スュン、仕立て屋へ行き、コスタゴン、部下に命令す。

1、スュン


 仕立て屋のとびらを開け、ダーク・エルフの少女は表通りに出た。

 朝、公使館で馬車に乗り込んだ時よりも、外の空気が随分ずいぶんと暖かくなっている。

 近くに水時計が無いので正確な時刻は分からないが、十時くらいだろうか。

 建物に切り取られた空を見上げた。雲一つない青空だった。

「今日も良い天気だ」

 独りつぶやく。

 後ろで物音がして、誰かが仕立て屋を出る気配を感じた。スュンが振り返る。

 ペーター……スュンとオリーヴィアが乗ってきた馬車の御者だった。

 御者は仕立て屋から買った下着類の箱を馬車の荷物入れまで運んで行く。

 新品とは言え、自分の下着を人間の男に運ばせるのは一寸ちょっといやだな、と思ったが、オリーヴィアが命じたのならスュンには口出くちだしできない。

 ふと、通りの反対側に目を向けた。

 やや斜め向かいに乗合馬車オムニバスの停留所……略して「バス停」……の看板が見えた。「アカデメイア経由、公立中央博物館行き」と書いてある。

 乗合馬車オムニバスを待っている人間は三人。

 二十歳はたち前後の女が二人。それと八歳か九歳くらいの少女が一人。

 三人目の幼い少女を見て思う。

(あんな小さな子供が一人で乗合馬車オムニバスに乗るのか? 親はどうした?)

 見回すが、保護者らしき人物の姿は見当たらない。

(ひょっとして前に並ぶ若い女のどちらかが保護者なのか? そんな風には見えないが……)

 少女は静かに馬車を待っている。

 若い女たちは二人で何やら熱心にしゃべっていた。隣に立つ幼い少女に関心を払っている様には見えなかった。

 アカデメイアの学生らしきその女たちが、時々、チラッ、チラッ、とスュンを盗み見るような仕草しぐさをする。

(やれやれ……)

 ダーク・エルフの少女は溜息ためいきいた。

(オリーヴィア様の言ったことは本当だったのだな)

 ほとんどの人間たちはエルフという種族を見た事が無い。

 人間社会で生きていると、まるで希少動物でも見るような好奇こうきの視線を何度となく受ける。

 朝食をりながら緑のエルフグリーン・エルフの上司は言ったものだった。

 慣れなさい、適応しなさい、それも仕事のうち、と。

(それでも気持ちの良いものではないな)

 ……そう言えば最初に会った時、あの黒髪の少年剣士も自分をじっと見ていた。無礼な人間だと思ったが、気が付いたら自分のほうが少年をじっと見つめていた。

 少年の姿が胸に焼き付いて忘れられないと自覚したのは、彼が去ったあと、食堂を出てからだ。

 そして数時間後、偶然に、再会した。

 潜冥蠍せんめいかつの死体が横たわる住宅街の路地で。

 人間の女たちが読む「恋愛小説」のような甘い再会ではなかったが、それでも、また会えた。

 そして……自分から、二度と会わないと告げ……少年の元を去った。

(私は一体、何がしたいのだ? 会いたいのか? それとも会いたくないのか?)

 訳の分からない感情がき上がり、思わず左手で剣のつかをギュッとつかむ。

「……どうぞ、お乗りください」

 突然、声をけられた。

 下着を荷物入れに仕舞しまい終わった御者のペーターが、後部座席のとびらを開けて待っている。

「えっ? あ、ああ」

 我に返ったスュンは、言われるまま後部座席に乗り込み腰を下ろす。

 丁度ちょうどその時、納期やら支払いの交渉を終え、オリーヴィアが仕立て屋から出てきた。スュンの隣に乗り込む。

「ペーター、いったん公使館に帰るわ。出してちょうだい」

「かしこまりました」

 御者席の男が無表情に返事をして、金銀をちりばめたエルフ公使館公用車がゆっくりと動き出した。


2、女学生たち


「はぁー、さすがはエルフ様。乗ってる馬車も凄いわねぇ……金ぴか銀ぴかで。まぶしすぎて目が痛いわ」

 動き出したエルフ公用車の後姿うしろすがたを見ながら女学生の一人が言った。

「ああ、一度でいいから、あんな馬車に乗って舞踏会に行ってみたい」

 もう一人があこがれの目で馬車を見る。

 最初の女学生が反論する。

「いやぁ、私は無理。あんな馬車に乗せられたら、その瞬間に気を失う自信あるわ。住む世界が違い過ぎて」

「それにしても、あのダーク・エルフ、もの凄い美少女だったね。あとから出てきた緑のエルフグリーン・エルフ? も、美人だったし。エルフが美形ぞろいってうわさは本当だったのか」

