《Bird side - 5》『ジュドー』

 ジュドージュドージュドー、受動。


 受動のみの日々がヴァンブランには続いていた。あの“魔法”の夜から一週間が過ぎようとしていた。


 声を奪われた翌日、ヴァンブランは昨夜の出来事が夢であってくれることを願いながら瞼を開いた。


──なんだ、夢だったのか……。

──夢でよかった!助かった!


 これまでだってそんな経験をしたことは何度もある。


──今回だってきっとそうさ。声を盗むだって?! おとぎ話じゃあるまいし、バカバカしい!


 だが、突きつけられた現実は彼のそんな淡い希望を無情にも裏切り、巨大な文鎮のように重くのしかかってくるものだった。ヴァンブランはがくりと項垂れる。“声”はやはり“魔法の織り”となり、もはや自分のものではなくなってしまったのだ。とはいえその時の彼はまだ楽観的だったのかもしれない。彼はまだ“声を失ったこと”をどこか〈はしか〉のように感じていたのだ。

『時が経てばそのうちもとに戻るさ』

 そんな緩んだ気持ちがどこかにあったのだ。その時はまだ──



 ▼▲▼▲▼▲



 愚かしいことをしてしまった時、真に恐ろしいのはそれが周りに知れ渡ってしまうことなのかもしれない。

「よおヴァンブラン。今夜は歌わないのかい?」

「メスにうつつを抜かして声を盗まれたっていうじゃないか?」

 そんな風に言ってくれればまだいい。むしろ耐えられないのは誰も“何も言ってこない”ことの方だ。そのくせ彼がいなくなると皆何やら声を潜めて囁き合っている気配を感じる。もちろんそれは自分の話題とは限らないのであるが、どうしてもヴァンブランの目には森中の動物が自分の悪口を言っているようにしか映らないのだ。


(可哀想に──)

(馬鹿なことしたなぁ、あいつ──)


 その腫れ物を扱うような憐れみが彼にはたまらなかった。今までさんざんチヤホヤされてきたヴァンブランにとってそんな扱いを受けるのは初めてのことだった。それでもそうやって話題にされているうちはまだよかったのかもしれない。日を追うごとに噂は沈着してきたが歌の歌えぬヴァンブランを相手にするものなど誰もおらず皆はやがて彼の存在すら忘れたようにそれぞれの生活へと戻っていった。


 ジュドー、ジュドー。


『声』を持たぬということは“説明”もできなければ“言い訳”すらできないということだった。同情を誘う言葉を投げかけることもできなければ“叫んで”発散することすらできない。ぽつりとこぼす愚痴や独り言さえ今の彼には許されてはいない。言葉のキャッチボールなどなく両腕を縛られたまま飛んできたボールが自分に当たるのを見ているだけの日々。まるで腹の中に料理を詰め込まれて焼かれる鳥の料理のように、わだかまりだけが胸中に蓄積されていく──そんな日々。


──これは“夢”なんかじゃない。現実なんだ。


 彼はようやく気づき始めていた。


──この生活は続いていくんだ。ずっと。俺が死ぬまで!


 そんなある日、彼はワガリが他の鳥たちに混ざっておしゃべりしている姿を見かけた。


──どうしてあの声はヤツのものであって俺のものではないんだ?


 それは皮肉なことに、かつてワガリがヴァンブランに対して思っていた感情と同じものだった。だからといって、そこに芽生えたものが“理解”であったかというとそれは否である。


 彼の心に唐突に燃え盛ったもの。それはガスの充満した部屋にマッチを投げ入れるような激しい“怒り”だった。ヴァンブランは翼を広げると恐ろしい形相でワガリに空中から襲いかかった。全体重をかけてワガリを地面に組み伏せると脚で蹴りつけ、爪で引っ掻き、くちばしで突いた。


「うわっ!」


──なんで俺だけがこんな目に合わなきゃいけない! “きさま”のせいだ、ワガリ! おまえがあの時もっと強く止めてさえいれば俺はこんな目に合わなくてすんだんだ! 憎い! 憎い! きさまが憎いっ!


 まったくもって支離滅裂な八つ当たりであるのだがヴァンブランのその凄まじい攻撃は殺意すら感じるものがあった。周りの鳥たちは一斉に仲裁に入る。彼があまりにも滅茶苦茶に暴れまわるため仲裁というより攻撃に近いかたちになってしまうのは止むを得なかった。やがて──場が落ち着く頃にはヴァンブランもワガリ同様にボロボロに傷ついていた。


「こいつ……狂ってる」

「気違いだ──」


 ワガリはヨロヨロと体を起こすと皆に押さえつけられているヴァンブランに視線を落とした。

「哀れだな……ヴァンブー。おまえは本当に哀れなヤツだよ……」

 そんなワガリの言葉はどんな攻撃よりもヴァンブランの胸を抉えぐるものだった。

「せっかく“特別”なものを持って生まれてきたのになんにも使いこなせないまま無くしちまうなんて」

──黙れ! おまえだってその恩恵を受けてたくせに。俺の“声”のおこぼれにあずかってたくせに!

 だが、そんな罵倒も当然声にはならない。

 ワガリの目にはただ口をパクパクさせているヴァンブランの姿が映っているだけだった。


「おまえが歌えなくなったとたんに皆が離れていったのが何よりの証拠さ。特別だったのは“おまえの声”だけさ、ヴァンブー。いいかい、決して“おまえ”が特別だったわけじゃないんだ」

 ワガリの言葉は刃物のようにヴァンブランの全身を切り裂いた。その刃があまりに鋭利すぎて、もはや痛みも感じなければ血も流れない。そんな気分だった。


「おいらが“何も得られない”って言ったよな? だったらおまえは何を得たっていうんだ? 見ろよ、今のおまえに何が残ってる? 所詮おまえが今まで得てきたものなんてそんなもんなんだよ!」


──うるさい! ワガリのくせに俺に説教するつもりか、黙れ、黙れ、黙れ!


 いつの間にかヴァンブランは自らの翼で顔を隠して震えていた。ワガリの声がまるで藁の蒲団をかぶったまま聞いている音楽のようにくぐもって聞こえてくる。その姿を見てワガリはなんともいたたまれない気持ちになったが一度飛び出してしまった言葉の勢いはとどまることをしらなかった。


「行こう、みんな。おいらはおまえなんか怖くもないしもう言いなりにもならないぞ。おまえは全て使い果たしてしまったんだよ! ヴァンブラン!」


 ワガリがそう言い放つと同時に数十羽の鳥たちが一斉に飛び立つ音が聞こえ、やがて静かになった。


 ヴァンブランはもうなにもかもがどうでもよくなっていた。このままどこか誰も知らないところまで飛んでいってしまいたかった。だが、いったいどこへ行けというのか? ──ヴァンブランはあの白髪はくはつの魔法使いの顔を思い浮かべる。


──悔しい…… 悔しい! 声を奪ったのならどうしてこの翼も一緒に奪っていってくれなかった……!


 そんな呪いの言葉を反芻しながらもヴァンブランは“一羽くらいは誰かこの場に残っていて自分を慰めてくれるのではないだろうか”と微かな期待をかけていた。


 だが、そんなことは起こるはずもなかった。

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