0001 もしかして、異世界?
「た、助けて……っ」
——西暦二三〇〇年。
百年程前から続いていた、大規模な戦争の連鎖に終止符が打たれて早三年の月日が経った。
「悪いな。お前らのことなんて恨んじゃいねぇっつーか、ぶっちゃけどうでもいいが、鏖殺しろとのご命令だ」
世界が人で溢れ返り始まった諸国交わる泥沼の戦争は、大日本帝国に国名を改めた日本の生み出した史上最悪の兵器によって二分されることとなる。
日本率いる列強同盟と、それと比べれば赤子程度の科学力しか持たない発展途上国に日本や各国に嫌われていた国、国際テロリスト集団が集まっただけの烏合の衆。
どちらが勝つかは明白で、事実、戦争はそれからすぐに終結し今に至るわけだが、百年燃え盛った炎は静かに人々の心の中に灯っていた。
植民地と化した国、もともと頭のイカれたやつらの集団である国際テロリストによる暴動、テロが後を絶たない。
「まあ、情けをかけてやる理由もねぇしな。勝てねぇ戦いに挑んだお前らの自業自得だ。蛮勇は身を滅ぼす。死ぬ覚悟もねぇやつが、自由を語れる時代じゃねぇ」
そんな自殺志願者たちを葬るのが今の俺の仕事である。
「じゃあな」
パァンと乾いた音が響く。
俺の愛用する、ニューナンブM60.38口径回転式拳銃から撃ち出された弾丸が正確に脳天を捉え、最後の一人の命を奪った。
「……軽いな」
脳内辞書には、人を殺すことの重大さ、命の重みや価値などに関係した名言が少なくない数インプットされているが、生まれてこの方、命に重さを感じた記憶がない。
体重の方がよっぽど身近に感じるくらいである。
もうこれ、命の重さ=体重、命の価値=総資産でいいんじゃないの、とか不謹慎なことを思わないでもない。
まあ、この言葉が不謹慎とか言われても、現代人にはいまいちピンとこないだろうが。
かくいう俺もあまりよく分からない。
人を殺すのが、人が死ぬのが、当たり前になってしまっている。
もちろん、人が死ぬなんてのは当たり前のことだが、人が死ぬのを目撃するのが当たり前なのはやっぱりどこかおかしいのかな、と考えることすらないのだ。
生まれてから今まで、戦争に浸ってきた。
多分、命の重さとか価値っていうのは、結局、自分の親しくしている人間にしか感じられないのだろう。
そういう定義で考えると、俺がその価値と重みを理解する日が来る可能性は限りなく低くなるわけだが、それはそれでいい。
誰が好んで親しい人間に死んで欲しいと思うのだろうか。
それがなければ分からないのであれば、俺は別に分からないままでいい。
「……にしても、本当にこんなに殺してよかったのか?」
高層ビルの屋上に逃げ込んだ最後の一人の死体を飛び越えて下を見下ろすと、夥しい数の死体が散らばっていた。
少し遠くを眺めれば炎も見える。
十中八九、爆発好きな同僚の仕業だろう。
確か情報では、十万人はいたはずだ。十万の死体。
こういう任務が最近多過ぎる。
上の話では、数百、数千万殺したところでなんの問題もない、とのことだったが、少々不安になってくる。
本当に大丈夫かよ、ちゃんと考えてる? と、聞きたいが、逆らったら面倒なことになるだけだと分かっているので、わざわざ聞いたりはしない。
そういえば、戦争の責任は国が負うんだったか。
だったらこれも全て日本が殺したってことでいいのか?
まあ、どうでもいいか。
と、片手で愛銃を弄りながらぼんやりしていると、隣に誰かが現れた。
「指定区間内生存反応なし、任務終了だね」
「ん、だな」
「なにその反応、薄っすいなぁ……」
「命の重さについて考えてた」
「うわー、似合わな!」
仰向けに倒れると、地獄絵図のような地上とは不釣り合いな澄み切った青空と、くすくすと笑う同僚の顔が瞳に映り込んでくる。
首が隠れるくらいの黒髪をハーフアップに纏めた彼女は、腰を曲げてぱっちりとした猫っぽい瞳で俺を見つめる。
動物に例えるなら、ブラックパンサーとかだろうか。
「フィーア……」
「ん? なにー?」
最近大人っぽくなりたいらしい(他の同僚からの情報)が、首を傾げた姿は、幼さの抜けない少女そのものである。
ブラックパンサーの子供……いや、もう黒猫でよくないかそれ。
「髪、焦げてんぞ」
眼前に垂れていた髪を軽く摘み、腕を伸ばしてフィーアに見せる。
と、フィーアは一瞬きょとんとした後に、目を見開いた。
「え? えっ、あっ! あぁーっ!」
近くで三角座りをし、自分の髪を摘んでしくしくと落胆しているフィーアを流し見つつ、俺は愛銃を空に向ける。
撃鉄を下ろし、
弾は見事にターゲットに直撃し、ターゲットは屋上に堕ちた。
死体の首根っこを掴み持ち上げる。
「……なにそれ、鷲? 食べるの?」
いつの間にか復活していたフィーアが隣からじろじろと見ながら訊いてきた。
「いや、食べねぇよ」
「え、食べないのに殺したの?」
「……食べないと殺しちゃいけねぇのか?」
思わず問い返すと、フィーアはうーんと唸り、しばらく眉間に皺を寄せて考えた後に悔しそうに答える。