「あの仕立て屋、隠れた名店だって、誰かが言ってたよ。大商人の御令嬢や有名なオペラ歌手の中にも御贔屓ごひいきが何人もいるとか。豪華な馬車に、仕立て屋か。うらやましい」

「服って言えば、ダーク・エルフの美少女、剣女の格好してたね」

「腰から剣も下げてた。……でも、まさか、ね。高貴なる魔法種族エルフに生まれていながら、何が悲しゅうて剣女なんて、っていう……」

「やっぱり、あれか……これからエルフの女二人そろって『仮装昼食会』?」

「なにそれ」

「だから、いろんなコスチューム着て、目のまわりを蝶々ちょうちょのマスクで隠したりなんかして……それで恋人を交換し合うわけよ。そんでもって最終的には全員裸になってんずほぐれつの……」

「いやだ、それ、ちょっと妄想はげしすぎない?」

「上流階級って、そういう所じゃないの? 夜ごと昼ごと酒池肉林」

 二人して、きゃっきゃっと笑う。

 普通に暮らしていれば、人間がエルフと出会うことは一生無い。

 謎に包まれた魔法の種族に偶然出会ったとなれば、若い学生たちがのも無理は無かった。

 腹をかかえて笑っていた二番目の女学生のスカートを、突然、誰かが引っ張った。

 おどろいて視線を向ける。

 三番目に並んでいた八、九歳の少女がスカートのすそつかんでいた。

「ねぇねぇ……」

 幼い少女が女学生たちに向かって言う。

「博物館に置いてあるグリフォンの像が、動いたんだって。知ってた?」

「へ、へええ……そ、そうなんだ」

 邪険じゃけんにする訳にもいかず、戸惑いながら女学生が答える。

「本当だよ」

「……」

 顔を見合わせる二人の女学生たち。

 一人が、保護者は居ないのかとあたりを見回す。それらしい人物は見当たらない。

 この少女一人で、乗合馬車オムニバスに乗って何処どこかへ行くつもりなのか。

 迷子か……まさかとは思うが、家出少女だったらどうしようか……

 付きまとわれでもしたら面倒臭いことになるな、と、女学生たちは思った。

 その時、乗合馬車オムニバス……略して「バス」……が到着した。

 金を払って乗り込む。

「あれ?」

 乗合馬車バスが発車した直後、女学生の一人が首をかしげた。

「あの女の子が乗ってない」

 二人して遠ざかるバス停を窓越しに見る。

 誰も居ない。

 少女は何時いつの間にか消えてしまっていた。


3、オリーヴィア


「はああ……こんなに納期が遅くなるとは、意外」

 帰りの馬車の中でオリーヴィアが溜息ためいきまじりに言った。

「仕立て屋の女主人マダムは、注文が立て込んでいると言っていましたね」

「エルフ公使館は上得意じょうとくいだから、無理を言えば割り込めるかも知れないけれど……彼女も頑固なところがあるし。出来れば今後もあの店とは良い関係で居たい」

「私は、大丈夫です。森から着替えを大分だいぶ持って着ましたから……と、言っても全てエルフ式の服ですから、その、諜報スパイ活動……ですか、それに支障が無ければの話ですが」

「そうね。書類整理やら、内勤の業務を先に教えるか……」

 しばらく考え込んだ後、緑のエルフグリーン・エルフの上司が言った。

「いや、悠長に服を待っていてもしょうがない。今日の午後にでも、古着屋に行きましょう」

「古着屋?」

「そう。古着、つまり、人間が袖を通したあと何らかの事情で売った服の事よ。中古の服」

「はあ、なるほど」

「人間のふるを着るのは、いや?」

「そんな事は、ありません……清潔で、あれば」

「その点は大丈夫。信用の置ける商人ならばね。ちゃんと洗濯して修理したものを店に並べるから。それに、ああいう店で『掘り出し物』を探すのも結構おもしろいのよ。ついでに靴屋へ行ってブーツを揃えて、武器屋にも行って『仕込み傘』の注文もして来ましょう」

「分かりました」

「じゃあ、そういう事で。とりあえず午前中の収穫はシュミーズ十枚、ズロウス十枚、靴下が十足か」

「あの、コルセットは必要無いのでしょうか?」

「コルセット?」

「人間の……恋愛小説に……書いてあったものですから。人間の女はコルセットを付ける、と」

「ああ、それ、ちょっと古い小説だわ。最近のご婦人たちは健康志向だからね。コルセットなんて誰も付けていないわ。あれ、体に凄く悪いから」

 そう言って、緑のエルフグリーン・エルフの上司は隣に座る部下の体を見た。

「それにスュン、あなた流石さすがに剣術の修行をしているだけあって、お腹まわりは結構まっているじゃない? コルセットなんかで強制的に締め上げる必要なんか全く無いって。いざとなったら我々エルフには『擬態の魔法』が有るし」

