※36話 一日素人AV監督(KEN-ZEN)
私の旦那さんは、フリーのイラストレーターである。元々は都内のデザイン事務所に勤めていた経歴があって、手先が器用だ。
平日は、私が一般の会社で働いていることもあって、家の炊事や洗濯は、彼が一任してやってくれている。
「――後輩のダンナってさぁ。イラストレーターとして、ご飯食べれてるワケでしょ? すごいじゃない」
「しかもフリーになる前は、家を建てられるぐらい稼いでて、その家の雑事は全部やってくれるわけでしょ? いいな~」
旦那さんの経歴は、他の人からすれば珍しいみたいだ。お弁当タイムや、女子の飲み会なんかで質問に答えていると、最終的には、
「後輩にはもったいない。うちのロクデナシとトレードしようぜ」
「あー、それなら、私んとこの〝筋肉皆無な横綱野郎〟もオマケにつけるわー」
「ダメです~」
その旦那をうちに寄越せ。というお話になる。もちろん、丁重にお断りする。
「でもさぁ、イラストレーターって、性癖とかどうなの」
「ふぇ!?」
「あー、なんかマニアックそう」
お酒が入っているせいか、先輩上司二人は、話題が下の方に移動しはじめた。
「トラんところもさぁ、確かゲームオタなんでしょー」
「そーそー。日曜はさぁ。昼間からゲーム実況配信とかやってんの。この前もさぁ、なんか敵倒してレベル上げるゲームで、ピンク髪の女の子を〝なんとかたそ~〟とか言ってたから、ベランダから突き落としたわ。脳内で」
「あー、やるやる。何度スプラッタしたかわかんないわよねー。アンタは一体いくつになるまで、少年ヂャンプを読んでんだ中年コラァ! 棚の上に放置すんな、読んだら紐で縛って捨てんかいワレェ! って、バックドロップして庭に埋めたわ。脳内で」
きゃははははは。
「でさ、この前、こっそり隠してやがったわけよ」
「なにを?」
「その、ゲームのキャラクターの、コスプレ衣装っつーの?」
「……うわぁ」
「うわー」
ごくり。
「で、着たの?」「着たんですか?」
「…………」
カラン。
「マスター、こっちの女性に、ウォッカ、ロックで。――こいつはあたしの奢りよ」
「やめろ! 思い出させるな!」
「着たんですかー」
「着ちゃったのかー」
「だって、だってさぁ、あーもう、後輩の番!!」
「はいぃっ!?」
「アレだろ! イラストレーターなんて、絶対趣味とか性癖とか偏ってんでしょ!」
「……い、いえ、そんなことは……」
「ねー、偏見かもだけど、ありうるよね。だってさ、毎日こう、妄想して物を作ってるわけでしょう? ナースとか、メイドとか、チャイナぐらいじゃあ、満足できないって身体してるはずよねぇ。ぐへへ」
「そそ、そんなことないですよ!! 私の旦那さんは、いたってノーマルなんで!」
カラン。
「マスター、コイツにウォッカ、ストレートで。――さぁ、吐きな後輩。この場で洗いざらい、ダンナの性癖を暴露しちまいなァ」
「親身になって話聞いてア・ゲ・ル」
「い、言えませんっ、私の口からはっ、これ以上は言えませんっ!! パワハラっ、パワハラを申請しまーすっ!!」
長い夜は始まったばかりだった……。
* * *
日曜日は、一週間に一度のお休みデイ。
今週はずっと、仕事が忙しく、旦那さんにたくさん、お願いを聞いてもらった。
「旦那さん、なにか要望がありますか」
「え?」
「その……なんでも一つ、お願い事、今なら聞いてあげちゃいますよ?」
すいっと身を寄せて、囁いた。旦那さんもちょっと顔を赤くして、照れ笑いした様に笑った。
「なんでもって言われてもなぁ。はは」
「期間限定です」
「どうしたの急に」
「えとー、DPがたくさん稼げて、レベルがいっぱい上がりましたので。今度は一回、旦那さんにご奉仕せねばいけないなと」
「ご奉仕かぁ」
「は、はい……」
自分で口にした言葉は存外恥ずかしくて、顔を俯かせてしまう。
「なぁ嫁さん、本当に、なんでも言っていいわけ?」
「は、はい。旦那さんのお願いなら、どんとこいです! 期間限定で!」
「そうか。……これは見逃すわけにはいかないな……」
「!?」
――旦那さんの顔が、名状しがたい邪悪さに塗れていた。
「いいだろう。その覚悟、買った」
「あの、やっぱり半額セールにできませんかね?」
「不甲斐ないな。女なら二言は許されるとか、甘えか何かか?」
「っ! 二言はありませぬ!」
「言質は取ったぞ」
ゴゴゴゴゴゴゴ。
旦那さんの背後から、欲望渦巻く、邪念オーラが見えていた。男の人って……。
* * *
そして、今週も日曜日がやってきた。
居間の窓は、カーテンに加え、出入口にも厚い暗幕が垂れ下がり、外からは中の様子を窺い知ることができなくなっていた。そう、なにが起きていようと、けっして、分からないのだ……。
――ズン、ズン、ズン。
異形が歩く。部屋の中は、むしろ極めて明るい。窓からは暗幕が垂れ下がっているが、この日の為に取り寄せたらしい細長い蛍光灯は、テレビや小物棚まで入念に取り除かれた部屋を、隈なく照らし出していた。
――ジィィィィ……。
締め切った空気を混ぜる、低い低い、カメラの音がする。2カメ、3カメとして使える映像録画機が、三脚と壁に取り付けられている。
(どうして、こんな事に……)
今更後悔しても遅かった。私はいまだに理解しきれてはいなかったのだ。うちの旦那さんの『野性のプロ意識』を――。
「はい。じゃあ嫁さん、次のシーン行くよぉ!」
「…………」
私の目前には、瞳を爛々と輝かせた、少年のような彼がいた。
「はい! 3,2,1!」
「…………」
一日限定、臨時のAV(アニマルビデオ)監督に変貌した旦那さんは、同じく一日限定、主演女優になった私の姿を、余すところなくカメラで捉えていた。
『 !!! 深海怪獣サメニャン あらわる !!! 』
日曜日。私はサメの着ぐるみを着ていた。旦那さんの御手製で、開いたギザギザの歯の隙間から、死んだ魚の目をした私が顔を覗かせている。背中には伸縮可能なワイヤーフレームがくっついて、強制的に二足歩行させられていた。
(嫁さん、そこで吠えて!)