「……分かんない。人を殺しても、食べるわけじゃないし」
と、そこまで言って、フィーアはなにかを思いついたのか、あっと可愛らしい声をあげた。
「なんの意味もなく、殺したのが、多分引っかかったのかも? ……よく分かんないけどさ、やっぱり、殺さなくてもいいのなら、殺さない方がいいんじゃないのかな」
「そういう、もんなのか……」
もしそうなら、絶対に殺さなければいけない命なんて、この世にどれほどあるのだろう。
今まで俺が殺したやつらの中に、絶対に殺さなければならないやつが何人いたのだろう。
「こんなに、軽いのに」
五キロと少しというところだ。
……殺さなくてもいいのなら、殺さない方がいい、か。
「じゃあ、食うか」
「え、食べるの……?」
「なんつー顔してんだよ……お前が言ったんだろうが」
「うー、まあ、そうだけど、ていうか、食べれるの?」
「知らん」
間髪入れずに答えると、フィーアはむっと頬を膨らませる。
「えーっ! アイン調べてよ!」
「なんで俺が……」
「私はそういうのインプットしてないの。アインはいろいろ入れてるでしょ?」
「はいはい……」
鷲か……。
鷲が食べられるのかどうか、そう考えただけで答えは脳内に浮かんできた。
「食べられることには食べられるが、鷲などの猛禽類は肉食だからまずい」
フィーアはあからさまに嫌そうな顔をして、
「食べるの……?」
「別にお前に食えなんて言いやしねぇよ」
俺自身、まずいと分かったものをわざわざ食う気はしない。
鷲を屋上に転がして火を放つ。
燃え盛る炎を見ながら、もう一度空を見上げた。
「帰りたくねぇなぁ」
自由になりたい。
誰かに命令されたことじゃなくて、自分のやりたいことをやりたい。
なんのしがらみもなく好き勝手に生きられたら、どれだけ楽しいだろう。
——世界は広いはずなのに、俺の見る世界はひどく窮屈だ。
「それでも、帰らなきゃだよ」
「分かってる」
誰だって、やりたいことをやって生きていきたいだろう。
だが、それが出来ないのが、生きるということなのだ。
だいたい、ここで逃げ出したところで、軍規に違反したとかなんとかで殺されるのがオチである。
死んだらなんの意味もない。
死ぬのは怖い。そう、怖いのだ。
俺には、死ぬ覚悟がない。
だから俺は、自由になれない。
「行くか」
「うん」
内蔵型物質転送装置を作動させ、俺の視界が一瞬闇に包まれる。
身体の感覚が戻ってきたときに俺の目の前にあるのは、日本軍基地の堅牢な扉のはずだった——
× × × ×
高層ビルから飛び降りたときと似たような浮遊感が身体を襲った。
まぶたを持ち上げて視界に飛び込んできたのは、遥か下にある大地と青い海。
「……は?」
高度一万メートルというところだろうか。
考えられるとすれば、転送装置の座標指定関係のシステムになんらかの不備があり、座標がズレたことくらいだが……それにしてはおかしい。
GPS機能もぶっ壊れているようで位置情報が分からないし、衛生地図の更新も途切れている。
数秒前の衛生地図と肉眼で捉えているこの景色を湾岸線や山岳をもとに照合すると、一致する場所はあるものの地図とは似ても似つかない。
たった数秒で地形が変化するか……?
焦土になっているだとか、爆発で地面が陥没しているとかならまだ分かる。
だが、これはその逆だ。
俺の知っているこの場所は——衛星地図に記されているこの場所は、こんなに緑豊かな場所じゃない。
列強連合所属国の基地があり、高層ビル群とアスファルトが地面を覆い隠し、幹線道路が運転手が困惑するぐらいに張り巡らされた現代都市だったはずなのだ。
それがどうだ。車一つ通っちゃいない。
戦闘機やヘリどころか、アスファルトだってありはしない。
あるのは、樹齢何年だと突っ込みたくなるレベルの高さの樹木が林立する森と、なんの開拓もされていない山、それらと比べれば整備されていると思える街道らしきもの。
それと遠くに城らしきものが見える。
「何時代だよ……」
中世ヨーロッパにタイムスリップでもしちまったのか?
タイムマシンやタイムリープ装置の開発はされている。
先日の定期整備でわけのわからない改造をされていたのかもしれない。
それとも、まさか、違う星にでも飛んでしまったのだろうか。
宇宙開発はそこまで進んでないが、生物のいそうな星を見つけるには至っている。
いや、それはないか。
転送装置は基本的に受信元に移動出来るように作られている。
誤作動で受信元と送信元の直線上のどこかに転送されてしまう可能性はないではないが、狙って他の星に転送することは出来ない。
だとすれば……と、そこまで考えたところで、遠方からなにか巨大なものが飛んでくるのが分かった。
ちなみに、俺は目を開けた時点で無重力空間発生装置を起動して宙に漂っている。
「なんだ、あれ……?」
各種センサーが察知した巨大な生体反応は、時速千キロを超える速さで近づいて来る。
あと二百二十四キロでマッハである。
こんな速度で飛ぶ生物を目撃するのは初めてだ。
ていうか、これ本当に生物か?
