金曜日: 蠢き出す蛇達

朝: 鍔迫り合い [須佐政一郎]

 忙しい、嗚呼、忙しい。

 鳥上政庁の政務官と言う仕事は基本的に決まり切った仕事の繰り返しだ。

 日々の職務、武官と文官の軋轢の仲裁、弟である長官の下らない嫌味を聞き、緋呂金鍛冶宗家当主代行の皮肉たっぷりの自慢話を聞く。これに各部局や町内外の組合との会合を加え、月ごと、季節ごとの催し物を付け足せば私の仕事はほとんど完成だ。

 慣れてしまった今となっては仕事で得られる感傷などあまりない。なのに——

 忙しい、忙しいのだ。今まさに私は忙しさの極みの中にいる。

「弥生君、昨晩の戦闘報告を早く提出させるようせっついてくれ。巣が発見されたのは島東部から南東部にかけての森でとのことだが、過去に島の外で観測されたものと比較したい」

 政務室へ続く階段を登りながら後ろに従う彼女に指示を出す。

「はっ。ですが、昨晩対応した部隊の多くが祝勝会の二日酔いで今朝方業務の病欠を申し出ております」

 嗚呼、何故私の頭はこんなにも痛むのか。

「そこは水をかけるなり、高木翁に怒鳴って貰うなりできないかな? そうそう、沢庵先生だったか」

「大声で有名な学園の教師ですか?」

「そうだ。はぁはぁ、ゼィゼィ。その人に喝を入れて貰うようお願いするといい」

「お言葉ですが政務官、学園の教諭は中央の国家公務員ですので指揮系統が違います。協力要請書を出すとなると雑多で面倒な書類手続きが必要ですが……」

 ああ、どうしてこの女性はこうも細かいところまで気がついてしまうのか。

「二日酔いの連中は学園の卒業生だろう? 私も全ての作戦書にまだ目を通してないので断言できないが。卒業生の失態のせいで仕事が滞ってますと頼み込めばいけるだろう」

「承知しました。他に手段が無い場合に検討してみます」

「それと弥生君」

「はい?」

「少し休ませてくれ。目眩がしてきた」

 部下の前でゼイゼイと息を切らすのは大変みっともないが仕方がない。何時もの三倍以上の速度で階段を昇りながら彼女と会話しているのだ。

 つまり忙しい。肉体的にも精神的にも。

「はぁはぁ。ふぅ、行こうか」

「もう少し休まれては如何ですか? 顔色が先程から優れませんが……?」

「病欠申請してる連中を引っ張り起こすんだ。多少の無理は仕方ないさ」

 無理に笑おうとするが、やはりできない。

 できればこの会話を早急に打ち切り政務室の椅子に可及的速やかに座って休みたいのが、偽らざる私の本心だ。あの場所には私の平穏が存在する。

「須佐政務官……」

 弥生君、その尊敬の眼差しは止めてくれないか。

「報告書と言えば、伍係の国司隊のものでしたら——……ありました、こちらです」

 弥生君の差し出した書類を受け取り、ざっと目を通すと彼女へと戻す。<思い出す>私の恩寵のお陰でこれでもう忘れることはない。

「ふ〜む。相変わらず戦果は上げているようだね。だが学生の怪我人は頂けないな」

「東雲萌、ですか。もう一人の留学生の外国人は立派な戦力になっているようですが……。腹立たしいですね」

 おや、彼女が悪態をつくとは。

「日本と言う国において、外国から来た剣士に遅れをとってしまうとは」

「しょうがないさ。確か、東雲萌は参組に分類されてしまっている子だろう? ルツェルブルグのご令嬢をこの島まで護衛してきた子と比べるのはいささか酷だよ。それともあれかい? 弥生君は彼とは何か、」

