「人と猫とお嫁さん ①」

 うちの嫁さんは、日曜日は猫になる。休日は大体、家の居間でスマホの画面を猫パンしているのだが、今週は果敢に働いていた。


「に~に~」


 幼い、甘えた声がやってくる。見れば仕事場の戸が開き、黒い子猫が入ってきた。


「にゃあっ!」


 その直後、尾が二股にわかれた黒猫も飛びこんできた。


「にー、にぁー」

「にゃっ、にゃにゃんっ!」


 旦那さんは、今お仕事中なんです。ジャマしちゃダメでしょう。


「にぃ~」

「にゃっ!」


 聞き分けのない子猫の頭に、嫁さんの猫パンが落ちる。びしっ、と空気を裂く容赦のない音に、ちょっと俺も背筋が凍った。


「に……」


 叱られた子猫は、さすがに項垂れた――かと思えば、さっと廊下の方に逃げ出した。


「にーにー!」

「にゃああぁ!」


 嫁さんが子猫を追いかける。戸は開いたままだ。


「……にぎやかな日曜日だなぁ……」


 俺は席から立ち上がり、戸を閉めて、絵描きの仕事を再開した。


 * * *


 数日前のこと。外で打ち合わせを終えて、家に帰る途中で、衰弱した黒い子猫を見つけてしまった。


 ゴミの収集場に倒れていて、死んでいるのかと近づいたら、小さな三角の耳がぴくりと動いた。とっさに抱きあげたあと、スマホで最寄りの獣医を検索した。


 平日の昼過ぎだということもあってか、訪れていた患畜の数は少なく、すぐに治療を受けることができた。――で、とりあえず家で引き取った。

 仕事から帰ってきた嫁さんは真顔で「ロリコンでしたか……」と言い放ち、実家に帰る帰らないの騒ぎになったが、それはおいといて。


「んー、反応ないなぁ。猫の里親募集の件。ツイッターの方もレスなしか」

「にーーにーー!」

「……」


 日曜日の昼間。

 今のところ、引き取り手は見つかっていない。子猫は産まれた時からノラだったらしく、元気を取り戻してからは、超小型の台風もかくや。と言わんばかりに暴れ回ってくれていた。人見知りしない、社交的なタイプなのは良いことだが、


「にぃにぃ!」

「にゃあぁっ!」


 嫁さんは大変なご様子だった。だいたい普段から家では運動せず、幸せそうにスマホと戯れているので、自分よりも一回り小さな子猫に追いつけず、ぜぇぜぇと息をあらくしては、


「……にゃあお……」

 

 ついにあきらめていた。完全に子育ての匙を投げ「私は休むぞ!」とばかりに、お気に入りの毛布の中に身を潜めた。切ない。


「にー?」

「…………」

「にぁぁっ!!」


 やかましい母親がわりの存在が追ってこないと知るや、子猫はふたたび暴走した。床の上に粗相をし、適当な柱で爪をとぎ、家の『マグロ』と『赤身』を食らってやるぞとばかりに金魚の飼育ケースに脅しをかけ、挙句のはてには、嫁さんの昼ごはんをかっさらった。


「……にゃ?」


 あれ、私のデラックス猫缶は……?


「にぃ!」


 たべました。


「………………にゃ、にゃふ、にゃふふふふふ……」


 その瞬間、ついに、


「ふにゃああああああああおおおおおおおおっっ!!!!」


 嫁の怒りが爆発した。


 もはや、容赦をする気など毛頭なし!

 全身全霊をもって、貴様には我が肉球による、粛清という名の鉄槌をくらわしてやるわ! うおおおおおおおおぉぉぉ、ほろびろおおおぉぉ!!


「にゃっ、にゃあにゃあああにゃっ!(3HIT)、

 にゃにゃにゃっ、にゃあ!!!(7HIT)

 にゃっしゃー!!(8HITCOMBO!!)


「にーーーーーっ!?」


 嫁さんが子猫に飛びかかり、容赦のない猫パンを連続した。逃げようとする子猫にマウントし、さらに噛み付きひっかき、情け無用の乱闘試合にもつれこんだ。レフェリーになれるのは、俺以外、この場にいない。


「嫁さん、やりすぎ! ロープロープ!!」

「しゃあああぁぁっ!!」


 完全に野性に帰っていた。ほんの少し目をそらして、双剣乱舞のデイリークエストを消化している最中に、大好物の『デラックス・キャットマンマ』を食いつくされてしまったのが、よほど腹にすえかねたらしい。


「にゃおおおーーーん!!!」


 食い物の恨み、はらさでおくべきか……。

 キサマモクラッテヤロウカ……?


「わかった。もう一個開けるから。それ食べて落ち着こう。な?」


 うちの嫁さんは、猫又と呼ばれる妖怪である。

 ひさしぶりに思いだした、昼下がりのできごとだった。


 * * *





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