まあ、この生物らしきものも俺に言われたくないだろうが。
人間はマッハ五で空を飛ぶからな。
しかし、あれがなんであれ、このままここにいてはぶつかるのは必至だ。
避けられないことはないが、追尾されても面倒くさい。
「撃ち落とすか——【Lock-on】【No.Ⅱ】」
俺がバトルアーマーのヘルムを装着しながら呟くと、脳裏に声が響く。
『ターゲットをロックオンしました。第二主砲を起動。無重力間射撃による反動準備完了。並行して精密射撃システムを起動。射撃準備完了しました』
俺専用バトルアーマーの主砲の一つである荷電粒子砲がターゲットを狙う。
発射合図を出すために唇を動かそうとしたところで、ふとフィーアの言葉が浮かんできた。
——殺さなくてもいいなら、殺さない方がいいんじゃないかな。
「……ちっ」
思わず舌打ちする。
面倒だが、あれは今のところ殺さなくてもいいやつだ。
……とりあえず、避けるか。
推進装置を起動し、身体を軌道上からずらす。
巨大生物は数秒後に姿を現した。
「おいおい、まじかよ」
全長十メートルはある巨躯と、それに見合う巨大な翼。
見るからに硬そうな赤い鱗、一撃でも喰らえば重大な欠損を負いそうな鉤爪に獰猛な牙。
伝説、フィクションの中の王者——ドラゴンがそこにいた。
「うおー、かっけぇ……」
とりあえず、内蔵カメラで写真を——いや、待て待て、そうじゃないだろ。
ドラゴンてお前……フィクションの世界じゃあるまいし。写真は撮るけど。
急には止まれないのか、それとももともと俺に興味がないのかは分からないが、ドラゴンは俺の目の前を高速で通り過ぎる。
あの巨体でどうやって飛んでいるのだろうか。
金属反応はなかったが、まさか本当にドラゴンなわけねぇし……なにか特殊な動力炉を使ってるのか?
——ぞくり、と背筋が震えた。
思わず過ぎ去ったドラゴンの方へ目を向けると、ドラゴンは転回し、再び俺に向かって飛んできていた。
「……殺気、だよな?」
メカじゃないのか?
それとも俺と同じ……?
まさか、本当にドラゴン、なのか?
正体も原動力も生態系も不明だ。
なぜ俺に殺気を向けてきたのかも分からない。
だが——こいつがどうなっているのかなんて、そんなことは殺したあとでじっくり調べてやればいい。
「殺さなくてもいいなら、か……。やっぱ、俺には分からねぇよ、フィーア」
そもそも俺は、売られた喧嘩は買う主義だ。
「——【Fire】」
青白い光線が空を走った。
ヘルムを着けていて尚眩しいと感じる光量。
バトルアーマーを着ていなければ、輻射熱により肌が溶解していたことだろう。
溶解したところで、という感じではあるが。
……しかし、使うたびに思うが、この威力は反則だよなぁ。
発射後に見えたのは、全身が焦げて墜落していくドラゴンと、頂上付近が消し飛んだ山だった。
荷電粒子砲、プラズマ砲、レールガン、レーザー砲と四種類の主砲があるが、どれもこれもが正直引くレベルの威力である。
「つーか、頑丈だな……」
人間であれば、というより、地球に存在するほぼ全ての生物に共通して、直撃すれば骨も残らない破壊兵器、だったはずなのだが……。
どうしてかドラゴンは丸焼きになる程度で済んでいる。
まあ、その方が俺にとっては都合がいいのだが。
とりあえず、ドラゴンの墜落地点に着地する——つもりだったのだが。
「今度はなんだ……?」
ドラゴンの死骸になにかが群がっている。
狼に似ているが、狼は体長二メートルもあっただろうか。
というか、そもそも頭が二つある時点でおかしい。
ここにきてようやく、俺がどこに飛ばされたのか——飛んでしまったのか理解出来てきた。
「いや、まさか……な」
夢物語のような妄想を頭から弾き出そうと首を振り、もう一度よく見てみる。
と、ドラゴンの死骸を一心不乱に食い漁っている狼みたいななにか(何度見ても頭は二つだった)が、突如として伸びてきた樹の蔓に巻きつかれ、干からびた。
「おい……おいおいおい、なんだその栄養摂取、先鋭的過ぎんだろ」
ドン引きである。
わけのわからない食物連鎖を目撃してしまった。
「いや、もうこれ、答え一つしかねぇじゃん」
ドラゴンに、魔物としか形容出来ないような動物に、動物から直接栄養を搾り取る樹。
地球で見たことはある。物語の中で。
「……もしかして、異世界?」
こうして俺——人類が生み出した史上最悪な兵器の異世界生活が幕を開けたのだった。
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