「ありません。全く。一切。さっぱり。何もありません!」

 そう殊更強く否定されると肯定しているも同じなのだが黙っておくか。

 ついに政務室の扉の前に立つ。長かった。忙しくもあった。そして息切れはまだ収まっていない。

 私は懐から部屋の鍵を取り出し、

「政務官、言い忘れていましたが気になることが一つ」

 錠を外そうとするも既に扉は開いていた。

「何だい?」

 おかしいな。昨晩施錠したはずだ。いぶかしがるも扉を開ける。

「口頭報告の伝達なので不確かなのですが、連絡が取れなくなっている隊があるとのことで——……」

 彼女は言葉を止め、私が開けた扉の中を食い入るように見つめている。

「あ、あ、あ、」

「じゃまひておるひょ」

 目眩がした。私の机の上に鳳珠が腰をかけ饅頭を頬張っていた。

「鳳様……一体このようなところで何をなされておいでですか?」

 調べ物をしている最中だったのか、書類の束が机の上、そして床にまで所狭しと散らばっている。おお、机の上にある私の湯呑みから湯気がたっているではないか。

「みへわからふかへ? まんしうを——んぐぐ、ズズーッ……ふ〜む、食べておるのよ。ヌシらもいるかえ?」

「い、いえ、いりま、」

「は、はい! 是非!」

 その問いに弥生君が、私の前では一度も見せたことのない熱意をもってして全力で頷く。

「主はこしあんと言う顔をしておるの。ほれ」

「は、は、はい! 頂きます!」

 鳳珠から投げられた饅頭を弥生君は受け取ると、今度は彼女がむしゃむしゃと食べ始めてしまう。

 頭が痛くなってきた。

「どうやって中に入られたのですか? 一声かけて頂ければ鍵を開けておきましたのに」

「すまぬの。用があった故、こちらで勝手に開けさせて貰ったぞ」

 果たしてどう解錠したのか。後で用具係を呼んで確認しなければ。曲がりなりにもここは部外秘の書類が置いてある政務室なのだから。

 やれやれと心の中だけでため息をついていると、鳳珠は私に問いかける。

「この島の入出管理と島の人口を調べとっての。あんむ。んぐんぐ。ひいと合点かいかのふての」

 食べながら話さないで頂きたい。無論、話している最中に食べないでも頂きたい。

「そひは——!? んぐぐ、しし、失礼いたしました! それはどう言うことでしょうか!?」

 弥生君、君は早くそのお饅頭を全部食べてしまうことだ。

「数があわぬ。推定ひほうを入れても——ズズズズ、合致せぬ」

 暁珠は左手に持っていた書類をひょいと机の上に投げる。

「それは、神隠しでしょう。森や山に行って戻ってこなかったり、ある日ふっといなくなってしまう人が昔から少なくないのですよ。書類上は行方不明としていますが、政庁としては怪異に殺されてしまったものとしています」

「怪異か。ふむ、主らがヒトガタと呼んでおるものか。ふ〜む。お? ほれ、主や、見事な食べっぷりだのう。もう一ついるかえ?」

「は、はい! 是非!」

 弥生政務次官、まさかの饅頭二団目である。先程に負けぬ勢いで饅頭にかぶりついていく。

 餌付けと言う言葉が頭をよぎる。いや、まさかな。

「ヒトガタは夜間にしか活動しないのですが、ここ数日で活動が特に盛んになりましてね。襲撃者の件が片付いたと思ったら、てんやわんやの騒ぎですよ。私個人としては鳳様にもご協力頂きたいもので——……!?」

 私が話しているのに鳳珠はみょい〜んと饅頭を食べているではないか。緊張感の欠片も無い。

 よもやと思い弥生君を見てみると、彼女も鳳珠と同じくみょい〜んと饅頭を頬張っているではないか。

 痛い、キリキリと私の頭が痛む。

「そひょれはひょれとひてのぅ」

 鳳珠は手にしている饅頭を一飲みすると、湯呑みに口を傾けながら話し出す。

「その神隠しなのだがのぅ、毎年一人はのうなっておる上、遠呂智の一族が皆殺しにされた事件前後の数年とここ最近の数が妙に多いのじゃがのぅ。ズズズ。何ぞあるかえ?」

「そう仰られましても……。通常の手順通りの失踪者探索はしておりますし、そちらの報告書に調査経過は記載していますのでそれ以上のことは……」

「ふ〜む。嘘をつく男は好みではないが、嘘を平然と突き通す男には虫酸が走るのぅ」

「はて、一体何のことでしょうか?」

「ふぃ?」

 弥生君、君は饅頭を早く食べ終わりなさい。

「遠呂智の一件では当時の長官であった主の父親が責を取って腹切っておろうに。犯人も未だ分かっておらぬのだろう? すんなり遠呂智から緋呂金とやらに代替わりが成功したとも思えぬ。この島に怪異が増えだした近年は、緋呂金の坊主とやらが鎚を取っておるのだろう? しかも、遠呂智皆殺しの際に紛失した揃いの大小が島に戻ってきたのも数日前なれば、怪異が溢れ出したのも数日前からと申すか。何ぞ全て偶然で済ます気かのぅ、お主は?」

