怪盗バネ足男、エルフ公使館に予告状を送る。

1、スュン


 公使館の中庭に馬車が停まった。

 まずオリーヴィア、続いてスュンが降りる。二人とも既に擬態を解いてエルフの姿に戻っていた。

 馬車のステップに足を掛けるとき、スカートを手でまむようにする……オリーヴィアが教えてくれた。

「スカートのすそは、かなり下の方まであるから、ゆかや地面にれないよう、とにかく何かに付けて、手でまんでちょっと持ち上げなさい。お辞儀をするとき、階段を昇るとき、降りるとき、急いで小走りするとき……」

 二人の女エルフが降りると、御者のペーターは馬車の扉を閉め、東館の車庫へ機械馬の鼻先を向けた。

 車庫へと徐行していく馬車を何気なく見送っていると、突然、背中から「ひいっ」という女の息をむ声が聞こえてきた。

 オリーヴィアもスュンも驚いて後ろを振り向く。

 左うでに洗濯かごを抱えた侍女メイドが、右手でかえでの木を指さしていた。

 手がぶるぶるとふるえている。

 視線を動かし、その指さす方向をたどっていく……木の幹に何かが突き刺さっていた。

(投げナイフ……?)

 スカートを両手でつまみ上げ、急いでかえでのそばにる。

 近づいて良く見ると、小さな紙きれがナイフの刃で木の幹にり付けられていた。

 オリーヴィアが、幹に突き立っているナイフの柄を持って(持った振りをして魔法を使って)抜き、紙きれを取る。

 紙に何か文字のようなものが書かれているのが、スュンにも見えた。

 それを読んでいくうちに、オリーヴィアの眉間みけんに険しいしわが刻まれていく。

 読み終わったあと、紙きれをスュンの方へ突き出した。

「お前も読め」という事だ。

 スュンが紙を受け取り、書かれた文字を、声に出さずに読む。

(先ごろ発掘された秘宝『水晶のクーピッド』は、今日中に頂く。……怪盗、バネ足男のジャックより……か、怪盗? バネ足男……ジャック?)

 緑のエルフグリーン・エルフが第一発見者の侍女メイドに言った。

「しばらくは騒ぎを大きくしたくないから、許可があるまで口外無用こうがいむようでお願い。分かった?」

 侍女メイドが首をカクカクッと縦に振り、了解した事を表す。

 緑のエルフグリーン・エルフはスュンを振り返って言った。

「その紙を持ってついて来なさい。公使閣下に報告しなければ」

 そして南館へ小走りに向かう。スュンも後を追った。


2、コスタゴン


「フムン……」

 大きな革張りの椅子の背もたれに体を預け、在サミア・エルフ公使コスタゴンがうなった。

 大きな執務机の反対側には、先ほどノックもそこそこに執務室に飛び込んだオリーヴィアと部下のスュンが立っている。

「……問題は……」

 紙きれを机の上に置いて公使が言った。

「この『バネ足男ジャック』とやらに狙われた事、それ自体よりも……なぜ、この男が『水晶のクーピッド』の件を知っていたか、だな」

「……はい」

「公使館の中に情報をらす者がいるという事か。さて……どうしたものか……一番、手っ取り早いのは、この『バネ足』とか言うを捕まえて口を割らせる事だが……」

 言いながら壁際かべぎわれ下がっている銀の鎖を引く。

 どこかで「チリンッチリンッ」という鈴の音が聞こえた。

 五つ数えるひまもなく、執務室の扉がノックされる。

「入れ」

 コスタゴンの呼びかけに扉を開けて執務室に入ってきたのは、三十歳くらいの人間の男だった。ペーターによく似た、冷たい目をしている。

(彼も……『御者』?)

 スュンは、横目でその男の顔を見て思った。

 そう言えば、昨日、コスタゴンの執務室に挨拶あいさつに来たとき廊下か階段ですれ違ったような気がする。

「タルゴンを呼んできてくれ」

「かしこまりました」

 男はすぐに執務室を出ていく。

「この一件は、警備担当のタルゴンに任せようと思う」

 扉が閉まったのを確認して、公使が言った。

「はい」

 感情を表さず、オリーヴィアが返事をする。

 そこでコスタゴンの視線がスュンに移った。

「スュン……君は、この事件に関して興味は無いかね? 昨日この街に来たばかりで、一体いま何が起きているのか、さっぱり分からんだろう? 『バネ足男』とは何者なのか? 『水晶のクーピッド』とは、どんな秘宝なのか?」

 コスタゴンの視線をスュンが受け止める。

(この問いかけは、たぶんわなだ……いや……わなというより、一種の試験か。公使閣下は、私を試されている)

