スュン、仕立て屋へ行き、コスタゴン、部下に命令す。
1、スュン
仕立て屋の
朝、公使館で馬車に乗り込んだ時よりも、外の空気が
近くに水時計が無いので正確な時刻は分からないが、十時くらいだろうか。
建物に切り取られた空を見上げた。雲一つない青空だった。
「今日も良い天気だ」
独り
後ろで物音がして、誰かが仕立て屋を出る気配を感じた。スュンが振り返る。
ペーター……スュンとオリーヴィアが乗ってきた馬車の御者だった。
御者は仕立て屋から買った下着類の箱を馬車の荷物入れまで運んで行く。
新品とは言え、自分の下着を人間の男に運ばせるのは
ふと、通りの反対側に目を向けた。
やや斜め向かいに
三人目の幼い少女を見て思う。
(あんな小さな子供が一人で
見回すが、保護者らしき人物の姿は見当たらない。
(ひょっとして前に並ぶ若い女のどちらかが保護者なのか? そんな風には見えないが……)
少女は静かに馬車を待っている。
若い女たちは二人で何やら熱心に
アカデメイアの学生らしきその女たちが、時々、チラッ、チラッ、とスュンを盗み見るような
(やれやれ……)
ダーク・エルフの少女は
(オリーヴィア様の言ったことは本当だったのだな)
ほとんどの人間たちはエルフという種族を見た事が無い。
人間社会で生きていると、まるで希少動物でも見るような
朝食を
慣れなさい、適応しなさい、それも仕事のうち、と。
(それでも気持ちの良いものではないな)
……そう言えば最初に会った時、あの黒髪の少年剣士も自分をじっと見ていた。無礼な人間だと思ったが、気が付いたら自分のほうが少年をじっと見つめていた。
少年の姿が胸に焼き付いて忘れられないと自覚したのは、彼が去ったあと、食堂を出てからだ。
そして数時間後、偶然に、再会した。
人間の女たちが読む「恋愛小説」のような甘い再会ではなかったが、それでも、また会えた。
そして……自分から、二度と会わないと告げ……少年の元を去った。
(私は一体、何がしたいのだ? 会いたいのか? それとも会いたくないのか?)
訳の分からない感情が
「……どうぞ、お乗りください」
突然、声を
下着を荷物入れに
「えっ? あ、ああ」
我に返ったスュンは、言われるまま後部座席に乗り込み腰を下ろす。
「ペーター、いったん公使館に帰るわ。出してちょうだい」
「かしこまりました」
御者席の男が無表情に返事をして、金銀を
2、女学生たち
「はぁー、さすがはエルフ様。乗ってる馬車も凄いわねぇ……金ぴか銀ぴかで。
動き出したエルフ公用車の
「ああ、一度でいいから、あんな馬車に乗って舞踏会に行ってみたい」
もう一人が
最初の女学生が反論する。
「いやぁ、私は無理。あんな馬車に乗せられたら、その瞬間に気を失う自信あるわ。住む世界が違い過ぎて」
「それにしても、あのダーク・エルフ、もの凄い美少女だったね。あとから出てきた
「あの仕立て屋、隠れた名店だって、誰かが言ってたよ。大商人の御令嬢や有名なオペラ歌手の中にも
「服って言えば、ダーク・エルフの美少女、剣女の格好してたね」
「腰から剣も下げてた。……でも、まさか、ね。高貴なる魔法種族エルフに生まれていながら、何が悲しゅうて剣女なんてせにゃならんのや、っていう……」
「やっぱり、あれか……これからエルフの女二人そろって『仮装昼食会』?」
「なにそれ」
「だから、いろんなコスチューム着て、目のまわりを
「いやだ、それ、ちょっと妄想
「上流階級って、そういう所じゃないの? 夜ごと昼ごと酒池肉林」
二人して、きゃっきゃっと笑う。
普通に暮らしていれば、人間がエルフと出会うことは一生無い。
謎に包まれた魔法の種族に偶然出会ったとなれば、若い学生たちがはしゃぐのも無理は無かった。
腹を
おどろいて視線を向ける。
三番目に並んでいた八、九歳の少女がスカートの
「ねぇねぇ……」
幼い少女が女学生たちに向かって言う。
「博物館に置いてあるグリフォンの像が、動いたんだって。知ってた?」
「へ、へええ……そ、そうなんだ」
「本当だよ」
「……」
顔を見合わせる二人の女学生たち。
一人が、保護者は居ないのかと
この少女一人で、
迷子か……まさかとは思うが、家出少女だったらどうしようか……
付き
その時、
金を払って乗り込む。
「あれ?」
「あの女の子が乗ってない」
二人して遠ざかるバス停を窓越しに見る。
誰も居ない。
少女は
3、オリーヴィア
「はああ……こんなに納期が遅くなるとは、意外」
帰りの馬車の中でオリーヴィアが
「仕立て屋の
「エルフ公使館は
「私は、大丈夫です。森から着替えを
「そうね。書類整理やら、内勤の業務を先に教えるか……」
しばらく考え込んだ後、
「いや、悠長に服を待っていてもしょうがない。今日の午後にでも、古着屋に行きましょう」
「古着屋?」
「そう。古着、つまり、人間が袖を通したあと何らかの事情で売った服の事よ。中古の服」
「はあ、なるほど」
「人間のお
「そんな事は、ありません……清潔で、あれば」
「その点は大丈夫。信用の置ける商人ならばね。ちゃんと洗濯して修理したものを店に並べるから。それに、ああいう店で『掘り出し物』を探すのも結構おもしろいのよ。ついでに靴屋へ行ってブーツを揃えて、武器屋にも行って『仕込み傘』の注文もして来ましょう」
「分かりました」
「じゃあ、そういう事で。とりあえず午前中の収穫はシュミーズ十枚、ズロウス十枚、靴下が十足か」
「あの、コルセットは必要無いのでしょうか?」
「コルセット?」
「人間の……恋愛小説に……書いてあったものですから。人間の女はコルセットを付ける、と」
「ああ、それ、ちょっと古い小説だわ。最近のご婦人たちは健康志向だからね。コルセットなんて誰も付けていないわ。あれ、体に凄く悪いから」
そう言って、
「それにスュン、あなた
「そ、そうですね……」
一瞬、返答に
「あれ? スュン、ひょっとして体形を変えられないの? 擬態の魔法で」
「いいえ! で、出来ます!」
「ふーん。まあ、良いわ。どうせ今のスュンのレベルじゃ、
「はい。よろしくお願いします」
「言っとくけど私は厳しいからね。覚悟するように」
「はい」
やがて、馬車は門を抜け、公使館の中庭に停車した。
4、コスタゴン
馬車を降りた直後、人間の
「お帰りなさいませ。オリーヴィアさま。スュンさま……オリーヴィアさま、コスタゴン閣下が執務室でお待ちです。スュンさまも、ご一緒にとの事です」
「閣下が? 何だろう」
オリーヴィアがスュンを見る。
スュンが
二人で南館へ向かう。
階段を一気に四階まで上がり、公使執務室の
「入れ」
中から館の主の声が聞こえた。
オリーヴィアが
在サミア・クラスィーヴァヤ・エルフ公使コスタゴンは、公使館四階の窓から、通りを走る馬車を見下ろしていた。
「オリーヴィアとスュン、ただいま参りました」
コスタゴンが振り返り、
「二人とも、近くへ寄りたまえ」
そう言って、再び背中を向け窓の外を見る。
オリーヴィアが執務室を
「蛇が、な」
公使がボソリと言った。
「蛇が動いたよ。オリーヴィア」
オリーヴィアの切れ長の目が大きく見開かられる。
「で、では……」
「ああ。今度の
二人が何を言っているのか、スュンには全く分からない。
「今までの
「『使い手』の探索、ですね? その身柄を確保し、拘束すること」
「ほう? やはり知っていたか」
公使が振り返って
「はい。ルストゥアゴン様に教えて頂きました」
「そうか……長老会から正式にお許しが出た。大賢者スタリゴンの武器、その使い手は人間の中から現れる。以後この情報を公使館のエルフたち全員で共有する」
そこでコスタゴンは『そういえば、お前も居たか』とでもいった様子で、スュンに視線を向けた。
「スュン、我々が何を話しているのかさっぱり分からない、という顔だな?」
「はい。正直に申し上げて、その……」
「オリーヴィア」
