を喰い散らかして女剣士へと迫ります!

 斬撃と言う体でありながらも、それは面、いえ奥行きも考えれば立体としての斬り刃! 逃れる場所など何処にあるというのでしょうか!?

「ほっ」

 女剣士は微動だにしません。手も足も何の動きも見せずに風を斬ろうとします。

 だが、それは風にして風にはあらず! この男が創り出した破壊の狂意! そのアギトは剣士の肉を求めて荒れ狂います!

 交差する影と影、女剣士は風から逃れるべく、自らが斬った跡へと我が身を移動させます。風に亀裂が走り、不可視にして不可思議な女剣士の手によって、破壊の風は無意味な風へと変貌させられました——しかし、それこその男の手、新の狙いです!

「む?」

 黒き風は何も破壊だけの代物だけではありません。見えるのです。見えるが故に、それを隠れ蓑にして接敵するのがこの男が放つ真の意図!

 ‘逝けや!’

 手加減も躊躇いもありません。小手調などこの男には無用なものです。この男は相手が殺すに足る強さならば常に全力で行きます。相手の全力を破り勝つこそが勝利だと豪語していながら、敵の切り札をわざわざ味わおうと言う甘い考えはないのです。手の内を秘したまま死ぬのならば、それだけの相手だと言うこと!

 黒き突風と化した男の間合いに、女剣士が入り——ました!

 ‘ガァッ!?’

 再度、女剣士が放ったであろう飛び道具が黒騎士の接敵を阻みます。

 黒騎士と共に突撃した風達は、閃光すら残らない刃によって、またしても斬り裂かれてしまいました。

「生きておるかの? 心の臓を斬ったつもりじゃったがのぅ。次は断頭といくかぇ?」

 黒き鎧が濁った緑に染まっていきます。ノスフェリウムとエターナルグリーンによる再生は、そんなことでこの男に死を賜らないのです!

 吹き飛ばされたのも束の間、再生の完了すら待たず、流れる血をそのままに、この男は次なる手を打ち始めます!


 ‘嗚呼、ひもじきや憎らしやクアム エスリエンチ アニマム ツアム エト イラツス スム

 底なる飢えと湧き出でし炎、インデフィニタ エト ファメ ウィゼン ディフサ フラッマ此の血流を枯らし焦がさんとすスッセンシオニス、エト サングイス メウス ヴェレ アデュレレント


「ム——?」

 恩寵兵装の多重解放! まだ一合も打ち合ってすらいないのに全力の攻撃を出すつもりですか!?

 それは敵を認めるが故でしょうか、それとも己が劣っていると感じ取ったせいでしょうか。私の思惑など外に、戦局は序盤にして最高潮へと急激に高まります!


 ‘我が欲と怒り、クイド ミヒ エト イッリツム ファシエント全理を求め万物を壊すクピディタテ コッモチ ポスセレント ディスプタブント!!’


 人の身では叶えられぬ夢を成すのが恩寵兵装の解放であるのならば、多重解放とは何なのでしょうか? それは人外に至り始める領域です! それこそこの男の成そうとしている行為なのです!

 楽園を追放された人が持つ七つの罪を二つ、同時に具現化しようとしているのです!

 全人類の、過去、今、そして遥か終末の未来に至るまでの全てに存在する罪を狩り取らんとするバカバカしくも愚かで尊い神聖行為! それが強者との戦いを欲するこの男の手の中で、同時に発現するのです!

 収縮される聖なる暴風を前に、

 女剣士は未だ動かず。剣を抜かず、柄と鞘に手を置いたまま動きません。

 あれは『居合イアイ』、もしくは『抜刀術バットウジュツ』と称される構えです。片手斬りによる高速の斬撃を放つ、戦いの先の先もしくは後の先を取る剣技です。

 しかし、それが今のあの男に通じると思うのならば思い上がりも甚だしいと言わざるを得ません! 全ての罪人の咎を一身に背負う、御主へと捧げる神聖な行為を邪魔立てすることがいかような人にできると言うのでしょうか!!