「そ、そうですね……」

 一瞬、返答にまったスュンを上司は見逃さなかった。

「あれ? スュン、ひょっとして体形を変えられないの? 擬態の魔法で」

「いいえ! で、出来ます!」

 あせって答えるスュン。

「ふーん。まあ、良いわ。どうせ今のスュンのレベルじゃ、諜報スパイ活動には物足りない。後で擬態魔法の特訓をしますから、そのつもりで」

「はい。よろしくお願いします」

「言っとくけど私は厳しいからね。覚悟するように」

「はい」

 やがて、馬車は門を抜け、公使館の中庭に停車した。


4、コスタゴン


 馬車を降りた直後、人間の侍女メイドが駆け寄って来た。

「お帰りなさいませ。オリーヴィアさま。スュンさま……オリーヴィアさま、コスタゴン閣下が執務室でお待ちです。スュンさまも、ご一緒にとの事です」

「閣下が? 何だろう」

 オリーヴィアがスュンを見る。

 スュンがうなづいた。

 二人で南館へ向かう。

 階段を一気に四階まで上がり、公使執務室のとびらをノックした。

「入れ」

 中から館の主の声が聞こえた。

 オリーヴィアがとびらを開けて中に入る。スュンも続く。

 在サミア・クラスィーヴァヤ・エルフ公使コスタゴンは、公使館四階の窓から、通りを走る馬車を見下ろしていた。

「オリーヴィアとスュン、ただいま参りました」

 コスタゴンが振り返り、緑のエルフグリーン・エルフの肩越しにとびらを見て、閉まっているのを確認する。

「二人とも、近くへ寄りたまえ」

 そう言って、再び背中を向け窓の外を見る。

 オリーヴィアが執務室を横切よこぎって、公使の背後一レテムの所に立つ。スュンもそれにならった。

が、な」

 公使がボソリと言った。

。オリーヴィア」

 オリーヴィアの切れ長の目が大きく見開かられる。

「で、では……」

「ああ。今度の潜冥蠍せんめいかつ事件で確認されたという『怪現象』と考えあわせれば、結論は一つ。我々に残された時間は、ほとんど無いという事だ」

 二人が何を言っているのか、スュンには全く分からない。

「今までのエルフ公使館われわれの主たる仕事は、人間どもの管理不行届きによって失われた『けものたち』の所在を確認し、あわよくば人間の手から奪取する事だったが……これからは最優先事項を変更せねばなるまい。オリーヴィア、何だかわかるか?」

「『使い手』の探索、ですね? その身柄を確保し、拘束すること」

「ほう? やはり知っていたか」

 公使が振り返って緑のエルフグリーン・エルフを見た。

「はい。ルストゥアゴン様に教えて頂きました」

「そうか……長老会から正式にお許しが出た。使。以後この情報を公使館のエルフたち全員で共有する」

 そこでコスタゴンは『そういえば、お前も居たか』とでもいった様子で、スュンに視線を向けた。

「スュン、我々が何を話しているのか分からない、という顔だな?」

「はい。正直に申し上げて、その……」

「オリーヴィア」

「はい、閣下」

「この若い剣女に、全てを話しておくように」

「全て、ですか」

「そうだ。全てだ」

「わかりました」

「それから、もう一つ。昨日のオリーヴィアの報告にあった、サミア公立博物館の『グリフォン像』の件だが……確かに、そのような……つまり『東館のグリフォン像が動いた』といううわさが人間社会の一部に流れていると確認できた。しかも、な……それだけでは無いのだ。今日の正午をもってグリフォン像のある東館は閉鎖、以後、像はブルーシールド財団の管理下に置かれる事になる」

 それを聞いてオリーヴィアの眉間みけん苦渋くじゅうしわが寄る。

 スュンは上司の顔に浮かんだ表情が何なのか計りかねた。

 ……くやしさ?

