「人間と猫の境界線」
うちの嫁さんは、日曜日は猫になる。彼女が猫又である事は秘密だった。
平日の昼間。とりたてて切羽つまった仕事がない時は、自分のブログを更新することにしている。
「えーと〝嫁帳〟は……と」
ブログのキャラクターは、二足歩行する黒猫と服を着たマグロ頭が、面白おかしな日常を過ごすという、フルカラーの4コママンガ(のつもり)だった。
それからこれはささやかな秘密だが、スケジュール帳とはべつに、うちの嫁さんの数々の奇行を記した――可愛らしい奥様のありふれた姿のまとめを『嫁帳』と呼んでいた。
主にブログを更新する時のネタを書き留めているわけだが、最終的には本人のチェックが入るので、すべてを公開するわけにもいかない。そんなわけで、これぐらいなら機嫌を損ねずに通るかな。と思われるものを探していく。
「あ、そうそう。そういえばこんなこともあったなぁ」
○が×日、晴れ。
・仕事場から出てくると、嫁さんが本棚の隙間で熟睡していた。
何故そこで寝る。しかも仰向けで。せっかくなので写メを撮る。愛い。
懐かしい。後でどうしてあんな所で寝てたのかと尋ねると「野性の本能が隙間を求めて疼いたので……」と、中学二年生の様な事を言って誤魔化していた。
「よし。これなら4コマにしやすいな、描くか」
ある意味で身内の恥みたいなあものと言えるのだが、そういうのは結構面白がってもらえる様だ。
だからブログの絵もあまり力を入れない。キャラクターは極端にデフォルメして、色塗りもほぼ原色だけで済ませる。テンプレのフォーマットとして自作したコマ割りの中に、下書きもせずに一発描きだ。
「よしできた」
作成時間は二十分弱。あとで嫁さんのチェックが入るので、ひとまず非公開のフォルダに入れて保存して――
「……ん?」
なにか違和感を感じた。なんだろうと首を傾げて考えて、すぐに気がついた。
「あっ、そっか。ダメだこのネタ、使えない」
考えてみたら、本棚の隙間で寝るなんて、一般的には『ただの猫』にしかできない。嫁さんが猫又であることは絶対の秘密だ。いくらブログの嫁さんが二足歩行をする猫として描かれていても、猫にしか実行できないネタはアウトだ。
「いかんいかん、こんな物を提出したらまた怒られる」
ボツ。
あくまでも、ただの人間の奇行ではなくてはならない。とはいえ削除するのはしのびないので、予備のUSBメモリのフォルダに突っ込んだ。『嫁ネタ、ボツ集』と名付けたその中には既に数ギガバイトの画像データが沈んでいるのだった。
「まだ買い物いくまで余裕あるな。えーと、嫁さんの正体がバレずに笑ってもらえるネタはあるかなー……」
ふたたび『嫁帳』を開く。今度もやはりというか、なんというか、また変なところで眠ってたというネタを発見した。
○が△日、くもり。
・仕事場から出てくると、嫁さんの姿が見当たらなかった。
あせって家中を探しまわると、二階の押入れの中で眠っていた。
ツイッターで「おしいれラブ」と意味不明な発言をしていた。はた迷惑な。
「よし。これならいけるはずだ。押入れなら人間でも入れるしな」
ペンタブを掴み、線を引こうとしたところで思い留まる。
「待てよ。これって本当に……世間一般でいうところの、ニンゲン的な行動の……範疇だよな? 俺の感覚、間違ってないよな?」
もはや線引きが怪しい。
『日曜日は猫になる』という最大の奇行が、もはや『ただの常識』として処理されているが故に、一体なにが、どこまでが『ただのヘンな嫁』の行動であり、そしてどこまでが『猫じゃないとできないこと』なのか、かなり怪しい。
「――いやいや、落ち着けよ俺。いくらなんでも、そんな単純なことが分からないはずないだろ。考えをまとめてみよう……」
・押入れに入って眠るのは、ニンゲン的に可能である。
・押入れのような狭い隙間でゴロゴロするのを、猫は好むらしい。
・一般的な猫は、押入れに入ってスマホを操作する?
・一般的な猫は、たぶんツイッターをしない。
・猫又は、旦那のアカウントをのっとり、人に化けてツイートする。
だが一般的な猫はそんなことをしない。しかし猫は押入れが好きだ。押入れに入ってスマホぐらい使うかもしれない。
「……ヤバイ。よくわからなくなってきたぞ……これ、ブログのネタにして大丈夫なやつなのか……?」
うーん。
「でもまぁ、どうせ後で嫁さんのチェックが入るし、いいだろ」
とりあえず4コマを描いて、非公開のフォルダの中に突っ込んどいた。外を見るとすっかり西日が沈む時間になっていて、あわてて買い物に出る。『嫁帳』には走り書きでこう記した。
○月▼日。くもり。
・知らぬ間に化かされいるのだと実感した。妖怪こわい。
そして肝心の4コマネタは、
「旦那さん、ボツです」
また1ページ、誰にも知れぬ闇の中へと沈んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます