おばあちゃんの知恵袋=ありふれた人生経験。

 

 私のおばあちゃんは、生粋の猫又だ。

 物語に出てくるような魔法じみた力を使える。その中には、ひみつ道具のように便利な力もあったけど、本人の意志とは無縁に発動するものもあった。

「私はね。そこにいるだけで、ヒトに富をもたらすんだよ」

 招き猫。という置物があるだろう。私はねぇ、まさにそれなんだ。

 おばあちゃんは、あまり自分のことを語らない。

 週末にやってくる使用人を除き、私たちは二人きり、人気のない山間の僻地。古びた大きな家の中。とてもゆったりとした、時間が止まった様な場所で静かに暮らしていた。

「でもおまえには力がない。ただ、ヒトと猫の間を彷徨うだけだ」

 お婆ちゃんは繰り返し、私に言った。

「なにももたない、望まない、ただの猫として生きるのが、平和で良いと思うけどね。おまえも縁側で日向ぼっこするのは好きだろう?」

 その時の顔は、寂しそうで、すまなそうで。

 私も心の中ではそうだと思う反面、むず痒くて、耐えられない気持ちが押し寄せた。それを突き詰めていくとたぶん「私がニンゲンを選んだら幸せにはなれないよ」という、遠回しな忠告を感じ取ったからだと思う。


 ――幸せになれるかどうか、決めるのは、私でしょ。


 反感があった。子供らしい「やってみなくちゃわからないでしょ!」という気持ち。でも同時に、ずっとまとわりついている、ほの暗い感情もあった。


 ――おばあちゃんは正しいよ。だって、私の両親は、私を捨てたのだから。


 正しいヒトじゃなかったから。形が定まらず、いつも〝ふあんてい〟だったから。


 ――一体、どちらが正しいの?


 もし、この世界のどこかに、私を受け入れてくれるヒトがいたとしても。そのヒトもきっと、どちらか一方だけを望むだろう。それに私の心が応えられる自信はなかったけれど、

「嫁さん、朝だよ」

 一人いた。両方の私を必要としてくれるヒトがいた。


 * * *


 私は朝起きるのが苦手だ。嫌いなものを一つだけあげなさいと言われたら、まっさきに目覚まし時計の名前が浮かぶ。

 ヒトとして生きることを決めた日。私の身体と心は、少しずつ〝安定〟しはじめた。

 それまでは一週間のうち、半分以上の時間を猫として過ごしていたけれど、次第にヒトの形でいることの方が多くなった。

 時々、猫の姿に変わった時、世界のなにもかもが巨大に映り、毛皮だけの姿を自覚すると、むしょうに恥ずかしくなって、ベッドに潜り直したこともある。

 道を決めてからは、ヒトの世界で生きてきた。ヒトの時間を流れてきた。けれど、朝に目を覚ますのがツライのはいつまでも変わらず、やっぱり猫のままの方が良かったなぁ。と後悔することも多い。

「――嫁さん、朝だよ」

 だけど今の目覚まし時計は、これまでのジンセイの中でも、とびぬけて素敵だった。リンリン耳をつんざく音もなければ「いつまで寝てるの、そんなんじゃ嫁にいけないよ」と面倒なお小言を口にすることもない。

「嫁さん、起きてくれ。朝だ」

 そのヒトは私とは真逆だ。自分の中で、とても正確な時を刻み続けている。

 焦らず、頑固で、辛抱強い。ただゆっくりと、こっちの肩を揺らすだけ。静かな森の囀りのようなやさしい声で、同じ言葉をかけ続けてくれる。だからか、時々いじわるしたくなる。

「嫁さん? どうした、起きてくれ」

「…………」

 子供みたいに、眠った振りを続けるとどうなるか。試したりしてみたくなる。

「起きないと、しっぽ触るぞ」

「っ!」

 忘れていた。今日は日曜だった。二股のしっぽに伸びた手を、肉球ぱんちで払い退ける。

「痛っ」

 しっぽはダメ。ダメったら、ダメ。ニンゲンの裸は何度もさらしているし、あんなことや、こんなことをする日もあるけれど、しっぽだけは、ダメなんです。

「にゃあにゃあ!」

 ぴしぴし、叩き続ける。私の旦那さんは、さすがに煩わしそうな顔をした。

「……嫁さん、朝食抜きな」

「ふにゃあ!?」

 しまった。静かに、本気で怒らせてしまった。


 * * *


 旦那さんの実家はケーキ屋さんをやっている。お義父さんと、お義母さんは、とても美味しいケーキを作って、贈ってくれる。私たちの結婚式のウエディングケーキも、二人が担当してくれた。お義父さんは号泣していた。なのに、私の旦那さんと来たら「ケーキは食べ飽きたよ」なんて言うのである。非常に贅沢な人だ。

 そんな旦那さんは、日曜日の朝、決まってホットケーキを焼く。

「嫁さん、できたよ」

 彼が初めて覚えた料理が、ホットケーキだったそうだ。実家のアルバムには、四歳でエプロンをつけた旦那さんを撮った写真がある。

 台座に乗って、大きなヘラを操り、ホットケーキをひっくり返そうと悪戦苦闘したり、初めて作ったホットケーキをお皿に乗せて、満面の笑顔でピースしている超可愛い男の子がいる。


「……うん、うん……」

 日曜日の朝ごはん。なにも付けていない、プレーンなホットケーキを口にしながら、彼は誰ともなく小言を呟いたり、頷いたりを繰りかえす。

 その側で私もまた、朝はダイエット用の安いキャットフードを食べながら「始まったか」と思いながら、彼の様子を観察する。

「……よし。あぁ、いいぞ……うん。そうだ……もう少し奥行きを出して……」

 正直、初めて見た時は、ちょっとひいた。うん。ちょっと。すごくちょっとだけね。

「悪くない。よぉし、悪くないぞ。それでいこう……」

 フフ。ハハハ、アハハハハ……。旦那さんの表情に色濃い笑みが浮く。

 私はこれを『朝の暗黒微笑タイム』と呼んでいるのだけど、絵描きさん、あるいは、漫画とか小説とかのクリエイターと呼ばれるヒトは、みんなこういう一面があるのだろうか。

 あんまり知りたくないので、深入りはしない。

「ククッ、ごちそうさまでした」

 旦那さんがしっかり両手を合わせて席を立つ。それから、自分と私のお皿を持って、流しに運んだ。その後、彼は私を一撫でして仕事部屋に入っていく。そこは、奥さんの私ですら立ち入れない場所だ。

「――にゃあ」

 この家の居間は、よく陽が入る。今日は良いお天気で、きっと雨は降らない。私はPCタブレットの前に座り、いつものようにタブを開いていく。平日にデジカメで撮った写真をネットにあげる。ニンゲンの目で見て、手で触れて、記憶した欠片を知ってほしくて、私はそっちの姿


 * * *


 私の家にはアルバムがなく、一枚の写真もない。お婆ちゃんが、そういう物を嫌うからだ。

「むかし、ヒトと暮らしていた頃の記憶はね。もう何処にも残しておきたくないんだよ」

 その言葉に、どんな意味が込められているかは知れない。

 ただ、百年以上の〝人生〟を生き延びる間に、幾人もの男性と恋をしたのは確かだ。相手の男性はみんな、富を持って幸福になった。だけどその男たちは全員、様々な形で亡くなった。