 ‘此の罪は、<貪欲>ホック ペッカツム エスト アヴァリチア!!’


 黒騎士が駆けます。その具現せし罪は、欲——全てを欲す人の悲しき性! それにつられ、足まで使っている水場も体を打つ雨も、騎士の黒き甲冑に引きずられるように物理法則を無視して動きます!

 その先にあるのは——居合の構えで山の如き不動な姿の女剣士!

 振りかぶられた黒き刃が剣士に届くよりも早く、大きく揺れました。また斬られたと言うのですか!?

 ‘ガッーー! 甘ェ!’

 これこそが狙いなのです。<罪狩り>が信徒の中でも限られた者にしか与えられず扱えない理由はここにあります。

 七つの罪を自分この相手かのと言う二つの方向性を持って狩り取ろうとするのです。解放ができて一流と呼ばれる恩寵兵装ですが、この大鎌はその実、十四種類もの解放の種類があるのです。常人に扱えてしかるべきものでは決してないのです。

 そう、真に常識外れなのはこの男の精神力! この兵装を解放しようとするのは、人であるならば犯さざるを得ないあらゆる罪を背負わされ、かつそれを狩り取らねばならないのですから! 神経など保つはずもありません! しかし、それを保ってこその異端を殲滅すべき断罪執行官!

 貪欲の鎧は文字通り、全てを引き寄せ喰らい尽くします。それが水であれ、怪異であれ、不可視の飛ぶ剣撃であれ!!

「ぬ?」

 衝撃こそあるものの、黒騎士は止まりません! 全てを<罪狩り>に引き寄せ、次なる手として放つは最大にして最強、あの男が持つ動力源の解放の一撃!


 ‘そして此の罪は、<憤怒>エト ホック エスト ペッカティム イラエ!!’


 振り下ろされる一撃は、怒りそのもの! 大空を裂き、宙に浮かぶ水つぶてを蒸発させ、眼前の滝を消し飛ばし、その断崖に人ならざる巨人の手による破壊を打ち込みます!

「……何ト……」

 私は、その光景に胸打たれていました。

「流石に今のは肝が冷えたぞえ」

 かわされました。それだけではありません。

 ポシャンと、私の近くにこの男の首が、飛び、水沈します。

 まるで流れる水のように自然に、あの女剣士は<憤怒>による一撃から逃れると、その勢いで(私の理解できないことではあるのですが)、背後からこの男の頸部を宣言通り斬り飛ばしたのです。

 憤怒の一撃は角錐状による攻撃なれば、後ろに逃げるのではなく前に飛ぶが避けるための必要行動とは言え、素晴らしきはその体術と判断力!

「見事デス。アナタほどの使い手ハ、ワタシも初めてデス」

「それはそれは異国人よ、痛み入るのぅ」

「デスガ、アナタも初めてでショウ、この人と戦うノハ?」

 ‘おい、クソガキ。さっさと俺を体の方へ投げろや’

 そう、死んではいないのです。しかもどういう理屈でしょうか、言葉まで発しているではありませんか。

「珍しいのぅ。断頭でも死なぬ輩はひさしぶりじゃて」

 頭のない騎士の胴体と首、双方の切断面から、細い緑の枝が無数に伸びます。

 が、途中でバラバラと斬り落とされ、枝同士が結びつきません。

「ふーむ。ちょっかいを出すだけ無駄かのぅ」

 剣士がその剣撃を止めると、何時もの光景が蘇ります。首を断つだけならばこの島に来てからはルツェルブルグの女執事が先ですね。しかし、死なないのです、いえ死ねないのです。

 この男は決して認めようとはしませんが、全人類の罪を救済せんとする男が首がないぐらいでどうして立ち止まれましょうか!!