 彼女が一気に畳み掛ける。穏やかな口調と視線とは真逆に背筋に冷たいものが流れる。

「偶然が重なればそれは必然と申しますが、さて何回偶然が重なれば良いかは存じあげません」

 私の目の前にいる女性は皇国護鬼と呼ばれるこの国最強の武人のはずだ。私の持つ情報を思い返す——そうだった、この人の公権力横領者の取り締まり件数は突出していたな。

「灰色は何度重ねても黒にはならぬと申すか。黒の証がなければ人は人を裁けぬ故、困った困った」

 彼女の言葉は何処か私の首を狙う刃のように聞こえる。

 古式剣術の新陰流しんかげりゅうに『無形むぎょくくらい』と言う技があったのを思い出す。己が構えずして、相手が打ってきた際に生じる隙を打ち返す後の先の技だ。

 下手に答えればこの御仁は躊躇無く私の首を刎ねる、そんな予感が私の中で固まりつつある。

「ごっくん」

 私の心配をよそに弥生君が大きな音をたてて饅頭を飲み込む。

 食べ終わって欲しいと願ったりはしたが、今でなくてもよかろうに。

「ご協力したいのは山々なのですが、昔の資料を引っ張り起こして調べるとなりますといかんせん人手が足りません。如何でしょうか、鳳様が私達の業務を手伝って頂けるとなればその分の人手を鳳様の調査に回すことができますが」

「お、おほん。ゴ、ゴホン。ン、ンン」

 弥生君が目を泳がせながら不自然に咳払いをする。

 頬が桃色なのは恥ずかしいからなのか。素直に自分に調査を手伝わせて下さいと主張すれば良いだろうに。

「ほっほっほ。そんなもの、お主の頭を叩けばすぐ出るのではないかえ?」

 私の恩寵など把握済みか。

「私ももう歳ですので無理に思い出そうとすると記憶違いをしてしまうかもしれません」

 この御仁の思惑がはっきりしない以上こちらから出るのは下策か。

 遠呂智から緋呂金の鍛冶宗家代替わりの件は、中央に詳細は伝えていないが了承は取ってある。今更調査するとは思えないし、そんなことに皇国護鬼を派遣するのは無理があるはずだ。

「喰えぬのぅ。おっ、最後の一つか。ほれ、つぶあんだがいるかえ?」

「い、頂きます!」

 弥生君が三度お饅頭を食べ始める。

「長官と言えば、上のは主の弟であるかの?」

「ええ、残念ながら」

「どうやってあの部屋に入ったのじゃ? どう詰め込んでもあの大きさでは扉を通らぬぞ」

「アレは無理にあの部屋に押し込んだのではなく、部屋の中での暴飲暴食と不摂生を続けた結果あそこまで大きくなってしまったのですよ」

「厠や風呂はどうしておるのじゃ?」

「弟の近くでお見かけしたと思いますが、側女の彼女達が全ての世話をやってくれています。弟の体臭がきついので香を強く炊いていたり、床が抜け落ちないように補強したりと、頭が上がりません」

 その分給金は大変に高く払っているのではあるが。どちらにしろ弟には鳥上結界のためにあの部屋にいて貰う必要がある。それに下に出しゃばらないでいてくれる。こちらとしては願ったりだ。

「持たぬ兄が勤勉に働き、持つ弟が怠惰に暮らす、か。人生とは残酷なまでに不公平じゃの〜ぅ」

 挑発にしては安い文句だ。いや、私に何かをその反応を見るつもりか。残念ながらそこまで私の顔の皮は薄くはない。

「政務官殿! 本日の警備局との打ち合わせ——……あ、あ、あ……!?」

「なんにゃ——んグググ。ごっくん。何だ、最後まできちんと報告しないか?」

「あ、あ、あ、あ……鳳、珠……」

「ん? 妾に用かの?」

 放心状態のようだ。やれやれ、彼も弥生君と同じく鳳珠の応援者ファンか。

「しっかりしろ! 鳳様の御前で何たる醜態だ! 頭を冷やしてから出直してこい!」

「は、はは!」

 毅然とした弥生君の一喝に報告に来たはずの彼は走り去っていく。

 鳳珠から頂いたお饅頭を三団もこの上なく幸せそうな緩みきった表情でほむほむと食べていたのは何処の誰だったか。

「すみませんね、鳳様。部下のご無礼、お詫び申し上げます」

「何の何の、無礼があるのはこれからじゃろうに」

「は?」

「え?」

 意味を掴みかねる私達をよそに、鳳珠は机から降り、手についた饅頭の粉をパンパンと払う。

「おい、お前ら! あの鳳珠が今政務官室にいるぞ!」

 開け放たれた扉から、先程の彼の大声が聞こえてきた。

「おぉー!」

「勝負、勝負!」

「どけどけぇ! 俺達壱係が先だ!」

「何ぃ!?」

 階下から物騒な怒声が聞こえてくる。しかも段々とこちらに近づいてくるではないか。

 頭が痛くなってきた。

「ふ〜む。どうやら主との戦は次に持ち越しのようじゃの」

 私の中で唯一平穏を取り戻せるはずの政務室はどうやら皇国護鬼に挑む荒くれ者達で溢れる修羅場となってしまいそうだ。

 嗚呼、仕事がはかどらない。そして、

 頭が、痛い。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る