 コスタゴンが話を続ける。

「まったく今回は、してやられた。負けを認めざるを得んよ。ブルーシールドの連中、人間にしては随分ずいぶん素速すばしっこい。頭も良く回る。油断できぬ相手だ」

「おっしゃる通りです」

「しかし我々エルフとしても、やられっ放しというのは良くない。私としては何とか一矢報いっしむくいたいのだ。そこでオリーヴィアとスュンには今すぐ公立博物館に行ってもらう。すぐに行けば正午の東館閉鎖までに間に合うだろう。グリフォン像が今どんな状態なのか確認してきてほしい」

「コスタゴン様」

「どうした?」

「スュンの擬態魔法が服装にまでは及ばない事は、昨日ご報告した通りですが、じつは人間の服が無いのです。つまり人間に変装することが……」

「ああ、いや、その必要は無い。変装の必要は無い。二人とも行ってくれ」

「エルフのまま見に行くのですか? グリフォン像を?」

「そうだ。財団とて馬鹿じゃない。エルフわれわれがグリフォン像に注目していることは先刻承知だ。ならば開き直って、堂々と正面から行こうじゃないか。オリーヴィア、私の言う意味が分かるか?」

「デモンストレーション、という事ですね」

「そうだ。わざわざ見栄を切って、連中に『我々は常に見張っているぞ』と宣言してやるのだ。いわば御挨拶ごあいさつだ。多少の牽制けんせいには、なるだろう……一方で我々の注意がグリフォン像に向いていると思わせる狙いもある……さっきも言った通り、グリフォンを始めとした『けものたち』の探索は優先順位が下がった。これから全力で取り組むべきは『使い手』の探索」

「はい」

「私からは以上だ」

 そう言って公使は再び二人のエルフに背を向け、青空と赤いかわら屋根をながめだした。

 もう行けという合図だ。

「オリーヴィアとスュン、ただ今よりサミア公立中央博物館に向かいます」

 回れ右をして、緑のエルフグリーン・エルフとびらへ向かう。スュンも後を追った。

「スュンよ」

 こちらに背を向け、窓の外をながめたまま、コスタゴンが呼び止めた。

 オリーヴィアもスュンも立ち止まって公使の方へ振り向く。

「はい。公使閣下。何でしょう」

「スュンは人間について、どう思う」

「どう……と、言いますと?」

「思った事を言えば良い」

 スュンはエルフの子なら誰でも教えられる通りの人間観を述べる。

「に……人間は……下等、な……しゅ、種族です」

 言いながら、何故なぜか自分自身の声が白々しらじらしく聞こえた。

「魔法が使えず、感情に流され、愚かで、自分勝手な種族です」

「スュンよ……本当に、そう思っているのか? ?」

「……」

 返す言葉が無かった。

「窓の外に広がる、この景色を見ろ」

 背中を向けたままコスタゴンが続けた。

「都市という名の巨大な構造物。それを制御し、機能させるための複雑な仕組み。感情に流され、愚かで、自分勝手な劣等種族に、都市を造るなどという事業が可能だと思うか?」

「……」

「それにな、スュン。人間の中にも魔法を使える者が居るのだぞ?」

「魔法使いの存在は、もちろん聞いています。しかし、それはく一部の例外的な存在であるとも聞いています」

「別の説もあるぞ。実は、潜在的に全ての人間は魔力を有しているという説が、な……しかしほとんどの人間は、自分の中の魔力に気づかないまま一生を終える……魔法使いとは、偶発的な衝撃によって内に隠されていた魔力が表面化した人間の事……と、そういう説だ」

 流石さすがにこの話はオリーヴィアも知らなかった。少し驚く。

 スュンがコスタゴンに問う。

「閣下のおっしゃる『偶発的な衝撃』とは一体どういう物でしょうか」

「それが分かっていれば、人間は本当にエルフと同等だよ。分かっていないから仮説は仮説のまま、とも言える……どうやら人間個人個人で、魔力発現の因子は違う、という話だ。ある者は強い悲しみや怒り、憎しみなどによって内なる魔力が呼び覚まされる。しかし、別の人間に同じような強い感情が起きても魔力は目覚めない……また、ある者は、事故などによる物理的な衝撃を受けて魔法使いになるが、別の人間に同じような衝撃を与えても魔力は使えないまま、という事らしい」

「でも、それでは……再現性が無いのでは、理論として証明しようが無いと思われます」 

「その通りだ。スュン。逆に言えば、再現性の無いように見える個々の現象を統一的に説明する理論が現れたとき、人間は我々エルフと対等の存在になる、という事だな」

「……」

 スュンはどう答えて良いか分からなかった。

「まあ今の所は仮説だ。いや、仮説以下の『戯言たわごと』だ。さあ、オリーヴィアもスュンも行くのだ。行ってグリフォン像が今どうなっているか見てきてくれ」

 二人は公使の部屋を出た。

 とびらを閉めるときチラリと部屋の中を振り返ると、相変わらず窓際に立って外を見ているコスタゴンの背中が見えた。

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