「今度はこちらが手を見せる番かの」

 全ての傷を無とする黒騎士の前に、女剣士は涼やかに言い放ちます。

 雨降る中、二人の騎士が向かい合います。

 あの男は動きません。相手の攻撃を味わいたいと言うのもあるでしょうが、対抗できそうな<傲慢>か<嫉妬>の解放する詠唱時間がありません。聖句を圧縮する手もありますが、それではこの剣士には通じないでしょう。正き手順を踏まなければ御主の兵たり得ることはできないのですから。

 女剣士がその構えを崩さぬまま、言います。


「虚捷居合、『乱れ牡丹みだれぼたん』——……散るが良いぞ」


 その言葉と共に、黒き騎士が後方に仰け反ります。

 ‘チィ!?’

 が、終わりません。元の体勢に戻る間もなく追撃の刃が訪れ続けます。

 血しぶきが舞い、黒騎士の鎧であり肉であったものが細かく切り刻まれて水面へ沈んでいきます。

 飛剣による攻撃の証左なのか、雨が弾け、水面が沸き立ちます。

 ‘あ、ガーーーッ、ガ’

 止まることのない連撃は、見えもせず聞こえもしませんが、ただただあの男の頭を、胴体を、手足を、切り裂いていきます。

 しかし、剣士は不動——何時でも抜ける『居合』の体勢から何一つ動いてはいないのです!

 なれば、

「これ坊主、そのを指一本でも動かせばこれがヌシの姿じゃ」

 見抜かれた。なるほど、これは確かに——

 ものの数分もしない内に、一方的な虐殺劇は終わりました。途中からもはや人の形を留めていなかった塊は散り散りの粉を撒き散らしながら、湖面へと沈みました。

「さて、主には聞きたいことがあるでの。こうなりたくなければ主らを手引きした者の名を言うて貰おうか」

 急に静かになりますと、自然の音が耳に残りますね。水音、雨の打つ音、滝の流れ——ですが、斬られたものが水場に沈む音があるものの、あの男が斬られる音はもとより、刃が空を斬る音すらしないとは。

 やはり、

「流石デス、オオトリさん」

 私は手を打って迎えたいのを我慢します。この手を動かせば私の首は間違いなく宙に飛ぶからです。死ぬことは怖くはありませんが、御主より授かりしこの任務、果たせずに終わらすことは許されておりません。

「お話の通り素晴らしい居合デス。デスガ、勝負は決してはおりませんヨ?」

「ほう?」

 水面が一瞬だけ膨らみ、割って現れるのは黒き兜、黒き鎧! それに身を包むのはこの男——ええ、これこそがこの男の真骨頂と言えるでしょう。

 ‘流石に痛えな’

 数分前と変わらない傷一つ無い黒騎士の姿が、水面より現れました。

「これはこれは。ここまで斬っても死なぬのは主が初めてじゃわい」

「カッ! そいつはどうも。ただ速ェだけだと思いきや、随分練り上げてんじゃねェか」

「ぬ? 日本語が喋れるのかえ? そちの坊主の片言でしか通じぬとばかり思っておったがの」

「あ"? 喋るも喋らねェも死合いには関係ねェだろ」

 水没した鎌を持ち上げ、黒騎士は剣士と相対します。

「時間をぶっ飛ばす抜きの剣か。一芸でここまで三位一体極めてんのはおめェが初だな」

「ほほほ、なれば初めて同士と言う訳か、初々しいのぅ」

 三位一体、それは御主の位格を表す言葉ですが、現代の恩寵戦では別の意味で用いられています。

 生まれ持った、鍛え上げた、そして扱う——これら三つを合わせ持つ戦士として調和された姿を御主になぞらえて三位一体と呼ぶのです。

 どれか一つが欠けてもいけません。私のように肉体を鍛えていない者や、東雲少年のように劣悪な恩寵しか持たない者は、強者の戦いの場に立つことすら許されないのです。

 彼女ならば、行けるかも知れません。

 話に聞いていた以上です。

 虚捷居合キョショウイアイ、それこそがこの女性の持つ恩寵にして磨き抜かれた技と言います。

 抜きの剣技とは、得てして二つに分けられます。抜いて斬り、別の構えに移行して斬るか、または刃を収めるか、です。

 皇国護鬼、そう呼ばれる彼女の力は知れ渡っています。高名であるとは、その力が広く知れ渡って言ることを意味します。即ち、対策を取ろうにも取れないからこそ、その名が知れ渡るとも言えるでしょう。