「寿命で、病気で、戦争で。中には呪い殺してやろうか。なんて思ったのもいたっけねぇ」

 最後のは冗談だよ。とお婆ちゃんは言ったけど、真相はやっぱり知れない。

 ただ、そういった恋愛を含めた人生を繰り返して、お婆ちゃんは最終的に世俗を断った。

「永く生き過ぎたせいでね。もう猫の姿には戻れず、ヒトの姿で安定してしまったんだよ」

「あんてい?」

「それが、私に相応しい生き方ということだね。おまえは、まだまだ不安定だ」

「どうしたら〝あんてい〟するの?」

「さぁねぇ。それはおまえ自身が求め、決めることだ。ただ、ヒトとして安定することは、無理だろうね」

「どうして?」

「向いてないのさ。毎日、大勢のニンゲンと暮らしてお喋りするよりも、そっと、静かに息を潜めている方が落ち着くだろう?」

「わかんない。けど、学校はあんまり好きじゃない……」

「ふっふ。そうだろう。おまえには猫の方が合ってるさね。ほら、食事にするよ」

 お婆ちゃんには、不思議な力があった。その中には、未来が見える予知もあった。

 大きいものから、小さなものまで。深く広く見渡せる瞳には、この国のえらいヒトたちが、今も密かに頼っていた。そのヒトたちはそれを、占い、あるいは予言と呼んでいた。

 予言を行う条件は、日曜日。この古い屋敷に直接、単独で来ること。面会は簾越しに行われ、お互いの顔は確認しないこと。返事はその場で行わず、後から謎かけのような書簡のみで返された。

「その広間は、けっして覗いてはいけないよ。もし約束を違えば不幸が起きるからね」

 どこまで本気かは、お婆ちゃんにしか知れてない。

 ただ、訪れるヒトたちは信じていた。大人たちは、誰もが不安げに、心細そうに、右往左往しながら、肩を縮こませてやってくる。私は猫の姿になって、物陰からそんな様子を窺ったりしていた。お婆ちゃんにはもちろんお見通しだった。

「さて。おまえは人間になりたいかい?」

 お婆ちゃんはいつも、広く深く、静かに、私に問いかけた。


 * * *


 私的なことを言えば、旦那さんとのいちゃいちゃラブラブツーショットを、ネットに投稿しまくりたい。けど旦那さんは「絶対にダメだ」と怒るので控えている。

 代わりに、平日の通勤途中に撮った写真や、旦那さんの実家から送られてきた美味しいケーキやお菓子をアップしている。

 反応がくるのは嬉しい。旦那さんも普段は「描いた絵は、受け手に渡った時点で俺のものじゃないから」と言うのだけど、良い反応があれば、やっぱり顔をほころばせる。

 私は、そういうのが好きだ。

 カタチとして残る、記憶の連なりが嬉しい。

 ニンゲンはやっぱり面倒だなと思う時があるけれど、ありのまま自然で生きる猫には、けっして見出せない喜びがある。――でも、もちろんその逆もあるのだ。


「喜びが大きければ、大きいほど。失った時は不幸になるよ」


 お婆ちゃんは言った。


「お日様を浴びて、時には雨に打たれる。それだけで、本当はとても幸せなことなんだよ。でもニンゲンは忘れてしまうんだよ。どうしてもね」


 猫になった私を膝に乗せ、背中を撫でながら語ってくれた。確かに私はそれだけで幸せだった。猫として生きる可能性も存在した。でも、


『うちの嫁さんは可愛いなぁ。深夜のアニメ枠で放送とかしないかなぁ』


 ただの猫、吾輩にはツイートという高度な芸はできないのである。ぽかぽかお陽さまのあたる部屋で、こたつ机の上をタオルケットを被って優雅にゴロゴロしつつ、タイムラインを流れるおもしろ画像を見れないし、写真のアップロードもできない。

『撮った写真いつも楽しみにしてます。何気ない日常に風情が感じられますね。流石です』

 吾輩は、ゴロゴロしてるだけでも、誰からも称賛されない。

 いいよ~。もっと褒めて褒めて~。

 旦那さんは、ぜんぜん、その辺りの事情がわかってにゃい。お嫁さんを蔑ろにして、仕事に明け暮れるひどいヒトなのである。

『美しい、完璧な、この世に二人といない嫁さんの御姿をぜひ、拝見したく候』

『嫁うp希望』

 えへへへへ。照れちゃうな~。でもな~。旦那さんに身内バレする写真は止められてるしなぁ。困っちゃうなぁ。ふふふふふ~。


 最近、私はこうも思う。やっぱりニンゲンも、たまにはいいよね!

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