新規の追加分(秋・冬)

第二次・夫婦協定



 うちの嫁さんは、日曜日は猫になる。

 比喩でなく、成人した女性から、尾が二股にわかれた黒猫に変わるのだ。

 彼女は猫又と呼ばれる妖怪だ。平素は人間社会に混じって働くが、日曜は猫の姿になり、のんびりと過ごしている。


 夫である俺は、フリーのイラストレーターをやっている。

 これといった休みの日は無い。だいたい毎日、自宅の仕事場にある机に座り、デジタルの絵を描き続けていた。


(よーし。あと1時間もすれば上がるかな)


 今は夕方の5時だ。日曜は朝の7時には目を覚まし、8時過にはこの席に着く。イラスト用のソフトを開いて、ひたすら仕事用の絵を描き続ける。


 日曜は仕事をする日だ。防音加工した部屋に閉じこもり、カリカリになるまで焼いたトースターと、ブラックコーヒーの一杯を除いて、胃には何も入れない。


 仕事中は誰の顔も見たくないし、声も聴きたくなかった。

 ひたすら自分の作業に没頭したかった。そういう生き方が性に合っているのだと知った時、誰かと一緒になるのをあきらめた。一人で生きていこうと決めた。けれど、


『じゃあ、一緒ですね。私も日曜は絶対に姿を見られず、触れられず、気ままに過ごしていたいので』


 縁というのは意外とあるものだ。基本的に日曜は不干渉という協定を結び、俺は彼女は一緒になった。世間から見れば「どうなんだそれ?」と言われるかもしれないが、これが正しい在り方だと思う人には、そう思わせておけばいいだけの話だ。


 ただ、最近は


『ズルイー、旦那さんずるいー、お嫁さんが一人、座布団と毛布で健気に暖を取ってるというのに、自分は冷暖房完備の仕事部屋で、文明の利器の恩恵預かって、ずーるーいーとーおーもーうーんーでーすーけーどー?』


 嫁の方がゴネている。遠慮が無くなってきた。お腹のふくよかさがやや増しつつも、慎ましさとか、そういうのがだいぶ減ってきた。そうして夫婦協定は、現在やや改定を与儀なくされていた。


「……よぉぉぉおし、アップ終わったぞぉおお……」


 指定されたカラーイラストを完成。時間は予定通りに6時過ぎ。


「っあぁ~、肩っ、肩と腰がいってぇええええ~!」


 意識が戻ってくると、もうマジで肩がべっきべき鳴る。腰もやばい。目がシパシパする。側にあった目薬をさした。後で湿布も貼らなくては。


「うあああー、しんどー、腹へったー」


 脳みそに糖分が足りてない。使いきった。作り置きのシチュ―を温めて、さっさと食って風呂入って寝てしまおう。そう思って振り返ったら、


「ふみゃ~、すぅ~、ふみゃぁ~……むふ~……」


 嫁が幸せそうに寝ていた。フローリングの床の上に、布をしいた、そこそこの大きさのバスケットにすっぽりと埋まっている。本日も猫用の扉を抜けて入ってきたらしい。俺はこの領域を、心の中で『パーキングエリア(嫁専用)』と呼んでいた。


 仕事中は、冷暖房完備の仕事部屋に、旦那のジャマをしなければ入ってよし、という条件をもとに侵入を許された彼女の聖域である。利用目的は主に昼寝だ。


 普段から聡明で、慎ましく、慈愛に満ち、旦那のことをなによりも考えているから日曜ぐらいは快適な環境でゆっくり寝たい。そう言ってはばからない彼女は、幸せそうにあお向けで寝ていた。まるで人間のようだ。


「とりあえず、起こす前に写真を撮っておくか」

「うにゃうにゃ……」


 嫁さんは、写真を撮られるのが嫌いだ。正確には猫あつかいされるのを嫌っている。日曜に写真を撮ると怒りだすのだが、


「フッ……バカな奴め……」

 

 自ら音を立てずに侵入することで、この防音空間でぐっすり安眠をむさぼると、旦那の俺に寝顔を激写されることなる。そのようなことをまったく考えていないのだから、笑う他にないぜ。ふはははは。


 さっそくスマホを取りだして、嫁の写真を撮りまくってやった。夫婦の協定というのは、かくもはかないものである。





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