 彼女の力、それは、『抜いて斬り、収めるまでの間を零にする』、ただそれだけです。斬った結果を生じさせ、相手が斬死した過程を残すのです。そう、基定三律の時間を操り因果を動かす恩寵なのです。

 それに加えて彼女の斬撃は飛びます。少なくとも二キロメーロル先までは斬れると聞き及んでいます。

 彼女と対峙する者は、気づかぬ内に斬られています。それは物理的にも、時間的にも、因果的にもです。何せ彼女が抜いてから収めるまで間、世界の時の針は動きを止め、因果の法則は斬った事実のみを残すのですから。つまり、彼女が獲物を間合いに捉えるのと、その首の飛ぶのが同時なのです。

 目線が通れば、いや通らなくても、そこにいると彼女に認識された瞬間にこちらは首を断たれているのです。その間合いは二キロ以上となれば、どう対抗せよと言うのでしょう?

 目標までに障害物でもあれば話は別だと思っていましたが、あの男の鎧を粉微塵にできるのに何が障害となるのでしょうか?

 相手の力が分かっているのに有効策が立てられない——それこそが現代恩寵戦における強者と言えるのかも知れません。

「お話ガ、ありマス、オオトリさん」

 ですが、最後まで戦えば勝つのはあの男でしょう。

 彼女の甲冑の一部が、<憤怒>の一撃を避けた際に余波で欠けています。居合の技は恩寵によるものですが、あの回避は本人の修練のなせる技です。

「ほほ、妾も主らに聞きたい話があるぞえ?」

 鎧に傷をつけられたと言うことはダメージを与えたと言うことです。通常、人間は長時間戦い続けられるように設計されていません。七十二時間も睡眠をとらなければ、脳が休止を求めて夢と現実を混ぜ始めます。水や食事などの外部からのエネルギーを摂らなければ体内のそれは枯れてしまうでしょう。

 彼女の力は驚嘆すべきものですが、人間の枠の中に収まってしまっています。人ならざる鬼と呼ぶに値すべきかも知れませんが、人の形なのです。

 あの男は違います。何も食わず飲まずとも太陽の光からエネルギーを吸収し、数千度のマグマの中や、鉱石がひしゃげる深海であろうとも平気で行動します。そう、人間として戦う制約が無いのです。彼女は、人外の生物としてこの男が持つ強みには及ばないでしょう。

 ですが、

「ハイ、全てお答えシマス。私達はアナタと戦うために来たのではないデスから」

「ほう。その割にはそちらの坊主は殺る気満々じゃったぞ?」

「カッ、ほっとけや」

 今は彼女をこちら側へ引き込むことが先決です。

「この島に、八の数字ヲ持つ怪異が眠っているコト、ご存知デスネ?」

「ふむ……。陛下に甘言たらしこんだ宮中のイヌらはヌシらと通じておった訳か」

 話の早い人ですね。

 人を動かすのは理です。それは権力、金、物欲、名誉欲と言った汚いものから、正義、信義、友情と言った美徳まで、理によって紐解けます。

 彼女は皇国護鬼、即ち、この島ではなくこの国全体を見渡す視野を持っているはずなのです。

 理で動く者は、理によって動かされます。


「オオトリさん、アナタに私達の使命のお手伝いヲしてもらいタイのデス」


「ほほ、妾を寝返らせようとするとはのぅ」

 ‘カッ、しらけちまったな、クソガキが’

 事ここに至り、彼女がこちらの手助けをしない理は無いのです。

 滝の飛沫と雨の落ちる水面に立つ私達は、まだ当分この場を動けそうにありませんでした。


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