「はい、閣下」
「この若い剣女に、全てを話しておくように」
「全て、ですか」
「そうだ。全てだ」
「わかりました」
「それから、もう一つ。昨日のオリーヴィアの報告にあった、サミア公立博物館の『グリフォン像』の件だが……確かに、そのような……つまり『東館のグリフォン像が動いた』という
それを聞いてオリーヴィアの
スュンは上司の顔に浮かんだ表情が何なのか計りかねた。
……
コスタゴンが話を続ける。
「まったく今回は、してやられた。負けを認めざるを得んよ。ブルーシールドの連中、人間にしては
「おっしゃる通りです」
「しかし我々エルフとしても、やられっ放しというのは良くない。私としては何とか
「コスタゴン様」
「どうした?」
「スュンの擬態魔法が服装にまでは及ばない事は、昨日ご報告した通りですが、じつは人間の服が無いのです。つまり人間に変装することが……」
「ああ、いや、その必要は無い。変装の必要は無い。二人ともそのままの格好で、エルフのままで行ってくれ」
「エルフのまま見に行くのですか? グリフォン像を?」
「そうだ。財団とて馬鹿じゃない。
「デモンストレーション、という事ですね」
「そうだ。わざわざ見栄を切って、連中に『我々は常に見張っているぞ』と宣言してやるのだ。いわば
「はい」
「私からは以上だ」
そう言って公使は再び二人のエルフに背を向け、青空と赤い
もう行けという合図だ。
「オリーヴィアとスュン、ただ今よりサミア公立中央博物館に向かいます」
回れ右をして、
「スュンよ」
こちらに背を向け、窓の外を
オリーヴィアもスュンも立ち止まって公使の方へ振り向く。
「はい。公使閣下。何でしょう」
「スュンは人間について、どう思う」
「どう……と、言いますと?」
「思った事を言えば良い」
スュンはエルフの子なら誰でも教えられる通りの人間観を述べる。
「に……人間は……下等、な……しゅ、種族です」
言いながら、
「魔法が使えず、感情に流され、愚かで、自分勝手な種族です」
「スュンよ……本当に、そう思っているのか? いま自分で言った事を、自分自身、本当に信じているのか?」
「……」
返す言葉が無かった。
「窓の外に広がる、この景色を見ろ」
背中を向けたままコスタゴンが続けた。
「都市という名の巨大な構造物。それを制御し、機能させるための複雑な仕組み。感情に流され、愚かで、自分勝手な劣等種族に、都市を造るなどという事業が可能だと思うか?」
「……」
「それにな、スュン。人間の中にも魔法を使える者が居るのだぞ?」
「魔法使いの存在は、もちろん聞いています。しかし、それは
「別の説もあるぞ。実は、潜在的に全ての人間は魔力を有しているという説が、な……しかし
スュンがコスタゴンに問う。
「閣下のおっしゃる『偶発的な衝撃』とは一体どういう物でしょうか」
「それが分かっていれば、人間は本当にエルフと同等だよ。分かっていないから仮説は仮説のまま、とも言える……どうやら人間個人個人で、魔力発現の因子は違う、という話だ。ある者は強い悲しみや怒り、憎しみなどによって内なる魔力が呼び覚まされる。しかし、別の人間に同じような強い感情が起きても魔力は目覚めない……また、ある者は、事故などによる物理的な衝撃を受けて魔法使いになるが、別の人間に同じような衝撃を与えても魔力は使えないまま、という事らしい」
「でも、それでは……再現性が無いのでは、理論として証明しようが無いと思われます」
「その通りだ。スュン。逆に言えば、再現性の無いように見える個々の現象を統一的に説明する理論が現れたとき、人間は我々エルフと対等の存在になる、という事だな」
「……」
スュンはどう答えて良いか分からなかった。
「まあ今の所は仮説だ。いや、仮説以下の『
二人は公使の部屋を出た。
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