「よっぱらい嫁、無茶振りをする」
うちの嫁さんは、日曜日になると猫になる。平日はインターネット回線などの通信事業を主とした企業に、営業職で勤めている。
まっとうな社会人である。俺も会社勤めをしていた経験があり、週末に酒の席で交わされる苦労話には、ちょっと辟易した覚えもあったりする。
たまに飲むお酒は、楽しく飲みたい。
実にそう思うことが多かった。結果的に一人酒が好みになった。できれば静かに、黙って飲める相方がいれば尚よろしい。
「そこの旦那さん、私を笑わせてみなしゃい!」
「……嫁さん、もう日付も変わったし寝ようよ」
「らめれしゅ!」
最近になってまた、そう思うことが増えていた。たとえば平日。ものすごく不機嫌そうに帰ってきた嫁さんが、夕飯を食べて愚痴をこぼしても、まだ腹の虫が収まらない場合があったりする。
「お酒! こういう時は、お酒を飲まないといけませんっ!」
あー、きたかー……こういう手合いは最初の一回を付き合うと、その後も同じように吹っかけてくるのだ。
仮に職場の人間なら「今日はちょっと……」と言って断ることもできるわけだが、宴会場が自宅で、相手が身内の場合はどうすれば良いのか、詳しい人がいらしたら教えて頂きたい。
「だいたいですね! うちのじょーしはいけないんですよ!」
「そうだね、嫁さんは悪くないよ」
「きいてます!?」
「聞いてますよ。貴女様の上司は何がいけないんですか?」
「アイツはですね、私を人間だと思ってないんですー!」
「……」
嫁さん、アンタ妖怪じゃなかったっけ?
「もぉ許しません! わたしは〝しゃちくぅ〟扱いなんですよ!」
「……」
猫の手も借りたいっていうよね。
「だんなさん、なにかんがえてますか」
「何も考えてないっす」
深夜遅くまで、近くのコンビニで買ってきた安いワインを飲んでいた。
「ほれ、そこな人間の夫よ。一発芸をせよ。奥様を笑わせよ。はよ」
人間でない〝しゃちくぅ〟な酔っ払いは、カシューナッツを摘まみながら、謎の雅風キャラクターになりきって「ほほほ」と口元に手を添えて一発芸を要求する。時代考証は完全に謎だ。
「駄洒落でも、ギャグでも、なんでもいいっしゅよ!」
「いいっしゅか」
「くるしゅーないっしゅ!」
「シャレ?」
「ハイセンスであろう!」
「奥様、すばら」
俺もだいぶ酔ってきた。
「さぁさぁさぁ! 上司のパワハラで怒りシントーの奥様を、見事、腹の底より笑わせることが出来たなら!!」
「出来たなら、どうするのですか奥様は」
「ねまっしゅ」
……明日も平日だしな。土日は遠い。
「今度の土曜日、外に焼肉でも食べにいくか?」
「えへー。旦那さんの奢りですよね~」
「はい寝ろ」
「今のナシで」
「なんでだよ。笑ったじゃん」
「だーめーでーすー! そういう笑いじゃないの! 奥さんが求めてるのは吉本なの! お笑いなの! シンキゲキ! ドゥユー・アンダスタン!?」
「…………」
すげぇ腹立ったわ、なに今のムカツク。これが嫁でなかったら頭を叩いているところだ。嫁でも叩いて良かろうか?
「悪いんだけどさ……人を笑わせるとか、俺がそういうの苦手なのは知ってるだろ。嫁さんが一番知ってるだろ」
「二回言うほど大事なことですかっ」
「大事なことです。俺にお笑いのセンスはありませんよ」
「いいじゃないですかー。知ってるからこそ見てみたいー。旦那さんのちょっといーとこ、見てみたいー」
一人で音頭を取りはじめた。そろそろ付き合いきれないわ。
俺もべつに明日、ヒマじゃないんだし。
「……じゃあ、面白い話をネットで調べてみるか」
「ぷっ」
「ん?」
「今のノーカンで。うふふふふ。私の旦那さんはまーじめーだにゃー」
「嫁さん……俺にも我慢の限度というのがあるんだぞ。よろしくな?」
「旦那さんは私を怒らないっ」
「その根拠のない自信を粉々にしてやりたいよ……」
べつに笑わせるつもりは無かったのに、酔っ払いが口元に手をあてて、うふうふ笑っていた。そろそろ寝てくれねぇかな、本当に。
「いいでしょう。奥様は寛容ですからね。さささ、スマホでも使って、おもしろい話でも、笑える話でも検索すれば良いですよ。人類の英知を使ってこの私を笑わせてみなさい! 心の底から! 元気がでたので明日も会社いきます。そう言えるほどに! さぁ!」
謎のテンションでガタッと席から立ち上がり、なんか糾弾するように訴えてくる。めんどい。
「じゃあ白状するよ」
「はい? 白状ですか?」
「俺、実は浮気してるんだ」
「………………?」
赤ら顔の酔っぱらいが、人差し指を向けて立ち上がったまま、固まっていた。その視線から目をそらして、淡々とスマホを操作する。
「俺は昔から、表面上は取り繕うのが上手くて、それなりに順風満帆に生きてたんだけど、ある日しんどくなって、一度に背負っていたなにもかも、全部清算した。新しい環境で、一人の女性と出会って、その人ともう一度、人生をやり直すことにしたんだよ」
「あ、それ、私のことですよね?」
「うぬぼれんな」
「ふぇ……」
安いワインだからか、巡るのが早い。
付き合いでそれなりに飲んだ分、こっちも口が軽くなってた。じんわり涙目になった嫁さんに伝える。
「嘘だよ。冗談、でもあんまりこういう事に付き合わせるならー」
「ころっしゅ」
「え」
「きさまを、ころっしゅ……」
次の瞬間、酔っぱらった嫁さんが襲い掛かってきた。
事実上のパワハラであった。と思ったら今度は泣きだした
「ううぅ~! ごめんなさい、お酒よりも旦那さんが好きです~!」
「それ以下になったら別れるぞ……」
さすがにそこまで、俺も人間できてない。
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