キラキラした瞳の旦那さんが、カンペを掲げる。普通の猫なら意味はないが、猫又の私なら、日本語はもっとも馴染んだ人間語だ。
「……おあああぁぁぁん」
悲しい。空しい。死にたい。これならばまだ、人の姿で猫耳メイドのコスプレを強要されて「ご奉仕にゃ~ん☆」とか言う方がマシだった。
よりにもよって、怪獣である。
眼下には、これまた細部までリアリティにこだわった『ペーパークラフトのビル街』がある。かつてのデザイン会社に所属していた経歴を生かし、高価な3Dプリンターをレンタルして作りあげたらしい。
(嫁さん! そこで足踏みして!! ビル破壊して!!! 叫びながら!!!)
「おああああああああぁぁん!!」
――ガシャーン!! バリバリー!! ドガシャアアァァ!!!
ビル街の左右に置かれたノートPCからは、旦那さんの手元にある遠距離スイッチで、特定のSE(効果音)が発生した。後から画像編集ソフトで『炎』や『爆発』のエフェクトを入れて、本当に怪獣が街を破壊するように加工する気だろう。
(嫁さん! 戦闘機飛ばすから!! 捕まえて!! 喰って!!!)
旦那さんが「わーい」と言わんばかりに、脚立にかけあがる。ジャングルジムに興奮する小学生と大差がない。カーテンレールと対面の壁に取り付けた別のワイヤフレームに、やはり3Dプリンターで作ったF-24を引っ掛けて、シャーっと滑らせてくる。
「にゃああああおおおおお!!!」
ハエでも捕まえるように、前足でキャッチする私。ヤケクソである。
『うわああああぁ!! やめろおお!! やめてくれええぇ!!』
『落ち着け! 落ち着いてイジェクトするんだ!』
『だ、ダメです! 起動しませんっ!! 助けて!! 誰かああ!!』
『野郎! ミサイルをブチ込んでやるぅ!!』
『CAT2! CAT2!』
どこから音声素材を拾ってきたのか。あるいはイラストレーターの伝手を利用して、声優さんに一山いくらで喋ってもらったのか。自分の趣味のために。ともかく私は監督の指示の通り、捕まえたF-24(紙飛行機)を、かみ砕いた。
『いやだあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!』
『隊員Aッッ!!』
――どがーん!!
『F-24α ロスト! 深海怪獣サメニャン! 都心中枢に向けて進行中です!』
『進行ルートを表示、各機ナビゲートマップに表示します!』
『これは……! マズイぞ! 奴の目的は……皇居かもしれん!!』
『な、なんだってー!』
『チーム・ブレイズ! フォーメーション・デルタ! 奴をこれ以上、一歩も進ませるな!! なんとしてもここで食い止めろ!!』
『了解ッ! これより交戦に入ります!!』
パチン。
「はい、カーット! いいよいいよ! 嫁さん、すげぇ良かったよ!!」
「…………」
「動画確認するから、待っててなー」
「…………」
旦那さんが、嬉々としながら、パソコンを高速で操作する。無駄にマルチスキルで、しかもその水準がいずれも高く。実際に行動してしまう。
――そう。私の旦那さんは『オタク』である。
後でネットに動画を挙げるそうだが、直後には「野性のプロ」だの「先生仕事してください」だのというタグが付けられるのは、想像にたやすい。実際、私がなんでもすると言ってから、三日間ほど前倒しで仕事を片付けたらしい。身体弱いのに。
「おー、撮れてる撮れてる!! 嫁さんマジカッケーし!! うおおぉ、声優さんもいい仕事してくれるわほんと!! あー、嫁さんと結婚して良かったぁ……」
「…………」
プチ。
私の中で、なにかがキレた。
――ズン、ズン、ズン。
異形が歩く。部屋の中は、むしろ極めて明るい。窓からは暗幕が垂れ下がっているが、この日の為に取り寄せたらしい細長い蛍光灯は、テレビや小物棚まで入念に取り除かれた部屋を、隈なく照らし出していた。
――ズン、ズン、ズン。
居間の窓は、カーテンに加え、出入口にも厚い暗幕が垂れ下がり、外からは中の様子を窺い知ることができなくなっていた。そう、なにが起きていようと、けっして、分からないのだ……。
「 に ゃ あ お 」
振り返った、そこには――(映像はここで途切れている)。
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