 短い間に頭の中で『今、言わなければいけない事』をまとめる。

「何を知るべきで、何を知るべきでないのか、それを判断するのは私ではありません」

「ほう?」

「公使閣下が、このスュンが知るべきだとお考えになったことを知り、知るべきではないとお考えになったことは永遠に知らない。それが全てです」

 コスタゴンの口のはしわずかにり上がった。

「フフン……良く出来ました……と、言うべきかな? ご褒美ほうびという訳でも無いが……君は、既にこの件の関係者だ。全てを知る権利くらい有るだろう。オリーヴィア、あとでスュンに全部説明しておきなさい」

「全部、ですか?」

「そう。全部だ」

 その時、再びノックの音がした。

「オリーヴィア、スュン、君たちはもう下がって良いぞ」

 二人は一礼をして、公使の執務室を後にした。

 扉を開けると、部屋の前に男のエルフが立っていた。エルフ公使館警備担当のタルゴンだ。

(昨日の夜、食堂に居た……)

 食堂で紹介された何人かのエルフのうちの一人だった事を思い出す。

 すれ違うとき、オリーヴィアとタルゴンは左手の甲を見せ合って、略式の挨拶を交わした。

 急いでスュンも真似まねる。

 廊下を歩きながら、オリーヴィアが言った。

「東館へ行きましょう。そこに資料室がある。スュンに『水晶のクーピッド』を見せてあげるわ。閣下も『全部説明しろ』と、おっしゃっているから」


3、オリーヴィア


 資料室は東館の四階にあった。

 部屋へ入る扉の両側に、人間の剣士が一人ずつ警備に立っている。

 警備の剣士たちにはかまわずに、オリーヴィアは資料室の扉を開けて中に入った。剣士たちも黙っている。

 あとに続いてスュンが入ろうとしたとき、見慣れない顔だとでも思ったのか、剣士の一人がギロリとにらんだ。しかし、彼女の長い耳を見てすぐに視線をらす。

 資料室の中は、真っ暗だった。

 オリーヴィアが「明かりの魔法」を使って青白い光で部屋を満たした。

 窓はあるようだったが、ぶ厚く真っ黒い遮光カーテンでふさがれ、少しの外光も入らない。

 室内には背の高い棚が整然と並んでいた。棚の中に大小無数の木箱。

 緑のエルフグリーン・エルフが、木箱のラベルを確認しながら、棚の間を彷徨さまよう。

「ああ、あった、あった」

 オリーヴィアは木箱の一つを棚から取り出して大事そうに両手で持つと、部屋の端にあるテーブルまで持って行った。

 スュンも後に続く。

 木箱を置いたテーブルをはさんで二人のエルフが向かい合った。

「箱の中身を見せる前に、簡単に説明しておくわ。『バネ足男ジャック』とは何者なのか……ひと言でいえば、近ごろ都市国家サミアを騒がせている『泥棒』の事よ」

「泥棒、ですか」

「そう。『怪盗』だなんて自称しているけど。大富豪が持っている貴重な美術品や価値のある骨董品ばかりを専門に狙う泥棒……たとえ目の前に現金……金貨や銀貨が山積みになっていても、それには指一本れないらしいわ。いわゆる『主義ポリシー』ってやつ? くだらないけど」

 緑のエルフグリーン・エルフの声には嘲笑の色が混じっていた。

「くだらない『主義ポリシー』といえば、その怪盗バネ足男ジャックさまは、目を付けた大富豪の家に、必ず前もって『挑戦状』を送りつけるらしい。『お宅の金庫にある、これこれという財宝は、この怪盗バネ足男さまが頂く』……とか、何とか」

「では、さっき木の幹にさっていたのは」

「そう。その挑戦状とやら、でしょう」

「誰かの悪戯いたずらという可能性はないですか?」

「いいえ。それは多分、無い。あとで話すけど『水晶のクーピッド』がここに有る事は、公使館の職員の中にも、知っている者はほとんど居ない。もちろん、エルフは全員知っているけど、エルフは絶対に、こんな悪戯いたずらはしない」

「だから『挑戦状』が悪戯いたずらだという可能性は低い。逆に言えば、本物である可能性が高い、と……その怪盗……ですか……姿を見たものは居ないのですか? 目撃者は?」

「それが、何人にも見られているのよ。ただし、見られて正体がバレるようなは、さすがにしていない。目撃者の話では、大きな黒い山高帽やまたかぼうかぶり、目の周りには黒いマスク、先端がカールして横に広がった口髭くちひげを生やしている。たぶんひげでしょう。つまり本当の人相は誰も知らない。全身黒ずくめの服に、両端を両腕のそでいつけた黒マント。手袋の甲の部分には、何故なぜか小さなかがみが縫いつけられているそうよ……そして、ここからが奇妙奇天烈きみょうきてれつなんだけど……マントのさらに外側に、大きな魚の背びれみたいな器具を背負っているらしい」

「背中に、魚の背びれ、ですか?」

「そういう風に見えるという事。もちろん、何かしらの人工器具でしょう。そして……名前の由来ともなった、かかとに大きなを仕込んだブーツ。そのの力で五階建ての建物も、ひとっ跳びで越せるという話……逃げるときは、そのブーツの力で屋根から屋根へピョンピョン飛び跳ねながら去って行くんだってさ……」

「黒いマント……屋根……」

 そこで二人のエルフはハッと顔を見合わせる。

「今朝スュンが見たっていう……」

「この東館の屋根の上に立っていた黒マントの男は……」

 オリーヴィアが不敵な笑みを口元に浮かべる。目は笑っていない。

「なるほど……本当に、本物ということなのね? 大胆だいたんにもエルフ公使館に恋文ラブレターを送り付けてきたいとしのバネ足男さんは……」

「たぶん……そういう事になりますね……」

「そ、それじゃ、『怪盗バネ足男』の説明は、これくらいで良いわね? 次にこの、木箱の中身……」

 そう言って緑のエルフグリーン・エルフは箱のふたをコンコンッと叩く。

「『水晶のクーピッド』について説明するわ……その前に、良い機会だから我々エルフ公使館職員の任務を明かしましょう。……いいえ、『表の任務』の事じゃなくて『裏の任務』のこと。時間が無いから、詳しい話は、また後にするけど……簡単に言うと、我々、人間社会に送り込まれたエルフの任務は『人間の土地から発掘された古代の品々を、人間の手から盗むこと』なの」

「ええ?」

「バネ足男どころの話じゃない。われわれ自身が、ある意味、巨大な盗賊団なわけ」

「ど……ど……どういう意味ですか?」

「理由を話しているひまは無い。今は、とにかくと思って。盗む対象物は、単に古けりゃ良いというものではない。大昔の人間が使っていたつぼやなんかに興味は無い。我々が標的にしているのは、ずばり、古代の魔法使いによって作られた『魔力を持った道具』のみ。箱を開けるから、よく御覧ごらんなさい」

 かたっ、という小さな音がして、オリーヴィアが木箱からふたを外した。

 中には、保護目的の綿わたがびっしりと敷き詰められていて、その上に握りこぶし大の小さな像が収められていた。

 無色透明の水晶を彫って作られた、小さな赤ん坊の像だった。

 オリーヴィアが手に持って、赤ん坊の像を裏返し、背中をスュンに見せる。肩甲骨のあたりに一対の小さな翼が生えていた。像全体の体積からして極端に小さい。空を飛ぶためのものというより、何か、象徴的な印かもしれない。

「これが……クーピッド、ですか? この赤ちゃんが?」

「そう。古代文明においてあがめられていた男女のえんつかさどる神だそうよ……神様というお話は、まあ、ともかくとして……この像そのものについて説明します。古文書によると、これははるか昔に実在した魔法使いの作とされている。そして魔法使いは『ある魔的機能』をこの像に封じ込めた、と」

「魔的機能……ですか?」

「そう。この小っちゃな透明の赤ちゃんには、ね…………どう? 洒落しゃれいていると思わない? 縁結えんむすびの神様に込められているのが、男女の愛情を魔力に変える能力だとは……」

「本当なのですか?」

「それを調べるために、この像をこっそり人間の領域外へ持ち出し、エルフの森の長老会へ送るのが我々の役目。資料室ここは言わば一時保管庫」

「どうやって、この像を手に入れたのですか?」

「古文書の解読によって、『水晶のクーピッド』の存在は以前から予想されていた。ただ、何千年もの間、その行方は誰にも分からなかった。今から三ヶ月前、さる大金持ちが資金を出して私設の発掘調査隊が結成された。この大金持ちの人間を裏で操っていたのが……」

「われわれ、エルフ公使館という訳ですね?」

「そう。出土した品々の大半は、エルフにとっては全く価値のない物だったけど、この像だけは違った。どうやら、これが、あの古文書に記述のあったクーピッド像らしいと分かった時点で、われわれエルフ公使館が裏から手を回して、まんまと手に入れちゃいました、という次第」

「でも、それでは……」

「エルフと人間との協定に違反している? でもね、スュン。誰かのセリフじゃないけれど『イカサマは、バレなければイカサマじゃない』のよ?」

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